アンコール放送中のNHKの朝の連続テレビ小説「澪つくし」と11月30日から始まった新番組「おちょやん」を毎朝観ています。
千葉の銚子の醤油屋の旧家「入兆(いりちょう)」の娘・かをる(沢口靖子)は、漁師の網主(網元)・吉武家の長男・惣吉(川野太郎)と恋に落ちるが、醤油屋と漁師は反目し合っており、ふたりが結ばれることは難しかった。それでも紆余曲折の末、かをるは父・久兵衛から勘当される形で吉武に嫁入りする。
和製「ロミオとジュリエット」というふれこみだったので観る前は甘々なラヴロマンスみたいなのを想像していたんですが、惣吉はロミオのようにウジウジ思い悩んだりしない海の男で、「入兆」と吉武家も互いに憎しみ合うほどではなかった。
ただ、家同士での格をめぐる身分意識や跡取りの問題などから業種やそれまでの生活環境を越えた結婚が困難をきわめる、というのはなかなか上手い設定で、また昭和初期という時代だけに恋愛や結婚に対して世間や公権力から直接横やりが入るのも自然と納得しやすくなっている。
こんなことを言うと身も蓋もないけれど、「かをる」という主人公自体は自己主張も控えめな優等生的な性格で、キャラクターにそれほど面白味があるわけではない。
そこで、主人公のかをるの腹違いの姉・律子(桜田淳子)がもう一人のヒロインの役割を果たしていて、立場上もあって受け身なかをるに比して積極的に「自由」を求めて意見し行動する。社会的な格差や女性への差別など、現代に通じるテーマに律子が直接かかわっていく。
かをるのメインの物語と同時に、密かに入兆に潜り込み律子と情を通じていた社会活動家の水橋(寺泉憲)が当局に捕まり拷問を受けて転向するエピソードがあって、また不況による入兆や吉武の経済問題も出てくる。時代と物語が連動している。
「おしん」「はね駒」もそうだったように、教科書的なお勉強とは違う側面からの近代史。
僕がこのドラマを楽しめる理由の一つは、これがただ個人の恋愛や結婚を描いたものではなくて(別にそれでも構わないでしょうが、誰が誰とくっつこうが別れようがあまり興味が湧かないので)、そこから“社会”も見えてくるから。「恋愛」の要素は物語の一部であってすべてではない。
自由が制限され、まだ世間では男女平等の意識もなく、世の中は戦争への道を突き進もうとしている。
そういう背景があるからこそ、かをると惣吉の恋や結婚生活がとてもかけがえのないものとして浮かび上がってくる。
また、のちに「独眼竜政宗」も担当するジェームス三木の脚本で出演者も結構カブっていて、「入兆」の当主である久兵衛を演じる津川雅彦は「政宗」では徳川家康役だったから、まるで時代劇の将軍家のお家問題かなんかのような雰囲気もあって、大河ドラマ的な面白さもある。楽しみどころがいっぱいなんですね。
主演の沢口靖子さんはお人形のようで本当に綺麗で、新人でまだ演技が拙い彼女をヴェテランや実力派俳優たちがカヴァーしていて、物語も重層的で15分があっという間。
また、「おしん」や「はね駒」にはなかった趣向として、エンディング曲「恋のあらすじ」(作詞はジェームス三木)の挿入があって、不定期でいつ流れるかわからないので(最近は流れてない気が)毎朝7:28頃になるとTwitterのタイムラインがざわめき出すw 時にはまったく空気を読まず、また時には絶妙なタイミングでかかる「恋あら」は癖になる。この~世で一番の、幸せは~♪
かをるは久兵衛の正妻とは別の女性・るい(加賀まりこ)との間に生まれた子どもだけど、彼女が正妻の千代(岩本多代)やその子どもたちから苛められることはなくて(女中頭のハマには嫌味を言われ続けていたが、結婚する頃には受け入れられる)、また嫁入りした漁師の吉武家の義母・とね(草笛光子)も竹を割ったような性格の女丈夫で、早いうちからかをるのことを気に入る。
だから視聴者は余計なストレスを感じずに観ていられる。
