監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ、声の出演:アニカ・ノニ・ローズ、ブルーノ・カンポス、キース・デヴィッド、ジェニファー・ルイス、ジョン・グッドマン、ジェニファー・コディ、ピーター・バートレット、マイケル=レオン・ウーリー、ジム・カミングスほか、ディズニーのアニメーション映画『プリンセスと魔法のキス』。2009年作品。日本公開2010年。
原作はE・D・ベイカーのジュヴナイル小説「カエルになったお姫様(The Frog Princess)」。
第82回アカデミー賞長編アニメーション賞、主題歌(歌曲)賞受賞。
ニューオーリンズのフレンチ・クオーター。優しい両親のもとで育ったティアナは、亡き父の夢でもあった自分のレストランを持つために寝る間も惜しんで働き続け、ようやく店の頭金を貯める。幼馴染で金持ちの娘シャーロットがパーティにマルドニア国のナヴィーン王子を招きティアナは親友のために得意のベニエを振る舞うことになるが、念願だった店が別の金持ちに売られることになって意気消沈する。そんな彼女のところへ自分をナヴィーン王子だというカエルが現われる。
『塔の上のラプンツェル』(感想はこちら)の前年に作られた作品だけど、僕は劇場では観てなくて今回初めてDVDで鑑賞。
オリジナル言語版と吹替版、ソフトではどちらも観られるけど、オリジナル言語版を選択。
劇場公開された当時、映画館に立て看板があったのは憶えてるけど僕がディズニーづくようになったのは2011年のラプンツェル以降だから、その時はタイトルに“プリンセス”とあるし女の子向けだと思ってあえて観ようと思わなかった。
ただこの『プリンセスと魔法のキス』は「プリンセス・ストーリー」の名作としてファンもけっこう多いようなので、ずっと気になっていたのです。
アメリカでは高く評価されているものの日本ではヒットしなかったんだそうで(確かに話題になってた記憶がない)、『アナと雪の女王』(感想はこちら)大ヒットのここ最近のディズニーアニメの盛況ぶりを見てるとわずか数年前の日本におけるディズニー作品の扱いの違いを如実に感じますが。
それで借りてきて観たんだけど、『チキン・リトル』以降のピクサーっぽい3DCGではなく従来のセル画風の手描きの絵で、物語や演出も子どもの頃に観たディズニーアニメを思い出させるとても懐かしい雰囲気のものでした。
ではこれ以降ネタバレがありますので、未見のかたはご注意を。
映画の舞台は劇中でハッキリと名言はされないが、まだ第二次世界大戦の気配はなく、登場する人々の服装などからおそらく1920~30年代初頭あたりと思われる。
1930年代といえば、37年にはディズニーが初の長篇カラー映画『白雪姫』を制作している。
劇中で「いつか王子様が」と唄うヒロインが主人公の映画がウォルト・ディズニー自身によって作られたこの時代に映画の舞台が設定されたのは、もちろん意図的なものだろう。
また、ここでは「プリンセス」というのは家柄とは関係なく、愛する者への敬称として使われる(そもそもアメリカにお姫様はいないし)。男にとって愛する人はプリンセスなのだ。*1
プリンセス・ストーリーの代名詞でもある『白雪姫』が作られた時代に現代的な視点でヒロインを描くという試み。しかもここには現実の30年代の映画の中ではありえなかった異人種間の交流がある。
当時、現実にティアナとシャーロットみたいに人種や家の経済状況が異なる人々の間であのような友情を育むことが可能だったのかどうか僕にはわからないんだけど、少なくともこの映画の中ではシャーロットもその父で金持ちのビッグ・ダディもティアナの一家には一切の差別的感情を持たず、対等に付き合っている。
というか、この映画の中には人種差別は一切存在しない。
明らかにあの時代が理想化して描かれている。
正直なところ、映画の冒頭の働き者で貧しいながらもまわりの人々とも食事を分かち合う優しいティアナの父親の姿にはわざとらしさを感じたし、もっといえばちょっと気持ち悪くもあった。
いや、実際にああいう父親や家族はいたのかもしれないけど、なんだろう、あの「善良な黒人一家」描写に僕はなんだか胡散臭さを感じてしまって。
黒人だろうが白人だろうがアジア人であろうが関係なく、あの描写はウソ臭い。
成長したティアナを見守り続ける母親にはジ~ンときましたが。
まぁ「おとぎ話」ですし、ディズニーアニメでヒロインの両親に個性があまり感じられないのはこの作品に限らないけど。
オールドハリウッド的なノスタルジックな味わいはありましたが、結論から先にいうと作品自体にはいろいろ疑問があってちょっとピンとこないところも。
おなじみ町山さんや宇多丸さんが過去に褒めてたから、かなり期待しちゃったせいもあるんだけど。
