ジャン=ジャック・アノー監督、ショーン・コネリー、クリスチャン・スレーター、F・マーレイ・エイブラハム、ロン・パールマン、エリヤ・バスキン、ヴァレンティナ・ヴァルガス、マイケル・ロンズデール、フェオドール・シャリアピン・ジュニア、ドワイト・ワイスト(ナレーター)ほか出演の『薔薇の名前』レストア版。1986年作品。日本公開1987年。R15+。
原作はウンベルト・エーコの同名小説。
撮影は『続・夕陽のガンマン』(感想はこちら)『ウエスタン』(感想はこちら)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(感想はこちら)などのトニーノ・デリ・コリ。
宗教裁判が激化する14世紀のヨーロッパ。イギリスの修道士ウィリアム(ショーン・コネリー)と見習い修道士アドソ(クリスチャン・スレーター)は、重要な会議に参加するため、北イタリアの修道院にやって来る。到着早々、彼らは修道院で若い修道士が不審な死を遂げたことを知る。院長(マイケル・ロンズデール)によると、死んだ修道士は文書館で挿絵師として働いていたという。事件の調査を依頼されたウィリアムたちは真相を求めて奔走するが、さらなる殺人事件が起こり──。(映画.comより転載)
「12ヶ月のシネマリレー」で鑑賞。ネタバレがありますからご注意を。
90年代の初めにTVの地上波で放送されたのを観て、その当時はTVドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」だとか、あるいはTVドラマ版の金田一耕助シリーズなど、おどろおどろしい映画やTVドラマをよく目にしていたから、なんとなくその流れで楽しんで観た覚えがあります。
ショーン・コネリーといえば007シリーズですが、今月末に公開される「インディ・ジョーンズ」シリーズの最新作(『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』→感想はこちら)に絡めて過去作が地上波で放送されていて、今度コネリーがハリソン・フォード演じるインディの父親役を務めた1989年の3作目『最後の聖戦』も放送されますね。
僕が初めて映画館で「インディ」シリーズを観た思い出深い作品ですが、ショーン・コネリーってあの3作目に一度きりしか出ていないのに、なんだかもっと出ていたような気がするのが不思議。これまでに同じ映画を何度も繰り返し観たから、ってのもあるけど。
それだけ役柄にハマってたということだし、やはりその存在感が大きかったんでしょうね。彼がずっとシリーズを見守ってたような、そんな気持ちになる。
『最後の聖戦』は今回の『薔薇の名前』の3年後の映画だから公開時期も近いし、87年には『アンタッチャブル』(感想はこちら)もあったので、80年代の後半から90年代の終わり頃にかけて、ショーン・コネリーが出演した映画を何本も観ていました。懐かしいな。
ジャン=ジャック・アノー監督の最新作『ノートルダム 炎の大聖堂』はあいにく観ていませんが、90年代には『子熊物語』(1988年作品。日本公開89年)や『愛人/ラマン』(92年) を劇場公開時に観たし、日本では2001年に公開されたジュード・ロウ主演の『スターリングラード』(2000年) も映画館で観ました。
けっして多作な映画監督じゃないけれど、大ヴェテランが今も現役で映画を撮ってくれてるのが嬉しい(それ言ったら、当たり前のように撮り続けてるリドリー・スコットはほんとにバケモンのようだな^_^;)。
で、本当に久しぶりに観た『薔薇の名前』ですが、古い書物のページをめくる時に指を舐める、というのがポイントだったという物語のオチやロン・パールマン演じる異形の男、また真っ白い顔をした太った修道士が裸で自分に鞭を打っている姿など、断片的にしか内容を覚えていなかったのが、ようやくどういうお話だったのかわかりました。
特殊メイクなのは公開当時からわかってたけど、それでも絶妙に嫌悪感をもよおさせる顔の造形のロン・パールマン演じる異端者サルヴェトーレ
キリスト教の知識があればより理解が深まるでしょうが、詳しくなくたって一応物語の内容は追えるし、大切なメッセージを受け取ることもできる。
「知」を封印したり、燃やして捨て去ってはならない、という戒めなんだな。
そういえば、『最後の聖戦』でコネリー演じるヘンリー・ジョーンズ教授は、ナチスの将校に「本を焼かずによく読め」と言っていた。
人々から知識を得る機会を奪い、無知蒙昧なままでいさせようとする権力者。
…これ、中世のお話ではありませんよね。やろうとしてるもの、今の政治家や金持ちたちも。
教会の関係者たちや異端審問官など、面白い髪形をした人たちがいっぱい出てくるし、わざわざユニークフェイスな俳優を使っていて、フリーキーな雰囲気が満載だし、実物大で作った巨大な修道院のセットも最近のVFXでは出せない迫力と威圧感がある。
