リー・ワネル監督・脚本、エリザベス・モス、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、オルディス・ホッジ、ストーム・リード、ハリエット・ダイアー、マイケル・ドーマンほか出演の『透明人間』。2020年作品。PG12。
光学技術の開発者エイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の妻セシリア(エリザベス・モス)は、夫からの異常な束縛に堪えられず逃亡する。妹のエミリー(ハリエット・ダイアー)の助けもあって追いすがるエイドリアンから逃げおおせるが、その後、友人で警察官のジェームズ(オルディス・ホッジ)の家に滞在していた彼女は、エイドリアンが自殺したと知らされる。彼は遺言でセシリアに莫大な財産の一部を分与することを約束していた。
あけましておめでとうございます。
年が明けて初のDVDでの視聴映画。
この映画については去年の劇場公開時に一部で高く評価されていたけれど、観ませんでした。あまり詳しいことは知らなかったけど、僕はホラー映画を映画館で観ることはほとんどないので、まぁ、DVDになってからでもいいだろう、と思って。
それでレンタルショップで借りてきたんですが、実際これはDVDで観て正解でした。
それは内容がたいしたことなかったからではなくて、DVDではそんなに感じなかったけれど、どうやら劇場だと大きな音でびっくりさせる演出が結構あったようなので。僕、デカい音で驚かされるのすごく苦手なんですよね。
それからレンタル用のDVDでもこの映画はメイキング映像が充実していて、今観たばかりの映画の制作の裏側がじっくり紹介されるので、映画だけ観てたらなんとなくモヤッとしたままだっただろうところをかなり補完されて満足感があった。
宇多丸さんはラジオでの批評で「ぜひ劇場で」と仰ってたけれど、そんなわけで人によってはDVDだからこそ楽しめる作品というのもあるんだ、ってことがよくわかった。
透明人間を描いた映画はこれまでに何本もあるけれど、僕がちゃんと観たことがあるのは2000年公開の『インビジブル』(監督:ポール・ヴァーホーヴェン 主演:ケヴィン・ベーコン)だけ。
H・G・ウェルズの原作小説とともに今回の映画でも参照されている1933年のジェームズ・ホエール監督による映画版も未見。日本で作られた作品も観たことがありません。
そういえば、ベン・スティラー主演の『ミステリー・メン』では、誰も見ていない時だけ姿を消すことができるという、なんの役にも立たない超能力を持ったヒーローが登場していたっけ。
あと、2003年公開の『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』(主演は去年の10月末に亡くなったショーン・コネリー)にも透明人間が出ていた。
あれから20年近くも本格的に映画で描かれることがなかったんですね。
アニメだと『Mr.インクレディブル』の長女は透明になれる能力を持ってたけど。
映画と関係ないけど、昔、長谷川町子の「サザエさん」の漫画で「透明人間の交通事故」というのがあった。誰にも気づかれずに事故に遭って誰も気づかないまま死んじゃうという^_^;
まぁ、“透明人間”って今となっては単独で1本の映画を作れるほどキャラが立ってないから、なかなか新作の題材にしにくかったんでしょうね。
だから、その言わば使い古されたキャラクターを現代的なテーマと絡めて新たな作品に仕上げたことはほんとに画期的だと思います。
最近はDVDを通して観る集中力がなくなってきているので上映時間124分はこの手のジャンルの映画としてはちょっと長くないかな、と思っていたんだけど、まったくダレることなく一気に観てしまいました。
この映画のDVDには映像特典としてカットされた未使用場面の映像も入ってるんですが、むしろもう少し長くなってもいいからカットせずに入れてもらいたかった。
後述しますが、カットされたことで映画のテンポはよくなったかもしれないけど、代わりに登場人物の描き込みが若干浅くなったり細かなショットの意味が伝わりづらくなってしまったり、せっかく面白い部分がなくなってしまったりしていたので。これも映画だけを観たのではわからないところですよね。
それでは、これからご覧になるかたは一応ネタバレは避けられた方がいいと思うので、これ以降は映画を鑑賞後にお読みください。
