「フォーエバー・チャップリン チャールズ・チャップリン映画祭」の感想の続きです。
ここでは今回上映された短篇について。
『チャップリン・レヴュー』
中篇の『犬の生活』(1918) 『担へ銃』(1918) 『偽牧師』(1923) にチャップリンが音楽を付け、自ら作品の間に短い紹介を入れて1959年に再上映したもの。
冒頭に自前の「チャップリン・スタジオ」建設の様子や素顔のチャップリン、ヒロイン役を長く務めたエドナ・パーヴァイアンスをはじめ短篇時代に多くのチャップリン作品に出演した仲間たちとの撮影風景(を模したギャグシーン)(1918年制作の『映画の作り方』からの抜粋と思われる)が映し出される。
以前観たNHKでは各作品ともバラバラで放送されていたので、かつてはこの3本で1つの作品集として劇場で上映されていたことは知りませんでした。
『犬の生活』
チャップリンのコメディの「笑いとペーソス」のスタイルが完成したといわれる作品。
エドナ演じるヒロイン(ウインクがぎこちなさ過ぎるw)のダンスが下手過ぎて、一緒に踊りながら何度も何度も彼女のラリアットを食らうチャーリーが可笑しい。二人羽織のギャグが最高。
『担へ銃』
以前は、戦争を茶化して面白可笑しく描いてるだけ、と思っていたけど(事実、笑えるんですが)、そのこと自体が実際に第一次世界大戦中だった当時は世間の反感を買いかねない行為だったんですね。
そして、最後は夢オチ。敵軍の皇帝を見事捕らえたと思ったら、出撃前にテントの中で居眠りしていたのを起こされる。
戦争賛美や勇ましい兵士の姿なんかどこ吹く風な、やがては傑作『独裁者』へと続くチャップリンの反戦的な軍隊描写は、ロシアのウクライナ侵攻が続く現在いっそうその風刺が効いている。
『偽牧師』
チャップリンはチョビ髭はしてるものの全篇囚人服か教会の牧師の服しか着ていないので、おなじみの山高帽のあの格好が一切出てこない、この時期としては珍しい1本。
礼拝中に鼻をこすってて母親から叱られたり、チャップリン演じる偽牧師が説教で「ダビデとゴリアテ」の話をすると大喜びして手を叩く少年役の子役は、『キッド』でジャッキー・クーガン演じるジョンを苛めて反撃を食らう悪ガキ役だった子ですね。
また、偽牧師とは刑務所で顔見知りだったスリの男を演じているのは、『キッド』の悪ガキのムキムキ兄貴役だったチャールズ・F・ライスナー。
やたらと大人たちをぶちまくる幼児(父親役はチャップリンの異父兄シドニー)を演じているのはチャールズ・F・ライスナーの息子のディーン・ライスナーで、もともとは暴力など振るわない子に演技をつけてああいう手のつけられないやんちゃ坊主に仕立てたらしい。お見事な演出の腕前ですね。
保安官を演じているトム・マレイは、『黄金狂時代』(1925) で指名手配犯ブラック・ラーセン役だったんだな。後者ではヒゲ面だったから気づかなかった。
今回、チャップリンの映画を続けてずっと観たことで、脇役で何度も同じ俳優たちを確認できて、彼らはさながら「チャップリン一座」といった感じでなごみました。
やがてチャップリンが長篇を撮るようになると短篇時代におなじみだった顔ぶれは目立たなくなっていくけれど、それでも時々見た顔がいると嬉しくなった。
ちょっと気になったのが字幕の翻訳で、ところどころ違和感があったんですよね。
たとえばこの『偽牧師』でいえば、今話題の「献金」のことを「寄付」と訳していたり、「礼拝」のことを「ミサ」と訳していたり。アメリカの教会の多くはプロテスタント(新教)だから、“ミサ”とは呼ばないでしょう(「牧師」はプロテスタント。カトリックの場合は「神父」)。教会の献金は寄付とは別物ですし(神に自分の収入の一部を返す、ということだから寄付ではない)。
今回の字幕翻訳は清水俊二さんと山崎剛太郎さんで、日本チャップリン協会会長の大野裕之さんが字幕補助だったかな、を担当されています。
戸田奈津子さんのお師匠さんである清水俊二さんはすでに80年代に亡くなっているし、山崎剛太郎さんは2021年に103歳で亡くなられています。
