鈴木清順監督、原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、真喜志きさ子(妙子)、麿赤兒、玉寄長政(門付けの若い男)、木村有希(門付けの若い女)、樹木希林、佐々木すみ江(鰻屋の女将)、山谷初男(巡査)、玉川伊佐男(靑地の友人の医師)ほか出演の『ツィゴイネルワイゼン』4Kデジタル完全修復版。1980年作品。
原案は内田百閒の「サラサーテの盤」。
大学教授の靑地<あおち>(藤田敏八)と友人の中砂<なかさご>(原田芳雄)は、旅先の宿で小稲(大谷直子)という芸者と出会う。1年後、中砂から結婚の知らせをうけた靑地は中砂家を訪れるが、新妻の園(大谷直子 二役)は小稲に瓜二つだった。(映画.comより転載)
「鈴木清順監督生誕100年記念“SEIJUN RETURNS in 4K”」と題して4Kでリヴァイヴァル上映中の『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』のうちの1本目、『ツィゴイネルワイゼン』を鑑賞。
鈴木清順監督の映画はリアルタイムで劇場で観たのは唯一2001年公開の『ピストルオペラ』のみで、2005年のチャン・ツィイーとオダギリジョー主演の『オペレッタ狸御殿』はDVDでの視聴。それ以前の作品は、90年代に『けんかえれじい』(1966) と『殺しの烙印』(1967) をヴィデオで、2000年代にリヴァイヴァル上映されていた渡哲也主演の『東京流れ者』(1966) を観ました。
『けんかえれじい』では、高橋英樹が股間のイチモツでピアノを弾く場面があったよーな。『東京流れ者』で、エレヴェーターに乗ろうとしたらそこになくて、そのまま下に落ちていく渡哲也の後ろ姿があまりに間抜けだったので笑った記憶も。
ルパン三世のアニメに監修として参加したり、『バビロンの黄金伝説』の監督を務めたことも知ってたけど、過去に観た作品は見事に内容を覚えていないし、*1なんとなく世代的に僕にとっては鈴木清順監督って映画監督というよりは役者として他の監督の映画やTV番組に出てる仙人みたいな白いお髭のおじいちゃん、といった印象が強かった。
NHKの紅白歌合戦での「私に1分間時間をください」の言葉が懐かしい鈴木健二アナウンサー(※追記:ご冥福をお祈りいたします。24.3.29)のお兄さんであることも結構昔から知っていたけれど、兄弟で一緒にTVに出てたことあったっけ。一度ぐらい観たような気がするんだが…。
ともかく、大変失礼ながら半ば忘れかけていた監督でした。
でも、鈴木清順監督は日活で撮られていたかただから、ほんとは僕は忘れたらダメなんですけどね(この『ツィゴイネルワイゼン』は日活作品じゃないですが)。
日活の今はなき映画の専門学校で美術の木村威夫さんや俳優の宍戸錠さんの講義を受けたりした。木村先生は、限られた予算でいかに豪華に見せるか、というようなことを解説してくださいました。きっと清順監督についても語られたんじゃなかったかな。
ところどころ抽象的な、舞台っぽい美術を用いた作品を作る人だということは、これまでに観た何本かでわかっていたから、これもアート系、つまり僕が普段あまり観ないタイプの映画であろうことは予想できたし、しかも上映時間が145分あるのでかなり覚悟のうえでの鑑賞だったんですが…いやぁ、ほんとに困った^_^;
『陽炎座』(1981) と『夢二』(1991) と3本合わせて「(大正)浪漫三部作」と呼ばれているそうなので、レトロでノスタルジックな“大正ロマン”を味わえるのかと思っていたら、確かにそれらしい時代のお話ではあるのだが、別に特別時代を感じさせる内容でもなく、ロケーションは素晴らしかったけど田舎が舞台で何度も同じような風景が映る中で、二組の夫婦の男女のあれやこれや、みたいなやりとりが延々続くお話だった。
この内容に145分はどうなんだろ。
初公開当時は海外でも高く評価されたそうだし、今でも映画ファンの中ではお好きな人も結構いらっしゃるようですが、ごめんなさい、やっぱり僕には「おとな過ぎて」よくわかんにゃい。
『陽炎座』や『夢二』とともに予告篇だけまとめてダイジェストで観ると、なんだか派手派手しくて豪華絢爛な絵巻物とかお芝居みたいな映画を想像したりもするんだけれど、基本的にはアングラっぽい、ちょいエロっぽくて、でもすごく地味な内容で、原田芳雄扮するもともと大学の教授らしいがまったくそうは見えない中砂なる風来坊が、映画監督の藤田敏八演じる友人の靑地と再会し、そこで一緒になった芸者の小稲(大谷直子)とそっくりな妻・園との間に奇妙な関係を作り出す。小稲の弟は女に捨てられて自殺していた。
