ハリウッドの映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社(MGM)で1930~50年代に作られたミュージカル映画の名場面を紹介していくアンソロジー『ザッツ・エンタテインメント』。
1974年制作の1作目、76年のPart 2、そして94年のPart 3をつづけて観ました。
1作目はMGM創立50周年記念作品で、監督のジャック・ヘイリー・Jr.は39年の『オズの魔法使』(感想はこちら)でブリキ男を演じていたジャック・ヘイリーの息子。
フレッド・アステアやジーン・ケリー、エリザベス・テイラーやフランク・シナトラなどかつてのMGM映画のスターたちがプレゼンターとして登場、ミュージカル映画華やかなりし頃の想い出を交えながら往年の名作たちを紹介していく。
またジュディ・ガーランドの娘ライザ・ミネリが映画界の将来を担う“若手”として登場、亡き母について語っている。
2作目の監督はひきつづきジャック・ヘイリー・Jr.、そしてプレゼンターをつとめるジーン・ケリーがフレッド・アステアとのミュージカルシーンを演出している(フレッド・アステアはこれが最後のダンスとなった)。
今回はキャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーの共演作やローレル&ハーディ、アボット・コステロなどのコメディなど、ミュージカル以外の作品も紹介。
3作目は第2作から18年後にMGM創立70周年記念作品として作られ、74年からはじまったシリーズをしめくくった。3作すべてにプレゼンターとして出演したジーン・ケリーはこれが最後の映画出演に。
監督は前2作で編集を担当したバド・フリージェンとマイケル・J・シェリダン。
まずおことわりしておくと、僕はこれまでMGMのミュージカル映画でまともに観たのは『オズの魔法使』と『雨に唄えば』(感想はこちら)のわずか2本だけで、「星の数よりも多い」といわれたMGMのスターたちについても1930~50年代のハリウッド映画についてもまったくといっていいほど知識がありません。
恥ずかしながら“ダンスの神様”フレッド・アステアの主演映画も1本も観ていない。*1
そして登場するスターたちも、その多くはこの『ザッツ・エンタテインメント』を観てはじめて知った人たちばかり。
なので、これから書く薀蓄めいたことはぜんぶWikipediaとか人様のブログなどから拾い読みしたものばかりです。
なにも知らないくせにわかったようなこと抜かしやがって、と思われるかもしれませんがご容赦ください。
そんな人間がなぜこういうミュージカル映画のアンソロジーを観る気になったのかというと、先日ひさしぶりに『オズの魔法使』を観て泣きはらして(キモっ)、「ジュディ・ガーランドのほかの映画が観たい」と思ったんだけど、あいにく僕が利用しているDVDレンタル店は彼女が主演の『イースター・パレード』も『スタア誕生』も置いてなくて、そういえば以前観た『ザッツ・エンタテインメント』には彼女が歌ったりダンスしたりしている場面がけっこうあったな、と思いだしてさっそく借りてきました。
ほとんど内容を忘れていたのではじめて観るように新鮮で、ミュージカル・スターたちの名人芸に惹きこまれました。
これらは出演者たちの芸のスゴさもさることながら、それを「映画」という形にした技術スタッフの力も大きい。
撮影がみごとなのはいうまでもないですが、歌ってる俳優たちのリップシンクとかタップの音などの音響効果のレヴェルが高くて驚きました。
ただ映像に音楽をかさねているだけではなくて、大勢が合唱してる場面でもキャメラが誰かに近づくと、その人の声がちゃんとすこし大きめに入っていて臨場感がある。
ミュージカル映画の歌は基本的に先に録音しているそうなので、どうやってあそこまで歌と口を合わせてるのか不思議でしょうがない。
この映画を観ていると、ハリウッドではトーキーの初期からすでにかなり高度な技術があったことがわかる。
第1作目では、この映画の制作当時すでに使われなくなって朽ち果てていたMGMのバックロット(屋外セット)をプレゼンターたちが散策しながら名作のかずかずを紹介。
それはトーキー(発声)映画の初期の頃にまでさかのぼり、ダンサーたちがステージ上で歌って踊るレヴュー映画からはじまって、やがてストーリー性のあるミュージカル映画に発展、さらに30年代末には映像に色もついていく時代の変遷もとらえられている。
ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』(感想はこちら)でその曲が使われていたコール・ポーターの名前をこの「ザッツ・エンタテインメント」シリーズで何度も耳にしたけど、MGMのミュージカル映画に数多くたずさわっていたんだな。
