映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『英国王のスピーチ』


※以下は、2011年に書いた感想に一部加筆したものです。


トム・フーパー監督、コリン・ファース主演の『英国王のスピーチ』。

第83回アカデミー賞で作品賞と監督賞、主演男優賞、脚本賞の計4部門を受賞。

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ベートーヴェン 交響曲第7番第2楽章
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第二次世界大戦に突入する直前の英国。吃音症に悩む主人公のヨーク公アルバート王子(のちのジョージ6世。現女王エリザベス2世のお父さん)が、ひとりの言語聴覚士の治療によってそれを克服していく話。

それだけ。ストーリーにはなんのひねりもない。

実際、我々極東に住む“平民”には直接なんの関係もない話ではある。

でもまぁ、かんしゃく持ちで吃音症の男の話(かなり特殊な環境の人だが)だと思えば普遍性を見いだせなくもない。

というか、僕はそういうつもりで観た。


幼い頃から「どもり」をからかわれ続け、自分に自信が持てずに成長し、退位した兄にかわって望まぬ国王となって「私は王ではない」と妻の前で泣く彼を「ひ弱」と鼻で笑うことは僕にはできない。

コリン・ファースは『シングルマン』(感想はこちら)のときのように、神経質そうだがユーモアや人間味もある、ちょっとカワイイ人物としてこの実在の英国王を造形している。


それにしても英国というのは不思議な国だ。

すでに専制君主制ではなくて立憲君主制だったからだが(世界史の授業を思い出しますね)、この当時から王室は国民の目を気にして、国王ジョージ5世には「我々は国民の機嫌をとらねばならない道化に成り下がった」といわせている。

主人公の兄のデイヴィッド王子(のちにエドワード8世としてわずか1年間だけ王位につく)はバツ2の既婚者であるアメリカ人女性にうつつを抜かしている(のちに正式に結婚。その顛末については、2012年に『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』としてマドンナの監督で映画化されている)。“プリンス・チャーミング”とも呼ばれたんだそうで。

アルバートの末弟は“てんかん”だったため公の場から隔離され、13歳で世を去っている。

わずか80〜90年ほど前のこのような王族の姿をためらいもなく描くことを許す国民性。

現在の王室の扱いもそうだが、ちょっと日本の皇室では考えられないことである。


主演のコリン・ファースをはじめ、ハリウッド映画でも活躍中の幾人もの実力派英国人俳優たちが、それぞれの役柄を的確に演じている。

ジョージ6世の妻エリザベス妃に、最近ではティム・バートン作品などエキセントリックな役で目にすることが多いヘレナ・ボナム=カーター。珍しく落ち着いていて主人公を温かく見守るよきお妃役を演じている。

言語聴覚士ライオネル・ローグに『シャイン』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの海賊船長役でおなじみのジェフリー・ラッシュ

ジョージ6世の兄に『メメント』のガイ・ピアース、父ジョージ5世に『ハリポタ』の二代目ダンブルドア校長マイケル・ガンボン※追記:ご冥福をお祈りいたします。23.9.28)。

エンドクレジットを観てはじめてわかったんだけど、ジョージ6世の母親メアリー王太后クレア・ブルームが演じている。

クレア・ブルームはチャップリンの『ライムライト』でヒロインを演じていた大ヴェテラン。

それを知っただけでなんだかジ~ンときてしまった。

大主教役にデレク・ジャコビ

この人、今ではかつてのジョン・ギールグッドみたいなポジションなのかな。日本でいったら島田正吾みたいな。

ウィンストン・チャーチル役は、これもハリウッドで引っ張りだこの名脇役ティモシー・スポール

と、ズラズラ書き連ねてしまったけど、この布陣を見ているだけで豪勢な気分になってくる。


この映画の最大の見せ場は、いうまでもなくヒトラーナチスが唱える“力こそすべて”という論理に立ち向かう人々を鼓舞するために新国王ジョージ6世がおこなうスピーチ。

「そんな考えがまかり通ったら世界の秩序は崩壊する」。

まだ英国に世界征服の野望を悟られる前のヒトラーの演説を聴いた主人公がそれを褒める場面は、なかなか皮肉に満ちている。

だからこそ、熱に浮かされたようにまくし立てて人々の熱狂と陶酔を駆りたてるヒトラーとは対照的に、吃音症に苦しみ重大な責務を負ってプレッシャーに押しつぶされそうになりながらクライマックスで一言一句噛みしめるように語る主人公の姿、そのけっして流暢とはいいがたい演説が感動的なのだ。

バックに流れるベートーヴェン交響曲第7番第2楽章には鳥肌が立った。映画館の場内からは鼻をすする音も。

しかし、思えばこうやって感動してる僕が住む国は、やがてヒトラーと組んでこの王とその臣民たちを相手に戦争をおっぱじめたわけなのだが。


この作品がデヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』(感想はこちら)を下してアカデミー賞を見事勝ち獲ったことについては、どちらが優れた作品だったか、といった判断は僕にはできないけれど、このまったくタイプの違う両作品がどちらも史実にもとづき(『ソーシャル〜』の方はかなり創作が含まれるが)、しかも「友だち」をキーワードにしているのは面白い。

そしてこのふたつの作品の主人公たちは(少なくとも映画の中では)“友情”に関して正反対の結末を迎えるのである。


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