ニール・ジョーダン監督、スティーヴン・レイ、ジェイ・デヴィッドソン、ミランダ・リチャードソン、エイドリアン・ダンバー、フォレスト・ウィテカー、ラルフ・ブラウン、ジム・ブロードベントほか出演の『クライング・ゲーム』。1992年作品。日本公開1993年。PG12。
「12ヶ月のシネマリレー」の1本として鑑賞。
アイルランドのベルファストで武装組織IRA(アイルランド共和国軍)のメンバーたちに仲間の釈放を要求するための人質として捕らえられた英国軍兵士ジョディは、IRAの一員であるファーガスとどこか友情めいた関係を築くが、処刑される直前に逃亡しようとして皮肉にも救助にきた英国軍のトラックに轢かれて死ぬ。現場から逃亡したファーガスは、生前ジョディが彼に頼んだ恋人のディルへの「愛していた」という言葉を伝えるためにロンドンに渡る。
劇場初公開時に観ました。
当時どうして観ようと思ったのかは覚えていませんが、おそらくはオスカー関連作品だったからでしょうね。話題作だったし。
別の映画の感想でも書いたけど、この映画のある「オチ」については、ジム・キャリーの映画でパロられてました。
もう内容も覚えてなくて、フォレスト・ウィテカーが出てたことさえも今回映画を観始めてから「あぁ、そうだったっけ」と。
IRA絡みの話だったとは記憶していたけれど、結局のところ物語の本筋は政治的なものではなくて「愛すること」についての映画だったんだな。
あれからもう30年なんですねぇ。
ニール・ジョーダン監督の映画は2019年に公開されたクロエ・グレース・モレッツ、イザベル・ユペール主演の『グレタ GRETA』を観て、あの映画にもスティーヴン・レイがちょこっとだけ顔を出していたけど、作品自体はあまりピンとこないサスペンス物でした。ツッコミどころも多いし、妙な時代遅れ感のある作品だった。
そもそも僕はニール・ジョーダン監督の映画をこの『クライング・ゲーム』以外では『グレタ』しか観ていないんですよね。
スティーヴン・レイはジョーダン監督作品の常連のようだけど、彼の出演作もフィルモグラフィを確認して『プレタ・ポルテ』と『Vフォー・ヴェンデッタ』に出ていたことに気づいたぐらい。あまり印象に残る俳優さんじゃなかった。
でも、『クライング・ゲーム』はボーイ・ジョージの同名曲と“ヒロイン”役のジェイ・デヴィッドソンのことが印象深かったから、また観てみたいと思った。
映画の中でディルにつきまとってファーガスに痛めつけられるデイヴ役のラルフ・ブラウンって顔に見覚えがあったんだけど、『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』でアナキンに宇宙船の説明をするナブーの兵士役だったんだな。あと『エイリアン3』にも出てたのか。
今では優しそうなおじいちゃん役のイメージが強いジム・ブロードベントが、この映画ではバーテンダー役で若い。
本当に久しぶりにこの映画を観て、たとえばトランスジェンダーに対する認識など非常に時代を感じさせるものがありましたね。
スティーヴン・レイ演じるファーガスがディルのことを執拗に「女じゃない」と言い続けるのも、今だったら問題発言だし正しい理解とは言い難い。
ディル役のジェイ・デヴィッドソンご本人の性自認や性的指向がどうなのかは知らないけれど、役柄としてはトランスジェンダーということでしょう。
トランスジェンダー、という呼び方を当時は知らなかったけれど。
ちなみに、“彼”は1993年のアカデミー賞で「助演男優賞」にノミネートされている。
一応、ジェイ・デヴィッドソンさんは男性ということらしいですが、『クライング・ゲーム』の中ではディルはトランスジェンダー女性のように描かれている(ただし、性器は“未処理”)。
映画が初公開された当時は、トランスジェンダー女性も女装の男性もすべて一緒くたに「ミスターレディ」などと呼称されていたし、まぁ、「おとこおんな」という呼び方自体が乱暴で偏見に満ちてはいるんだけど、要するに世間ではその程度の認識だった。
『クライング・ゲーム』ではディルの性別が実は男性だった!みたいなところがセンセーショナルに「驚愕のオチ」的な見せ場として扱われていたし、そこんとこで話題にもなったんですが、でも僕は初めてこの映画を観た時からディルさんはその外見から男性(あるいは元男性)なんだろうと思ったから、その事実がまるで「ネタバレ要注意」みたいにされていることに違和感があった。いや、わかるでしょ、と。
なので、劇中でディルのアソコにペニスがあるのを見て驚きのあまり彼女を殴った挙げ句にトイレで吐くファーガスには呆れてしまった。
そういえば、93年当時はディルの股間にはぼかしが入ってましたね。だから彼女のアソコが完全に未処理の状態であることは当時はわからなかった。今回は思いっきりチンチンが大写しになる(^o^)