これがもしも脚本を担当するのが「おしん」の橋田壽賀子御大だったら、かをるはイビられまくって病気で倒れているところ^_^; そういう意味では、男=久兵衛に都合よく描かれている。
だけど、津川雅彦が巧いものだから久兵衛が憎めなくなってしまうんですよね。どう考えても彼はジェームス三木先生の分身だよな(笑)
それにしても、この当時の津川さんって46歳ぐらいだったそうだし、このドラマと同じ年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(感想はこちら)の“ドク”役のクリストファー・ロイドも1作目の時は40代の終わり頃だったんだから驚く。なんだこの貫禄は^_^; 役者の歳の取り方が今と違ってたんだな。
これまでも次第にきな臭くなりつつある世相が語られていたけれど、今後はさらに厳しい世の中が待っている。さて、これからどのような展開となっていくのでしょうか。
続いて、「おちょやん」。
時代は「澪つくし」からほんの少し遡って、物語は大正5年(1916)から始まる。
南河内で父親のテルヲと幼い弟・ヨシヲと暮らす千代は、テルヲが連れてきた継母の栗子と入れ違いになるような形で口減らしのために大阪は道頓堀にある芝居茶屋「岡安」に奉公に出される。そこで喜劇団の「天海天海(あまみてんかい)一座」の座長の一人息子で同世代の一平と出会う千代。父・初代天海天海を若くして亡くす一平。千代の父・テルヲもまた夜逃げして行方をくらませていた。そして、8年の月日が経つ。
なんか、久々に「朝ドラ」が帰ってきた!って感じですね。長かったなぁ…。
アンコール放送と併せて、また濃厚な30分が戻ってきてくれたのが嬉しい。
僕が観たいのは作り手の承認欲求を満たすための独りよがりな“コントもどき”ではなくて、“ドラマ”なんだよな(何かにむかって言っている)、とつくづく思いました。
子ども時代の千代を演じる毎田暖乃(のの)ちゃんの演技が素晴らしくて、未来の名女優を見てる思いでした。一平役の中須翔真君も以前「スカーレット」で主人公の息子を演じていて(同作品で暖乃ちゃんは主人公・喜美子の親友・照子の娘役)、幼くしてのそのイケメンぶりは相変わらずだし、成長後を演じる成田凌さんとまったく違和感なく人物が繋がって見えるのもナイスなキャスティングで、暖乃ちゃんとのやり取りも息がピッタリでした。
この二人の子役の組み合わせは“あえて”やらなきゃできないから、ドラマの作り手が彼らの実力や可能性を見極めて起用したということですよね。
放送開始から2週間経って子役たちは今週末でひとまず出番は終了、月曜からは杉咲花さんと成田凌さんが登場することになりますが、暖乃ちゃんと翔真君にはぜひまたドラマのどこかで再会したいです。回想シーンとか、ヒロインの子ども役とかで(^o^)
「スカーレット」は一見地味な内容のお話の中で朝ドラとしては結構実験的なことをあまりそれと意識させずにやっていて静かに刺激的だったんですが、この「おちょやん」も負けず劣らずで、まずはオーソドックスで安定感のあるヒロインの一代記という「朝ドラ」のフォーマットを踏襲しながらも、最近では安易に使われがちな「普通」という言葉に物申したり、ナレーションがメタ的なツッコミをしたり(朝ドラのヒロインは“水落ち”する、という法則をパロってBK*1ではおなじみの海原はるか師匠を川に落としたりw)、朝ドラ的な意匠、お約束を利用しつつそこで遊び、批評的な視点で語る余裕と工夫があって、主人公・千代の成長していく姿を通して笑いと人情のドラマやこれから何が飛び出してくるかわからないビックリ箱のような面白さがある。
「澪つくし」 の昭和の朝ドラの手堅さと「おちょやん」の故きを温ねて新しきを知る姿勢で作られた令和の朝ドラのコラボ。
これからも観逃せません♪
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