映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

2014年版『GODZILLA ゴジラ』について思うこと


去年、ギャレス・エドワーズ監督によるハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』を劇場で観てもう一つのブログの方に感想を書いたのですが(一応、こちらのはてなダイアリーにはDVDでの鑑賞作品や過去に書いた映画の感想を上げています。あちらは劇場公開中の最新映画の感想)、これまでに何名かのかたからコメントをいただきました。

『GODZILLA ゴジラ』 怪獣王は救世主か?


僕は感想でこの映画について、特にある点において批判しました。

この映画では、1954年に現実に行なわれたビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験は「あれは実験ではなく、ゴジラを葬り去るための攻撃だった」ということになっている。


できれば全文読んでいただけるとありがたいのですが、なにぶん長いので重要な点だけ抜き出すと、僕が問題視したのはほぼこの一点。

ビキニ環礁での水爆実験によって日本のマグロ漁船・第五福竜丸被爆し、その事件をもとに“水爆大怪獣映画 ゴジラ”が作られたことは周知のとおりだ。

それをギャレス・エドワーズ監督はものの見事にひっくり返してしまった。

そもそもゴジラをこの世に生み出したのは「アメリカの核実験」なのに。

1954年の初代ゴジラのオリジナル版では、ゴジラが出現した原因を劇中でハッキリと「(アメリカの)水爆実験」のせい、だと言い切っている。

ゴジラとは核兵器の恐ろしさの象徴であるとともに、核の犠牲者の象徴でもあった。

アメリカの水爆実験への怒りとは、それに先立つ広島や長崎への原爆投下への怒りであり、また世界中に存在するすべての核兵器への怒りでもある。

それなのに、フィクションの中とはいえ、この映画は現実にアメリカが行なった水爆実験を正当化してしまったのだ。


僕はこの「初代ゴジラ」の基本設定を完全に変えてしまったことに非常に怒りを覚え批判したわけですが、いただいたコメントの後半のいくつかがこの“批判”に対する反論。

皆さんゴジラ・ファンならではの熱いご意見をお持ちで興味深く拝読しつつも、肝腎の僕の批判に対してなされた反論には納得いくものがなくて、申し訳ありませんが同じことを繰り返し書くことにいい加減疲れたし虚しさも感じるので、ここに書きとめておくことにします。

できれば今後は僕の批判に対する反論は、以下の文を読まれたあとで、それでも納得できず反論の余地があると思われるのでしたらお願いいたします。

その際にはぜひこれまでのコメントのやりとりもお読みになってください。自分の好きな作品を「貶されて」イラッとして思わず反論コメント、という気持ちもわからなくはないですが、同じようなやりとりを何度も繰り返すのは苦痛ですから。

反論されるかたたちが口を揃えたように書かれているのは、ギャレス・エドワーズ監督は熱心なゴジラ・ファンであり、もちろん「初代ゴジラ」もリスペクトしている。今回の作品も初ゴジに最大の敬意を払っている、というもの。

で、僕は「いやいや、おおもとの『ゴジラアメリカの核実験の犠牲者である』という重要な部分(ゴジラは核の恐ろしさそのもので、またその被害者・犠牲者の怨念でもあることは初代ゴジラを観れば明白)をゴッソリ削っちゃって、あろうことか「アメリカの核実験はゴジラを退治するためでした」ってことにしちゃったのは、敬意どころかバカにすらしてるだろ、と言い返すんですが、それに対しては「ハリウッド映画でアメリカの核実験を否定したりゴジラを被害者として描くことなんてできるわけないだろ」という、ほとんど居直りみたいな反論。

だが、それは反論になっていないのでは…?ドヤ顔で言うことだろうか。

描けないなら、なぜ「核」など持ち出す。

ゴジラを太古から生きている地球の守護神みたいな存在として描きたいなら、「核」抜きでも描けるでしょう。

あるいは、そういう神聖な大地を汚すものとして「核実験」を描いたつもりなのかもしれないけど、いずれにしろ「アメリカの核実験」を正当化する理由としてゴジラを利用しちゃってることには変わりがなくて、それは大いに問題がある。

