映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『ヤング≒アダルト』


JUNO/ジュノ』『マイレージ、マイライフ』のジェイソン・ライトマン監督、シャーリーズ・セロン主演の『ヤング≒アダルト』。2011年作品。日本公開2012年。

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ミネアポリスゴーストライターの仕事をしているメイヴィス(シャーリーズ・セロン)は、地元に住む元カレのバディ(パトリック・ウィルソン)からのメールを読んで彼と自分は結ばれる運命にあると確信、長らく帰っていなかった故郷にむかう。


ここしばらく酷評がつづいてますが、どうも僕はこの手のアメリカ製のコメディが合わないようで、残念ながら今回もけっこうコキおろしています。

別に映画をディスるのが趣味なわけじゃなくて、好きな作品や面白いと思うものだってあるんですが、たまたま今回は感想をUPする際に自分のなかで評価が低かった作品がかさなってしまった、ということです。

それぞれ観た時期も順番もバラバラなので。


この映画はTBSラジオの「ザ・シネマハスラー」でけっこう評価が高かったのと、『ブライズメイズ』(感想はこちら)と比較している感想を読んだりして気になっていたんだけど、単館公開ということもあって観逃していました。

スノーホワイト』や『プロメテウス』(感想はこちら)、そして『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(感想はこちら)もひかえてて、ここしばらくスクリーンで顔を見る機会が多いシャーリーズ・セロンがアル中気味の30代後半バツイチ女性を演じている。

しかし「大人になれない女性の話」ということだったんで、てっきり『ブライズメイズ』みたいに幼稚な大人コドモがドタバタをくりひろげるコメディタッチの映画かと思ってたら、ガチでイタい女の話だった。

以下、ネタバレあり。


ヤングアダルト」とは、ティーン向け小説のこと。

劇中でも「ヴァンパイア物?」という台詞があるように、「トワイライト」などもそのなかに入るようで。


さて、この映画を“コメディ”だといってる人が多いし、そう宣伝されてたりもするけど、僕が想像してたようなわかりやすいコメディではなかった。

というか、ぶっちゃけこれはコメディなのか?どこが笑えるの?

「そー、こういうことあるある、わかるわかる」って感じの笑いなんだろうか。

予告篇で「心温まる感動作」とか出てたけど、映画観ずに書いてるだろ。

絶妙な感じで居心地の悪くなる映画でした。


とにかく、見るもの出会う人すべてにメンチ切ってるようなシャーリーズ・セロンの三白眼がコワい。

アル中女性の役だが、まさに連日呑みつづけてるようなよどんだ目で、終始不機嫌な表情をしている。

朝起きると、まずペットボトルのコーラをがぶ飲み。

男と呑んでても「そうね」「よくわかるわ」と気のない返事。

もうこの出だしの数分で不快指数がかなり上がる。

ただこのあたりはまだ、毎日に生きがいを感じられない人、ということでこの主人公メイヴィスにどこか同情的にもなっていられる。


問題は彼女が故郷にむかうあたりから。

バディからのメールに「ふつう元カノに赤ん坊のお祝いパーティの招待状なんて送る?」と憤慨しながらも、彼女はノコノコと故郷に帰る。

どうやら元カレがわざわざ自分にメールを寄越したのは、彼が自分とヨリをもどしたがっているからだ、というじつに都合のいい解釈によって。

このへんですでに、彼女がマトモではないことが薄々感じられてくる。

メイヴィスはかつてこの田舎町から出て都会に住むようになった。

ふだん名前が表に出ないゴーストライターをしているが、本人は自分を作家だと思っている。

じっさいやってるのは作家の代わりに小説を書くことだから別に嘘ついてるわけではないのだが、本屋で自分が書いた本が在庫処分で平積みされているのを見て、頼まれもしないのにサインを書こうとして店員にことわられてキレる。

この人が面倒くさいのは、立ち寄るあちこちで自分がいかに成功していて仕事で忙しいかを吹聴すること、そして聞いてもいない元カレと自分のことをベラベラとしゃべること。

自分自分、いつも自分。それ以外のことには関心がないみたい。

演じてるのがシャーリーズ・セロンなのでそのなりきりぶりに感心して観ていられるけど、ハッキリいって「できるだけ早くおもいっきり痛い目に遭いますように」と願わずにはいられない、じつに不愉快なキャラクターである。

そしてクライマックスといえる場面で彼女はイタいイタいしっぺ返しを食らうのだが、それでもメイヴィスは自分の身勝手さを反省することなどなく、バディやその妻、地元の人々に罵声を浴びせて立ち去ったあと、彼女を高校時代から想っていた元いじめられっ子と一発キメて都会に帰る。