ディズニー長篇アニメで初のアフリカ系のヒロインというのは確かに新鮮ではあるけれど*2それをことさら評価するのも奇妙だし(今月公開の実写映画『ANNIE/アニー』→感想はこちらもアフリカ系の子役主演で作られてるし)、王子様とのキスでヒロインが幸せになる、というプリンセス・ストーリーのセオリーをついに否定してしまった『アナと雪の女王』や『マレフィセント』(感想はこちら)を観たあとでは、「おとぎ話」のお約束を微妙にハズしてみせた脚本にもそれほど驚きをおぼえなかった。
もう何十年もの間ディズニーが長篇アニメーションにおけるヒロインの描き方に試行錯誤を繰り返してきたことは知ってるから、この映画がその成果の一つとして高く評価されていることは理解できましたけどね。
この映画があったからこその『アナ雪』なのだ、というのはわかるんですが。
でも結果的にはこの映画でのティアナはやっぱり「王子様のキスで幸せになりましたとさ、めでたしめでたし」で終わる。カエルの姿をしていようが女好きだろうがほんとは文無しであろうが、ナヴィーンが王子であることには変わりがない。
もっとも、ティアナは最初から最後まで王子の地位や財産などアテにしてなくて、最終的にも自分でコツコツと貯めたお金でお店を開く。けっして経済的な面で男に依存していない。
そういうヒロインがディズニーアニメで描かれた、ということが公開当時は画期的だったんだろうか。
でもさぁ、本人が恋愛にうつつを抜かすよりも堅実に自分の夢である「店を持つ」ために努力を重ねるというのは、別にそれって当たり前のことなんじゃないの?現実に女性たちがやってることでしょう。
それをアニメで描くのがそんなにスゴいことなのか。僕はむしろアニメにはもっと現実の先を行っててほしいと思ってしまうんですが。
それと、経済的に自立していることと恋愛にストイックだということって別問題なんじゃないのかな、って。
お金も欲しいし恋愛も結婚もしたい、という貪欲な女の子だって普通にいるし、別にそれが悪いわけでもない。
それにこの映画のティアナは、一見自分の夢のために他のことはすべて犠牲にしてひたすら仕事に明け暮れている女性なんだけど、そのわりにはナヴィーンとか男の扱いが妙に手馴れてるんだよね。
ウェイトレスなど接客業で客あしらいが上手ということなのかもしれないけど、隙がないゆえにヘマをやらかすこともなく(ようするにラプンツェルやアナのようなドジっ娘要素がまったくない)、彼女自身が泥にまみれて頑張るというよりも友人のシャーロットやワニのルイス、そしてホタルのレイたちの尽力によってナヴィーンと結ばれる。
ティアナ自身はもともと恋愛や結婚に対しては消極的だったのに、これまで多くの女性と浮名を流してきたナヴィーン王子が示した一途な想いにほだされて彼を受け入れる。なんだかんだで最後には手に入れるものは入れました、という結末。
彼女が本当の姿を取り戻すためのアドヴァイスをする魔術師のママ・オーディが言う「欲しいものと必要なものは違う」という台詞。
これはつまり「あなたに必要なものは“お金”じゃなくて“愛”なのよ」ってことでしょう。
そしてここで彼女に「愛」を与えるのはナヴィーン王子に他ならないのだから、それってこれまでのプリンセス・ストーリーと同じことじゃないか、と観終わってもどこか納得がいかず。
だから「プリンセス・ストーリー」としての新しさとか、ヒロイン物としてこれまでの同ジャンルの作品に比べて特別秀でている、といったことは僕にはちょっと実感できなかったです。
それとも、これまでのアニメのヒロインはこの映画とは比べ物にならないぐらいに保守的に描かれてきたということなのだろうか。
グリム童話「かえるの王さま」*3と戦前のニューオーリンズという組み合わせはなかなかユニークですが。
ティアナが彼女が夢見るレストランのことを唄うミュージカル場面でアール・デコ風のデフォルメされた絵柄に変わるところなど、美術的な部分(あと音楽にジャズを使ってるとこなど)では魅了されました。
ジャズ以外にもニューオーリンズと縁深い粉砂糖をまぶしたベニエやスープのガンボ、ヴードゥーの魔術などが出てくるし、日本語字幕では訳されてないけどホタルのレイがフランス系の“ケイジャン”という設定。
マルドニアというのは架空の国でナヴィーン王子の人種についてはボカされてはいるが、肌の色からしても白人というよりもクレオールかラティーノっぽい。
『ラプンツェル』や『アナ雪』などここ何年かの間また白人同士のラヴストーリーが続いてるけど、1990年代にはディズニーは『アラジン』や『ポカホンタス』『ムーラン』など白人以外の人種を意識的に取り上げていて、『ポカホンタス』では異人種同士の恋愛も描かれていた。*4ちなみに本作品の監督ジョン・マスカーとロン・クレメンツは『アラジン』の監督でもある。
だからなのか偶然なのか知らないけど、『プリンセス~』の王子はアラジンになんとなく顔立ちが似ている。
一方、ヒロインのティアナはちょっと歌手のリアーナにも似たスラリとした足やドレス姿の背中、その肉感的な唇が絶妙に色っぽい。
そして日本のアニメのような「止め絵」で可愛らしさを表現するのではなく、動いたときにヒロインの魅力が最大限に発揮されるのがディズニーの特徴。
今回もカエルになったティアナがそのシンプルな線でとてもキュートに描かれている。