また、コメしてくださった皆さんはエドワーズ監督がこれまではハリウッドでは不可能だったゴジラ像の映像化を実現したこと、そして彼が劇中でアメリカ軍のマヌケさや「核兵器」の扱い方のデタラメさを皮肉を込めて描いていることを強調するのだが、ハリウッド映画で核兵器がテキトーに扱われて簡単に爆発して被害もたいしたことがない、という描写はこれまでにも山ほどされているのだから、それは皮肉なのか無知によるものなのかはかなり微妙だ。*1

そして、そこからは1作目の『ゴジラ』ではあからさまにではないがハッキリ言及される「アメリカの水爆実験=加害者としてのアメリ*2が一切排除されている。

アメリカはあくまでも怪獣を倒すために核兵器を使用しているのだからそれは正当な理由である、とされて、核兵器使用に対する責任は問われない。

しかし、劇中で怪獣に対して核兵器が無力だったからといって、それがこの映画が「反核を訴えかけている」ことにはならないですよ。

むしろ逆に、核兵器なんてたいしたことない、とその破壊力や殺傷能力は過小評価されている。

地球(=ゴジラ)にとって、核兵器なんてちっぽけなものだ、と。

いや、ちっぽけなものどころか、地球上にあるすべての核兵器は地球を何度も壊滅させることが可能ですが…?「核」こそが人類にとって最大の脅威でしょうに。

その核兵器のせいでこれまでにどれだけの人々や動物、植物が犠牲になったと思ってんだ。“ゴジラ”というのは、まさにその「痛み=悼み」の象徴ではないか。

なぜハリウッド映画がここまで頑なでズレまくっているのかというと、「アメリカの核実験」そして「ビキニ環礁での核実験による日本漁船の被爆」に対してアメリカの非を認めるような描き方をしてしまったら、*3それは「広島、長崎への原爆投下」をも自己批判することに繋がるからだ。それはアメリカ人には受け入れられない。だから描けない。

何度も言うけど、だったら「ゴジラ」で「核」を安易に描くなよ。

広島の原爆の話が申し訳程度に渡辺謙の口からされたり、福島(を思わせる原発)まで出してくるけど、現在までに人類史上唯一「核兵器」を実戦に使用して多くの人々の命を奪った罪についてはまったく触れずに、その「核の洗礼」を受けた唯一の被爆国の象徴でもあるゴジラを、核兵器放射線を全部吸い込んでくれる“コスモクリーナー”みたいな便利な通販グッズのように描いて「ヨッ!怪獣王!」とか持ち上げられても「ちげぇよ!」と。

コスモクリーナーが現実の世界のどこにあるんだよ。ないだろそんなもの。でも核兵器は実在するんだし、現実に落とされて多くの人々が殺されたんだ。絵空事じゃないんだよ。

感想でのコメにも書きましたが、この映画のゴジラは完全に超人ハルクみたいなアメコミヒーローとして描かれていて、人類の過ちを浄化してくれる英雄なんだよね。

人間に有害な“放射線”関連は全部悪玉怪獣であるムートーが担っている(日本の原発を破壊したのも、核兵器に卵を産みつけたのもムートー)。

実はこの映画のゴジラは「核」と直接関係がないのだ。

この映画は敵の怪獣ムートーとゴジラの対戦が見せ場なわけだから、そういう意味で善玉としてのゴジラのキャラ付けは見事にされているってこと。

本多猪四郎監督による1作目の『ゴジラ』では、ゴジラが去ったあとは放射線で汚染されて、幼い子どもに向けられたガイガーカウンターガリガリと音を立てて医師が「手遅れ」というように首を振る恐ろしい場面があるのだが、アメリカ版ゴジラ放射線を全部きれいさっぱり吸い込んでくれる。なんて(都合の)いい奴なんだ。

