チャールズ・ウォルターズ監督、フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、アン・ミラー、ピーター・ローフォード、ジェニ・ルゴン、ジュールス・マンシン、クリントン・サンドバーグ、ピーター・チョンほか出演の『イースター・パレード』。1948年作品。日本公開1950年。
1912年。有名なレヴュー「ジーグフェルド・フォリーズ」にダンスのパートナーだったナディーン(アン・ミラー)を引き抜かれたドン・ヒューズ(フレッド・アステア)は、代わりのダンスパートナーとして酒場の歌手兼踊り子のハンナ・ブラウン(ジュディ・ガーランド)に声をかける。ハンナは早速店を辞めてドンのもとへやってくるが、彼女はダンスの素人だった。
全国順次公開中の「テアトル・クラシックス ACT.1 愛しのミュージカル映画たち」の1本として上映されていて鑑賞。 以前BSで放映されていたのを観ましたが、僕はこれまでフレッド・アステアの映画をスクリーンで観たことがなかったし、ジュディ・ガーランド主演作品も映画館で観たことがあるのは『オズの魔法使』だけだったので、この二人の共演作はぜひ劇場で観ておきたいと思いました。
これの前に上映されていた、やはりジュディ・ガーランド主演の『若草の頃』(1944年作品。日本公開1951年)はあいにく観逃してしまいましたが、この『イースター・パレード』の方はなんとか上映終了間際に滑り込みで観られました。
某映画レヴューサイトのある感想では、この映画の内容について「たわいない話」みたいに書かれてたけど、それ言ったら当時のMGMのミュージカル映画の物語のほとんどは「たわいない話」だろうし、そもそも“ミュージカル映画”って物語の内容よりも出演者の歌やダンスを観て楽しむものなのだから、必要以上に複雑だったり深みのある内容ではないのが当然だと思うんだけど。
とはいえ、1948年の作品だということもあるだろうけど、ガーランド演じるハンナがアステア演じるドンに惹かれるきっかけがよくわからないんですよね。
ハンナにダンスのスキルがないことがわかってドンが最初のうちは彼女のことを下に見ていたのが、やがてその人間的魅力に気づいて好意を持つようになる、というのはわかるんだけど、常にマイペースで物事を全部自分の思うように持っていこうとするドンのことを、なんでハンナが好きになるのかがわからない。彼に振り回されてばかりなんだよね。
この物語は、ちょうどオードリー・ヘプバーンが映画版でヒロインを演じた『マイ・フェア・レディ』(感想はこちら)と同様に「ピグマリオン」の物語が原型になっていて、男が女を自分好みに育てようとするんだけど、でもやがてその女性は自我を持って個性を発揮しだす、という展開。
それはいいんだけど、ここでは自分をダンスのパートナーに誘ったのが有名なダンサーなのを知った時点でハンナはドンに夢中になっていて、自分も彼に好かれることを望む(そして、ドンが元恋人のナディーンにまだ未練があるんじゃないかと嫉妬までする)。なんだかずいぶんとドンに都合のいい話じゃないだろうか。
これがもしも今の映画だったら、自分よりもはるかに格上の存在であるドンに敬意を表しながらも、ハンナは簡単にドンになびいたりはせずに、ひたすらダンスの腕の向上に邁進するんじゃないかな。そして、自分のことをダンサーとしてではなく一人の女性として意識しだしたドンに腹を立てるとかね。この映画でのハンナとは逆の価値観の女性として描かれるんじゃないかと思う。
あと、ハンナと同性である女性の友人も登場させるでしょうね。
ハンナが自分に従うのは当然のように考えていて、なんなら自分のことを男性として愛しても不思議ではない、などと自惚れているドンに彼女が「見損なわないで」とキレるような展開が必要だろう。それでドンの目が覚める、というね。
映画の舞台となる時代が1912年だから、ということを差し引いても、ここで描かれている「女性とはこういうもの」という価値観は現在のものとは相容れない。
ドンがハンナに通行人たちを惹きつけて注目させてみろ、と命じるように、女性は男性たちから振り向かれてなんぼ、という考え方が根底にある。ハンナが“ひょっとこ”みたいなヘン顔をして通行人を注目させるのは可愛いしハンナの頓知の利いたアイディアも楽しいんだけど、あの彼女の行動は「女は愛嬌」ということでもある。
そりゃ、ドンもハンナも大勢の観客の前で踊ることを生業としているのだから、注目を浴びる必要はあるだろうけど、それを女性だけに求めるのはおかしいだろう。
劇中で女性たちは、自分が男たちにどう見られているかをやたらと気にする存在として描かれている。あたかも、彼女たちには主体性がないかのように。
ドンは映画の終盤ではハンナに「愛してる」と告白するんだけど、舞台のあとでお祝いのために立ち寄った店で彼がナディーンから一緒にダンスをするよう求められて応じたために、へそを曲げたハンナは退席してしまい、ドンはホテルの彼女の部屋の前で待っていたものの部屋に入れてもらえずに、「朝まで粘るぞ」と言いながら探偵だか警備員だかに追い返されてあっさり帰ってしまうのもどうかと思った。いや、せめて電話ぐらいかけろよ、と。
