これまで何度も観たにもかかわらず、それでもまたときどき無性に観たくなる映画がある。
そんな作品のなかの1本が今回のウォルフガング・ペーターゼン監督、クリント・イーストウッド、ジョン・マルコヴィッチ、レネ・ルッソ出演の『ザ・シークレット・サービス』。1993年作品。
ネタバレなし。
かつてジョン・F・ケネディの警護にあたりながら大統領を目の前で暗殺されてしまったシークレット・サーヴィスのエージェントに、現大統領の暗殺を予告する電話が。
現在『人生の特等席』(感想はこちら)が公開中のイーストウッドがいまから19年前に主演したポリティカル・サスペンス映画。
公開当時映画館で観て、その後もヴィデオやTV放映などで幾度となく観た。
ちなみに声優の故・山田康雄氏がイーストウッドの声を最後に吹き替えた作品でもある。
吹替版【抜粋】 ジグソウさんも出てたりします。
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主人公でシークレット・サーヴィスのヴェテラン捜査官フランク・ホリガン役にクリント・イーストウッド。
暗殺犯の“ブース”ことミッチ・リアリー役に怪優ジョン・マルコヴィッチ。
フランクとともに犯人を追う女性エージェントのリリー役にレネ・ルッソ。
フランクを毛嫌いする大統領補佐官役は、『ダイ・ハード2』ではブルース・ウィリスを邪魔者あつかいする管制部長を演じていたフレッド・トンプソン。
監督のウォルフガング・ペーターゼンについては、僕は彼がアメリカではじめて撮ったファンタジー映画『ネバーエンディング・ストーリー』(感想はこちら)が好きなんですが、この『ザ・シークレット・サービス』はそれに次いで好きな作品。
ペーターゼンはその後、ハリソン・フォード主演の『エアフォース・ワン』やジョージ・クルーニー主演の『パーフェクト・ストーム』、ブラッド・ピット主演の『トロイ』にカート・ラッセル主演の『ポセイドン』などVFXを駆使したスター主演のアクション大作を撮りつづけているけど(ここ数年新作を見ないが)、この『ザ・シークレット・サービス』はそれらとは違ってカーチェイスも大爆発も派手な銃撃戦もない、サスペンス物。
僕にとってはイーストウッド主演映画のなかでもかなりの上位にくる作品。
クライマックスでマルコヴィッチが大統領の命をねらい、エレベーターに立てこもるウェスティン・ボナヴェンチャーホテルは、その後おなじエレベーターを『トゥルーライズ』でシュワちゃんが馬に乗ったままあがっていた。
音楽がブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』っぽいリズムだな、と思っていたら、作曲はおなじエンニオ・モリコーネ(※ご冥福をお祈りいたします。20.7.6)だった。
「大統領の死」という“原罪”を背負った主人公フランクのキャラクターは当時63歳の“俳優イーストウッド”本人のフィルモグラフィとどこかかさなるようなところもあり、前年の自身の監督作品『許されざる者』とはまた違った感慨があるが、一方では今回のこの主人公には軽妙でユーモラスな面もあって、ジャズを聴きピアノを奏でてレネ・ルッソ演じる女性エージェントを口説いたり何度もニヤけた表情を見せたりと、のちの『トゥルー・クライム』のようなエロ親父ぶりを垣間見せたりもしている。
それまではどちらかといえば女性に対してはストイックなキャラクターを演じることが多かったイーストウッドが、「彼女が振り向けば俺に気がある。さぁ、振り向くんだ」とひとりごちて、そのとおりになると彼女に向かって目尻を下げて微笑む。
これは公開当時なかなか新鮮だった。
僕はこの映画のイーストウッドのリラックスした表情がとても好きだ。
大統領暗殺をめぐるサスペンスと、ピアノを弾いてバーでウイスキーを傾けるイーストウッドの枯れたシブさのアンサンブル。
レネ・ルッソとの大人同士の雰囲気のあるやりとり。
アクション映画などでのこの手の男女の会話はたいがい退屈なものだが、この映画の彼らのそれはウィットに富んでいて見惚れてしまう。
イーストウッドがほかの映画でからむヒロインはタフガイの主人公が守ってあげなければならない存在であることが多いのだが、この映画のレネ・ルッソは仕事では有能、かつ女性としても魅力的というキャラクター。
守ってあげるどころかフランクはリリーに支えられ、彼女の助力で一度解かれた大統領警護の任務にふたたび就くことができるのだ。
主人公と対等の力をもつヒロインの存在は、イーストウッドの主演作品では比較的めずらしい。
大統領暗殺の危機が迫っているかもしれないのに、任務の途中でイチャイチャしたりホテルで同衾したりと、ふたりしてなかなかお気楽なところもあるが。
この手錠や銃のマガジン、衣類などを床にボトボト落としてベッドになだれ込む、というのは、レネ・ルッソはたしか『リーサル・ウェポン3』でメル・ギブソンともやってたような気がするけど。