メインの話の合間合間に、男2人女1人の盲人の門付けの三人組の様子が描かれて、靑地らはその三人組の関係を想像して語り合う。
下世話な色恋沙汰を描きながらも、どこかこの世ならざる世界や向こう側の者たちについての映画でもあるようだ。
パブロ・デ・サラサーテが作曲・演奏した「ツィゴイネルワイゼン」のレコードの音声の中に、サラサーテ自身と思われる声が録音されていて、しかし声が不明瞭なためなんと言っているのかわからない。
3分30秒あたりに人の声が入っている。
www.youtube.com
サラサーテと聞くと、すみません、僕は生理用品のCMが浮かんでしまうぐらい無知でバカだし、「ツィゴイネルワイゼン」という曲も出だしのヴァイオリンの部分をコントとかで「ショックを受けた時の音楽」みたいにギャグとして使われてるのを聴いたことがあるぐらいでちゃんと最後まで聴いたことがなかったんですが、オリジナルの録音版はそこまでインパクトのある出だしじゃなかったんですね。
どうも、そのレコードの中に演奏とともに録音されたサラサーテの声が重要なカギらしいんだけど、観ていてもそれが何を意味しているのか、それでもって何を表現しようとしているのかわからず、劇中で靑地だったか中砂だったかが耳にする「…ダメだよ」という声だったり、あるいは目が見えない三人組が奏でる三味線や彼らの歌声、全篇アフレコによる音声、レコードの形に合わせたほとんど真四角のようなスタンダードサイズのこの映画自体の仕様など、いろいろと意味が込められているらしいことを映画にお詳しそうなかたたちのレヴューから知る。
瓦屋根で鳴る石のような音、節分の豆撒きの音…あぁ、なるほど。
どうも、「骨」というのがこの映画を通じて語られていることのようなんだけど、う~ん、それが何か…?^_^;
いや、もう、わからないならわかってる人たちの感想を読んでそれで納得していればいいか、とも思うんですが、とりあえず、自分がどう感じたのか書き残しておかないとなぁ。
鰻にすき焼き、蕎麦、腐りかけの水蜜桃…とにかくこの映画では登場人物たちがしょっちゅう何かを食べている。そのことだけはよくわかった。
山のようにコンニャクをちぎり続ける大谷直子も(笑)
大谷直子さんって、90年代にヴィデオで観た岡本喜八監督の『肉弾』(1968) で若さ溢れる肉体を見せていたし、TVで再放送されていた「天城越え」にも出てたっけ。
彼女の出演作品はそんなに観てはいないんですが、その美貌と安定感のある演技が印象に残っています。すごく整った顔立ちの人だけど、硬軟、いろんな役柄を説得力を持って演じられるというか。世代的には僕の母親とほとんど変わらないぐらいの人なんですが、妖しさと可愛らしさをずっと保ち続けているなぁ、と。
樹木希林さんが鰻をさばく女性の役で出てきて(さばく場面はない)、その後もお話にかかわってくるのかと思ってたら、鰻の肝を病気の夫に食べさせている、という説明があっただけで、あとはまったく出てこなくなるんで驚いた。出番少なっ。
靑地の妻・周子を演じる大楠道代が、唯一「大正ロマン」的なモガのスタイルを見せてくれて、おかっぱ頭など、大谷直子との絵的な対比がよかったですね。
大楠道代さんって北野武監督版の『座頭市』で気風のいい女性役だったけど、なんとなく僕はジェイミー・リー・カーティスを連想してしまうんだよな。若い頃はエロティックな役を演じていて、今は気の強そうなおばさん役、というとこも似てる気が。
原田さんとは、その後『大鹿村騒動記』でも共演されてましたね。
藤田敏八監督の映画って僕は恥ずかしながら1本も観たことがなくて(藤田監督も日活のかたですが…)、オリジナル版(釈由美子版ではない、という意味)の『修羅雪姫』(1973) も撮ってらっしゃるんですが観ていない。70~80年代ぐらいに活躍された監督たちの作品にはほんとに弱いものだから、お名前は存じ上げていても作品自体は観ていないものばかりなんですよね。
あ、最後の監督作品で沢田研二主演の『リボルバー』(1988) は観たかも。多分、TVでだけど。
一応、この映画の主人公は藤田さん演じる靑地だけど、印象の強さでいえば間違いなく原田芳雄が演じる中砂。
もう、原田芳雄節全開というか、劇画の世界から飛び出てきたような顔、風貌で「あたしはね!」と江戸前な口調でまくし立てるとことか、イヨッ、待ってました!という感じ。
