映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『メリー・ポピンズ』


「午前十時の映画祭9」で『メリー・ポピンズ』を鑑賞。1964年(日本公開1965年)作品。

監督:ロバート・スティーヴンソン(実写パート)、ハミルトン・ラスク(アニメーション・パート)、出演:ジュリー・アンドリュースディック・ヴァン・ダイク、デヴィッド・トムリンソン、カレン・ドートリス、マシュー・ガーバー、グリニス・ジョンズ、ハーミオン・バドレーほか。

第37回(1965)アカデミー賞主演女優賞、歌曲賞(「チム・チム・チェリー」)、作曲賞、編集賞、視覚効果賞受賞。

原作はP・L・トラヴァースによる同名の児童文学。

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1910年のロンドン。幼い姉弟ジェーンとマイケルの乳母(ナニー)のなり手がいないバンクス邸を、空から傘で降りてきたメリー・ポピンズが訪れる。厳格な銀行員のジョージ・バンクス氏は型破りなメリー・ポピンズの教育をいぶかしがるが、彼女は大道芸人のバートとともに子どもたちに「苦い薬もスプーン1杯の砂糖でおいしくなる」ことを教えていく。


雨に唄えば』(感想はこちら)に続いてミュージカル映画

この映画は2014年の『ウォルト・ディズニーの約束』(感想はこちら)の公開時にDVDで通して観たんですが、ディズニーの子ども向けミュージカル映画だから90分から100分程度、長くてもせいぜい二時間以内だろうと思ってたら、なんと上映時間が139分もあった。

ずいぶん長い。

でもなぜそんなに長かったのか観終わったあともよくわからず、ストーリーもうまく思い出せなくて、感想が書けないままでいました。

そんな複雑な話じゃなかったのに。

雨に唄えば』の時にほぼ満席で最前列での鑑賞に懲りたので(140分近い上映時間ということもあるし)わりと早めに映画館に向かったところ、ちょうどいい真ん中近くの席を取ることができました。

それでも結構埋まってたけど。

やはり夏休みの時期だからということもあるんでしょうか、客層もいつものような年配のかたがただけでなく若い女性とか男性もいて、この映画の人気をうかがわせました。

メリー・ポピンズ』というと僕は真っ先に「チム・チム・チェリー」が思い浮かびますが、他の曲も結構耳に馴染みがありますよね。今やスタンダードナンバーになってる曲の数々。

煙突掃除夫たちのアクロバティックな身体の動きが印象に残っています。

Chim Chim Cheree
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人々に記憶されるメロディというのは、それが流れる映画自体もまた愛着を持たれるんだな。初めて観た時の思い出とともにその映画もかけがえのないものになるから。

最初に書いたようにディズニーということでアニメーションとの合成シーンもあったりして、『雨に唄えば』に比べても子ども向けの内容になっている。


魔法使い(劇中で明確に説明はされないが)のメリー・ポピンズが空からやってきて、バンクス家の子どもたちのナニーをしながら彼らに不思議な体験をさせてくれる。やがて子どもたちの親であるバンクス氏が大切な家族の絆を取り戻す、というもの。


まるでレトロなイラストから抜け出してきたような子役たちの顔がいいですね。


子どもたちの体験を通して、むしろ親の方に変化を求めている。追いつめられた時には「魔法の言葉」を唱えてみよう、と。

子どもたちが飲むのを嫌がる苦い“ひまし油”というのは人生の困難の比喩であり、それは大人であるバンクス氏が日々職場で味わっている苦味の例えでもある。


優れたファンタジーというのは空想的な物語を描きながらしばしばそこに「現実」を反映させているものだけど、『ウォルト・ディズニーの約束』では原作者トラヴァース夫人の父親は銀行員で、彼は自分の仕事を嫌い、空想の世界で遊ぶ楽しさを娘に教える。バンクス氏とはまさにその父のことであった。

だから『メリー・ポピンズ』とは彼女がバンクス氏を救いにくる物語だった。


子ども向けでありながらこの映画が今も大人たちから愛され続けるのは、これが疲れた大人たちのための物語でもあったからでしょう。

そういう意味で、僕はちょっとジュディ・ガーランド主演の『オズの魔法使』(感想はこちら)を思い出すんですよね。

あの映画もミュージカルだったけど、やはりどこか「大人のためのおとぎ話」のような趣きがあった。

単純に子どもたちに夢を見させる、というのではなくて、そこに子ども時代との別れの寂しさと人の成長が描かれていた。

それと、カラフルな色の氾濫や賑やかというか騒々しい躁的なミュージカル場面などが、まるで「観るドラッグ」みたいで。そういう意味でも「大人のファンタジー映画」でもあるのかとw

Supercalifragilisticexpialidocious
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ダンボ』とか『不思議の国のアリス』などにも、なんていうかちょっとラリってるっぽい描写が随所に見られるし。

アニメ・パートの監督であるハミルトン・ラスクは『わんわん物語』や『101匹わんちゃん』の監督でもあって、だから登場するアニメのキャラクターたちがちょうど1950~60年代のあの当時のディズニーアニメの絵柄なんですね。


