映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『サウンド・オブ・ミュージック』

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「午前十時の映画祭10」で、ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュースクリストファー・プラマーエリノア・パーカーリチャード・ヘイドンペギー・ウッドほか出演の『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。1965年作品。

第38回アカデミー賞作品賞、監督賞、編集賞、音楽賞、録音賞受賞。

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1938年のオーストリアザルツブルク修道院の修道女見習いのマリアは修道院長の言いつけでゲオルク・トラップ大佐の7人の子どもたちの家庭教師を務めることになる。厳格なトラップ大佐の目を盗んで子どもたちに歌を教えてのびのびと過ごさせようとするマリアだったが、大佐に見つかり解雇されてしまいそうになる。


とても有名な作品ですが、以前BSでやってたのをチラッと観たことがある程度で、ちゃんと最初から最後まで通して観たことがありませんでした。

何しろ上映時間は3時間近く。途中で「休憩」も入ります。だから、これまでなかなか気軽に観られなくて。今回、映画館の大画面で観るチャンスがあってよかった。

ところで、僕はてっきりこの映画は同じくジュリー・アンドリュース主演の『メリー・ポピンズ』よりも前に作られたんだとばかり思っていたんですが(メリー・ポピンズの方が本作品の主人公マリアよりも年上に見えるから)、こちらの方があとだったんですね。

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2年連続でミュージカル映画の名作の主演を務めていたとは!奇しくもどちらも子どもたちとふれあう家庭教師の役(『メリー・ポピンズ』ではナニー)ですが。

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メリー・ポピンズ』は去年「午前十時の映画祭」で上映されたから、ちょうど僕も初公開時と同じく2年連続(公開順は逆だが)でジュリー・アンドリュースの主演ミュージカルを楽しめてるわけです。

メリー・ポピンズ』の劇中曲も今ではスタンダードナンバーになっているものがいくつもあるけれど、たとえば『サウンド・オブ・ミュージック』の「ドレミの歌」はあまりにもお馴染み過ぎて、この映画以前にはこの歌そのものが存在しなかったことがちょっと信じられないぐらい。

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「ド レ ミ ファ ソ ラ」までは同じだけど、「シ」って英語では「ティ」と発音するので(だからお茶の“TEA”とかけてある)聴いてると不思議な感じがする。「ド ティ ラ ソ ファ ミ レ ド」って唄いづらそう^_^;

小学生の頃、「ドレミの歌」の替え歌で「ウンコの歌」というのを唄ってたっけ。「ド~はどんどんウンコして~、レ~は連発ウンコして~♪」って。…アホな子どもだった。今も変わらんけど。

クリストファー・プラマー演じるトラップ大佐が唄う「エーデルワイス」も僕は昔からある既成曲だとばかり思っていたら、やはりこの映画のために作られた歌なんですね。

この歌も映画を観ていなくても、すでに大勢の人々が知っている。 

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エーデルワイス」というと、僕はアニメ番組「世界名作劇場」の1本「アルプス物語 わたしのアンネット」のエンディングで潘恵子さんが唄っていた「エーデルワイスの白い花」を思い出します。

わたしのアンネット」は“アルプス物語”とあるようにスイスのアルプスが舞台で、だからエーデルワイスという花の名を聴くとスイスのアルプスを連想します。

そういえば、『サウンド・オブ・ミュージック』も「世界名作劇場」でアニメ化されているんですよね(「トラップ一家物語」)。あいにく僕は観ていませんが。ってゆーか、この映画が(基にしたブロードウェイのミュージカル劇が)「実話」ベースだということを僕はずっと知らなかったんですが。

マリアもゲオルク・フォン・トラップ(実際には大佐ではなくて少佐)も実在の人物。

ただし、映画は史実をかなり脚色しているためにモデルとなったトラップ家の人々やゲオルクをよく知る人たちには評判が悪く、また舞台となったオーストリアでは一度も上映されていないのだとか。*1

こちらもミュージカル映画の『グレイテスト・ショーマン』が、やはり「史実を歪曲している」として批判されているのにも似ている。

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僕はこれらの映画を「史実が基になっている」と特に意識して観たわけじゃないので気にならなかったけど、このあたりはなかなか難しいですね。アニメ版の方はマリア・フォン・トラップさんの自叙伝に忠実に描かれているようですが。 

まぁ、ミュージカルでは物語が単純化される傾向はあるし「ミュージカル」という形式自体が極めてフィクショナルなものだから、これがそのまま史実だと素朴に信じる人はいないだろうと思うんだけど、だったら登場人物の名前を架空のものに代えるべきだ、という意見もある。

そういう部分では、確かに「実話を基に」というところに多少なりとも寄りかかってはいるのだから、批判があるのもしかたがないのかも。

ただ、そういった事情を知りつつも、僕はこの映画が好きですね。『グレイテスト~』が好きなのと同様に。

で、それはやっぱり歌の魅力によるところが大きい。 

この映画ではしばしば同じ曲があとでまた唄われるんだけど、2度目の時にはそこに新たな意味が加わって、「歌」そのものが伏線のような役割も果たしている。ミュージカルならではの効果ですね。

早くも冒頭で唄うジュリー・アンドリュースの姿にもっていかれる。

でもこれ、『ダンスウィズミー』の矢口史靖監督はきっと楽しめないんだろうなぁ。だって「ミュージカルって、いきなり唄いだすのがヘン」とかいうのをネタに映画撮っちゃってる人だから。

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そんなこと言ったら、『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアなんて「高原が私を呼んでいる」と言って熱唱してて修道院に遅刻するし、完全にどうかしている^_^; そういうとこにツッコミ入れだしたらきりがないでしょw

