「午前十時の映画祭10」でロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督、ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、ラス・タンブリン、リタ・モレノ、サイモン・オークランド、ネッド・グラスほか出演の『ウエスト・サイド物語』を鑑賞。1961年作品。
第34回アカデミー賞作品賞、監督賞、助演男優賞(ジョージ・チャキリス)、助演女優賞(リタ・モレノ)、脚色賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣裳デザイン賞、録音賞受賞。
音楽はレナード・バーンスタイン。
ニューヨークのウェストサイド・マンハッタンでは、縄張りをめぐって二つの少年グループ、ポーランド系やイタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団が対立していた。ジェット団のリーダー、リフ(ラス・タンブリン)と親しいトニー(リチャード・ベイマー)はダンスパーティで出会ったマリア(ナタリー・ウッド)と恋に落ちる。しかし、彼女はシャーク団のリーダー、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹だった。
ストーリーの中身について述べますので、これからご覧になるかたはご注意ください。
この映画は昔NHKで放映されてるのをチラッと観た記憶があって、特に冒頭の二つの不良グループの対立を表現しているダンスシーンは印象深かった。
「Beat it!(失せろ)」や「Chico(スペイン語で“少年”)」の語が耳に残る。
当時の僕はミュージカル映画を今ほど頻繁に観ることがなかったし、少年役の出演者たちのダンスの振り付けがなんだか不思議な感じだったんですよね。ダンスや音楽のことがよくわからないからうまく説明できないんですが、冒頭のダンスは歌がまったくなくて数分間ひたすらみんなが踊っている。街中を縦横無尽に駆け抜けながら、喧嘩さえもダンスで表現されている。
ちょっとバレエっぽくて、フレッド・アステア主演の『バンド・ワゴン』(感想はこちら)やジーン・ケリー主演の『雨に唄えば』(感想はこちら)でのシド・チャリシーのダンスを思わせるなぁ、と思ってたら、この映画のダンスの振り付けをやっているジェローム・ロビンズはもともとバレエの人でアステアに憧れてこの世界に入ったのだそうで、なるほどなぁ、と。
ただ、そこ以外の場面はまったく覚えていないので、多分通して観たことはないんだろうなぁ。上映時間は152分ありますから。途中でインターミッションも入りますし。
先日観た『サウンド・オブ・ミュージック』(感想はこちら)もよかったし、だからこの映画もぜひスクリーンで観ておきたかった。こちらも『サウンド・オブ~』同様にブロードウェイのミュージカルの映画化。
監督は同じロバート・ワイズ。ミュージカル映画史に残る2本の作品をこの時期に立て続けに撮ったのがなんとも凄いですよね。しかもずいぶんとタイプの違うものを。
『サウンド・オブ~』の方が映画はあとだけど、楽曲は昔ながらの、って感じがするのに対して、バーンスタイン作曲のこちらの方は、耳馴染みのいい歌と現代的な音が共存している。
僕は“バーンスタイン”って、てっきりエルマー・バーンスタインだとばかり思ってたら、別人だったんですね。すみません、無知で。
これは「ロミオとジュリエット」の現代版で、ナタリー・ウッド演じるマリアがジュリエットでリチャード・ベイマー演じるトニーがロミオに相当する。
憎しみ合っている二つの勢力の対立によって引き裂かれた恋人たち、という構図は古典的なラヴストーリーなんだけど、そこに社会のマイノリティ同士の争いという現代的な問題が重ねられる。
プエルトリコ系のベルナルドらシャーク団の少年たちは、肌の色や文化、言葉の違いなどから差別されている。この地区を受け持っているシュランク警部補は、白人の少年たちで構成されるジェット団の前で平然とベルナルドたちを蔑む発言をして自分はジェット団に肩入れしているような物言いをする。
そのジェット団の面々もまた、親から愛を注がれず、シュランクからもクズ呼ばわりされる。
彼らはどちらのグループも社会の底辺にいる。
この映画を初めて観た頃、僕は差別問題というものを日常の中で意識していなかったので、不良少年たちの喧嘩ぐらいにしか思わなかったけれど、この日本でも在日外国人へのヘイトが平然とされているような状況の現在観ると、まったく違った印象がある。
日本の映画でも「パッチギ!」シリーズなど、とてもよく似た世界を描いていました。
『ウエスト・サイド物語』の冒頭のジェット団とシャーク団の対立は、両者が街なかで出くわすと人数の多い方が有利なので、それぞれ仲間がいると大威張りな態度を取る、というのの繰り返しで、徒党を組む人間の滑稽さを感じずにはいられない。
中学の時のヤンキーたちも、ああいうふうに仲間同士で群れていた。そうすることで互いを守っていたんだよね。独りだったら寄ってたかってヤラれちゃうから。まぁ、あちらの人たちはほんまもんの“ヤンキー”なわけですが。
ひと頃この国でもヤンキー漫画が人気があったように、仲間同士でじゃれ合ったり庇い合い助け合うような関係に憧れたり共感を覚える人もいるかもしれないけど、僕は数にものを言わせてデカいツラする奴らが大嫌いだし、自らの不満を暴力で解消しようとすることに何一つ正当性はないので、彼らのような生き方には反発しか感じない。