実写の人物とアニメキャラが共演する映画はもっと前からあるし、その後『ロジャー・ラビット』などでも同じような試みはされていて、今ではCGIによる作画でより複雑でリアルな絡みも見せられるようになっているけれど、綿密な振り付けによってメリー・ポピンズやバートたちがアニメキャラと一緒に踊る場面の見事なコラボぶりが目に楽しい。

主演のジュリー・アンドリュースは翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』も有名ですが、映画版の『マイ・フェア・レディ』では、まだその頃は映画への出演経験がなかったために舞台で当たり役だったヒロインのイライザ役をオードリー・ヘプバーンに取られてしまった(オードリーに罪はないし、彼女が演じるイライザは素敵でしたが)ことはよく知られている。

オードリーの歌声は吹き替えだったけど、ジュリー・アンドリュースなら本人が唄えたでしょう。そのヴァージョンも観てみたかった。

僕は子どもの頃にはこの『メリー・ポピンズ』でのジュリー・アンドリュースは劇中でのちょっとすました表情のせいもあるけど、大人の女性、という印象が強くて、実際撮影当時のジュリーは29歳で結婚もしていて子どももいたので立派な大人の女性だったわけですが、そういうちょっと厳しくて怖そうな雰囲気を漂わせていながらとても優しくてしかもいったん踊り出すとキレッキレのダンスを笑顔で軽々とこなしている(ように見える)というギャップもあって、何かこの世ならざる者にも感じられるんですよね。


バート役のディック・ヴァン・ダイクもまた、この映画のために初めてダンスの訓練を受けたとはとても思えないほどの身のこなしで、メリー・ポピンズとは昔からの馴染みでやはり子どもたちに優しい陽気なお兄さんなんだけど、只者ではない存在感を醸し出している。


正直なところ、『雨に唄えば』が最初からほとんどなんの抵抗もなく観られたのと違って、『メリー・ポピンズ』の方は冒頭の家政婦とバンクス夫人とのやりとりなど、いかにもなあの時代の映画っぽい(1964年の作品としてはむしろ古臭くさえある)ちょっと野暮ったさを感じさせる演出もあって入っていくのにしばらく時間がかかった。

子どもたちの年齢に対してバンクス夫妻が妙に老けて見える(親子というよりもまるで祖父母と孫みたい)し、全体的に出演者がみんな年取ってて若い人がいない。

映像の画質がなんだか粗いのも気になったし、ほぼスタジオ内のセットで撮影されているから箱庭っぽい閉塞感もある。

よくも悪くもとても人工的な作りの映画だな、と(ミュージカル映画は基本人工的だが)。

ところで、バンクス夫人が女性参政権運動に参加している、というのは映画独自の設定らしいですが(原作は未読)、舞台も1910年ということでちょっと前に観た『未来を花束にして』(感想はこちら)と同時代(あちらの舞台は1912年)なんですね。

バンクス夫人の唄う歌「Sister Suffragette」の“Suffragette(サフラジェット)”とは女性参政権運動の活動家のことで、また『未来を花束にして』の原題でもある。

こういうところで映画が繋がる。


『未来を花束にして』は女性の権利をめぐるきわめてシリアスな映画ですが、家族の絆の大切さを訴えるファンタジー映画『メリー・ポピンズ』が同時代を舞台にしていることがわかると、いろいろ考えさせられるものがある。

バンクス夫人は比較的裕福な夫の稼ぎによって政治活動ができている。そういう女性が『未来を花束にして』にも登場するけど、家事や育児は人任せにして家父長制の権化のようでもあるバンクス氏にいわば“養われている”その妻が女性の権利を求めて「男はみんなバカ」とか主張している矛盾。

でも、そのように経済的に余裕があるからこそ活動に資金を提供できたりもしたわけで(そもそも女性が経済的に自立して生活することは当時は難しかった)、そういう歴史が垣間見えたりするのも面白いところ。

お金は大事だし、人間は生活していかなければならないから霞(かすみ)を食ってはいられないんだけど、でもなけなしの小遣いの2ペンスをハトの餌を売る老婆に渡したい、と願うマイケルの想いの中にトラヴァース夫人は経済的なもの以外の「大切なもの」を込めたんじゃないだろうか。

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ひまし油を飲むことは避けられないけれど、甘い砂糖をひとさじ加えることでそれはおいしくなる。部屋の掃除だって魔法で片づけていると空想したら愉快な作業になるかもしれない。

最初の時のバンクス氏の理屈なら、凧揚げをしたり散歩しながらいろいろと空想に耽ったりするのは無駄で無意味な行為なんだろうけど、そういう楽しみによって人生の苦しみをなんとかやり過ごすことだって可能になる。

映画を観ることだってそうでしょう。だからこそ、僕たちは暑い中わざわざ劇場に足を運んで映画を観るんだよね。

バートは子どもたちに「お父さんだって大変なんだ。逃げるところがないんだから」と諭す。バート自身もまた、人には見せないところでツラいことはあるに違いない。だからバンクス氏にも同情する。でもメリー・ポピンズの秘密を知っている彼は苦しみを紛らわす方法を彼女から教えてもらったのだ。

時には無意味な言葉を発して現実逃避したっていい。それでまた明日を明るく過ごしていけるなら。

メリー・ポピンズというのは、すべての子どもたち、かつての子どもたちのナニーで、僕たちを見守りその成長をうながしてくれる存在なのかもしれない。


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