この人の喋り方を聴いていると、松田優作はほんとに影響を受けているんだなぁ、って思いますね。ほとんど同じような声の出し方、話し方だもんなぁ。
優作さんは『陽炎座』に出演してますが。う~ん、気になるなぁ。
中砂は「昭和の男」のクズさを煮しめたような人物で(舞台は大正だが)、女性の扱いも最低だし、一体どうやって食ってるのかも不明なんだけど、でもこんな男に惚れる女はかつてはいただろうし、今もいるのだろうなぁ、と思わされる。
それぐらい原田さんのヴィジュアルの強烈さとあの人を煙に巻くような口跡の、なんとも言えない可笑しさに、ついフラフラっとからめとられそうになる。
こんな男はきっとモテるだろうなぁ、と思わせるもの。たとえサイテーでも。
正直、僕はこの中砂に振り回されつつも彼との関係を切れない靑地の、ほとんど何もしていないような役立たずっぷりに観ていてイライラしたし、それ以上に中砂の傍若無人さ──特にすぐに妻に向かって大声で怒鳴るところや、女性全般を見下すような物言いなどが──ほんとに不快だったんだけど、でもそんな男に惚れて彼を独占したいと思う女というのもおそらく現実にいるのだろう。理屈じゃないからこそ、惚れた腫れたの話は厄介だ。
そのあたりを大谷直子さんはとても巧みに演じていたと思うし、大楠道代さんもまた、何を考えているのかわからない周子を、あくまでも男性からの視点でではあるものの、とても魅惑的に演じられていました。彼女たちの存在があったからこそ、原田芳雄さんも映えたのだろう、と。
好きになった女性に似ている女性をまた好きになる、みたいなのって現実にもよくあることだけど、でも、別人と似ていることを理由に好きになられた方にとっては迷惑な話ですよね。
わざわざ似てる人をみつけるなら、なおさら始末が悪い。
だから、見初めた芸者にそっくりの妻を娶って、でもその妻のことは子どもとともにずっとほったらかしにしたまま放浪三昧の末、スペイン風邪をもらってきて妻にうつして死なせてしまう中砂という男のあまりの人非人、鬼畜っぷりには怒りが湧いてくる。
でも、それは「男」という生き物自体が持つ身勝手さなのかもしれない。
一方的に所有されるような形で妻となる女たち。靑地に、互いの妻を交換しよう、などと言い出す中砂。
縄で身体を縛られてインドの行者かヨガみたいなポーズをとってる原田芳雄を観ながら、「俺にどう感じろと言うんだ」と心の中で呟いたのだった。
やりたい放題やって、クスリかなんかで気持ちよくなってて勝手に事故死しちゃう男。
そんな男でも惜しむ人たちがいる不思議。
この映画を観て、女性のお客さんたちはどう感じるんだろう。
門付けの若い女役の木村有希さん(ゆきぽよとは同姓同名の別人。その後の芸名は古館ゆき)がアイドル系の顔立ちで可愛かったなぁ。
80年代に活躍されたけれど、現在は芸能活動はされてないようですね。
昔の映画を観ると、このように現在の姿がもはや見られない人がいっぱいいるし、鈴木清順監督も原田さんも藤田さんも、それから希林さんもすでになく、自分がスクリーンの中の「幻」を観ていることに気づかされる。木村威夫さんも宍戸錠さんも(宍戸さんはこの映画に出ていないが。それにしても、息子の宍戸開さんがほんとにお父様にそっくりで驚かされる。年々さらに似てきている気がする)もうこの世にいない。
生きているのか死んでいるのかわからない人々が出てくるこの映画はおそらく、時が経てば経つほどその幻想性を増していくのでしょう。亡くなってしまった人々が作り、出ているのだから。
夢か現(うつつ)か、わからなくなる映画。
この映画を観て、もしもハマったらあと2本も観ようかと思っていたんですが、途中でうとうとしてしまったし、面白かったかどうかといえば、僕は「う~ん…」だった。
ただ、それでもなんかねぇ…気にはなるんですよ、あとの2本が。
今月の後半から来月にかけて他に観たい映画がかなりあるので、ちょっと観るのは無理かもしれませんが、でもこの『ツィゴイネルワイゼン』を「体験」できたことはけっして無駄でも無意味でもなかったと思います。
80年代頃のウイスキーのCMを観ているような懐かしさがあった(^o^) フィルムの粒子、色。俳優たちの演技。
今、僕はこれまで自分が取りこぼしてきたものを拾うような気持ちで昔の映画を観ていますが、意味がよくわからなくてボンヤリしてしまっても、そういう時間はとても贅沢なものだ、とも思います。浸るように、映画を観たいなぁ。
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