映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

彼女は大丈夫 『トイ・ストーリー4』

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ジョシュ・クーリー監督のピクサーアニメ『トイ・ストーリー4』。

すでにもう一つのブログに感想を書いていますが、そちらに書けなかったことをほんの少し。

ameblo.jp

以降はしっかりネタバレがありますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

トイ・ストーリー」シリーズは作り手自身も言ってるように「成長していく子どもを持つ親」の視点で描いた物語といえて、だから特に「親の子離れ」「セカンドライフ」をテーマにしたこの4作目は小さな子にはわからないんじゃないか、という意見もある。

僕も同じピクサーでこちらはスクールカーストや「叶わない夢もある」事実を描いた『モンスターズ・ユニバーシティ』(感想はこちら)で似たようなことを感じたし、別れの苦さを描いたディズニーの『シュガー・ラッシュ:オンライン』(感想はこちら)でもやはりそのような指摘をしている人がいました。

確かに「トイ・ストーリー」シリーズを子どもが観ても「子を持つ親の気持ち」はわからないかもしれないけど(って、僕だって子どもはいないので厳密には親の気持ちはわからないんだが)、でも一方で親が見守る子どもたちの姿も描かれているから、映画を観ている小さな子どもたちも自分を投影させられるところはあるだろうし、何よりも主人公のウッディが繰り広げる冒険はけっして彼らを飽きさせないでしょう。

この映画を僕は吹き替えですでに2回観てますが、2回目の時には小さな子たちを連れたお母さんたちが何人も観にきていて、みんな最後まで退屈する様子もなく楽しんでいるようでした。

細かい部分は理解できなくたって、大事なところは伝わるんだよね。あるいは成長していくにつれて「あぁ、こういうことを描いていたんだ」って気づいていけるだろうし。それぐらい息の長い、これから先もずっと繰り返し観続けていけるシリーズなんだから。

まず、映画の冒頭で9年前のウッディとボー・ピープの別れが描かれて、そのあと舞台は現在に移って、それまでのアンディに代わって新しくウッディの持ち主になったボニーが母親に連れられて初めて幼稚園に行くんだけど、そこで会った男の子に「こんにちは」と挨拶したのにガン無視されてショックで顔を歪めて涙ぐむ場面があって、もうそこから心を掴まれたのでした。

ああいうクソガキ子ども、いるもんなぁ。子どもだけじゃなくて大人でもだけど。自分のことに集中していて気づかなかったのかもしれないけど(あと、子どもの場合は挨拶をちゃんと返すという習慣がまだない場合も)、明らかに自分に向かって歩み寄ってる者をわざと無視したり嘲笑うような人間っている(細かく触れられてはいないが、ボニーのお父さんは非白人っぽいしボニーの肌もほんの少し濃い目なので、これは人種差別的なニュアンスも含んでいるのかもしれない)。

そういう現実の世界の冷たさにほんのちょっと触れている。

また、人形のギャビー・ギャビーが人間の女の子ハーモニーに「いらな~い」と箱の中に放り投げられる場面もあって、子どもってのがわりと残酷であることを描いてもいる。

子ども=純真無垢、ではないんだよね。気まぐれだったり、中にはさっきのボニーを無視した意地悪な男子みたいな嫌な奴もいる。

でも、この映画が観客の子どもたちに語りかけているのは、たとえ今いるところで友だちがいなくても、広い世界にはさまざまな人たちが大勢いて、ギャビー・ギャビーを拾ってくれた女の子のように気が合う子、友だちになれる子はきっといるよ、ってこと。

人間の友だちを求めていたギャビー・ギャビーというのは、ボニーのことでもあるんだよね。

僕がこの『トイ・ストーリー4』がとても信頼できる映画だと思ったのは、ボニーが最後に友だちができてめでたしめでたし、という締め方をしていないところ。

友だちができるのは素敵なことだし、やがてはそうなればいいとは思うけれど、人見知りで幼稚園の他の子ともなかなか打ち解けられない様子のボニーはまだその途上にあって、そういう状態をこの映画はけっして否定していないんですよね。

それはこの映画を観ている幼い子どもたちに向けた視線でもある。

なんでもかんでもみんなと仲良く一緒なのがいいんだ、ということではなくて、人間の友だちができる手前の段階を丁寧にすくい取っている。そこに優しさを感じます。

独りでいることは必ずしも「克服すべきこと」ではなくて、そこから創造性が育まれる大切な時期でもあることを、この映画の作り手たちはよくわかってるんですね。

ボニーは幼稚園で寂しさを紛らわすために、あるいは純粋に自らの創作意欲に従って使い捨ての先割れスプーンで“フォーキー”を作る。

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そもそも彼女がフォーキーを作らなかったら、フォーキーのことを大切なオモチャだと認識しなかったら、フォーキーは彼が最初に自分のことをそう思っていたようにずっとただの“ゴミ”のままで、オモチャたちの仲間入りをすることはなかった。

ボニーはただ与えられたオモチャで遊んでるだけじゃなくて、自分自身の意思でゴミだったモノに「命を与えた」んですよね。受け身でいるのではなくて、自分で新しいものを生み出した。