ただヘタすれば、ティアナが本来の姿でいる時よりもカエルでいる時間の方が長いぐらいなんだけど。
他の人種のヒロインたち同様に、もっと人間の姿のティアナが活躍するところも見たかった。
というのもカエルの姿でいる時間がけっこう長いので、僕はこの映画の結末をいろいろと勝手に想像してしまったんだよね。
このことに何か意味があるのかと思って。
お話は全然別物ではあるけれど、変身してしまうヒロインということではジブリの『ハウルの動く城』(感想はこちら)の主人公を連想させられもするし。
だから元ネタである童話「かえるの王さま」で描かれていた美しさとか醜さについての既成概念を覆すようなラストを思い描いていたのです。
ちょうど、ドリームワークスの『シュレック』でヒロインが自ら人間ではなく怪物の外見の方を選んだような結末を。
あるいは、ティアナはその気になればまたいつでもカエルに戻れるようになる、とか。
でも観終わっても、この映画で“カエル”が意味したものがなんだったのかよくわからなかった。
そもそもティアナはなぜナヴィーンとキスしたらカエルに変身してしまったのか。
子どもの頃に母親から「かえるの王さま」の話を聴いてカエルとキスするなんて絶対にイヤ、と思っていたのに案外たやすくキスしてしまうし、ティアナがナヴィーンと同じように変身したカエルはけっして醜いわけでも気持ち悪いわけでもないので、これが何についての試練なのか観ていてどうもピンとこないのだ。
それにティアナのせいではないにしても、彼女のために途中で虫さんが一匹犠牲になってますし。彼の死はこの映画のとても切ない幕切れによって美化されるけど、なんか王子様とプリンセスの結婚で綺麗に締めくくられる物語で登場キャラクターが無残に殺されるのって抵抗がある。
そりゃこれは「プリンセス・ストーリー」なんだから脇役たちがヒロインのために身を捧げることだってあるだろうけど、だったらせめて彼女は自分の幸福が他者の尊い犠牲によって支えられていることを劇中でもっと思い知って責任を感じてもいいんじゃないだろうか。
ティアナは自分のために頑張ってくれている者にとてもひどい仕打ちをしたのだし。
ジャズが好きで人間とセッションするのが夢のワニのルイスにしても、もっと活躍させられたんじゃないかなぁ。
ヴードゥーの魔術師ファシリエを倒す時に彼のトランペットの音色が武器になるとか、そのキャラの得意なことが必殺技のように悪を打ち倒すためのツールになったりすればカタルシスがあったと思うんだが。
それからホタルのレイについては、宇多丸さんもハスリングで仰ってたように、カエルは潰されても元に戻るような世界観なのにホタルは踏まれてあんな簡単に死んじゃう、というのはどうもスッキリしない。
これもルイス同様に、たとえばファシリエからティアナを守るためにお尻のあの灯かりを燃やし続けて力尽きるとか、もっと勇ましい最期を遂げさせてほしかった。
レイは夕暮れ時の星に「エヴァンジェリーン」という名前をつけて恋をしている。自分と同じホタルだと思っているのだ。
その時点でイタいのだが、でもそんな思い込みの激しい純情な男だからこそ、レイはなんの見返りも求めずひたすらティアナとナヴィーンの恋の成就のために協力を惜しまない。
ティアナにエヴァンジェリーンが実はただの星に過ぎないという残酷な事実を告げられても、彼はカエルになったプリンセスを救うために奮闘する。そして殺されてしまう。
やがて本当にエヴァンジェリーンの横で輝く星になる。
そんな彼の姿に「欲しいものと必要なものは違う」という言葉の意味がちょっとわかった気もする。
この映画の主人公はほんとはレイなのだ。そう思えば彼の死もまた納得できる…のかな?
なんだか文句ばかり垂れてるようですが、こうやってヒロイン、あるいは創作物における“ジェンダー”の表現について考えさせてくれるディズニー作品は僕には非常に興味深く、だからこそここ何年かはおっさん一人で映画館に足を運んで「プリンセス・ストーリー」を観てもいるのです。
いまだに美少女が平然とダッチワイフ代わりの商品として消費されている日本製のアニメも含めて、アニメーションの中のヒロインたちの描かれ方について考えを巡らすのは面白い。
ティアナのキャラクターにさらにお茶目さを加味すればラプンツェルやアナになるように、*5ディズニーの歴代ヒロインについて考察するだけでもそれは世の中の女性史の一部を垣間見ることにもなる。
かつての『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』から自分の意思を表明するヒロイン像を受け継ぎ、さらに活動的になったプリンセスたちへと進化していく、ティアナはその途上にいる。
そういう意味で、この映画を観て思考しいろいろと議論することは有効だと思います。
さて、この先ディズニーはさらにどのようなヒロインをスクリーンに描き出していくのでしょうか。
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