修道院長役のマイケル・ロンズデール (右) は、ロジャー・ムーア主演版の007映画『ムーンレイカー』で悪役を演じていましたね。
『アマデウス』(1984年作品。日本公開85年)で作曲家のサリエリを演じていたF・マーレイ・エイブラハムが、ここでは異端審問官ベルナール・ギー役で登場。サルヴァトーレを拷問にかけ、彼やその父親、そしてアドソが身体を重ねた娘を火炙りにする。
実在したギーはむやみに拷問や死刑は行なわなかったそうだけど、この映画では完全に悪役として出てきて、最後には民衆の手によって彼が乗っていた馬車が崖から落とされて串刺しになって死ぬ。史実からその人生を完全に改変されてしまってなかなかお気の毒。
このあたりの権力者へのお仕置き展開は、ポール・ヴァーホーヴェンが『ベネデッタ』(感想はこちら)でまるでこの映画へのオマージュみたいな形で似たような結末を描いてました。
アドソ役のクリスチャン・スレーターがほんとに若い。撮影当時まだ10代の半ばだったんだから、まぁ子どもみたいなものだったんだろうけど。でも劇中ではやることはしっかりやっている。
クリスチャン・スレーターって90年代頃は時々映画で顔を見たし、トニー・スコット監督の『トゥルー・ロマンス』(1993年作品。日本公開94年)やトラヴォルタと共演した『ブロークン・アロー』(96年) などは面白かったけど、2000年代以降、僕は彼の出演作品をほとんど観ていない。映画には出ているようだけど。
『薔薇の名前』では貧しい娘(ヴァレンティナ・ヴァルガス)とのラヴシーンの描写が結構大胆で、『愛人/ラマン』のそれを思い出しました。アドソは修道士なのでザビエルみたいに頭頂部を丸く剃っていて*1、なんかそれが河童みたいで滑稽でしたが。
貧困層の美しい娘が若い修道士を性的に誘惑して…合体!みたいなのって安っぽいポルノみたいでちょっとどうなんだと思うんですが、生きていくために修道士たちに身体を売っていた彼女のような女性は現実に数多くいただろうし、この映画ではウィリアムが「本」というものが象徴する「知識」の大切さを訴える存在なら、若いアドソは肉体の悦び、血の通った人間としての素直な欲求を肯定していく存在といえる。
ウィリアムはアドソに娘との件を打ち明けられて「私は君のような経験はしていないが…」と語るけど、元ジェームズ・ボンドがそんなこと言っても説得力が微塵もないw
いや、ウィリアムとアドソの人物としての対比はとてもわかりやすかったし、「愛」をめぐる彼らの会話が微妙にすれ違うところも面白かったですが。
修道士は童貞じゃなきゃダメとか、この映画での二人一組になった師弟関係とか、ジョージ・ルーカスはスター・ウォーズのエピソード1~3(感想はこちら)を作る際に絶対にこの映画を参考にしていると思う。ジェダイの“童貞”の設定(恋や結婚はしてはならないという掟)は、ほんと不要だったと思いますが。
映画の舞台はほとんどが修道院とその周辺で、そこで残酷な殺人事件が次々と起こるんだけど、まぁ、謎解きについてはオマケみたいなものだと思っていた方がよくて、中世の修道院という閉ざされた世界で神の道を目指して修行を積む中で、しかし実際には権力者たちは富を貯め込み、無意味なルールで修道士たちや下々の者たちを縛り、人間の自由や権利について学ぶことを禁ずるような集団の異常さをこそ、観客に見せつける。
大切な書物、「知」が記された歴史そのものを隠し、挙げ句の果てにそれらを焼き払おうとするあの長老(フェオドール・シャリアピン・ジュニア)は、人間の愚かさそのものだ。
もうシスの暗黒卿にしか見えない黒ずくめの頭巾の人たち
やってることは今のどこぞのカルト集団と変わらない。
カルトが政治の中枢と結びつき、自分たちの狂った思想や宗教によって人々を抑えつける。「終末思想」で人々を惑わし恐れさせ、従わせる。
世の中を中世ヨーロッパの頃のような暗黒の時代に引き戻さないために、私たちは字を学び、本を読んで歴史を知り、疑問を持ち、声をあげなければならない。
はっきり断言できるのは、「笑い」を禁じるような集団や社会は“悪”だということだ。
あの貧しい娘の名前をアドソは知らないが、では彼女は存在しないのだろうか。
ふたりのあの悦びは、存在しなかったのだろうか。
「…そこに愛はあるんか?」という問い。
学びと実践。本の虫のウィリアムと、肉体の交わりの中で見出した「愛」を否定できないアドソ。その両方の面を持って人は生きていく。世界や人生について自分に問いかけ、答えを探して旅を続ける。
この映画は、見方によっては「神」の存在そのものに疑問を抱かせるようなところもあるし、その疑問を無視して妄信することこそ、「知」とは反対の行為なのだと思う。
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*1:実際にはザビエルは頭剃ってなかったそうですが。