それはスゴいことなんだ。

モノに「命を吹き込む」というのは、“アニメーション”がやっていることでもあるし。

迷子の女の子がギャビー・ギャビーを見つけて「私が助けてあげる」と言って彼女を“保護”して、勇気を出しておまわりさんに助けを求めることができたように、ボニーはフォーキーをこの世に生み出し、彼女もまた救われた。

ここに人間とオモチャの幸福な関係がある。

だから、たとえ今はまだ友だちがいなくてもきっと大丈夫。

夜の移動遊園地に仲間たちと一緒に親友のウッディを助けにきたバズは、ウッディの表情を見て彼の気持ちを察して「彼女なら大丈夫だ」と言う。

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観客は最初「彼女」というのはボー・ピープのことかと思うんだけど、バズはもう一度「ボニーは大丈夫だ」と言い直す。

そう、これはボニーやボニーのような子どもたちに映画の作り手たちが「君は大丈夫」と言っている映画なんだ。

そのメッセージは子どもたちに伝わっているだろう。 

ウッディはバズの言葉を聴いて、安心してボニーのもとを旅立っていく。

ボニーはちょうど『千と千尋の神隠し』(感想はこちら)の主人公・千尋が迷い込んだ不思議な世界で体験したことを覚えていないように、彼女を影で助け見守り続けたウッディへの思い入れはほとんどないかもしれない。いなくなっても気づかないぐらいに。

一番のお気に入りのフォーキーだって、時が来れば再び“ゴミ” として処分されるかもしれない。

それは『インサイド・ヘッド』(感想はこちら)でライリーが“想像上の友だち”のビンボンを次第に忘れていくのと同じ、成長の証しでもある。

親にしてみれば子どもの巣立ちは寂しくもあるだろうが、でも本当に大切なのはボニーが無事育っていってくれることだ。それがオモチャ(親)たちの願い。

さて、ボニーのお話はとても感動的なんだけど、一方で実はボニーとは直接接点のないボー・ピープのキャラクターや立ち位置が僕は興味深かったんですよね。ボー・ピープはひたすらボニーに献身的なウッディに冷ややかな態度を取って、最初は彼に協力することを躊躇していた。

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僕には、ボー・ピープというのは「“親”になるのとは別の道を選んだ人」のことのように思えるんですよ。子どもたち、特にボニーのような対人関係に不安があるような子ども(あるいは大人でも)への優しいまなざしやその親への応援歌とともに、この映画はボー・ピープみたいな考え方も否定しない。

彼女がリーダーシップの取れるかっこよくて頼りがいのあるキャラクターとして描かれているように、友だちを作るのが苦手なボニーが創作の才能がある女の子として描かれているように、「自分らしさ」と自分でものを考えて行動することの素晴らしさを説いている。

また、この映画は既存の“ルール”を変えていくことの重要さも描いている。

陶器製であるはずのボー・ピープの身体の動きが他のオモチャたちのようにカクカクしてなくて(人形のコンバット・カールやデューク・カブーンたちと比べるとよくわかる)滑らかなことにツッコミが入ってるようだけど、僕はこれは彼女の心の柔軟性を表わしてるんだと思う。

こじつけだと言われるだろうけど、用意周到なピクサーの作り手、それも「トイ・ストーリー」のクリエイターたちがその辺に無頓着なわけがないもの。そんなのわざとやってるに決まってて、この映画自体がちょうど『シュガー・ラッシュ:オンライン』がそうだったように決まりきった“ルール”や“お約束”を破ることに大きな意味を持たせている。

ウッディはボー・ピープと再会して彼女の価値観に触れ、映画のラストではバズたち昔ながらの仲間とは別の道を進むことにする。

シュガー・ラッシュ:オンライン』のヴァネロペと似たような選択ですよね。

シュガー・ラッシュ:オンライン』は、観客の中にそのヴァネロペの最後の決断(自分の故郷のゲームを出ていく)が受け入れられずに「無責任だ」と腹を立ててる人たちがいたけど、案の定、この『トイ・ストーリー4』のラストにもケチをつけて酷評している者たちがいる。

モンスターズ・ユニバーシティ』も『シュガー・ラッシュ:オンライン』も、前作の“ルール”や“お約束”を変えて、あえて前作とは逆のこと、反対の価値観を肯定的に描いて可能性を広げてみせたんだけど、「ルールを守ること」に囚われた人々に批判されて前作ほどの評価を得ていない。

でも、僕にはそうやってこれらの意欲的で優れた続篇を親の仇のように嫌う人々というのは、この『トイ・ストーリー4』でのウッディのように、過去の心地よい想い出に浸って変化を怖れて自分の価値観を人にまで押しつける迷惑千万な存在に思える。

まぁ、スター・ウォーズの新しいシリーズに対して僕も同じようなことを言ってクサしているので今言ったことは全部自分に跳ね返ってくるんですが(それについては9部作の完結篇である『エピソード9』の公開後にまたあらためて書きます)。 

…ともかく、『モンスターズ・ユニバーシティ』も『シュガー・ラッシュ:オンライン』も何度も観れば観るほど、噛めば噛むほど味が沁み渡る作品だったように、この『トイ・ストーリー4』もそれら続篇の傑作の仲間入りを果たしたことは間違いない。 

ぜひ多くのかたたちに観てほしいです。

 

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