映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『サーカス』『巴里の女性』


フォーエバー・チャップリン ~チャールズ・チャップリン映画祭」で観た2本の映画『サーカス』(1928) と『巴里の女性』(1923) の簡単な感想。

これまでに書いたチャップリンの映画の感想は以下の通りです。

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また、劇場パンフレットがなかったので代わりにチャップリン研究家の大野裕之さんの著書「チャップリン 作品とその生涯」を推薦。

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実は『サーカス』は個人的に一番好きなチャップリンの映画。

街の灯』や『モダン・タイムス』なども大好きですが、どれか1本だけ選ぶとすれば、僕は断然『サーカス』。

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ひょんなことからサーカス一座に紛れ込んだ放浪者チャーリーは、そこで道化師として雇われることになる。座長の娘マーナに好意を持ったチャーリーはハンサムな綱渡り師レックスにライヴァル意識を抱いて綱渡りの練習を始めるが、座長から「道化師でいけ、嫌なら辞めろ」と言われてしまう。


1980年代にNHKで放送された時は、字幕が英語ではなくて完全に日本語だけに置き換えられていました。なぜそんな処理をしたのかは不明。

チャップリンは舞台芸人出身でサーカス団で働いていたわけではないけれど、彼が演じる白塗りにチョビ髭の“放浪者チャーリー”はピエロを思わせるし、芸人一家で生まれ育ったチャップリンはサーカスというものやそこで働く人々にシンパシーを感じていたのかもしれませんね。

とにかくこの『サーカス』は冒頭からず~っと笑いの連続で、カーニヴァルの会場のミラーハウスでのドタバタからサーカスに乱入してお客に大ウケする場面、入団テスト、ライオンの檻、ヒロインが自分のことを好きだと勘違いして彼女を意識しだすところ、クライマックスの綱渡りと、劇中でチャーリーがピエロたちの芸を観て爆笑しているような感じで僕もいつ観ても顔がほころび、やがて笑ってしまう。


チャップリン自身はこの時期、私生活でいろいろ問題を抱えていてこの作品について自伝にもほとんど書き残していないそうですが、『サーカス』には彼の映画のエッセンスが詰め込まれている。

実際にスタントなし、ワイヤーなしで臨んだ綱渡りのシーンは大笑いできるんだけど、スゴいことをやっている。しっかり引きの画で高いところにいることも映してるし。

何匹もの猿たちとの見事な競演。よくあんな演出するよね(^o^)


お弁当を分けてあげた若い女性は座長の娘で、彼女が占い師から「大切な人が現われる」と告げられると、チャーリーはそれが自分だと早合点して有頂天になる。


が、それは新しく入った綱渡り師のことだったとわかって落ち込み、彼の道化師の芸は客からウケなくなる。

この辺の勝手な思い込みによる一方的な恋と、その結果、自分は相手の女性からはまったく恋愛の対象外だったと思い知る、傍から見ると滑稽な一人相撲。

この哀しさとバカバカしさの同居は、僕は本当にチャーリーの身になって入り込んで見てしまう。

こういう純情な男の空回りぶりとその後のささやかな献身をペーソスとともに描いたチャップリン本人はプライヴェートでは女性問題で疲弊していた、というのがなんとも言えないですが。

ヒロインを演じるマーナ・ケネディチャップリンの二度目の結婚相手であるリタ・グレイの勧めでこの役を射止めたようで、チャーリーのサンドイッチを秒速で早食いする場面とか、長らくチャップリンの相手役を務めたエドナ・パーヴァイアンスを思わせるキュートさがあったし、サーカスでバレリーナ姿で馬に乗る姿も様になっていて、なぜか父親からやたらと厳しくされる役だけれど、ただ可哀想な女性というよりも、のちにイケメン綱渡り師とあっさり結ばれるようにたくましさも感じるんですよね。