だから、もともとの翻訳に大野さんがより現在のものに相応しいように手を加えられたんだろうと思いますが、僕は長らくNHKで放送された時のヴァージョンがなじみ深かったので(そちらはどなたが字幕を担当されていたのか、もはやヴィデオも手許にないので確認できませんが)、だいぶニュアンスが異なる字幕だったな、と。
『モダン・タイムス』だけは違和感がなかったので、もしかしたら清水俊二さんの訳がNHK放送版でも使われていたのかもしれませんが。
翻訳のことについては、いずれ『サーカス』の感想でもちょっとだけ述べようと思います。
3作品とも80年代に放送されたものを録画して何度も観ていましたが、今回の上映プログラムでは最初の2週間でチャップリンの後期の長篇作品『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』が上映されたので、『独裁者』を除けばおなじみのあのチョビ髭に山高帽、モーニング服とだぼだぼのズボンにドタ靴、ステッキ姿の放浪紳士チャーリーを見られるのはこの中篇集のみだったため、見慣れたあのキャラクターのギャグが「待ってました!」という感じでほんとに愉快でした。
チャップリンがなぜ世界中でこれほどまでの人気があるのか、これらの作品を観れば一目でわかる。
そして、『ライムライト』の老いた舞台芸人が若かった頃の大人気ぶりにも演じているチャップリン本人の全盛期が重なって、またジワっとくるんですよね。本物の人気者だったわけですから。
抱腹絶倒の中篇、短篇はこのあとも『キッド』(1921) をはじめ『のらくら』(1921) 『給料日』(1922) 『サニーサイド』(1919) 『一日の行楽』(1919) が長篇と併映。そちらについても軽く触れます。
『キッド』(併映『サニーサイド』)
「天国」のシーンでチャーリーを誘惑する少女は、当時10代でやがてチャップリンと結婚するリタ・グレイ。彼女との間の息子シドニーは、その後『ライムライト』(1952) でクレア・ブルーム演じるテリーに恋をする青年役で父親と共演している。
作品の画質が以前よりも良くなった分、リタ・グレイの白塗りの顔もその細かい表情がハッキリ見えるようになったんだけど、ほんとにまだあどけない少女なんだよね(撮影当時12歳)。そんな彼女が映画の中でチャーリーに媚態を見せる。二人が結婚したのはリタが10代の終わり頃。ヤバいよなー。
53分に短縮された現在のヴァージョンでは出番はワンシーンのみになった、エドナ・パーヴァイアンスの恋人役のカール・ミラーは、1923年にチャップリンがパーヴァイアンス主演で撮った『巴里の女性』でパーヴァイアンス演じるマリーの恋人を演じてました。あちらでも画家役。作品が繋がってますねぇ。
『キッド』の名子役ジャッキー・クーガンは、その後、成長して年取ってTV版「アダムス・ファミリー」の「アダムズのお化け一家」(1964~66年)でフェスターおじさんを演じた。僕は番組は観たことがありませんが、あの可愛らしい男の子がこのゴツいおじさんになったんだなぁ、となかなか感慨深いものがw
『のらくら』(併映『巴里の女性』)
NHKで放送された時の邦題は『ゴルフ狂時代』で、僕はそちらの方がなじみがありますが、VHSのヴィデオになってレンタルされていた時にはタイトルは今回と同じく『のらくら』でした。
チャップリンが金持ちと放浪者の一人二役をやってて、のちの『独裁者』を思わせもするし、地味にこの作品、大好きなんですよね(^o^)
いつものあの放浪者の時もいいんだけど、髪を撫でつけてシルクハットかぶって澄ました顔しながらのギャグは絶品。
終盤で流れるサンバの曲がさらに笑いを増幅させる。
エドナ・パーヴァイアンスの父親を演じているマック・スウェインは、『給料日』でもエドナの父親役だったし、『偽牧師』ではこっそりウイスキーの酒ビンを尻ポケットに入れてて尻もちをついて割れちゃう教会員、『黄金狂時代』では金鉱を探すビッグ・ジム・マッケイ役でチャップリンと一緒に山小屋でドタバタを演じてました。
『給料日』(併映『黄金狂時代』)
もう、全篇爆笑のギャグ満載。
キャメラの逆回転を使って仕事仲間が投げ上げたレンガをチャップリンが受け止めてどんどん積み上げていく場面は、そのまんまドリフがコントで真似をしていました。