ドンという男は、なんだか妙に諦めが良過ぎる。しかも、そもそもハンナをパートナーに誘ったのも自分を捨てたナディーンを見返すためだったわけで、「僕の力で誰だって見事なダンサーに仕込んでみせる」という、元恋人へのあてつけだったのだから、相当ひねくれた奴なんだよな。
フレッド・アステアが披露する見事なダンスと愛嬌のある芝居のおかげで、なんとなくその辺のドンの人としての問題点がうやむやにされてるけど。
アステアとガーランドはだいぶ歳が離れているので(当時、アステアは40代の終わり頃でガーランドは20代の半ば。当初はジーン・ケリーがドンを演じるはずだったが怪我で降板、代役でアステアが演じた)、余計ドンが自己本位的で身勝手な男に見えてしまう。 ハンナをもっと聡明でちゃんと自分の頭で物事をじっくりと考える女性として描くべきだったと思う。ドンの思い上がりを彼女にちゃんと批判させたあと、心を入れ替えて言動を改めたドンに彼女が惹かれていく、というふうにもっていけば現代でも通用するラヴストーリーになるだろう。
ドンの元ダンスパートナーで恋人でもあったナディーン役のアン・ミラーは、ここでは憎まれ役とまではいかないけれど少々意地の悪い女性として描かれている損な役回りで、それでも彼女のダンスシーンは圧倒的な説得力でハンナとの実力の差を観客に見せつける。実は年齢はジュディ・ガーランドの方が1歳年上なんだけど、そうは見えない貫禄。物凄い笑顔で超絶的なタップを踏んだりクルクル回転する姿は迫力満点。
ナディーンの黒人のメイドのエシーを演じるジェニ・ルゴンは自身もダンサーで振付師でもあるそうなんだけど、この映画では彼女が踊るシーンはないし、エシーは主人のナディーンに媚びてハンナのことを悪く言うような人物として描かれている。
かいがいしく働くドンの使用人のサム(ピーター・チョン)もそうだけど、黒人のメイドやアジア系の使用人が当たり前のように登場するのも、これも1912年という時代が舞台で実際に当時はあのような有色人種の人々が白人に仕えていたのは事実なんでしょうが、観ていてあまりいい気分がしない。出すんなら、ただ白人のご主人様に追従するだけではなくて、自己主張したり個性を発揮するキャラクターとして描いてほしいよね。
個性といえば、ドンとハンナの前でパントマイムのようなパフォーマンスを見せるレストランのウエイター役のジュールス・マンシンはどっかで見た顔の俳優だなぁと思っていたら、これも以前TVで観た『踊る大紐育』(1949年作品。日本公開1951年)でジーン・ケリーやフランク・シナトラと一緒に水兵服で踊ってた人だった。彼もダンサーだったのね。この『イースター・パレード』では踊らないけど、妙に個性的な存在感を醸し出していて記憶に残る。最後まで誰にも食事をしてもらえませんがw
ピーター・ローフォードが演じるジョニーはドンからは「教授」と呼ばれていて、医者を目指す大学生なんだけど、いいとこの坊ちゃんらしくてドンと別れたナディーンと付き合っていて、彼女から結婚の話もされている。
そんなジョニーは最初の方ではハンナに言い寄ったり、なぜかナディーンの元カレのドンとも仲が良くて、しょっちゅうナディーンに電話をかけてるし、なんか凄く調子のいい奴なんだけど憎めない。そして、結局最後はドンとハンナの仲を取り持つ。
ドンをハンナに対して不器用な男として描いているのは、器用に立ち回るジョニーと対比させるためもあるんでしょう。
よく考えると不自然にも思えるドンに対するハンナの好意も、ジョニーという便利で若干ご都合主義的な登場人物のおかげでなんとか成り立っているところはある。
アステアのキャラはシド・チャリシーが相手役を務めた『バンド・ワゴン』(1953) での主人公と似ている、というかほぼ同じなんだけど(笑)、今回はヒロインがジュディ・ガーランドだから互いの存在感もさらに増す効果があって、そこに笑いの要素も加わって、娯楽作品として申し分ない。
ドンと一緒にボロをまとった浮浪者を演じた舞台でのハンナは、顔をクシャッとさせて笑うジュディ・ガーランドの演技がほんとに愛おしくて、ナディーンのようなダンスの高等テクニックはないがハンナが持っているユーモアのセンスが舞台で活かされたということを示しているし(ジュディ・ガーランドも見事な足さばきでアステアと一緒に踊ってましたが)、舞台の上でのパフォーマンスが理屈を超えて人を魅了することを証明してもいる。
これは昔のミュージカル映画などを観ていていつも感じることだけど、純粋に芸人さんの芸を楽しむひとときの心地よさをこの映画も感じさせてくれましたよね。アステアとガーランドの共演、ということ自体がレアなわけだし、このコラボはさすが芸達者の二人のプロとプロの演技合戦が堪能できてお得感がある。
一方で、ジュディ・ガーランドの苛酷だった人生や早過ぎるその死を知っているから、劇中での彼女の笑顔やジャズを感じさせるよく響く歌声、弾むようなダンス、それらに涙ぐみそうにもなる。
ドンに愛されることを求めていたハンナが、ジョニーにうながされて自らドンにプレゼントを送りつけて彼を“イースター・パレード”に誘うラストで、ようやく彼女は男性を待つのではなくて自分から相手に好意を告げる者になる。
華やかなお祭りは恋を盛り立て、後押ししてくれる。 これは「たわいない話」かもしれないが、人生における「ある事実」を描いた物語でもあるのだろう。
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