ところで話は飛びますが、昨年末からロングランしている映画『レ・ミゼラブル』(感想はこちら)について、「あの作品はダンスがないから“ミュージカル”とは呼べないのではないか。歌劇だろう」という感想を書かれているかたがいて、かんぜんに門外漢の僕にはなにをもって“ミュージカル”と称するのか判断しようがないんだけど「なるほどなぁ」と思いました。
じつをいうと僕も“ミュージカル”っていうのは「歌」と「踊り」がセットになってるもんだと思ってたんで、『レ・ミゼラブル』を最初に観たときに(劇場で2度鑑賞)「あれ?ダンス無いんだ」と、たしかにちょっと不思議に感じたんですよね。
ただ、「ダンスがないとミュージカルではない」というのなら、『オペラ座の怪人』なんかも映画版では観客に向けてのいわゆるダンスというのはなかったような気がするんだけど…。
この『ザッツ・エンタテインメント』では、歌もダンスもありの純然たる“ミュージカル映画”から、歌はあるけど踊らない“オペレッタ”まで紹介しています。
1作目とPart 3のなかでヴィンセント・ミネリ監督の『恋の手ほどき』が紹介されていて、そこで出演者はダンスをせずに歌ってるだけなんだけれど(ほかの場面ではどうなのかわかりませんが)、プレゼンターのビング・クロスビーによって「ミュージカルの傑作」と呼ばれていました。
でもPart 2で紹介されてた1940年の『ニュウ・ムウン』はなんとなく演出の雰囲気が『レ・ミゼラブル』に似てるんだけど、“オペレッタ(歌劇)”と呼ばれてる。
違いがよくわからない(;^_^A
ちなみに、この「ザッツ・エンタテインメント」シリーズでとりあげられるのは50年代までのMGM作品なので、たとえばダニー・ケイ主演作とか前述のジュディ・ガーランド主演の『スタア誕生』、あるいは「ミュージカル映画」といわれて僕などがなんとなく思い浮かべる『サウンド・オブ・ミュージック』(感想はこちら)や『マイ・フェア・レディ』『ウエスト・サイド物語』(感想はこちら)など他社や60年代以降の作品は(もちろん最近の作品も)いっさい出てきません。
それでも50年代までにかぞえきれないぐらいのMGMのミュージカル映画が作られていたということが、このシリーズをぜんぶ観とおすとわかります。
ハリウッド黄金期の一部をざっとおさらいするようなもので、それだけでもけっこうなヴォリューム。
有名な「雨に唄えば」は、ジーン・ケリー主演の映画の前にすでに1920年代に歌われていたこととか、「へぇ~」と。
Singin' In The Rain 『ハリウッド・レヴィユー』(1929) 出演:ジョーン・クロフォード バスター・キートン
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トーキー以降のミュージカル・スターたちはブロードウェイなど舞台出身者がほとんどで、つまり最初からその道のプロ(そうでない人はプロに歌を吹き替えられたりした)。
1930年代から活躍したエレノア・パウエルの超絶的なタップやアン・ミラー(この女優さん、おばあちゃんになってからどっかで観た記憶があると思ったら、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』に出ていた)のキレッキレのダンスなど、口をあんぐりといった状態。
Shaking the Blues Away アン・ミラー
『イースター・パレード』(1948) 監督:チャールズ・ウォルターズ
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ei-gataro.hatenablog.jp
水中バレエのエスター・ウィリアムズにいたっては、「水中バレエ」というものの存在は知っていたけど、それを専門にしてる映画女優さんがいたことや彼女主演で何本もの「水中レヴュー映画」なるものが作られていたのを知って、まだまだ世のなかには僕にとって未知なる映画があるのだということを教えていただいた次第。
彼女たち3人は(あとシド・チャリシーやレスリー・キャロンなども)シリーズをとおして何度もそのダンスシーンがフィーチャーされている。
それぞれほかの誰にもマネのできない叩き上げの技をもっているんだけど、そのなかでも特にエレノア・パウエルのダンスは、ただもう「すげぇ…」と見惚れるしかない。
『踊るニュウ・ヨーク』でのフレッド・アステアとピタッとタイミングの合った動き、そしてどんだけ激しく踊っても最後に見せるあの笑顔。
Begin the Beguine フレッド・アステア & エレノア・パウエル
『踊るニュウ・ヨーク』(1940) 監督:ノーマン・タウログ
