映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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『スーパーマン ディレクターズ・カット版』

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リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴマーゴット・キダージーン・ハックマンマーロン・ブランドヴァレリー・ペリン、ネッド・ビーティ、マーク・マクルーア、ジェフ・イースト、グレン・フォード、フィリス・サクスター、スザンナ・ヨーク、ジャッキー・クーパーほか出演の『スーパーマン』。1978年作品(日本公開79年)。

音楽はジョン・ウィリアムズ

第51回アカデミー賞特別業績賞(視覚効果)受賞。

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科学者ジョー=エル(マーロン・ブランド)の手で惑星クリプトンの爆発の直前に赤ん坊のままただ一人脱出した息子のカル=エル(クリストファー・リーヴ)は、地球でケント夫妻(グレン・フォード、フィリス・サクスター)に拾われて彼らの子ども、クラーク・ケントとして育てられる。成長したクラークは父から託されたクリスタルの力で北極に故郷クリプトンの叡智が詰まった要塞を築き、自らの正体とその役割について知る。やがて大都会メトロポリスで新聞記者として働き始めながら“スーパーマン”として人々を救うようになったクラークは、先輩記者のロイス・レインマーゴット・キダー)に好意を持つ。だがその頃、自称「悪の天才」レックス・ルーサージーン・ハックマン)が自分の計画に邪魔なスーパーマンを始末するためにスーパーマンの弱点である鉱物クリプトナイトを入手して、手下のオーティス(ネッド・ビーティ)や愛人のミス・テッシュマッカー(ヴァレリー・ペリン)を使ってアメリカ軍の核ミサイルに細工する。


『スーパーマン』のネタバレがありますので、ご注意ください。

ちょっと前に『ワンダーウーマン 1984』を観て、そこでリーヴ版「スーパーマン」シリーズへのリスペクトと“スーパーヒーロー”の2020年的再定義を見られてとても面白かったので、現在隆盛を極めるアメコミ・スーパーヒーロー映画の原点ともいえるこのシリーズを久々に順番に観返してみることにしました。

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僕はクリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」シリーズをリアルタイムで観たのは2作目からで、この1作目は「日曜洋画劇場」での放送が初めて。子どもの頃はVHSヴィデオテープに録画したものを繰り返し観ていました。

日曜洋画劇場」での日本語吹き替え(旧)は、リーヴ演じるクラーク・ケントささきいさおジーン・ハックマン演じる悪役レックス・ルーサー小池朝雄マーゴット・キダー演じるヒロインのロイス・レインの声は中原理恵。デイリー・プラネット社のペリー・ホワイト編集長(ジャッキー・クーパー)を近石真介。カメラマンのジミー・オルセン古谷徹

なお、僕が持っている1~3作目のDVD(4作目は持っていない)にはあいにく吹き替えは収録されていないので、そちらはずいぶん長いこと観ていません。TV放送では劇場公開版のノーカット・ヴァージョンを観た記憶があるんだけど、ブルーレイなどに収録されている吹替版は短縮Ver. らしい。なんだか惜しいですね。劇場公開版のノーカットVer. の吹き替え音源は失われてしまったんだろうか。

個人的にシリーズ中で一番好きなのは2作目の『スーパーマンII 冒険篇』。その次が3作目の『スーパーマンIII 電子の要塞』。この無印の1作目は三番目。

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逆に世間ではこの1作目が一番高く評価されていて、3作目は結構酷評されてもいます。

だから他の皆さんとは僕の好みは異なっているのかもしれませんが、このブログでの評価も自分の好みに従っています。

僕が子どもの頃に観ていたのは劇場公開版で上映時間は144分。

今回観た「ディレクターズ・カット版」の上映時間は152分(DVDには154分と表記)。現在はこちらのヴァージョンが広く普及している。

ワンダーウーマン 1984』の上映時間は151分なんだけど、監督のパティ・ジェンキンスは映画の長さも意識していたんだろうか。

たまたまランニングタイムが近かっただけかもしれないですが、『ワンダーウーマン 1984』の舞台はちょうどリーヴ版「スーパーマン」シリーズが公開されていた1980年代で、あえてリーヴのスーパーマンに寄せながら、そこから独自のスーパーヒーロー像を構築している。

