※以下は、2011年に書いた感想です。
BSプレミアムにて、ダニス・タノヴィッチ監督・脚本・音楽、ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ出演『ノー・マンズ・ランド』。2001年作品。日本公開は2002年。
↓この予告篇はなんだかコメディっぽく編集されてるけど、本篇は別に笑える内容ではないし、コミカルな軍隊マーチも流れません。
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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992~1995年)のさなか、セルビア軍の攻撃により仲間を失ったボスニア軍側の兵士チキは無人の中間地帯(ノー・マンズ・ランド No Man's Land)に逃げ込むが、そこへ2人のセルビア兵がやってくる。彼らは負傷したチキの仲間ツェラを死体と思い込んで、彼の背中に地雷を仕掛ける。
以下、ネタバレあり。
この映画の舞台となっている紛争についてはWikipediaをざっと読んだくらいで不勉強なままだが、とにかく敵対し合っているふたつの民族の兵士が両軍の中間地点で鉢合わせする。
ツェラの身体を少しでも動かせば地雷で周囲30メートルが吹き飛ぶ。
二人きりになったチキとセルビア軍側の兵士ニノ(レネ・ビトラヤツ)は、互いに隙を見ては武器を相手に向けて「悪いのはどっちだ?」とたずねる。
彼らはどちらも住んでいた村を焼かれ、家族や仲間たちを殺されている。
どっちが悪いのか。
もはや答えの出ない不毛な言い争いである。
彼らが脱いだ服をそれぞれの陣営に向かって振って合図を送ったために、国連防護軍が負傷者救護のために出動する。
憎しみ合い、殺し合っていた者たちがつかの間、休戦状態になる。
自己紹介して手を差し出すニノに「マジかよ」とあきれるチキ。
たしかに実に滑稽だ。そしておそろしく虚しい。
しかし頼みの綱の国連防護軍は、上層部が責任を取ることを怖れて撤退を命じる。
そんな国連防護軍の大佐はそばにミニスカのおねえちゃんをはべらせてたりする。
この映画は全篇シリアスそのものだが、それでもふざけてるとしかいいようのない場面がいくつかある。
国連軍のマルシャン軍曹(ジョルジュ・シアティディス)が無人地帯へ入るために攻撃をしないよう要請に行くセルビア軍の兵士たちは、まるで戦争アクション映画に出てくるような粗野な風貌で、英語が理解できないのでマルシャン軍曹の話にも適当に「イエス、イエス」と返事をする。
セルビア軍側だったかボスニア軍側だったか失念してしまったが、兵士の一人が新聞でルワンダの惨状の記事を見て「悲惨だ」とか言っている。いや、あんたたちだってけっこう悲惨でしょ^_^;
チキが吸うタバコのうまそうなこと。
戦場ではタバコは貴重品だし(現地の少年が国連防護軍の兵士にタバコをねだる。自分で吸うためなのか売るためなのかはわからないが)、それを吸いたいがために彼は命を危険に晒してまでライターを手に入れようとする。
特派員のリヴィングストンは、インタヴューに応じてもらうためにニノをタバコで釣る。
しかし「地雷を仕掛けたのはあなた?」という質問に、ニノは中指を立ててタバコを投げ返す。
当たり前だろ。なんちゅー質問だ。
チキはマスコミも国連防護軍もともに憎んでいる。
「俺たちの争いはそんなに儲かるのか?」と。
彼には西側諸国のマスコミも国連軍も、どちらも自分たちの国に寄ってたかって群がってくるハエのように感じられるのだろう。
それはわかるが、でもそれは彼らのせいでもある。
彼らが戦いをやめないからだ。
正直、僕にはいつまで経っても憎しみ合い、殺し合っている国々の人たちのことが理解できない。
飽きもせずによく続けられるもんだと思う。
しかし、この映画を観たらそのあまりに無意味な殺し合いが対岸の火事とは思えなくなる。
“ノー・マンズ・ランド”には憎しみ合っていた者たちが手をとり合うチャンスがあった。
共通の知人がいることを知って、おもわず話が弾むチキとニノ。
しかし、その平穏もあまりにたやすく行使された暴力によって一瞬にして崩れ去る。
彼らはなぜ和解し合えなかったのか。
なぜ彼らは死なねばならなかったのだろうか。
実に“不謹慎”なたとえだが、ラストでまるで『SAW』のトラップのような状態で放置されるツェラの姿には、こんな目に遭うならいっそ最初の砲撃で死んでいた方がよかったと思わずにはいられない。
実際にカメラマンとして戦場を撮ってきたタノヴィッチ監督が描く、この恐怖と残酷すぎる笑い。
なによりこの虚しさ。
ノー・マンズ・ランドを立ち去るマルシャン軍曹の表情がすべてを物語っている。
「戦争はダメだ」と言葉でいうのは容易い。
しかし「映画」でそれを“表現”するためには、登場人物が「戦争はよくない!」と大声でいくら訴えても泣き叫んでも、そんなものには何の説得力もない。
人を愛し友情を大切にすることもできる人間が同時に見せるどうしようもない愚かさ、正義や大義などというものがいかにあやふやでアテにならないものかが容赦なく描き出されたとき、僕たちは互いに憎しみ合い殺し合うことの“虚しさ”に否応なく気づかされるのである。
この映画の反戦メッセージはかなり高度だ。
そして、それが実際に何十万人という人々が殺し合った末に手に入れることができたものだとすれば、これほど皮肉なことはない。
チキ役のブランコ・ジュリッチはちょっとハリー・ディーン・スタントンを思わせる顔立ちで、けっして賢いとはいえないが戦場での生活は長いであろう兵士をとてもリアルに的確に演じている。
彼もチキ同様ボスニア出身の俳優である。
ミニスカねえちゃんを戦場まで連れてくるソフト大佐を演じているサイモン・キャロウは、よく見る顔だなぁと思ったら『アマデウス』(感想はこちら)や『オペラ座の怪人』など、文芸物などによく出演している人だった。
そしてTVカメラマンをともなった特派員リヴィングストン役のカトリン・カートリッジ。
ラース・フォン・トリアー監督の『奇跡の海』に出てたのを観たのがはじめてで、そのときは主演のエミリー・ワトソンのエキセントリックな演技に隠れた控えめな役柄で、ちょっと地味目な女優さんだな、と思ってたんだけど、その後観た別の作品ではまったく違うキャラクターだった。
どちらかといえば今回の映画のように自己主張をハッキリする女性を演じてたんだけど、なんというタイトルの映画だったか思い出せない。ジョニデ主演の『フロム・ヘル』だったかな。
このカトリン・カートリッジさんが2002年に病気で若くして亡くなられていたことを知って驚いた。遅ればせながらここにご冥福をお祈りいたします。
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