マーナ・ケネディさんご本人は若くして亡くなった(1944年に36歳で死去)のが残念ですが。

ところで、以前書いた記事でも少し触れたんだけど、今回の上映では日本語字幕に違和感を覚えることがしばしばあって、それは僕が長らく馴染んでいたNHK放送版と翻訳が違うからなんですが、まぁ、好みは人それぞれだからどの翻訳が良くてどれはダメだと簡単に断言はできないんだけれど、この『サーカス』では好き嫌いを抜きにして明らかにおかしな字幕があった。

チャーリーがサーカスの入団テストを受ける場面で、道化師たちが「床屋」の出し物をやる。

チャーリーはもう一人の道化師と顔にクリームを塗りたくり合うはずが、彼がいつも相手のクリームのついた刷毛を避けてしまうのでその相手の道化師に文句を言われる。

その時に、今回の字幕では「俺がお前を殴る。お前も俺を殴れ」みたいな奇妙な訳だったんですよね。

でも、彼らは殴り合っているわけではなくて刷毛でクリームを塗り合ってるんだから、この翻訳はおかしいでしょう。

NHK版では「避ける奴があるか」という、至極まっとうな翻訳だった。

日本語の字幕ってただ元の字幕を直訳すればいいんじゃなくて、適度な意訳も必要だし、日本語としてこなれているかどうかも重要なんですよね。変な日本語は読んでていちいち引っかかる。

短篇の『給料日』でも弁当がないチャーリーのことを「空腹」みたいに単純に表現していたけど、NHK版では「パンクタイヤみたいに腹ペコ」となっていた。「パンクしたタイヤみたいに」というのはオリジナルの英語字幕にも書いてあったから、日本語字幕の翻訳者が勝手に付け加えたのではなくて、限られた字数の中で効果的に訳しているんですよね。

人の声が入っていないサイレント映画だしコメディなのだから、字幕だけ読んでも可笑しいのが望ましい。

そんなわけで日本語字幕については正直不満が残りましたが、でも映画自体は面白いんだから、こうやって劇場のスクリーンで観られたことはとても嬉しい。

笑って観ていたのに、最後の最後に再びたった独りになったチャーリーが見せる険しい表情は、妙な余韻を残す。

彼はその苦い顔をふと緩めて、どこか諦めたように肩をすくめてサーカスの出し物でマーナがくぐっていた輪っかに貼ってあった星が描かれた紙くずを拾ってクシャクシャに丸めたあと、それを足でポーンと蹴り飛ばして去っていく。

なんでしょう、この寂しさは。

『モダン・タイムス』のラストで、チャーリーはポーレット・ゴダード演じる娘と笑顔で腕を組んで立ち去っていったけど、そしてあのラストシーンもまた映画史の中に燦然と輝いているのだけれど、『サーカス』で寂しげに独り去っていくチャーリーの姿はチャップリンの中にあった「暗さ」が凝縮されているような気がして、僕はとても好きなんですよね。

…褒めたあとにまた文句言うようでなんですが、今回上映されたチャップリンの作品群はどれも4K化されたもので画質はとても良かったんだけど、他の作品と比べてこの『サーカス』の画質はちょっと落ちるように感じました。短篇の中の何本かも同様。

キッド』はエドナ・パーヴァイアンス演じる女性がベンチに座って不安げにしている場面でもバックに映っている風景が細かいところまでくっきりと見えていたのに対して、『サーカス』は全体的に映像が滲んでいるというか、そこまでの鮮明さが感じられなかった。

『サーカス』の方が『キッド』よりも7年もあとの作品なんですが。

リマスタリングしたおおもとの素材がそんなに画質が良くなかったんだろうか。

いや、昔TVで観た時と比較したら、おそらくはめちゃくちゃ綺麗になってるんでしょうけど。

すみません、技術的なことはまったくわからないからあまり偉そうに言えないんですが、気になったものだから一応こうやって記しておこうと思って。

『キッド』が再編集されて音楽が付けられたのは1970年代になってからで、『サーカス』もやはり音楽が付けられたのは70年。チャップリンは亡くなる7年前ですでに80代でした。冒頭の彼自身によるあの歌は、80になって唄ったものだったんですね。おじいちゃんっぽい歌声だったもんな。でも、なんか聴き入っちゃうんですよね。