リーヴ主演の「スーパーマン」シリーズを観たあとに『ワンダーウーマン 1984』を観ると、面白さがさらに増すと思います。

さて、このディレクターズ・カット版では、高校時代のクラークが列車の横を物凄いスピードで走っていく場面で少女時代のロイスが列車に乗っていてそれを目撃する。両親にその話をするが本気にされず、ふてくされる。両親役は40年代にスーパーマンの映画でクラークとロイスを演じていたカーク・アリンとノエル・ニール。

また、スーパーマンレックス・ルーサーの地下のアジトにやってくるとルーサーが機関銃や炎、ブリザードなどで攻撃するものの全然効果がない場面や、核ミサイルが落ちたために起こった地震で「HOLLYWOOD」の巨大看板が倒れてきて少女たちが逃げまどう場面など、約8分間の追加ショットがある。

これまでに何度も観ていてストーリーもわかってるからということもあるんだろうけど、152分でもまったく長く感じなくて、むしろずいぶんとお話がさくさくと進んでいくなぁ、という印象でした。

あらためて感じたのは、これは男の子版「竹取物語」だなぁ、ということ。銀河の彼方の星から地球に遣わされた主人公が養父母のもとで育ち、やがて自分が何者なのかを知る。

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そして人々を災害や事故、犯罪などから守る“スーパーヒーロー”になる。

まるで「竹取物語」に「桃太郎」を接ぎ木したような物語なんですよね。

あるいは、これをヒロインのロイス・レインの目から見れば、星からやってきたたくましい男性が自分を愛してくれるシンデレラ・ストーリーになる。

とても古典的な物語をアメコミを原作として現代に蘇らせた映画なんですね。

ポスターには「あなたも空を翔べる!」というキャッチコピーが書かれている。

スーパーマンとロイスが手を繋いで空を飛ぶデート場面は結構な尺を使って描かれていて、バックに流れるジョン・ウィリアムズの曲にマーゴット・キダーが何度も「私の心を読める?」と合いの手を入れる。聴いてるとこそばゆくなってくるんですが^_^;

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まぁ、クリストファー・リーヴみたいな男性に守られたい、という気持ちはわからなくもない(笑)

ちなみにこの第1作当時、マーゴット・キダーは既婚者だった。主演のクリストファー・リーヴとは、まるで姉弟みたいな関係だったようで(キダーの方がリーヴよりも4つ年上)。

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マーゴット・キダーが演じたロイス像って、とても80年代的だったなぁ、と思うんですよね。良くも悪くも。

その後、他の女優たちが演じたロイス・レインにはマーゴット・キダーほどの存在感はなくて、わりと普通で真面目な女性として描かれていたと思うんだけど(TVドラマ版は観ていないのでわかりませんが)、キダーのロイスは記者として優秀ではあるものの、後輩のクラークにはいつも先輩ヅラして「もっと前に出なさい」とか小言言ってるし、ハスッパで性格は結構がさつなんですよね。

で、そんな彼女がスーパーマンの前ではデレデレになる(それにしても、スーパーマンに初めてインタヴューする時に着ていたのがヒラヒラで透け透けの服なんだけど、そのチョイスのセンスがまた…^_^;)。

仕事に積極的なのはいいんだけど、現場でいつも事故や事件に巻き込まれてはスーパーマンに助けられる。それの繰り返し。

キャリアウーマンで男にもズバズバものを言うヒロインをいなすように紳士的にエスコートする男性主人公。女性は男性から一方的に守られるべき存在。男は「強さ」や「たくましさ」で女性を守る。その代わり彼女は彼のことを無条件に愛する。昔ながらの男女描写。

どこか女性を見下してるおっさんの視点なんだよね。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズもそうだったように、80年代はまだその程度の意識だった。

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ワンダーウーマン 1984』で一見『スーパーマン』とは男女の役割が逆転してるような主人公ダイアナとその恋人スティーヴの描かれ方と比べると、その違いがよくわかる。『ワンダーウーマン 1984』では女性の主人公が男性の恋人を上から“守ってあげたり”などしない。互いに能力差はあっても尊重し合い、どこまでも対等。愛し愛され、助け助けられる関係。

スーパーマンとロイスの関係は、悪役レックス・ルーサーとその愛人ミス・テッシュマッカー*1との関係と対比されている。ルーサーはミス・テッシュマッカーをいたわったり彼女に愛を語るようなことは一切なくて、手下のオーティス同様、彼女を自分の部品の一つぐらいにしか思っていない。

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だから、ルーサーは「悪」で、ロイスに優しくして彼女を愛するスーパーマンは「正しい」。こういうわかりやすい図式に基づいてキャラクターが作られている。

