※以下は、2010年に書いた感想です。
トム・フォード監督、コリン・ファース主演『シングルマン』。2009年作品。日本公開2010年。
ヴェネツィア国際映画祭最優秀主演男優賞受賞作品。
同性愛の恋人を事故で失った大学教師ジョージ(コリン・ファース)が孤独に耐えられずに自殺を計画するのだが…。
以下、ネタバレあり。
『ブルーノ』や『フィリップ、きみを愛してる!』などを観て、オッサンやお兄さんたちがあんなことやこんなことをやってるのをスクリーンの中で目にして、映画の出来云々以前にちょっとシンドかったんで(;^_^A“ゲイ・ムーヴィー”はしばらくいいや、男の尻はもう見たくない、と思っていたのだが、何も知らずに観たこの映画もそうなのだった。
愛した人がもういない人生には意味がない、と生きる意欲を失った主人公。
ここにノれるか、共感できるかどうかがこの作品に感動できるかそうでないかの分かれ道かもしれない。
自分の半身をもっていかれたような悲しみ。
頭で想像だけはできる。
でも、広い家、大学教授という地位と収入。
生活に困ることはない。
伴侶を失ったショックは、僕も祖母を亡くして独りになった祖父の晩年を見ていてわかったつもりではいる。
ともに生きた時間が長ければ長いほど、その想いもいっそうつのるのだろう。
しかし正直、贅沢な悩みではあると思う。
以前、友人が言っていたことを思い出した。
「本当に大切な存在がいてそれを失うのと、もともとそういう存在がいないのとでは、感じる孤独の度合いがまったく違う」。
ようするに、もともと恋人がいない奴と、恋人がいて別れるのとでは、別れたあとのほうが断然寂しい、ということのようだ。
この映画で、ジュリアン・ムーア演じるチャーリーは「本当に愛し合った存在など私にはいなかった」とつぶやく。彼女は離婚したあとの独り身の寂しさを酒で紛らわしている。
そんな彼女にジョージは「君は自分に酔ってるだけだ」と言い放つ。
このチャーリーとジョージの関係がちょっとよくわからなかったんだけど、彼らは以前、結婚してたんだっけ?付き合ってただけか。
ともかく、カレシと一緒に暮らしていた主人公の家の近所に元カノが住んでて、二人は今でも親しい友人同士という設定。
その辺からしてよくわかんないが、まぁ、なんかそーゆー複雑な間柄。
共依存、といった感じにも見える。
恋人を失って、もう死ぬつもりでいるジョージさんなんだが、この人とにかくモテるんである。
酒飲みに店に行っても、悩んでても、死のうと思ってても次々と美青年が向こうから近づいてきて寂しさを紛らわしてくれて、自殺まで思いとどまらせてくれる。
いや、別にうらやましくはないが^_^;つまり彼は何人もの人たちに“生かされている”。
人は孤独から逃れるために誰かと結びつこうとする。
想いが強ければ強いほど、それは痛みを伴う。
この映画を観て僕があらためて確認したことは、やっぱりみんな寂しいんだ、孤独が怖いんだ、ということだった。
ラストシーンで観客の女性の鼻をすする音が。
でも残念ながらこの映画の結末に涙することはできなかった。
なぜなら、仲代達矢主演映画『春との旅』の時にも思ったように、現実の人生はあんなふうにタイミング良くあっさりと幕を閉じてはくれないからだ。
これからも中途半端にだらだらと続いていくんである。
残されたチャーリーはジョージと同じ道をたどるのか?
“自分に酔ってる”のはほんとは誰なんだろうか。
それでも、毎朝起きるのがツラかったり、生きることがシンドくてたまらない、という感覚はよくわかる。
恋人を失った、という誰もが納得し、同情してくれる明快な理由などなくても、人は人生に絶望することがある。
甘えといわれようがどうしようが、誰もが今日というこの一日をなんとかぎりぎり精一杯、その人なりに生きている。
精一杯愛せた相手がいて、そんな自分を支えてくれた人がいて、命を救ってくれた人がいて、最後にそのことを実感できたのなら、それは誰よりも幸せな人生だろう。
ジョージの亡き恋人によると「恋人はバスのようなもの。待っていればそのうち次がくる」のだそうだ。
…そうなの?
まだ来ないなぁ、バス。