『キッド』もそうだけど、『サーカス』の音楽が本当にいいんだ。

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美しい曲、勇ましい曲、滑稽な場面にぴったりな曲。全部、チャップリンが作曲したもの。

映画のためのBGMだけど、他の作品と同じく、聴いてるだけで場面が浮かんでくる。

黒柳徹子さんもお薦めのこの映画、現在上映中、これから上映される地域にお住いの皆さんはどうぞお見逃しなきよう。


次は、チャップリンエドナ・パーヴァイアンスを主役にして監督に徹して撮った1923年の『巴里の女性』。

長篇作品としては『キッド』のあとですね。

先ほどの大野裕之さんが熱烈にお薦めされていたので楽しみにしていましたが、僕はこれまで観たことがなくて、またチャップリンが出ていないし(駅の場面でほんの一瞬カメオ出演しているそうだけど、気づかず)コメディでもないのでそもそもあまり興味が湧かなくて。

ただ、今回初めて観て、なるほど、すれ違いを繰り返すもうコテコテのメロドラマなんだけど、そしてサイレント映画にもかかわらず、大野さんが褒めてらっしゃったように確かに面白かったです。

この映画はエルンスト・ルビッチ監督の映画に影響を与えたということだけど、すみません、勉強不足でお恥ずかしいことに僕はルビッチ監督の映画を1本も観たことがないので、どの辺が影響を及ぼしているのかまったくわかりません。『巴里の女性』でその演技が高く評価されたアドルフ・マンジューがルビッチの映画で似たような役を演じた、と大野裕之さんの著書に書かれていた。

アドルフ・マンジューはディアナ・ダービン主演の『オーケストラの少女』で彼女の父親を演じていたけど、『巴里の女性』では常にニヤケ顔でけっして激昂して声を荒らげることはなくて余裕をかましている。金持ちというのはいつなんどきも優雅であるべきなんだ、とでも言わんばかりに。

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一方で、貧しい若者のジャンには心の余裕がなく、パリでマリーと偶然再会したばかりに彼女への想いが再燃焼して、その思い込みの激しさから暴走する。

チャップリンは『殺人狂時代』でもフランスを舞台にしているけれど、この作品でも舞台はフランス。『殺人狂時代』の方は元ネタの舞台がフランスだったから、というのがあるけど、『巴里の女性』でもわざわざフランスを舞台にしてアメリカ人であるエドナ・パーヴァイアンスをあえてフランス人女性として描いたのはなぜだろう。脚本も自分で書いたチャップリンは、知り合ったある女性としばらく過ごして彼女を観察してこの作品のヒントにしたそうだけど。

パーヴァイアンス演じるマリーと結婚を約束していた画家のジャン役は、『キッド』でジャッキー・クーガンが演じたキッド=ジョンの父親役だったカール・ミラー。あの作品でも画家だったけど、全然別の映画なのにどこか繋がってるところが面白いですね。


両方の親から結婚を反対されて駆け落ちするはずだったのが、ジャンの父親が急死したため彼はとどまり、マリーは一人でパリへ向かう列車に乗る。

それからわずか1年で彼女はアドルフ・マンジュー演じる金持ちのピエールの愛人になっている。贅沢な暮らしをしてパーティ三昧の毎日。

ピエールがマリーとは別の女性と結婚する、というニュースが新聞に載るが、ピエールは平然とマリーとこれまで通りの生活を続けようとする。

マリーは一見何も気にしていないように振る舞いながらも、ピエールが今度は彼女の友人女性に接近し始めると、内心気が気ではない。

これ1923年の映画ですが、6年後の1929年には世界恐慌が起こっているんだよね。パーティどころではなくなるはずだが、この時点ではそんなこと誰も知らないので(チャップリンは恐慌を予感して持ち株をすべて売っていたそうな)浮かれ騒ぐパリピたちの姿がバブルで浮かれてた80年代の人々を思わせる。