ジム・キャリーの映画でもこの部分をギャグにされていたんだけど、お相手役はなんとショーン・ヤング。チンチンの付いてる“男性”役。なんであんな役をオッケーしたのかいまだに謎ですが。
本家『クライング・ゲーム』も大概ではあったけれど、『エース・ベンチュラ』の該当シーンはセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)に対する偏見や差別意識に溢れまくった場面として、現在ならアウトでしょう。
僕ら観客もああいう「ギャグ」を笑って観ていたんだから、社会全体の意識がまだまだ低かったということだな。
それはともかく、今回再鑑賞してみて、映画の前半でフォレスト・ウィテカー演じるジョディが両手を縛られたまま用を足す時に自分のブツをファーガスに手で出し入れしてもらう場面は後半でのディルの股間のアレの伏線になっていたんだな、と思ったらちょっと笑いそうになってしまった。
茶化してるようで不快になられるかたもいらっしゃるかもしれませんが、でも事実でしょ。
ファーガスは異性愛者だが、ディルが“男性”(少なくとも下半身は)であることを知ったあとも彼女のことが忘れられない。そして、ジョディに対してもIRAの仲間たち以上に友情を感じている。そもそもディルと知り合ったのはジョディの彼女への言づてがきっかけだった。
ジョディとディル、ファーガスの三人の関係というのは、場合によってはディルを介してのジョディとファーガスの疑似的な同性愛行為と取れなくもない。
同性愛とまではいかなくても、彼らは同じ「穴兄弟」ではある。下品な表現で申し訳ないですが。どっちの穴なんだ、とかそういうことは措いといて。
文章にだいぶ品がなくなってきたけど^_^; これは「愛すること」についての映画なんだから、シモの話題も込みでちゃんと意味はあるんだろうと思う。
ディルは、これまでにもっとも愛した男性であるジョディを結果的に死に追いやったのがファーガスであることを知っても彼を殺せない。愛してしまったから。
都合良すぎる展開ではあるし、彼女が便利に使われ過ぎにも感じるけれど、でも誰かを愛するというのはそういう理屈で説明できないことでもあるし、また「愛されること」を強く欲するディルに僕はちょっと共感を覚えるところもあった。
彼女は難しい理屈を言わない。非常に刹那的に本能に基づいて誰かを愛したり愛を求めているように見える。
彼女がいつも飲んでいる薬についても、「心の薬」と言うだけで詳しい説明はないし、劇中で彼女が病気で倒れるようなこともない。いろいろと苦しみを抱えている、ということがうかがえるだけだ。
ファーガスのIRAの仲間だったジュードをディルが撃ち殺したのは、ジョディの復讐をファーガスを殺す代わりに行なったということだろうし、彼女の身代わりになって逮捕されて収監されているファーガスに会いにきたディルはまるで世話焼き女房みたいな態度でガラス越しに彼に接する。愛を求めるからこそ、自分も強く愛そうとする。
ディルがただ可哀想なだけの存在として終わらなかったのがよかった。
ディルを演じたジェイ・デヴィッドソンは、その後ローランド・エメリッヒ監督の『スターゲイト』(1994年作品。日本公開95年)で両性具有的な悪役を演じて僕も公開当時に劇場で観てそこそこ面白かったですが、この2本の出演作品で俳優としては引退したようで、現在ではタトゥーの入ったイケオジっぽい容貌をしている。
劇中でジョディから何度も「売女」呼ばわりされるジュード役のミランダ・リチャードソンは、今回のような悪女っぽい役から高貴な身分の奥様役までこなす人で90年代から2000年代ぐらいにかけてよく顔を見たけど、ティム・バートン監督の『スリーピー・ホロウ』で最後に牙の生えた騎士(クリストファー・ウォーケン)にキスされて口を血だらけにしながら木のうろに吸い込まれていく場面が記憶に残っている。
『クライング・ゲーム』は、物語としては僕はリュック・ベッソン監督の『ニキータ』(1990年作品。日本公開91年)を連想しました。自分の正体を秘密にしている主人公が惹かれ合った相手との間で抱く愛をめぐる葛藤。通俗的ではあるけれど、ファンが多いのもわかる気がする。
比べちゃなんだけど、少なくとも『グレタ』よりははるかに面白い映画でしたよ。
80~90年代にリアルタイムで観た映画がこうやって「懐かしの映画」みたいにリヴァイヴァル上映されることが多くなって時の流れを感じますが、「12ヶ月のシネマリレー」ではまだ観たい映画があと何本かあるので楽しみにしています。
僕が住んでるところでは上映館での各作品の予定がしっかりと定まってなくて、油断してるといつの間にか始まっているので(今回もたまたま気づいて急遽鑑賞)気をつけないと。
「午前十時の映画祭」や「テアトル・クラシックス」など、過去の名作が劇場で観られるのは本当にありがたい。おかげで観たい映画が増え過ぎて困ってますが(;^_^A
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