正直なところ、この「スーパーマン」シリーズに漂うマッチョイズム、結局は腕力が強い者が正義(もちろん、その腕力を「正しい目的」に使うべき、とはされているが)、という論理には今となっては疑問を持たざるを得ない。

ただ、とはいえ、マーゴット・キダーが演じるロイスのような女性って現実にいかにもいそうなリアリティがあるんですよね。欠点がいっぱいあって人としてけっして完璧ではない。むしろ、お相手のスーパーマンの方がファンタジーなのだから、これはやはり現実を生きる女性がつかの間見た夢のようなものなのだ、と思えば納得もできる。

だって、クラークは職場で初めて会ったばかりのロイスをいきなり食事に誘うし、スーパーマンの方もインタヴューの相手にロイスを指名してくる。二人の男(って彼らは同一人物だが)から好意を寄せられるヒロイン。妄想だよね、これはw

そして、年下のカメラマンのジミー・オルセン(マーク・マクルーア)に「彼(スーパーマン)はあなたに気がありますね」と言われて、ロイスは「スーパーマンは誰にでも優しいのよ。でも、もしもそうなら最高ね」と答える。

世界を守るスーパーヒーローに恋して、彼から愛するただ一人の女性として選ばれる「私」。

キャ~~(♡ >ω< ♡)

愛する者のためならば、スーパーマンは地球を逆回転だってさせちゃいますw

地球の自転を逆にしたって実際には時間は戻りませんが、力技で観客に納得させるw

この荒唐無稽さ。これが本来のアメコミ・スーパーヒーロー映画なのではないかと。

ザック・スナイダーが撮った『マン・オブ・スティー』や『バットマン vs スーパーマン』に欠けてたのは、こういう現代のおとぎ話の要素ではないだろうか。

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劇中でロイスがスーパーマンのことを“ピーター・パン”に例えると、彼は「あれはただのおとぎ話だ」と言うけれども、この映画自体が現代の“おとぎ話”なんですよね。

赤いケープをまとった青いコスチュームに赤いパンツを穿いた屈強な男が空を飛ぶなんて、冗談でしかないんだよ。でも、この映画はそれを真面目に(幾分コミカルな場面も入れつつ)描いてみせた。

若きクラーク(ジェフ・イースト)が養父ジョナサン(グレン・フォード)を亡くし、早朝に金色に輝く一面の麦畑に立っている。そして養母マーサ(フィリス・サクスター)と抱き合うクラーク。彼は養母を置いて、自分が何者なのか知るために旅に出ることにする。

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とても赤パン男が主人公のアメコミ映画とは思えない叙情的な場面。窓から麦畑のクラークを見つめるマーサの表情に泣けるんですよ。

前半で描かれるクラークが育ったスモールヴィルの情景は、まるで60年代の映画のような(僕はリアルタイムでは知りませんが)懐かしさを覚える。

イジメっ子キャラのブラッドの車から流れる「Rock Around the Clock」は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の舞台となる55年の前年の曲。 

『スーパーマンIII』ではクラークがスモールヴィルに久しぶりに里帰りして高校時代に同じ学校で憧れだった女性ラナ・ラング(1作目でもブラッドとともに登場する)と再会するんだけど、その同窓会でも会場ではやはり50年代のオールディーズが流れていた。 

クラークが高校時代を過ごしたのがいつ頃の設定なのか正確なことは知らないけど、1作目のメトロポリスでの現在の物語が映画が公開された年の78年だとすると、その前にクラークは父ジョー=エルとともに12年間地球の歴史やその他の知識を学んでいたことになっているから、彼が18歳だったのは12年前の66年ということになるんですよね。

前半のアメリカン・ニュー・シネマっぽい世界と後半の活劇の世界とのギャップが面白くて、1本の映画の中でアメリカという国をザァッと一気に見渡したような感覚がある。

この「スーパーマン」シリーズの第1作目が今も愛され続けるのは、そういう今では失われたアメリカの姿にノスタルジーを感じる人が多いからなのかもしれませんね。

一方で、スーパーマンが本格的に活躍しだすのは映画が始まって1時間以上経ってからだし、悪役レックス・ルーサーが登場するのもなんの前触れもなくいきなりなので、やっぱりずいぶんと駆け足な展開に感じられもする。