そういう話。

面白かったか?と聞かれたら、「…んー、別に」と答えるしかない感じの映画だったな、と。

きっと身につまされる人とかいるんでしょうが。


地元での両親とのビミョーな距離感などは、たしかによくわかる。

でも、両親は別に彼女を邪険にあつかうわけではなく、娘の部屋も高校時代のまま残してある。

彼女が乗っていた車さえちゃんと残してくれている。

それなのに、そんな両親との再会が「最悪だった」って、なにいってんだ?と。

とても30代後半の人間の態度だとは思えないんだが。

まず、僕が一番違和感があったのは、メイヴィスが帰った地元のバーで彼女に声をかける、元クラスメイトのマット(パットン・オズワルト)。

マットは高校時代いじめられっ子で、当時メイヴィスが付き合っていた体育会系の男たちにボコられて下半身と大事なイチモツを損傷、いまも杖をつきながら生活している。

また彼は妹と同居している自宅の地下室に自作のフィギュアを飾っているオタクで、高校時代はメイヴィスのとなりのロッカーを使っていた。

そして当時からずっと彼女にあこがれていたのだった。

マットを演じるチビデブのパットン・オズワルトの寸詰まりの手足を見てるとじつに親近感がわいてくるのだが、こいつがちょっとよくわかんないキャラなのだ。

僕の独断と偏見でいわせてもらえば、高校時代にいじめられてて、あこがれだった女子に話しかけることもできず現在もそのキャラが変わってないような奴が、元学園クイーンの女性に気安く話しかけたりするなんてありえませんよ(きっかけはバーでじっと彼女の顔をみつめてて「なに?」って聞かれるのだが)。

ポコンを潰されて以来、シモの処理にも苦労している男が、20年ぶりぐらいに会った元同級生の女性と気軽に下ネタなんて話せないって。

そんな芸当ができるならいじめられてなんかいないだろうし、いまだに独身の冴えない暮らしをしてるはずもない。

このマットという人物は、孤立無援状態のメイヴィスのかたわらにいて話を聞いてくれる「友だちキャラ」なのだ。

ハリウッド映画では、しばしば女性の主人公に寄り添うこういうキャラクターが配置される。

だいたいゲイだったり身体障害者だったりするんだけど(黒人やアジア人、動物の場合もある)、マットはもろそのまんまなので、そのあまりに型にはまったタイプキャストぶりには鼻白んでしまった。

この映画は、かつて(おそらく前の夫との)子どもを流産してしまい赤ちゃんが産めない身体になったことが心の傷となっている女性の視点と、体育会系男子に怨念を抱きつづけ、高校時代のあこがれのチアリーダーと再会してついに念願の彼女と一夜をともにするオタク男の視点に分裂していて、それが僕にはなんとも中途半端に思えたのだ。

タカビー女の気持ちはわからないし、この映画のオタク男の描写にはリアリティが感じられない。

自分とは関係ない話にもかかわらず、バディの家庭にちょっかいを出そうとするメイヴィスにしつこく忠告しつづけて、なにかといえば彼女のそばに出没する。

そこまで粘着質な男が、好きだった女性に20年間もなにもせずにいるなんてことがあるだろうか。

とっくの昔に彼女をストーキングしてるよ。

…なんかそういう経験があると誤解されると困るんで、このぐらいにしときますが。


メイヴィスの故郷マーキュリーは彼女にいわせれば退屈で先のない死んだような町ということだが、映画を観ていてわかるのは石を投げれば元同級生か親戚に当たりそうなほど狭い田舎だということ。

バディの妻も、ママさんバンドのメンバーも、バーの客も、みんなメイヴィスの知り合い。

みんな高校時代の延長線上に生きている。これはたしかにイヤだ。


アメリカという国は(住んだことも行ったことさえないくせに書いてるので、なんの説得力もないが)日本以上にスクールカーストが苛酷らしく、学校生活でイケてなかった人間は、なにか一発逆転がないかぎりそのまま大人になっても学生時代の冴えないキャラでその後の人生を生きていかなければならないようだ。