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ジャンの母親が、息子が再会したマリーのことを「あの人はおかしい」と言うんだけど、すでに違う世界の住人になった彼女のことを信用できないのも無理はない。

マリー自身もそう思っている。もう元のような生活には戻れない、と。

この映画を観て、あらためてエドナ・パーヴァイアンスって綺麗な人だったんだな、と思った。どの角度から見ても美しい。


貧しい女性も演じたけれど、この映画での社交界の華のような役も似合いますね。『のらくら』でもお金持ちの女性を演じていたし。

『キッド』でも、最初は生活に困って赤ちゃんを捨ててしまうんだけど、5年後にはファンレターがいっぱい来るような有名女優になっている。

パーヴァイアンスさんご本人はチャップリンが望んだように彼の作品以外で名を成すことはできなかったんだけど、でもチャップリンの映画でエドナ・パーヴァイアンスを忘れることはできないように、しっかりと映画史にその名前と姿を刻んでいる。

チャップリンが最後に作曲したのがこの映画の音楽で、初公開された1923年には一般の観客からの評判が良くなかったおかげで長年再上映することもなかったのが、やっぱりチャップリン自身はこの映画に愛着を持っていて大切に思っていたんですね。

プライヴェートでも一時期付き合っていたというチャップリンとパーヴァイアンス。

チャップリンはパーヴァイアンスが映画に出なくなってからも「チャップリン・スタジオ」の専属女優として給料を支払い続けていたという。それは彼女が亡くなるまで続けられた。

二人の間にどのような想いがあったのか知る由もないけれど、美しい関係だな、と思う。

最後に、ジャンの母親と養護施設で子どもたちの世話をするようになったマリーを乗せた荷馬車とピエールの乗る自動車がすれ違うが、彼らは互いに気づかない。


最後のこの「すれ違い」は、マリー本人が自分の意志で選んだものだ。

この主演作以降、エドナ・パーヴァイアンスはほとんど映画に出ることはなかった。

『巴里の女性』でマリーの友人フィフィ役で出演しているベティ・モリセイは『黄金狂時代』でもヒロインの友人役だったし、『サーカス』ではサーカス団の一員でマーナに占いを勧める女性を演じていた。手品師の助手として出ていて警官に間違えてお尻を叩かれちゃう人ね。


チャップリンの映画のヒロインを務めた女優さんたちってエドナ・パーヴァイアンスやマーナ・ケネディのような古典的な美人が多いけど、ベティ・モリセイはスレンダーな体型で顔も今風というか、現代の映画に出ててもあまり違和感がない気がする。

出番は決して多くはなかったけど、こうやってチャップリンの映画を続けて何本も観ることで、彼女のような脇役として出ていた人たちのこともあらためて知れたので、そういう部分でもチャップリンの映画にはいつだって発見があるんだな、と思った。

ベティ・モリセイさんもまた若くして亡くなってるんだよな(奇しくもマーナ・ケネディと同じ44年に同い年で他界)。

チャップリンが若い頃から一緒に仕事をしてきた人々の中でも、彼自身が一番長生きした。妥協を知らない完璧主義者の芸術家だったチャップリンの映画にかかわった人々の間にも数多くの想い出があるのでしょう。それらは後世のいち観客に過ぎない僕にはうかがい知れないことだけど、でもチャップリンの映画を観るたびに目にするいろんな役者たち、彼らの姿に、銀幕の彼方で生き続けた人たちの輝きを見せてもらっている。

チャップリンの映画はDVDでも、あるいはネット配信などでも観られるし、わざわざ映画館に行くまでもない、と思っているかたもいらっしゃるかもしれませんが、いやぁ、映画館でみんなで笑いながら彼の映画を観るのは最高の体験ですよ。

現在、上映中の地域の皆様、そしてこれから上映予定の地域の皆様も、ぜひ映画館へ足を運んでみてください。

チャップリンはいつだって懐かしく、そして新しい。



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