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彼女やアステアのスゴさは、ダンスをやってる人ほどよくわかるんだそうですが。
また、ちょっと浜美枝をおもわせる顔立ちで、黒人と白人のハーフである父をもつレナ・ホーンが当時の人種的偏見から『ショウ・ボート』で主役を白人の女優(エヴァ・ガードナー)に替えられた逸話など、時代をうかがわせる。
94年のPart 3に登場したレナ・ホーンは当時をふりかえり、「ハリウッドはホーム(家)ではありませんでした」と語る。
また女優だけでなく、映画のなかで前述のアステアとともにジーン・ケリーも何度も取り上げられている。
ジーン・ケリーのあのガチムチ…いや、筋肉質の肉体のパワフルな躍動。
とにかくその動きはアクロバティックで、スタントも自分でこなしている。
まさにジャッキー・チェンの先輩格、といった感じ。
「トムとジェリー」のジェリーのようなアニメキャラたちと踊ったりもしている。
『錨を上げて』(1945) 監督:ジョージ・シドニー
ジェリーの声が藤田淑子*2が英語しゃべってるようにしかきこえないw
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じつは技術的にもけっこうスゴいことやってるのが素人目にもわかる。
「トムとジェリー」もMGMの作品なので、水中バレエのエスター・ウィリアムズといっしょに泳いだりもしている。
僕が子どもの頃TVで観ていた「トムとジェリー」はそのエピソードの多くが1940~50年代に作られたので、ちょうどMGMのミュージカル映画全盛期と時期がかさなっている。
MGMのミュージカル映画になじみがなかった僕がこれらの映画を観ていて妙に懐かしい気分になるのは、流線型の車やファッション、音楽など、「トムとジェリー」で描かれていた当時のアメリカ文化・風俗を思いだすからかもしれない。
エレガントでゴージャスな時代の雰囲気がいま観ても心地よい。
映画のなかでミュージカル俳優ではないジェームズ・スチュアートが歌ったりクラーク・ゲーブルがダンスしてたり(それにしてもゲーブルの顔はエロいなぁ)、MGM創立25周年記念の食事会で一堂に会した「星の数よりも多い」スターたちのなかにバスター・キートンや名犬ラッシーの姿も。
キャメラがまわってるのに後ろの人とおしゃべりしてるジュディ・ガーランドがカワイイ(翌年の1950年の主演作を最後に彼女はMGMを解雇されるのだが…)。
そもそも僕は彼女の姿が見たくてこの映画を借りてきたんだけど、やはりジュディ・ガーランドは特別な人らしくて、『オズの魔法使』以前の子役時代からフレッド・アステアと共演した『イースター・パレード』やMGMでの最後の出演作となった『サマー・ストック』まで、そして映画本篇からカットされたり主役降板によって幻となった『アニーよ銃をとれ』でのミュージカルシーンなど、この3部作のなかでそれぞれ時間を割いて紹介されている。
ジュディと「裏庭ミュージカルシリーズ」でコンビを組み10本の作品で共演したミッキー・ルーニーが、94年のPart 3で「彼女の死が残念です」と語っていてなんとも胸を打たれる。
いま彼女が生きていたら90歳を越えてるけど、20年前の94年ならまだ健在だった可能性はじゅうぶんにある。
10代の頃のミッキー・ルーニー*3とジュディ・ガーランドはふたりとも小柄で童顔なのでなんとも可愛らしく、けっして長身で絶世の美男美女ではない彼らがアメリカじゅうの人気者だったというのが微笑ましい。
顔のパーツがみんな丸っこくて愛嬌があるイモっぽいミッキー・ルーニーととなりに住んでる女の子みたいなジュディのコンビは、当時のアメリカの人たちにとって愛すべきマスコット的存在だったんだろう。
ジュディ・ガーランド & ミッキー・ルーニー & シャーリー・テンプル
ジュディは自分の容姿に終生劣等感をもちつづけたというが、僕は完璧な美女ではなかったからこそ彼女はこれほどまでに人々に愛されてきたんだと思う。
『オズの魔法使』のときに撮られたもので、主人公のドロシーのコスチュームのままのジュディが、やはり“かかし”のメイクをしたレイ・ボルジャーとしゃべりながら鼻にしわを寄せてイタズラっぽく笑ってる映像があるけど(僕はもってませんが、ブルーレイの特典映像に入ってるのかな)、なんていうかものすごくキュートなんだよなぁ。
そういえば、映画でドロシーは“かかし”になにを耳打ちしてたんだろう。
まぁ、キャメラ前で自分を可愛く見せるテクニックのひとつなのかもしれないけど、『オズ』の映画のなかではドロシーがこういう現代の女の子っぽい素の表情を見せることはないので、もう超絶カワイイのだ。
だってこれ、1938年の映像ですよ。なにこの天使(^ε^)
