映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『アバター』


ジェームズ・キャメロン監督、サム・ワーシントン主演の『アバター』。 2009年作品。

第82回アカデミー賞撮影賞、美術賞、視覚効果賞受賞。

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戦場で下半身の自由を失ったジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は、死んだ兄トミーに代わってある使命をあたえられる。それは惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラの資源を手に入れるために、人工的に造られた身体を使って現地の住人たちとコンタクトを取り、彼らの秘密を探るというものだった。


観るのではない。そこにいるのだ。

昨年はIMAX3Dでリドリー・スコット監督の『プロメテウス』(感想はこちら)を、今年に入ってアン・リー監督の『ライフ・オブ・パイ』(感想はこちら)、また先日はアルフォンソ・キュアロン監督、サンドラ・ブロックジョージ・クルーニー出演の『ゼロ・グラビティ』(感想はこちら)を観ました。

そして、これら現在の3D映画発展のもととなった映画『アバター』のことをふと思いだしました。

2009年の劇場公開時に観ましたが、まだ感想を上げていなかったので今回UPします。

あれからすでに4年経っており、3D映画事情は当時と現在ではずいぶん異なっています。

たとえば、『アバター』のときには特に「人間」の立体感に対してあった違和感が、『ゼロ・グラビティ』には一切ありませんでした*1

それはこちらが3D映画に慣れてきた、ということもあるのだろうけれど、やはり『アバター』の頃から3Dの技術もさらに進歩したおかげなんだろうと思います。

そんなわけで、これから記すのはまだ3D映画というものが一般的ではなかった頃の感想です。現在との微妙な違いがちょっと面白いかもしれません。


※以下は2009年に書いた感想に一部加筆したものです。


ジェームズ・キャメロンが3D映画を撮るらしい、という情報を知ったのはいつのことだったか忘れちゃったけど、「一体この人はどこへ行こうとしてるんだろう」と思いました。

まだ今ほど3D映画が普及する前だったんで、正直もう真面目に映画撮る気ないんだなと。

しかも「監督が14年前に見た夢を映像化」って。

…なんか似たよーなことを前にどっかのリュック・ベッソンが言ってたよーな気がするんだが(あれは“中学生の時に書いた脚本”ですが)。監督の「夢」とか、一番ダメなパターンではないか?

それでもアトラクションとして愉しみにしてたんですよ、単純に。

3D映画も、これのちょっと前に観た『カールじいさんの空飛ぶ家』で面白いと思ったから。

そしてついに『アバター』日本上陸。


異星に棲むCG版「キャッツ」みたいな種族“ナヴィ”たちには映画観てるうちに慣れたけど、途中からヒロイン(ゾーイ・サルダナ)が青い顔したアンジェリーナ・ジョリーに見えてきて困った。


観てる最中、自分の眼鏡の上からかけた立体用メガネがズレまくり何度上に持ち上げてもしばらくすると「カクッ」と落ちてきて一人であたふたしてしまった。『カールじいさん〜』の時はそこまでじゃなかったのに。隣に座ってたおじさんも「メガネもっと軽くしてくれたらいいのに」と言ってたけど同感*2

ここんとこまるで「ハリウッド映画はこれから3Dに席捲されます」みたいな勢いで立体映画が作り続けられてるけど*3ピクサーアニメとこの『アバター』を観て、「やっぱりこれはあくまで選択肢の一つだな」と思いました。

サイレントがトーキーに、モノクロがカラーに取って代わられたのとは違って、今まで二次元で表現されていた映画がすべて3Dに変わるわけじゃないしその必要もない。

ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』の予告が3Dで流れてたけど、「不思議の国のアリス」だから“飛び出す絵本”みたいな奇妙な映像でもオッケーなんであって*4、何でもかんでも立体にすりゃいい、ってもんではない。たとえば浮世絵を3D映像にしたら不気味なだけでしょ。あれは平面として描かれてるから美しいんであって。

アバター』の3D映像はたしかに奥行きの感覚など一見の価値はあるけど、特に人間が出てる場面ではムリヤリ立体にしてる感じがしなくもなかった。

人間の眼ってもともとモノを三次元的に見るようになってるのに(だから昔から絵画や映画があるわけで)、それをわざわざ疑似的に作り出すってことはその分視覚的な情報量が増えて眼の負担も増すってこと。さらに今回は3時間近い長尺だったせいもある。

料金も値が張るし。

『カールじいさん』の3D版は日本語吹き替えだったんで、今回もそうなんだろうと思ってたら字幕版。もう日本語字幕まで立体になって『ファイト・クラブ』の宙に浮かぶポップみたいに映像の手前や奥に出てきて画面が忙しいことこの上なし。眼が疲れたのはそのせいもあるかも。