主演のエリザベス・モスは『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『スプライス』などのサラ・ポーリーを思わせる顔立ちの人だけど、僕は彼女が出演したドラマ「マッドメン」や「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」はどちらも観ていないので、これが初めて。*1
物凄い美人でもなければ特別若くもない、でもだからこそ彼女が演じたセシリアが夫のエイドリアンに「…なぜ私だったの?」と尋ねるのがわかる、どこにでもいそうな女性に見えるところが人物の設定と合っててとてもいい。妙なリアリティがある。エリザベス・モスの迫真の演技はお見事でした。
妻のすべてを支配しようとする夫から逃げてきた主人公のセシリアを警察官である友人がかくまうが、やがて彼女は自殺したはずの夫が生きていて自分の近くにいる、と言い出す。
次第にセシリアの言動は常軌を逸してくるのだが、観客は確かにそこに“誰か”がいたことを知っているので、果たしてそれが事実なのか、それともセシリアの幻覚なのかわからなくなる。
映画のタイトルが「透明人間」だから、セシリアが見たものがなんなのかは最初からわかっているし、夫のエイドリアンは「光学技術」を研究していたということなので、まぁ、どういう原理なのかも想像がつく。
事実、物語はセシリアが主張していた通りだった、という展開を見せていくんだけど、怖いのはどんなに自分が見たり体験したことを訴えてもまわりの人に信じてもらえないこと。
これは現実の世界でしばしば起こり得ることだから。
ターゲットにした人物がどんどんまわりから信用されなくなるように仕向けて精神的に追い込んでいく、DVやストーキング、モラハラやパワハラなどあらゆる卑劣な犯罪行為を連想させる。
『ガス燈』や『バニー・レークは行方不明』『フライトプラン』などと同じ系統の話だけど、相手が透明人間というところが新しかった。その手があったか、と。ありそうでこれまでなかった映画ですよね。
僕は、観る前は、この映画での“透明人間”というのはいわゆるおなじみのSF的なモンスターのようなキャラクターではなくてもっと何かのメタファー、喩えの類いなのかと思っていたんだけど、そこんとこはモロそのまんまでしたね。
ホラーというよりもサスペンス。確かに驚かされるような場面もあるけれど、目を背けたくなるような残酷なシーンというのはないし、後半ははっきりと空想科学的な展開になっていく。
そこのところにノれるか、「あまり怖くない」と冷めちゃうかでも作品の評価は変わってくるかもしれない。
正直、物語の展開にはかなり無理があって、そもそもあれほど逃げたがっていたのに、その夫が死んだとなったら遺産はちゃっかりいただきにいくとか、そこからまず「?」だったんですが。
こういう場合って、金なんかいらないから金輪際かかわりたくない、と思うもんじゃないんだろうか。だってエイドリアンの財産を管理してるのは彼の身内なんだし。会いたくなんかないんじゃないの?
それから、エイドリアンが開発したあの透明になるスーツは一体何着あったのか?と疑問が。
冒頭でセシリアがエイドリアンの家から逃げ出す時にそれらしきものが何着もあったけど、あれらもちゃんと機能するのだろうか。だって1着だけ隠すようにしてしまってあったわけで。
最初にエイドリアンが着ていた透明スーツはセシリアに白いペンキをぶっかけられたはずだし、彼女が収容された病院で、エイドリアンはセシリアにペンで刺されてスーツも損傷したはず。
そして、その後はエイドリアンに成り代わって兄のトム(マイケル・ドーマン)がスーツを着てセシリアに銃でめった撃ちされていた。あのスーツはもはや使い物にはならないはずだし、だいたい監禁されていたエイドリアンが発見されてから(それは彼とトムによる狂言だったのだが)あの家は手付かずで警察は調査もしていないのだろうか。あんなスーツが大量にあったら押収されるんじゃないの?
トムはジェームズの家に押し入って娘のシドニー(ストーム・リード)を殺そうとまでしてるんだから、弟であのスーツの開発者であるエイドリアンが怪しまれないのはおかしいでしょう。ジェームズとシドニーが証言すれば、エイドリアンがこれまでやってきたことだってすべて裏が取れるのでは?