さっきからカワイイカワイイヘ(゚∀゚*)ノとしつこいですが。
今回、この「ザッツ・エンタテインメント」シリーズをとおして観てほかの何本もの作品でジュディ・ガーランドの顔を目にしたけど、やっぱり『オズ』での彼女の可愛さは特別だったのだと確信。
メイクや髪型によるところも大きいんだろうけど、なにより表情が違う。
それ以前の作品の彼女は芸達者な女の子という感じだったし、それ以降はミュージカル・スターとしていかにも歌のプロフェッショナルといった風情の貫禄を増していく。
『オズ』のジュディにはその中間の、美しさとかすかにまだ残るあどけなさとが共存している。
この映画のあとの1940年代はじめ頃の彼女は、まるでジブリや世界名作劇場のキャラクターのようでほんとうに綺麗。
ただ、それがもし彼女がダイエットのために使っていたという覚せい剤による効果なんだったら、とても哀しいことだけど…。
『For Me And My Gal』(1942) ジーン・ケリーとの初共演作品。
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60年代以降は薬物の影響で外見がだいぶ老けてしまうが、それでも鼻にしわを寄せて笑う表情には愛らしさがあって、あの表情はジュディの癖だったのだろうか、などと思ったりした。
彼女は1950年にMGMを解雇されているのでその後の出演作品や晩年の様子はこの映画には出てこないけれど、僕は年取った(といっても享年47だったんだが)ジュディ・ガーランドの歌声を聴くだけで涙がこぼれるようになってしまった。
自分がうまれるずっとずっと以前に作られた映画たち、そのなかですでにこの世にはいない人々が歌い踊っている姿を観ながら、ときを越えて彼ら“スター”たちにときめいている自分がいた。
映画を観ているあいだ、彼らはけっして遠い昔の古ぼけた存在ではなくて、かがやけるステージのうえでこちらに微笑みかけ、最高のショウをくりひろげていた。
この「ザッツ・エンタテインメント」で紹介されているミュージカル・スターたちは、みな戦争の時代に生きた人々である。
そういう時代だったからこそ、彼らは銀幕のなかでは観客に現実の苦しみをいっとき忘れさせてありったけの華やかな夢を見せてくれたのだ。
僕はそこにプロのエンターテイナーたちの矜持をみる。
『バンド・ワゴン』(1953) 監督:ヴィンセント・ミネリ
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心にうったえる芸なら
それは歌でもいい 踊りでもいい
楽しくさせれば それがエンターテインメント
この「ザッツ・エンタテインメント」3部作は、それぞれ1本ずつ単独で観ても楽しめるけれど、やはり順番に観ていくとMGMのミュージカル映画の歴史の流れがわかるし、最後には深い感動につつまれることになる。
これまで紹介されてきた作品のハイライトや名優たちの顔がバァ~ッと矢継ぎ早に映しだされていくと、おもわず目頭に熱いものが…。
やがてエルヴィス・プレスリーが登場し、ロックの人気の高まりとともに30年つづいたMGMのミュージカル映画は衰退していく。
「ザッツ・エンタテインメント」シリーズの第1作目が作られた1974年の時点で、MGMのミュージカル映画はすでに過去のものになっていた。
プレゼンターたちが懐かしげに歩いていた屋外セットも、1作目の撮影後に取り壊されて敷地も売却された。
栄華をきわめたものが、いまはもうない。
プレゼンターとして登場した往年のスターたちも、現在ではその多くが亡くなっている。
しかしライザ・ミネリは「その俳優がどんな人だったのかたずねられたら、彼らの出演した映画を見せればいいのです」と語る。
「ホワイト・クリスマス」「アニーよ銃をとれ」などの作曲家アーヴィング・バーリンの言葉。
「歌が終わっても、メロディはいつまでも残るのです」
かつて「星の数よりも多い」といわれたスターたちは、文字どおり星となって夜空に還っていった。
彼らはもう地上にはいないけれど、いまも天上でかがやきつづけている。
これからもときどき星空をながめてみるとしよう。
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『オズの魔法使』
『ジュディ 虹の彼方に』
『キャバレー』
『アーティスト』
『グレイテスト・ショーマン』
*1:その後『バンド・ワゴン』を鑑賞。
*2:藤田淑子さんのご冥福をお祈りいたします。18.12.28
*3:ちなみに、オードリー・ヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』でインチキ日系人ユニオシを演じているのは彼である。