それでも彼ら少年グループの一人ひとりは愛嬌があったりかっこよかったり仲間思いなところもある人間として描かれていて、そんな彼らがダンスパーティで盛り上がったり恋をしたり冗談言い合って笑ってる姿は、どこにでもいるような連中に見える。
では、なぜそんな彼らが憎み合って“戦争”し合わなければならないのか。
トニーはジェット団をやめてドクの店で働いているが、彼の親友でジェッツのリーダーのリフは地道に働く気もなく、いっぱしのギャング気取りで「俺たちのシマ」がどーたらこーたらと抜かしてはシャーク団との喧嘩に明け暮れている。そんな彼らを警官たちはすでに見放している。
ベルナルド役のジョージ・チャキリスのダンスはとても有名だから僕も覚えていたわけですが、彼が途中で殺されてしまうとは思わなかったので(忘れてただけかもしれないが)ちょっと驚いた。ベルナルドは喧嘩の仲裁に入ったトニーを挑発し続け、ジェット団のメンバーに殴られたはずみで思わずナイフを取り出し、結局それがその後の惨劇を呼ぶことになる。
ステゴロでの1対1の勝負ということだったにもかかわらず刃物を出してリフを刺してしまうベルナルドは本当に愚かだし、親友の死に逆上して今度はそのベルナルドを刺し殺してしまったトニーもどうしようもないバカだ。
彼がのこのこと現われなかったら、素手での殴り合いだけで済んでいたかもしれないのだし。
リフもベルナルドもトニーも、武器を手にした者たちは全員死ぬ。互いに重過ぎる犠牲を払ったあと、マリアの頭にジェット団のベイビー・ジョン(エリオット・フェルド)がまるで喪服のヴェールのようにストールを被せたり、トニーの亡骸をシャーク団のメンバーも協力して運ぶことで争いは終息したように見える。
でも問題の根本の部分が解決されなければ、再び少年たちの“戦争”は繰り返されるだろう。
その「根本的な問題」はこの映画ではハッキリとは描かれないが、少年たちの中の「怒り」や「憎しみ」がどこから来るものなのかをよく考えてみる必要があるでしょう。人は満ち足りた状態なら差別したり争いを起こしたりしないものだと思う。欠乏感や劣等感があるからこそ、それを「怒り」として誰かにぶつける。
それは僕の住むこの国に蔓延している「怒り」や「憎しみ」の原因と通じるものがある。
だから、残念ながらこの映画で描かれているのは過去のことではなくて、今まさに日本で起きていることでもある。
ところで、シャーク団のメンバーたちはプエルトリコ系という設定だけど、主要キャストの中でほんとにプエルトリコ系なのはベルナルドの恋人のアニタ役のリタ・モレノだけで、マリア役のナタリー・ウッドはロシア系だし、ベルナルド役のジョージ・チャキリスはギリシャ系。また彼らシャーク団のほとんどのキャストは顔を濃い目の色に塗っている。そして、みんなあえてスペイン語訛りの巻き舌で喋ったり唄ったりする。
現在だったら、この配役や顔を濃い色で塗る処理は確実に批判されるでしょうね。
この当時は、おそらく白人と黒人以外はあとは全部一緒くた、みたいなアバウト極まりない意識だったんだろうと思う。シャーク団の女性たちの中には日系の女優(ノブコ・ミヤモト。同名の日本人の女優とは別人)もいる。彼女も肌を濃く塗ってます。
作り手側からすれば、みんなで協力し合って映画を撮ってるわけだから、本人が何系か、なんてことよりも出番があること自体に意味があったんだろうし、現在のようにその俳優のルーツにこだわることが必ずしもよいことなのかどうか僕にはわかりません。


ダンスの振り付けをするジェローム・ロビンズと撮影風景
だけど、もはや俳優が「顔を塗って別の国の人を演じる」といったやり方が通用しないのはよくわかる。だったら本当にその国にルーツを持つ俳優を起用してください、ということ。「多様性」とはそういうことだ。白人が有色人種を演じることではない。
“ホワイトウォッシュ”が問題視されてはいても、いまだにハリウッド映画の出演者の大半は白人だし、この映画が公開された60年近く前から人々の意識やマイノリティの待遇はどれだけ向上したのだろうか。
そんなことをちょっと考えたのでした。
シャーク団のメンバーたちが唄い踊る「America」がこのミュージカルのために作られた曲なのを僕は知らなかったし、『サウンド・オブ・ミュージック』と同じくもはや映画を観たことがない人にもそのメロディは知られている。
マリアとトニーが唄う「Tonight」や「Somewhere」もそう。
いつかどこかで聴いた曲を古い映画の中で再び耳にする。
この映画は僕の70代の母が若い頃にリヴァイヴァルで観たのだそうで、彼女はジョージ・チャキリスのこともよく覚えていた。
そんな昔の映画を今こうやって劇場の大きなスクリーンでクリアな画質と音質で観ている不思議。作品が本当に時を越えている。
最近はリメイク流行りで今年も『メリー・ポピンズ』の続篇(感想はこちら)が作られたし、この『ウエスト・サイド物語』もスピルバーグがリメイクするんだそうだけど…う~んと、僕はもうリメイクの方はいいかなぁ。
だったらオリジナルの方をこうやってスクリーンで観ていたい。
やっぱり、作られた時代の雰囲気も含めてオリジナルの持つ魅力を堪能したい。今なら今のミュージカル映画の形があるだろうし、古典をあれこれイジらなくてもいいんじゃないかなぁ。オリジナル版をこんなにいい状態で観られるわけですから。
さて、おそらく今年僕が観る「午前十時の映画祭」の作品はこれが最後だと思います。
今年はこれまでよりもかなり多くの昔の名作が観られたのが嬉しかった。
「午前十時の映画祭」もあとわずかで終了ですが、素晴らしい名画の数々をこれからもスクリーンで観られる機会が訪れることを願っています。
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