映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

「悪魔が憐れむ歌」「続悪魔が憐れむ歌」


雑誌「映画秘宝」アートディレクターにして映画『冷たい熱帯魚』(感想はこちら)では共同脚本も担当した高橋ヨシキ・著「悪魔が憐れむ歌」及びその続篇「続悪魔が憐れむ歌」。


それぞれ発売されてからそんなに間をおかずに購入したんですが、いまさらながら感想を。


映画秘宝」は90年代のムック本の頃から読み始めました。

最初に買ったのは「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!」。


この1冊のおかげでブルース・リーに興味を持ったともいえる(その前に93年公開の『ドラゴン/ブルース・リー物語』→感想はこちらを観ているが)。

あの頃はまだ高橋ヨシキさんの書かれた文章を読んだ記憶がないんだけど、今回の2冊の書籍の文章にはあの当時の秘宝ムックのなんかヤバい感じが漂っていて、ちょっと懐かしい気分に(思いっきり死体写真が載ってるとこなんかも)。


高橋ヨシキさんは、10数年前に秘宝のイヴェントで他のかたがたと一緒に出られているのを客席から見て、黒ずくめで斜に構えたその物腰がちょっと怖そうでもありカッコ良かったです。

そのイヴェントの中でバカ自主映画の上映というのがあって僕の応募作品が上映されたんですが、出演者の皆さんはお酒を召し上がっていたのかゴキゲンかつ少々投げやり気味な進行ぶりで、ヨシキさんが壇上で突然「監督に電話しよう」と言いだしてあやうく大勢の前でケータイに電話されそうになったんで、慌てて手元で電源切ったのでした。今では恥のかき捨てで出ておけばよかったと思っていますが。

しかし個人情報ダダ漏れですな。適当すぎる^_^;夜通しの楽しいイヴェントでしたが。


今では高橋さんが出演されている「バラいろダンディ」の「バラいろ THE MOVIE」コーナーも楽しく拝見しています。

で、結構いい値段したけど上記の2冊を買ったのでした。

僕は普段ホラー映画を観ないのでこの正続篇で扱われているそのジャンルの作品はほとんど未見なんですが、『ブレードランナー』は好きだし『パッション』(ゴダールデ・パルマじゃない方)とかヤコペッティあたりは観ているので非常に興味深く読みました。

特にティム・バートン監督の『バットマン リターンズ』(感想はこちら)についての章は、「俺が思ってたこと全部言葉にして書いてくれた!」という気持ちに。

『リターンズ』の素晴らしさを活写するとともに、クリストファー・ノーラン版のバットマンがいかに間違っているか実に鋭く突いていて思わずニヤついてしまう。

この本に書かれた『バットマン リターンズ』におけるキャットウーマンの立ち位置、キャラクターについての解説でこれ以上の文章を僕は目にしたことがない。

もっとも、僕は同様にフェミニズム的な観点から興味深く観たアンジェリーナ・ジョリー主演の『マレフィセント』(感想はこちら)を、ヨシキさんはクソミソに言ってますが。

まぁ、あちらはヒロインにあまりに都合が良すぎるアンジーの「オレ様映画」になっちゃってるので、1本の映画としての出来はどうか、という疑問は確かにあるけれど。


高橋ヨシキさんというかたはTVやラジオへの出演はあるもののいわゆるTVタレントではないのでその人物像は結構謎に包まれていて、僕が興味をそそられるのは彼がことあるごとに「サタニスト=悪魔主義者」を自称してアンチ・キリスト的な物言いを繰り返していること。

やはりその半生の中で何やらキリスト教へのオブセッションに囚われている気(け)がある園子温監督の『冷たい熱帯魚』の脚本を共同で書いたのも(あの映画にもやはりそういう要素がある)偶然ではないだろう。

そして「悪魔的」なものへの異様なまでの執着。*1

でもそんなヨシキさんは、多分その辺の日本人の誰よりもキリスト教に詳しい。

ハッキリ言って日本という国はアメリカなどと違ってキリスト教はほとんど根付いていないので、ヨシキさんのキリスト教への攻撃はピンとこないところがあるんだけど、「キリスト教」=権威の象徴、と解釈すれば彼の意図(無意識かもしれないが)がわかってくる。

この本(上巻)の中でも、高橋ヨシキは“反キリスト教映画”『エクソシスト』(感想はこちら)が巻き起こした騒動と凄惨な事件を嬉々としてリポートする。

読み終えた時には虚しさしか残らない。それは「コロンバイン高校銃乱射事件」の顛末を犯人側から詳細に記した章も同様。

この世の中がいかに惨たらしさに溢れていて、人間という存在がどれほどくだらないか、ということを証明するかのような現実の事件や映画に彼は大いに反応し、賞賛する。

逆にもっともらしい正論や道徳の押しつけには大人げなく反発する。

「曖昧な部分」を認めない、明暗がくっきりとした世界などこちらから願い下げだ!と。

高橋ヨシキとは“逆説”の人なのだ。それがわかると、彼の偽悪的な物言いが何かとても頼もしく聴こえてくる。

彼の前では、19世紀の実在の障碍者を描いた『エレファント・マン』(感想はこちら)は崇高な物語になる。

「悪魔的」な者とは、自らを「神=正義」の側に属すると信じて疑わない者たちへのアンチテーゼであり、カウンターパンチなのだ。

「正義」なるものがいかに狂気に満ち溢れているか。それは歴史を顧みれば自明のことだ。

たかがフィクションの「映画」の中で、不謹慎で差別的だったり残酷で下品な表現をして何が悪いのか。映画は現実の反映であり、体制が隠そうとするものの中に実はその本質がある。「現実」は映画どころではない、比べ物にならないぐらい“えげつない”世界なのに。

その是非について議論はあっていいが、「表現」そのものの存在を消してしまえ、という圧力には断固として戦わなければならない。

かつて堕天使ルシファーが神に反旗を翻したように。

現実の世の中は、すでに『未来世紀ブラジル』のディストピアを超えているのだ。もはや自分の“理想郷”で夢見てる場合じゃない。お前ら目を覚ませ!

世の中の「良識」を冷笑し楯突く、そういう人間は必要だ。

なぜなら、そのような自由すら完全に奪う世の中こそが、本当の「地獄」なのだから。


正直、上巻のヴォリューム、読み応えに比べると2年後に発行された下巻の「お蔵出し」感、なんで今さらこの映画のレヴューを?(『ベティ・サイズモア』とか)というオマケ感は否めない。

それでもこの上下巻2冊を読むと、妙な清々しさを覚えるのだ。

汚濁の中から現実を見てみれば、穢れの中に美しさが輝いている。

「魂の自由」の希求。狂ってて上等。

悪魔“”憐れむ歌。

悪魔とは、解放者の別名だろうか。

抑圧する者どもに呪いあれ、真の自由を求める者たちに常しなえまでの幸あれ、とこの書は唱えている。


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*1:ちなみに高橋ヨシキさんは『ロッキー・ホラー・ショー』の熱狂的なファンだが、僕は『ファントム・オブ・パラダイス』派。『ファン・パラ』の感想はこちら