あと、キャメラ揺れまくりの手持ち風映像は3Dではリアリティ云々以前に大変見づらいことも判明。

でも異世界を訪れた感動は味わえました。これはSFやファンタジー映画を観てもここしばらく感じられなかったこと。


予告篇ではわからないけれど、劇中で人間と同一画面にいる時はナヴィたちの微妙な巨大さ(身長数メートル)が際立つ。合成の粗も見られない。

立体用メガネのせいで画面がちょっと暗めになってうまく馴染んで見えたのかもしれないが。

観る前にどこかで読んだレヴューに「『エイリアン2』や『もののけ姫』、『ナウシカ』っぽい」みたいなことが書かれてて確かにその通りだったんだけど、ナヴィたちやパンドラの風景、生き物たちを観てたらなんだかとても懐かしい気持ちになりました。『アバター』はSFアクションだから全篇に渡って戦いが描かれるけど、あの星の風景をもっとじっくり観ていたかった。

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この技術を使って宮澤賢治の世界を映像化してくれないかなぁ。“イーハトーヴ”のイメージにとても合ってると思うんだけど。

主人公が異郷の「英雄」になる、という『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で『ラスト サムライ』な展開はいかにもハリウッドらしいな、と。

そうしないとお話がドラマティックにならないから、ってのはわかるんだけど、その点では自然と人間が和解することなく主人公がけっしてヒーローになれない宮崎駿の『もののけ姫』の方がまだ謙虚だと思った。作品として好きかどうかはともかく。

アバターになったシガーニー・ウィーヴァーの顔(これがまた絶妙にご本人の顔の特徴をとらえてて主人公より印象に残る)を見てたら、なぜかふいに野際陽子が思い浮かんで、別に似てないのになんでだろう、と不思議だったんだけど、野際さんはTVで『エイリアン』のリプリーの声をアテてたんだな。「マザー」のことを「おふくろさ~ん」って言ってたっけ。

しかしこの映画でまさかシガニー姐さんの裸を目にするとは思いませんでした。60代でヌード。しかも3D。…素敵です。


映画観るたびに最近は何かにつけ「撮影がフィルムじゃなくてヴィデオ」と文句言ってますが、エンドロールの文字を見て初めてこの映画がデジタル上映だったことに気づきました*5。映画を観てる間はわからなかった。きっと『カールじいさん』もそうだったんだろうな。

結論としては、面白かったです。話のネタにはなると思う。そしてこの映画で使われた映像技術が今後も活用されていくでしょう。

ただ個人的にジェームズ・キャメロン作品の中で『ターミネーター1 & 2』や『エイリアン2』はすでに不動の位置を占めているので、技術の粋を尽くした最新作『アバター』をしてもこれらを追い越すことはできませんでした。宮崎駿監督がどんな素晴らしい新作撮っても僕の中で『ラピュタ』や『ナウシカ』を超えることがないのと同じです。

エイリアン2』(1986) 出演:シガーニー・ウィーヴァー マイケル・ビーン ビル・パクストン
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どちらかといえば、内容的には今までの作品のさまざまな要素を持ち寄ったような印象。ベストアルバムみたいな。

大佐が乗り込むロボットは『エイリアン2』のパワーローダーの進化形っぽいし、ミシェル・ロドリゲス演じる女兵士は「ヴァスケス」だなぁ、とか。そういった意味でも集大成といえるのかな*6

果たしてこれからキング・キャメロンはどこに向かうのだろうか。


追記:【ネタバレ注意】

その後、翌年(2010年)3月に今度はIMAXにて再度鑑賞。

吹替版だったので眼は多少楽に。

通常のスクリーンと比べて横幅はそれほど違いがないんだけど、縦が目一杯使われてるのでより臨場感がありました。

ただアカデミー賞ノミネート後にあらためて観てみると、やはりいろいろとストーリー的な問題点が気になってくる。

特に後半の展開からは、この映画が本当に虐げられた者たちの視点ではなく、実は征服者側の視点で作られていることがよくわかる。

もしそうじゃないのなら、わざわざ主人公を地球人(白人)なんかにせずに最初からナヴィの青年にして、地球人と心を通わせる話にでもすればいい。

異邦人でありながら、先住民たちが今まで5人しかできなかった巨大鳥の調教をいとも簡単にやり遂げてしまい、挙げ句の果てにまるで『インデペンデンス・デイ』の大統領のようにみんなの前で「この星のために!」と演説をぶつ主人公。

