※以下は、2012年に書いた感想です。
ハル・アシュビー監督、バッド・コート、ルース・ゴードン出演の『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』。1971年作品。
他人の葬式に参列するのが趣味でいつも自殺の真似事ばかりしている金持ちの家の息子が79歳の老女と出会い、彼女に恋をする話。
なんかあらすじだけ読むとコメディみたいだが、そうではなかった。
ちょっとクリント・イーストウッド監督の1973年の映画『愛のそよ風』を思い出した。
『愛のそよ風』はウィリアム・ホールデン演じる初老の男がケイ・レンツ演じる10代の少女と恋に落ちる映画だが、『ハロルドとモード』はその逆ヴァージョンというわけ。
しかも相手は熟女どころか80を間近にひかえたババ…いや、後期高齢者である。
主人公のハロルドと彼女が裸でベッドに入っている、気がふれたとしか思えない場面もあった。
映画評論家の柳下毅一郎さんの著書(と思うけど、違ってたらゴメンナサイ)で紹介されていて、気になっていた。
アメリカン・ニュー・シネマの1本で、カルト的な人気がある作品なんだそうで。
1〜2年前に単館系でリヴァイヴァル上映されていたんだけど観逃していた。
そしたらTSUTAYAで「おすすめ作品」として置いてあったので借りてみた。
以下、ネタバレあり。
ハル・アシュビーはジャック・ニコルソン主演の『さらば冬のかもめ』やデヴィッド・キャラダイン主演の『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』などを撮った監督だが、どれも僕は未見でこれまでに『800万の死にざま』1本だけを観ていた。1986年作品で、僕はヴィデオだかDVDだかで観たのだが、タイトル以外内容はまるっきりおぼえていない。
“アメリカン・ニュー・シネマ”と呼ばれる1960年代半ばから70年代にかけて作られた一連の作品群は、僕はこれまでそれほど多く観ているわけではないけれど、特に90年代に意識的に観た時期がある。
で、あれからもうずいぶんとあの時代の映画はご無沙汰だったので、ひさしぶりに観てみてちょっとてこずった。
つまり、最近の映画の文法に慣れてしまっていると、あの当時の映画の編集のしかたとか音楽の使い方、ストーリーの組み立て方など、オールドハリウッドのそれとの違いに戸惑って映画の内容がなかなか頭に入ってこないんである。
あと『少年は虹を渡る』という日本語の副題もなんのことだかわからない。
主人公のハロルドはものすごいお屋敷に住んでる大金持ちの息子で、学校にも行かず、働いてもいない。
なにかといえば自殺の真似事をしているが、母親は慣れっこで息子が首を吊ってても気にも留めず、ピストルで頭を撃ってもあきれて「いいかげんにして!」と叱るだけ。
高価な車を買い与えると、息子はそれを霊柩車に改造してしまう。
このあたりでもうなにが描きたい映画なのかわからなくなってくる。
19歳のハロルドを演じているバッド・コートは当時20代前半だったが、童顔で手足がひょろ長く長身という不思議な体型で、ちょうど若い頃のマルコム・マクダウェルや『ファントム・オブ・パラダイス』でスワンを演じていたポール・ウィリアムズのような「ヘンな顔」の持ち主。
顔を白く塗っていて見開いた瞳はいつも潤んでいる。
ホラー顔といってもいい。
映画を観ていて彼の顔に慣れるまでに時間がかかってしまった。
ハロルドは精神科で診てもらっても埒があかず、母親が軍人の叔父に頼んで入隊させようとしても無駄足に終わる。
彼は霊柩車に乗ってしょっちゅう赤の他人の葬儀に参列しているのだが、そこでいつも顔を見る老女がいた。
その老女、モード(ルース・ゴードン)は他人の自動車を盗んでは乗っている破天荒なバァさん。
いつも葬式に来ているハロルドに目をとめたモードは彼に声をかける。
母親から結婚相手の候補と見合いをさせられてウンザリしているハロルドは、この老女といっしょに過ごすうちに次第に彼女に惹かれていく。
他人の車を勝手に乗り回すことにまったく罪の意識がなく、歩道に植えられている木が枯れそうなのをあわれんで車で暴走して森に植えに行ったり、トレーラーハウスに住みながら知人の芸術家のヌードモデルになったりするモードのキャラクターは、いかにもヒッピー風というか(よく知りませんが)70年代的。
この映画は、ハッキリいってなにか特別なヒネリがあるわけではなく、人生のなかで喜びを見出せず、ただいたずらに生きてきた若者が人生を謳歌している老女と出会って、やがて別れる話だ。
もっとも、その別れ方は僕が予想していたのとは違う、意外なものだったが。
うーん、それにしてもなんといったらいいのだろうか。シーンが突然飛んだりするので、なんでそうなったのかよくわからないうちに次の場面に移ってしまう。
海に落ちたはずのモードはどうやって助かったのか、なぜハロルドの入隊は取りやめになったのか。
また、ハロルドのお嫁さん候補の女性が刃物で自分の胸を突いたりモードたちが白バイを盗んで逃げたりと、作品のなかのリアリティがどのへんにあるのかもよくわからなくて、観ていてほんとに不安定な気分になった。
「安心して」観ていられないのだ。
この時代の映画というのは頭が固くなると観られないのだろうか。
さて、母親にあてがわれた若いが俗物っぽい女性たちにはまったく興味をもたなかったハロルドは、モードのことは本気で愛するようになる。
たしかにモードを演じるルース・ゴードンは、シワだらけだがきっと若い頃は美人だったのだろうと思わせる顔立ちで可愛らしく、ピアノにあわせて唄い踊り、ハロルドに生きる楽しさを教えていく。
そんなモードの前で涙を流すハロルド。
金持ちんとこのガキの悩みなど僕にはわからないが、でも「死んでいると楽しいって気づいた」というハロルドのいってることは、なんとなく理解できた。
「そういう人は多いよ。でも生きてる。人生に逃げ腰になってるだけ。当たって砕けなさい」というモード。
幼い頃にウィーンの宮殿のパーティに出席したことを懐かしそうに語るモードの腕には、ユダヤ人収容所のものと思われるイレズミがある。
これまで数え切れないほどの出会いと別れを繰り返してきたのだろう。
夕陽を見ながらモードはいう。
「ドレフュス(“ドレフュス事件”の人)は悪魔島でもっとも美しい鳥を見た。でも何年も経ってから、それがただのカモメだったことを悟った。…私にはいつだって“もっとも美しい鳥”さ」
ついにモードに愛をうちあけて結婚を申し込もうとするハロルド。
しかしモードは80歳になったその日に睡眠薬を飲んで、みずから命を絶ってしまう。
ここでもモードの死はハッキリとは描かれず、担架にのせられて病院の治療室に入っていく姿が映されるだけだ。
ハロルドに「生きがいを求めて懸命に生きるのよ」といっていた彼女が、なぜ生きるのをやめてしまったのか。
僕にはわからないが、このあっけなさもどこか「アメリカン・ニュー・シネマ」的ではある。
死にたがっていた少年は生き残り、老女は「愛は素晴らしいもの。もっと誰かを愛して」といい残して死んでいった。
モードにもらったバンジョーを奏でながら去っていくハロルド。
彼はこれから「生きがい」をみつけられるのだろうか。
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