チャーリーのおっかない妻を演じているフィリス・アレンは、『キッド』では冒頭の看護婦を、また『偽牧師』では牧師を出迎える人たちの一人を演じてました。存在感抜群な女優さんですよね。
『サニーサイド』
今回、初めて観た作品だったんですが、これがびっくりするほど笑えなくて愕然とした。
どうもチャップリンが私生活でもいろいろあってスランプだった時の作品らしいんだけど、いつまで経っても面白くならないので、まるでチャップリンの映画のパロディを観ているようだった。
主人公のチャーリーを雇っている宿屋の主人がやたらとチャーリーのケツを蹴り上げるんだけど、ちっとも可笑しくないし、この人、怒ってばかりいて見ていてイライラしてくる。
それから、チャップリンの映画って最初の頃は差別的なギャグもあったのが、だんだんそういう特定の誰かを見下して笑いを取るようなことをやらなくなっていったはずなんだけど、この映画ではエドナ演じる娘の弟を明らかに知的障碍者として描いていて、エドナと二人きりになりたいチャーリーは彼女の弟に目隠しをして尻を蹴飛ばして往来に追い出す。目隠しをされた弟はそのまま道をウロウロしていて、そこを自動車が彼の身体をかすめながら何台も行き交う。…その様子を滑稽なものとして描いているんだけど、誰がこれ見て笑うんだ?^_^;
居眠りしているチャーリーの夢の中にニンフたちが現われて一緒に踊る場面が妙に長くて、でも別に面白くはないから一体これは何を見せられているんだろうと思ってしまった。まるで実験映画。
今回上映された他の作品の中にはない、田舎の田園風景の中でのお話で、牛に乗って暴走するところとか映像としては新鮮ではあったけれど、全然笑える箇所がないのに30分もあるもんだから長く感じてしまった。
チャップリンのコメディ映画でこんなにも笑えない作品があったことが結構ショックだった。
ラストは意味がわからなくて、自動車の前にチャーリーが飛び出したと思ったらオーヴァーラップで別の場面に移って、いきなり恋敵が去ってエドナと結ばれるハッピーエンドで終わる。
フィルムが飛んだんじゃないかと思ったほど。
あれが主人公の自殺の場面と、かなわなかった彼の夢を描いたエンディングなのか、それとも最後のハッピーエンドが現実なのかは今もって謎のままらしい。
いずれにしてもコメディとしてはかなり苦しい作品になっている。他の作品では笑い声をあげていた客席のご年配の女性もこの映画ではクスッともしてなかった。
…この映画の撮影中は、チャップリンはだいぶ精神的に参っていたようで。それが痛いほど伝わる作品でした。
『一日の行楽』
こちらもチャップリンの低調な時期の作品ということだけど、まだこちらは笑える場面があったし、『キッド』でジョン役を演じたジャッキー・クーガンが主人公の末っ子役で出ていて、コールタールに足を取られて動けなくなった警官たちに帽子を振ってバイバーイ、とやってたりして可愛い。
僕はこの作品には見覚えがあって、もしかしたらNHKで単発で放送していたチャップリンの短篇集か何かで観たのかもしれない。
ただ、こちらも船の上での酔ってゲロ吐きそうになるギャグがしつこいわりにはそれほど笑えず。お相手は『キッド』で警官役だったトム・ウィルソンなんですが、『キッド』の時のような面白さは感じられなかった。
行楽、というわりには自動車で出かけるところと船の上、コールタールで足止め、ぐらいの展開しかないので物足りなかった。
せっかく可愛らしい子どもたちが出てるのに彼らは車のエンジンの激しさに後部座席でピョンピョン跳ねるぐらいしか見せ場がなくて、あとは船の上では帽子で顔を隠してベンチで休んでるだけなのはもったいない。もっと子どもたちに活躍させてあげてほしかった。妻役のエドナ・パーヴァイアンスも同様。ただいるだけだもの。
『サニーサイド』と『一日の行楽』を観て、チャップリンの映画がすべて面白いのではなくて、現在僕らが目にする作品はその中でも厳選されたものなんだということがよくわかった。
もちろん、『犬の生活』と『担へ銃』、それから『キッド』以降の全作品は間違いなく面白いですけどね(僕は彼の最後の監督作品である『伯爵夫人』は未鑑賞ですが)。
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