ハリウッド映画では、しばしば異郷において元は部外者でありながらやがてリーダーにまでのし上がる主人公が描かれるが、しかしそれはなんと傲慢な話だろうか。

主人公が異文化の中で生きていくことを選択すること自体は別にかまわないと思うけど、なぜ必ずそこのリーダーになろうとするのか。

アメリカ人というのはつねにそういう人々なんでしょうかね。

そして、侵略された経験がある者、敗北の苦さを本当に知っている者は、多分あんなふうに単純で能天気な勝利は描かないと思う。

ただ、もしもパンドラやそこに棲むナヴィたちが“現実”ではなく、たとえば“ヴァーチャル・リアリティ”の世界の存在である、といったような設定だったら、主人公が「この星のために」戦うことに僕はむしろ非常に面白味を感じただろう。

劇中の“現実世界”には存在しない「作り物の世界」に思い入れを込めて命を懸ける、というような価値観の転倒があれば、そこにSF的な興奮もおぼえられたはず。

そういう話にすることは可能だったと思うんだが。

問題は、キャメロンが白人の主人公が異郷の部族の英雄になる、という古典的な「白人酋長モノ」の焼き直しをなんのひねりもなく描いて、そのことにまったく疑問を持っていないらしいことだ。

キャメロンの意識はあきらかに時代とズレている。

この映画がオスカーの「作品賞」を獲れなかったのがそのせいかどうかはわからないけれど*7、ストーリーがディズニーアニメ『ポカホンタス』とほとんど同じ、という指摘もある。

いつも言ってることの繰り返しになるけど、小難しい政治的な映画などよりも、“何も考えずに観て愉しめばいいんだよ”的なエンターテインメント作品にこそ、かえって作り手の本音がストレートに出てくるものだ。

ましてやこの映画は初めからアカデミー賞を意識して作られているのはあきらかである。

「ただのアクション映画」じゃなくて、戦争や民族問題なんかも取り入れてるよ、と。

しかし先ほど書いたように、キャメロンが描く理想は彼のアメリカ白人としての従来の価値観から一歩も外に出ていない。

それゆえ『アバター』の内容は浅い。驚くほど浅い。アホなカップルがイチャついててそれを覗いてた船員のせいで豪華客船が沈む『タイタニック』以上に(実際にこの事故で亡くなった人たちやその遺族にしてみたら、そんなしょーもない理由で自分たちや先祖が死んだことにされたらかなわんだろう)。

何やら真面目に描こうとすればするほどボロが出てくる感じで、この監督さんはこれ以上、世の中のさまざまな問題について深く思いを巡らすのは無理なんだろうと思わせられる。

一時期、ちまたでキャメロンが中沢啓治原作の原爆漫画「はだしのゲン」を実写化するという奇怪な噂が飛び交ったが、まぁ冗談じゃないって話である。

広島市長だって『トゥルーライズ』のシュワちゃん被曝シーンを観れば、彼に任せたりしたらとんでもないことになるのがわかるはずだ。

キャメロンが本当に興味があるのは戦争の悲惨さを訴えることなどではなく、おそらく人体が爆風で吹っ飛んだり熱線で焼けただれる描写をいかにリアルに再現するか、ということなのだから。

海外にはいまだに核による惨状をギャグとしてためらいもなく描けてしまう人々があきれるほど多いが、ジェームズ・キャメロンもその一人だということを忘れてはならない。

彼らは総じて無知であり、それを自覚して学ぶ気もない。

遠くで核爆発が起きたら片手でちょっと“光”を遮れば無事だと思っている。バカなのだ。

アバター』の劇中でも、主人公や研究者たち以外の地球人たちはナヴィの文化を学んだり彼らに敬意を払うこともなく、資源を手に入れるのを邪魔する土人として蔑んでいる。

ジェームズ・キャメロンは最後にナヴィとして生きることを決意するジェイクではなく、あの大佐たちの側の人間だと思う。

この人には賢いフリをするのは早くやめてもらって、頭からっぽな「ただのアクション映画」だった『ターミネーター』や『エイリアン2』の頃に戻って欲しいもんです。


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*1:ゼロ・グラビティ』では3D専用キャメラは使用されておらず、2Dから3Dに変換した映像とCG上で3Dレンダリングした映像の合成によって立体効果を得ているようだが。

*2:その後、3D眼鏡の改良が進み、現在ではかなり軽くなっている。

*3:当たらずとも遠からず、といったところか。もちろん現在も2Dの映画も普通に作られています。

*4:『アリス〜』は2Dで撮影したものをあとで疑似的に3Dにしたもので、正直3D効果はあまりなかった。

*5:現在は3Dか2Dかを問わず、シネコンのほぼすべてがデジタル上映。フィルムでの上映は特別な上映会を除けば一部の単館系の映画館のみとなった。

*6:続篇も公開される予定。

*7:この年の作品賞はキャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』(感想はこちら)。