ふと思ったんだけど、マリアのあのショートヘアって「世界名作劇場」版の「アルプスの少女ハイジ」のハイジの髪型に影響を与えたということはないだろうか(ハイジはマリアのような金髪ではないが)?『サウンド・オブ・ミュージック』には歌の中にヨーデルも出てくるし、最後に一家はスイスに向かうし。

この映画が「世界名作劇場」に与えた影響って、僕は小さくないんじゃないかと思うんですが。

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前年の『メリー・ポピンズ』は従来のハリウッド映画らしくほぼスタジオ撮影だったのが、『サウンド・オブ・ミュージック』では屋外の場面の多くはロケ撮影で、それまでのミュージカル映画と比べても臨場感があるんですよね。

オーストリアの人々にとってはリアリティがなかったかもしれないけれど、日本人である僕には街の景観や大きなお屋敷など、まさしく幼い頃観ていた「世界名作劇場」で描かれていた“外国”が実写で表現されているようにも思えたのでした。

高畑勲監督は「ハイジ」の時から舞台となる国をスタッフとともに実際に訪れてロケハンするようになったそうですが、きっと外国映画から多くを吸収したのだろうなぁ。

サウンド・オブ・ミュージック』は僕が幼かった頃にはすでに「往年の名作」として扱われていたし(8ミリフィルムの短縮版を観たこともある)、初公開から54年経った現在、こうやってフィルムの傷も埃もガタつきもないクリアな映像と音声で大きなスクリーンで観られることは、なんだか奇跡的にすら感じられるんですよ。

映画の舞台はナチス・ドイツによって「オーストリア併合」が行なわれた1938年だけど、この映画が作られた当時はまだそれから27年しか経っていなかったんですよね。映画が作られてからの方がはるかに長い年月が経っている。

その長い間にずっと愛され続けてきて、さらに新しいファンも生まれていることの不思議さ。

主演のジュリー・アンドリュースクリストファー・プラマーもご高齢ながら今も健在で現役としてご活躍されているけれど、7人の子どもたちを演じた出演者の中にはすでに亡くなられたかたも。

この映画は、「歌と笑顔」の大切さを語っている。「笑顔」の大切さを描くために、実際は家族には優しかったというゲオルクが映画では子どもたちに厳しい父親に変えられたんですね。

そこが本物のマリアさんは気に入らなかったのだそうで。 

だけど、ゲオルク役のクリストファー・プラマーの冷たく見える表情がやがて柔和になっていくのが物語的にはいいのだし、プラマーの演技は素晴らしかった。

若い頃のクリストファー・プラマーの顔ってちょっとケネス・ブラナーっぽかったり、あるいは目許がジェームズ・マカヴォイっぽかったりもして、歌声も素敵だし、実際のゲオルクさんとは別人でもこれはこれで捨てがたいものがあるでしょう。

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劇中でゲオルクが婚約するエリノア・パーカー演じる“男爵夫人”は架空の人物で、だからゲオルクとマリアが結婚する前にあったひと悶着が史実にはないフィクションなのは、いかにもエンターテインメント作品っぽい。そりゃ、本物のマリアさんが憤慨するのも無理はないかな。“ドラマ”としてはあのくだりがあるからこそ、より味わいがあるんですが。

男爵夫人ことエルザはけっしてただの憎まれ役ではなく、かつてのウィーンの文化を象徴する誇り高き女性として描かれていて、マリアのゲオルクへの想いを見抜いて最後もちょっとした強がりのような言葉を残してトラップ邸を去っていく。 

確かにとても古典的なメロドラマ調の展開で、最初にミュージカル化された時にも批評家からはそれを指摘されたそうだけど、でもこのメロドラマの要素があるからこそ、この作品は今もって人気が高いのでしょう。

ゲオルクの長女リーズルと電報配達員のロルフの恋は、ロルフがやがてナチスの隊員になることで悲劇的な別れを迎えることになるのだけれど、その辺はわりとあっさり処理されている。

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ロルフを演じるダニエル・トゥルーヒットがちょっと若い頃のキーファー・サザーランド みたいな悪役ヅラなので、純粋な少年役に合ってないなぁ、と思ってたら、最後はああいうことになるのね、と。

ロルフのような青少年は、あの当時たくさんいたのでしょう。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を思い出しました。

正直なところ、ナチスを逃れてスイスに逃げ延びるところは最後にちょっと描かれるだけだし(無事逃げおおせるかどうかがクライマックスにはなっているが)、実際のトラップ家の合唱団の物語はその先もまだ続くのだから、お話が途中で終わってしまったような尻切れトンボ感がなくはない。そもそも合唱団の活躍がメインで描かれるわけではないし。

やはりナチスというのはエンタメで扱うには重いんだよね。

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でも、先ほどのマリアが子どもたちに教えた「歌と笑顔」の大切さ、というのはナチスと対比されていて、自分たちの好きな歌を唄う自由や笑顔が奪われてしまうことがどんなに恐ろしいか考えさせられる。私たちが明るく唄えること、笑顔でいられることには本当に大きな意味があるのだ。

だから「ドレミの歌」という今では誰もが知っている歌には、唄う喜びを通して強いメッセージが込められているのだということ。

ジュリー・アンドリュースの歌と躍動、子どもたちの快活さ、ゲオルクの誇り。

多くの魅力が詰まったミュージカル映画でした。 

 

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*1:ちなみにヒロインがオランダの民族衣装を着ている「世界名作劇場」版の「フランダースの犬」も、舞台となったベルギーでは放送されてなくて現地の人々の認知度も低いらしい。どうやら外国が作る映画はご当地から見ると現実とかけ離れている、というのは日本の場合だけではないようで。