映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『アラジン』と『かぐや姫の物語』


監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ、声の出演:スコット・ウェインガー(歌:ブラッド・ケイン)、リンダ・ラーキン(歌:リア・サロンガ)、ダグラス・シール、フランク・ウェルカー、ジョナサン・フリーマン、ロビン・ウィリアムズ他のディズニーのアニメーション映画『アラジン』。1992年作品。

第65回アカデミー賞アラン・メンケン作曲の音楽が作曲賞を、またレジーナ・ベルとピーボ・ブライソンによる主題歌“A Whole New World”(作曲:アラン・メンケン 歌詞:ティム・ライス)が歌曲賞を受賞。

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砂漠の王国アグラバーで暮らす貧しい青年アラジンは、父親の王様(サルタン)に気の進まない結婚を強いられてこっそり宮殿から街に出たジャスミン姫と出会い彼女に惹かれるが、身分の差を気にして気持ちを伝えられない。一方、国務大臣のジャファーは三つの願いをかなえてくれる魔神ジーニーが封じ込められた“魔法のランプ”を探していた。ランプがあるらしい巨大な魔法の洞窟の入り口から中に入れるのはアラジンであることを知ったジャファーは、アラジンを捕らえて言葉巧みに彼に洞窟に入らせる。


現在ディズニーで実写版『美女と野獣』が公開中で、案の定というか1991年公開のアニメ版の方がレンタル店で全部借りられてて観られないので、代わりに借りてきました。20何年か前にVHSのヴィデオで一度観て以来観返していなくて内容をまったく覚えていませんでした。


でも『美女と野獣』同様に主題歌は劇場公開時からよく耳にしててお馴染みだし、故ロビン・ウィリアムズ(あらためてご冥福をお祈りします)が声をアテた愉快な魔神ジーニーはファンも多いので、なんとなく名作アニメみたいな認識を持っていた。

で、実際観てみると、ところどころ挟まれる歌、そしてジーニーのけたたましさに「あぁ、昔のディズニー映画ってこういうのだったなぁ」と。


特にロビン・ウィリアムズの躁的なジーニーの喋り倒しと通常のアニメの何倍もの速さ、情報量の多さには眩暈がするほど。

最近のディズニーアニメに慣れている目からすると、往年のディズニーアニメがいかにめまぐるしく騒々しかったかあらためて思いだした。

なんていうか、ヘンな酩酊感がある。

これ“しらふ”で観ていたら僕はちょっとヒイてしまったかも。まぁ、DVDの小さな画面じゃなくて劇場のスクリーンで観たらまた迫力も違うだろうし、ノれたかもしれませんが。

だからお酒を飲みながら観ていたんでちょっと気持ちよかったのと、ストーリーにいちいちツッコミ入れずにノリで観られたのがよかったです。

唐突だけど僕はこの映画を観ていて、ちょっと高畑勲監督のスタジオジブリのアニメ映画『かぐや姫の物語』を思いだしたんですよね。高畑勲監督のご冥福をお祈りいたします。18.4.5

両者は作風はずいぶんと異なるしその結末もかたや恋人同士が結ばれてのハッピーエンド、かたや大切な人たちとの哀しい別れといった具合に両極端なんだけど、しきたりや権力によって囚われの身であるヒロインが「自由」を求めている、という大きな共通点がある。

アラジンはペットの猿のアブーとともに市場のスイカを盗んで食べ、かぐや姫は年上の少年・捨丸とともに畑から盗んだ瓜を旨そうに食べる。

ジャスミンは自分のことをまるで「戦利品」のように扱う王子たちにウンザリしている。同じくかぐや姫は自分をモノとして扱う皇子たちの求婚をはねつける。

そしてジャスミンは魔法の絨毯でアラジンとともに空を駆け巡る。かぐや姫もまた、捨丸の夢の中で二人して手をとりあって空を飛ぶ。

空を飛ぶことは「自由」を象徴している。


出自については詳しくは描かれないが貧しい育ちであるらしいアラジンも、大きな宮殿に住む王女のジャスミンも、そして万能の魔神ジーニーも皆それぞれ囚われの身で、彼らはいずれも束縛から逃れて自由になりたいと思っている。

高畑勲監督がディズニーアニメ『アラジン』を観たことがあるのかどうか、『かぐや姫の物語』を作る際にそれを参考にしたのかどうかは知りませんが、西洋の王侯貴族も中東やアジアのやんごとなき人々も、伝統や因習に縛られている点ではみんなよく似ている。