登場したと思ったら彼はもうスーパーマンを自分の敵と見做して排除しようと画策していて、スーパーマンの弱点クリプトナイトの存在を突き止めてそれをあっさり手に入れる。

今ではスーパーマンの弱点は“クリプトナイト”なんだと誰もが知ってるからあまり疑問を持たないけど、なんで彼がクリプトナイトを苦手とするのか、そのあたりの説明もほとんどないんだよね。そーゆーことだから!みたいなノリで。

監督のリチャード・ドナーはこのあとプロデューサーのサルキンド親子と揉めて続篇の監督を降板するんだけど、彼はリチャード・レスターが代打で監督した『スーパーマンII』を嫌ってて2006年に独自のヴァージョンをリリースしている。

どうやらシリーズが次第にコメディタッチになっていったのがお気に召さないようで、同じようなことを言ってるファンの人々もいますが、でもこの1作目でのレックス・ルーサーとオーティスのやりとりなんて完全にコメディだし、そういう笑いの要素こそがこのシリーズの魅力だったと思うんですよね。

笑いの要素が一切ないザック・スナイダー版スーパーマンが僕にはつまんなかったように、1本の映画としてしっかり完成していたリチャード・レスターの劇場公開版『スーパーマンII』に対して、リチャード・ドナーが本来の構想を基に作った「ドナーCUT版スーパーマンII」は僕にはいびつなツギハギ映画にしか見えなかった。

それでもこの1作目が偉大な作品であることは間違いなくて、だからこそパティ・ジェンキンスも『ワンダーウーマン 1984』でリスペクトしているんですよね。

シリーズでその後描かれる要素はほぼこの1作目で出揃っていて、ジョン・ウィリアムズの音楽も主要なモティーフはすべてこの作品で流れる。この作品あっての続編なのは確か。

そういう意味では『スター・ウォーズ』の第1作目のようなもの。

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ロイス・レインレイア姫キャリー・フィッシャー

レックス・ルーサークリプトナイトを隠していた箱は、『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』でオビ=ワンがルークの父親のライトセイバーをしまっていた箱だと言われているようだし、ルーサーがスーパーマンを攻撃するコントロールパネルのセットは『新たなる希望』のデス・スター内でハン・ソロやルークがストームトルーパーの格好をしていた時のセットに似ている、とも言われてますが、果たして真相はどうなんでしょう。

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『スーパーマン』はイギリスのパインウッド・スタジオ(007シリーズなどで有名)で、『スター・ウォーズ』も同スタジオ(あとはエルストリー・スタジオ)で撮影されているので、撮影に使った小道具やセットが流用されることはあったかも。

VFXが進歩した今の目で見ればこの映画の特撮は牧歌的なところがあるし、明らかに拙さを感じさせるショットもあるにはあるんだけど、でもスーパーマンが岩を転がして決壊したダムからの鉄砲水を食い止めるミニチュア撮影とか、ああいう素朴で手作り感あふれる画は現在のハリウッドの大作映画では見ることができないから、いつ観ても飽きないんですよね。

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子ども時代の思い出の映画ということでかなり贔屓目になっているとはいえ、やっぱり面白い映画は時が経っても面白い。 

クリストファー・リーヴが2004年に、そしてマーゴット・キダーが2018年に亡くなって、ジーン・ハックマンは今もご存命だけど、リーヴが亡くなった2004年に俳優を引退している。あれからもう17年経つ。 

時が流れれば人は老いたり亡くなったりもするけれど、でも映画を観ればまた彼らに会える。

これからも僕はスーパーマンの映画を観続けるでしょう。 

空を飛んで弾丸をはじき返し、重い物を持ち上げて悪人を懲らしめる。

コミックスから実写映画の世界へやってきた彼は、これからも僕たちを楽しませてくれるだろう。

今も新たに生み出されるスクリーンの中のスーパーヒーローたちを見つめながら、いつだって僕は彼=スーパーマンの幻影を追っている。 


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*1:ヴァレリー・ペリン演じるミス・テッシュマッカーは1作目ではオーティスがしくじった核ミサイルの軌道変更をやり遂げたり、力を失ったスーパーマンにキスして土壇場で彼を助けたりと活躍を見せるし、2作目でもルーサーの脱獄を手伝って彼について北極まで行くが、刑務所に置き去りにされたオーティスと同様にその後は映画から姿を消してしまう。4作目の『最強の敵』でルーサーは復活するが、ミス・テッシュマッカーとオーティスがルーサーのもとに戻ることはなかった。