この映画のゴジラは「核」すらも超越した、まさに「神」なんだよね。彼らアメリカ人にとっての。

だからそういう神話の中の英雄みたいな存在である“GOD”ZILLAが、続篇では悪玉怪獣のキングギドラと戦うんでしょう。楽しみだなぁ(アレ?)。

でもそんなのを「ギャレス監督、初代ゴジラの精神を受け継ぐ映画を撮ってくれてどうもありがとう」などと感謝なんかしたくないね、俺は。違うんだもん。

誰がどんなに否定しようと、これはゴジラというよりも「平成ガメラ」だ。

あるいはやっぱり平成ゴジラとかミレニアム以降の作品群の方に近い。

初代ゴジラではない。絶対に。

そしてこれは「原爆を落とした国の映画」なのだ。初代ゴジラは「原爆を落とされた国の映画」だった。その溝はけっして埋まらない。悲しいことだが。

もしも2018年公開予定の続篇でギャレス・エドワーズ監督が「アメリカ軍は『核実験はゴジラを倒すためだった』などと言っていたが、それは真っ赤な嘘で実はあの核実験のせいでゴジラが目を覚ましたのだ」という“真相”を描いてくれたりしたら(追記:その後、続篇の公開は2019年に延期。監督も別の人になる模様)、今回の僕の批判は覆されるんですけどね。でもそんなのは期待できそうにないよな。


なんでこんなことをくどくど書くかというと、この映画の劇場公開時に僕が感じたような疑問や嫌悪感を表明したり、ハッキリと批判していた感想がきわめて少なかったからです。

大勢の日本の自称ゴジラ・ファンが「ハリウッドがゴジラを映画化してくれた」ことを無邪気に喜んで浮かれていた。

映画ライターなんか褒めちぎってるばっかで、僕が指摘した問題点について誰も語っていなかった。

それがとにかく気持ち悪くて。

ゴジラについては僕なんかよりもよっぽど詳しくて思い入れもあって、対談されたり実際に本多猪四郎監督にインタヴューしたり本も出されたりしている切通理作さんや町山智浩さんたちさえもが絶賛していて、初代ゴジラをないがしろにされて作り変えられてしまったことには一切言及していない。

映画そのものよりも、その反応にとてもガッカリした。

僕はしょっちゅうハリウッド映画を観ているし、別に“反米思想”の持ち主でもなんでもないですが、揺るがしにできないことってあるんじゃないだろうか。

この映画が大ヒットしたことも、この映画を好きだという人が大勢いるのも、それは自由だ。

僕は「この映画は許せないからみんな観るな」なんて言っていない。そんなことを言ったことは一度もない。

観ればいいし、観たうえでもうちょっとよく考えてほしいと言っているのです。何が問題なのかを。

たかが怪獣映画、といえばその通りだけど、こういう「娯楽作品」だからこそ、その中には往々にして作り手の無意識の本音だったり、または意図的に隠蔽された悪意が込められているものなのだから。


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GODZILLA ゴジラ[2014] DVD2枚組

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*1:ギャレス・エドワーズはかつて広島への原爆投下の瞬間を描いた再現番組でVFXを担当しているし、広島の「原爆資料館」にも足を運んでいるので無知によるものではないと思いたいが、彼が込めたという「皮肉」は果たしてこの映画を観たアメリカ人に伝わっているだろうか。

*2:長崎の原爆から命拾いした女性が今度は洋上でゴジラに襲われる場面が何を意味するのかは言うまでもないだろう。

*3:第五福竜丸被爆事件」でアメリカは被爆者やその家族、遺族に現在まで謝罪は一切していない。ちなみに1998年のエメリッヒによる『ジラ』では「フランスの核実験」のせいでゴジラが誕生したことになっている。どこまでも卑劣ですな。