そこからの脱出。

「おとぎ話」の中で語られるそれら自由を求める貴人たちの物語は、僕たち下々の者、普通の人々の物語でもある。

アラビアンナイトや日本の平安時代が舞台の作品に描かれるヒロインたちの「自由」にまつわる物語は、そのまま現在の私たちのそれに繋がっている。

もっとも、もはや「お姫様」であることさえもやめてしまうほどになった最近のディズニーアニメのヒロインたちを見た目には、20年以上前の作品である『アラジン』におけるお姫様とヒーローの関係はまだ古典的なおとぎ話の筋書きを引きずっていて、実写版の『シンデレラ』や『美女と野獣』のエンディングもそうだったように、最後には男女が結婚してめでたしめでたし、という決まりきったハッピーエンドの形に退屈さを感じなくもない。

自分には結婚や恋愛以外の道だってあるのだ、ということをディズニーのヒロインたちが主張するようになるまでには、まだ時間が必要だった。

一方で、この映画では主人公アラジンの「選択」について語られている。

三つの願いによっていくらでも自分の都合のいいように物事を変えられる(ただし恋愛関係はムリ、という設定)ようになったアラジンだったが、ランプから出て自由になりたい、というジーニーの願いを約束どおり優先させて、その貴重な願いを彼のために使う。

自分よりも人のために。その気持ちこそが大切。

多分、真の「自由」というのはそういう他者への思いやりの中にこそあるのだということ。

正直なところ、何度も何度もジャファーに操られるサルタンの間抜けさにはイライラさせられるし、貧しいことを必要以上に気に病んでジャスミンに対して卑屈な態度を取り続けるアラジンにも、「そこまで身分の差が気になるなら、最初からそんな身の程知らずな恋なんかすんな」って思う。


ジャスミンは相手が王子だからじゃなくてアラジンの人柄に惹かれたんだけど、そのことに気づかず王子のフリをし続けるアラジンは、何か非常に大切なことを見落としている気がする。

結局最後に二人が無事結ばれるのもジャスミンがサルタンの娘で経済的な問題がないからだし、別に彼らは愛する者同士でともに生きるために貧しい暮らしを選ぶわけでもない。

今なら、ジャスミンは王宮を出てアラジンとともに普通の民として生きる道を選ぶ、という結末にだってできるでしょう。

この『アラジン』を、原典にはなかった貧しい出自の青年を登場させてヒロインに恋までさせながら最後にはプリンセスのこの世との別れで終わらせた『かぐや姫の物語』と比較した時、同じようにファンタジーであってもどちらがより現実の世界に近いかは言うまでもない。

『アラジン』はハッピーエンドで、『かぐや姫〜』は悲劇で同じことを描いているともいえる。

そして今やヒロインは男性と恋をしなくても、結婚しなくても構わないし、プリンセスである必要もない。

彼女たちの選択肢はより広がっている。

『モアナと伝説の海』についての批評で、女の子と男の子ではそれぞれかけられた呪いの種類が違うのだ、という指摘があって、なるほど、と思いました。

女の子と男の子にかけられた「呪い」と「解放」の違いを描いた『モアナと伝説の海』


女の子も男の子も、それぞれが「自由」を欲している。でも「何」から自由になるのかは異なるのだ、ということ。

実写版『美女と野獣』では、「こうあるべき」という昔ながらの社会の規範から自由になることが描かれていました。

男性が女装したっていいし、男性同士でダンスしたっていい。

女性が読書が好きでモノを作るのが得意だって、もちろんまわりからとやかく言われる筋合いはない。

アラジンはたとえ貧しくても自分の生き方を肯定できるし、ジャスミンは堂々と王宮をあとにして愛する人と一緒になれる。

塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』のクライマックスでは魔法によって奇跡が起こったけど、現実の世界での「魔法」とはありえないことがいきなり起こることではなくて、正しい選択によって積み上げられてきたものが最大限に効果を発揮することなのだと思う。

「魔法」というのは人の心の変化、それによって物事が好転することを「奇跡」という形で表わしているのではないか。

アラジンが自分の欲望よりもジーニーの願いを叶えたように、正しい道を選ぶことで最終的にそうあるべき結果にたどり着く。

信じ続ければ、努力を重ねれば、必ず夢は叶う──そういうポジティヴな考えも大切ではあるけれど、世の中では自分が求めていたのとは違う方向に物事がむかうことだってままあるし、自分の願いが必ずしも正しいとも限らない。

時に哀しみを伴いながらも、夢を見たり、恋をしたりして僕たちは生きていく。

すべての願いが叶うわけじゃないけれど、たとえばディズニーアニメの中で描かれる登場人物たちの心の交流、彼らが互いにわかりあえた瞬間というのは、僕たちの本当の願いを“純化”させたものなのかもしれない。


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『美女と野獣』(2017年実写版)
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追悼 高畑勲監督

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