だいたい、エイドリアンは自分の自殺をどうやって偽装したんだろうか。警察が検死だってするだろうに。
あの家にセシリアがたやすく忍び込めてしまうのも、用意周到で常に先を読んでいるという設定にしてはエイドリアンは脇が甘過ぎるんじゃないだろうか。
だって、一度は睡眠薬で眠らされて逃げられてるんだから用心するはずでしょう。
クライマックスで再び彼の家を訪れたセシリアがあの透明スーツを使ってエイドリアンを殺して妹の仇を討つんだけど、トイレでスーツを着込んでテーブルに戻ってエイドリアンを殺害して、またトイレでスーツを脱いで、戻ってきて驚く芝居をする、って…いくらなんでも時間かかり過ぎません?^_^;
外ではジェームズが車の中で待機していたんだし、セシリアが着替える間、エイドリアンが彼女をまったく怪しまないのも(あの手の人間は自分を過信してるから、気を許すとすぐに騙されるのかもしれないが)、詰めが甘いというか、エイドリアンの執念深さが徹底されてないような気がして。あまりにもあっちゃり復讐されちゃうんだもんなぁ。
前半で透明になったエイドリアンがセシリアをどんどん追いつめていくところはゾクゾクさせられてよかったんですよね。ただ、ストーカーって何度も何度もしつこく粘着してくるのが怖いんだけど、その辺がエイドリアンは結構あっさりめなんですよ。もっとしつこいから!本物のストーカーは。
エイドリアンのヤバさをもっともっと描き込んでほしかったな。
ただまぁ、そのあたりは脳内で補完することにして、ともかく“透明人間”という古典的なキャラクターを「悪しき男性性」と結びつけて描いたのは「今」を反映させていてとても面白かったです。
カットされた場面の一つに、ジェームズが好意を持っている女性が訪ねてきてセシリアと鉢合わせする、というシークエンスがあるんだけど、この時にその女性がジェームズが警察官であることを台詞で説明するんですが、僕は映画を観ていて結構後半になるまで(というか、ジェームズが自分の家の異変に気づいて拳銃を手にするまで)彼が警官であることに気づかなかったんですよね。
あれはわざとそうやって彼の職業を観客に教えないようにしていたんだろうか。彼が警官だと知っているとなんとなく後半の展開が読めてしまいそうだし。
エイドリアンの自殺の件もそうだし、都合よく警官だったジェームズがほとんど役に立たないことといい、やはり腑に落ちないところは多い。
ジェームズまでもが、すべてはトムのせいだった、と思い込むのはあまりに無理があり過ぎる。
他にカットされた場面で惜しかったのは、セシリアが就職の面接の日に自分のデザイン画を鞄の中に入れていたのがいつの間にかなくなる、面接の場面に繋がるワンショット(ちょうどフライパンをかけたコンロの火が勝手に強くなって火事になりそうになるシーンと撮り方が似ている)。セシリアは鞄を開けて中の自分の描いたデザイン画をパラパラとめくって確認する。その前に彼女がほんの少し目を離した隙に机の上のスマホが勝手に移動している。もちろん、それは透明になったエイドリアンの仕業。
本篇ではこのシーンがカットされていたために、屋根裏にあったのがなくなったセシリアのスマホだったことや、のちにエイドリアンの家で彼女の消えたデザイン画が見つかった時の驚きの意味がよくわからなくなってしまっていた。この特典映像を観ていなければ、僕はエイドリアンの家にあったのがセシリアの「作品」だったことに気づけなかったと思う。
それから、セシリアと妹のエミリーが一緒に法律事務所に向かう屋外シーンや彼女が電話してきてセシリアを励ます場面もカットされたために、姉思いのエミリーの人物描写が大幅に減ってしまっていて、だから妹のたくましさを彼女の死後にセシリアが受け継ぐ後半の盛り上がりも感じにくくなっている。
セシリアにとってエミリーがどれほど大切な存在だったのか、そのことがわかる細かい描写は残しておくべきだったでしょう。
これら映像特典に入っていたカットされた場面の数々は、一見なくてもお話の進行に支障がないようでありながら、登場人物たちに厚みを与えたり観客に必要な情報を提供する役割を担っていたはずなので、できればいつかカットされた場面を組み込んだ「完全版」を作ってもらいたいです。
メイキング映像では、セシリアが見えないエイドリアンと格闘して、持ち上げられたり壁に叩きつけられたり髪を掴まれて引きずられたりテーブルの方に投げられたりする場面がどうやって撮られていたのかよくわかって非常に面白かったですね。
実際には全身緑色のタイツ姿のエイドリアン役のオリヴァー・ジャクソン=コーエンがワイヤーに吊られたセシリア役のエリザベス・モスと一緒に演技をしていて、それをモーション・コントロール・カメラで撮影している。雨の中でセシリアがエイドリアンに首を絞められる場面も同様。
完成した映像だけ観てるとまるでエリザベス・モスが一人芝居してるようだけど、実はとても手の込んだことをやってるんですね。
撮影現場の皆さんがとても楽しそうで、映画の内容がこういうのだから本篇のあとに観るととても和むw こういうのは映像ソフトならではですね。
舞台はアメリカのシカゴなんだけど、撮影されたのはオーストラリアのシドニー。まるでアメリカで撮ったように思わせたかった、と監督が語っている。
僕は最初に述べたように普段めったにホラー映画を観ないのでリー・ワネル監督の作品を観るのもこれが初めてなんですが、なかなかよかったですよ。
できればこういうタイプの映画は今後も僕はDVDで観たいですが(^o^)
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『アス』