田舎は土地は広いが店や娯楽施設がかぎられているため、けっきょく似たようなメンバーとしょっちゅう顔を合わせることになる。

学校を卒業したらそのまま地元で就職して、同級生と結婚したりするとても狭い世界。

高校時代に人気者であったことは、ほかに取り柄のない人間にとっては唯一の誇りなんだろう。

だから「こんな町イヤだ」といって出ていって成功した者は、おなじ町の人々から憧憬ややっかみの目で見られる。

メイヴィスがつまらない意地を張って自分を都会の成功者だと言い張るのも、そうしなければ彼女はただの負け犬とみなされるから。

つくづく疲れる国だな。


すこし脇道に逸れるけど、まだ東京にいた頃、地元の高校時代の先輩たちと何年かぶりに再会した。

先輩たちは卒業して10年以上経つ高校にいまも出向いて、部活の後輩たちの文化祭の手伝いをしたり、公演後に偉そうにダメ出ししたりしていた。

現役高校生の頃からのそのあまりの変わらなさぶりに寒気がした。

そして、休みをとって東京から地元に帰り、ひさしぶりに先輩たちに会った僕が彼らと入った居酒屋で思い出話に花を咲かせようとすると、「そろそろもういいか。反省会がしたいんだが」と苛立たしげにいわれて、そのまま文化祭の反省会のはじまり。

関係ない僕はキョトン、である。

彼らにはかつての後輩との再会よりも、母校の文化祭のことの方が重要なようだった。

そのとき、この人たちとはもう二度と会わないだろうな、と思った。

そんなわけで、離れていた地元の知人たちの変わらなさにウンザリする気持ちはわからなくもない。

しかし、この映画のなかで町の人々が具体的にどう不愉快なのかは描かれないので、メイヴィスが彼らにつけるイチャモンはじつに理不尽きわまりないものに映る。

高校の同級生と結婚して、同級生たちが集う店でパーティをして、地元にも都会のチェーン店ができたのを喜ぶことのどこが悪いんだろう。

日々の生活を平凡に平和に暮らしている彼らが、メイヴィスに「ここは最低の町」などと悪態をつかれる筋合いはないはずだ。

むしろ、高校でメイヴィスがどれだけ調子に乗って反感を買っていたのかということの方がより強く伝わってくる。

なんというか、もはや同情する気もおこらないのだ。

マットの、これも行き遅れたっぽい妹の「あなたは町のみんなのあこがれだった」という言葉も、最初はメイヴィスを励ますためにわざと嘘をいっているのかと思ったぐらい。

ママさんバンドのメンバーたちも、メイヴィスのことを快く思っていない。

メイヴィスに招待メールを送ったのは、そんな彼女に同情したバディの妻だった。

バディの妻がメイヴィスの過去を知ってたなら赤ちゃんのお祝いパーティに彼女を招待したのはあまりに無神経な行為だし(おそらく流産のことは知らなかったんだろうが)、元カレであるバディとメイヴィスがなぜ別れたのかはわからないけど、バディの空気の読めなさにはじつにイラつかされる(誘われておもわずメイヴィスとキスしてしまうとこなど、本気で「バカかこいつ!」と思った)。

が、妻子ある男と自分がどうにかなれると本気で信じていたらしいメイヴィスのどうしようもないおめでたさと思い上がり、彼女が心に傷を負ったことをまるで町の人々のせいにしているような甘えきった言い草には、やはりこの人は一度ほんとに堕ちるとこまで堕ちた方がいいんじゃないかとすら思った。

赤ちゃんを流産して子どもができない身体になったことは気の毒ではあるが、だからって彼女が町の人々を見下したり憎む理由にはならんでしょう。

彼女の生き方が誰からも後ろ指さされるいわれがないのと同様に。

メイヴィスは自分のことを「大人になれない」というが、子どもだってあんな非常識なことはしないよ。

彼女の場合、大人かどうかということよりも、マットのいうとおり病院で診てもらった方がいいんじゃないか。

まぁ、それ以前に根本的な人間性の問題だとも思うが。


冒頭でメイヴィスが男と寝たあとベッドで自分を抱いてる相手の腕をどけるしぐさが、故郷でマットと寝た翌日のシーンで反復されている。

これからミネアポリスにもどるメイヴィスの顔には、最後まで笑顔はない。

彼女はこれからも男の腕をどけては気の向くままに姿を消し、行く先々で人々に迷惑をかけつづけていくのだろう。

「平凡な人生」への侮蔑と恨み節は、裏を返せば彼女の渇望でもある。

もしこの映画を観てメイヴィスに感情移入できた人は、なにがおころうと「明日は明日の風が吹く」って風情の彼女に自己投影できたのかもしれない。

僕はこういう人とはできるかぎりかかわりたくないですが。

おなじくイタい女性を描いていても、おもいっきり笑える分、僕は『ブライズメイズ』の方が百倍好きですね。

やっぱりまだお子ちゃまだからかな。


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