彼女はペーターゼンの次の作品『アウトブレイク』でもヒロインを演じている。
50代後半の現在でもその美貌は健在で、最近でも『マイティ・ソー』(感想はこちら)に女神の役で出ている。
しかし、なんといってもこの映画の白眉といえるのはジョン・マルコヴィッチの演技だろう。
元CIAで暗殺要員として教育されたリアリーは、自分を“怪物”に仕立て上げた政府への復讐のために大統領暗殺をくわだてる。
この男が主張する論理は破綻していて完全に頭がおかしいのだが、そんなサイコ男をマルコヴィッチは非常に説得力のある演技で見事に造形している。
彼がこれまで演じてきた悪役や頭がどうかしちゃってる人の役(『コン・エアー』『バーン・アフター・リーディング』『RED/レッド』など)は、ほぼこのリアリー役のなかにその原型がみとめられる。
イーストウッドはその後、自分の監督作品『チェンジリング』でマルコヴィッチを起用している。
ジョン・マルコヴィッチというとどうもアヤシゲな登場人物ばかり演じてるイメージがあるので、あの映画での高潔な牧師役というのがなんだか胡散臭く思えてしまったぐらい。
僕が彼をはじめて映画で見たのはスピルバーグの『太陽の帝国』で、まだ子役時代のクリスチャン・ベイルとからむアメリカ兵を演じていた。
そのあとはベルナルド・ベルトルッチ監督の『シェルタリング・スカイ』。
全篇ボカシの嵐だったなぁ。
マルコヴィッチはあの頃から普通にハゲていた。年季が違う。
最近では『トランスフォーマー3』にも出てたけど、どうも僕はマルコヴィッチさんはコメディ作品やコミカルな役柄には向いてないんじゃないかと思う。
なんていうんだろ。ちょうどナタリー・ポートマンがそうであるように、一所懸命ヘンなことやって観客を笑わせようとすればするほどご本人たちの「生真面目さ」が浮き上がってきて笑えなくなるのだ。
『マルコヴィッチの穴』のようなユニークな作品もあるけれど、あの映画はいわば“あのマルコヴィッチ”をイジる、というのが面白かったわけで、あの映画でもマルコヴィッチご本人は至極真面目である。
そんなわけで、マルコヴィッチの使い方についてもこの『ザ・シークレット・サービス』は最高だったと思う。
ハンターたちを撃ち殺すシーンの落ち着き払った非情さ。
僕は銃器マニアじゃないんでああいう銃が実在するのかどうかは知らないけど、プラスティック製の銃を製作するときの、まるでプラモデルでも作っているかのような手つき。
変装の名人という設定だけど、その変装した姿がどっからどう見てもマルコヴィッチ以外の何者でもないところはご愛嬌。
彼が演じるリアリーは究極の“かまってちゃん”で、目をつけたフランクにしょっちゅう電話をかけてくる。
フランクを自分のゲームに引き込んでいっしょに遊びたいのだ。
「俺とあんたはよく似ている」といって。
過去に重大な任務に失敗したフランクには大きな悔いがある。
リアリーはそこをほじくってフランクを挑発する。「お前は本当に死ぬ根性があるのか?」と。
リアリーは自分の人生を政府やCIAに破壊されたと思っていて、またつねに「なんのために生きるのか」を問題にしている。
そして「人生とはつまらないものだ」という結論にたどり着く。
だから刺激をあたえるためにゲームをするのだ、と。
「自分が正しい」ということをまったく疑っていないらしいこの男に共感することはできないが、妙に惹かれるところがある。
「俺がこうなったのはぜんぶ世の中のせいだ」と考える人間はいる。
リアリーが主張するのは、まさにそういうタイプの人間の論理である。
ピアノを弾き、女性を口説くのは彼にとってはつまらないことなのかもしれないが、そういうささやかな喜びで人は生きている実感をもてるのかもしれない。
フランクの留守電に「俺たちのような誠実な人間には生きにくい世の中だ」というメッセージを残すリアリー。
リアリーはフランクに「俺たちは似ている」といったが、フランクはそれを否定し愛する女性とともに生きようとすることで、あらためて自分の心の傷から立ち直ったといえる。
映画の最後にリンカーン記念堂で寄り添い合うフランクとリリー=イーストウッドとレネ・ルッソの後ろ姿、そこにかぶさるモリコーネの美しいメロディに、いつもなんともいえない深い感動をおぼえる。
最近、こういう味わい深い娯楽作品をあまり観てないなぁ、と思う。
この映画では一見すると、ジョン・F・ケネディ=アメリカの善の象徴、のような描かれ方がされているような気がしないでもない。
フランクはケネディの死を自分の責任と感じており、アメリカに移住して30年という老婦人は「ケネディが暗殺された日は涙が止まらなかった」と語る。
それでもリリーによって、フランクがケネディの浮気をもみ消してかわりに処罰されたことが語られるし、心を病んだ暗殺者ミッチ・リアリーの存在はそんな「善きアメリカ」の闇の部分をあらわしてもいる。
フランクがケネディを守れなかったことを悔やんでいるのは、「守ること」が彼の任務だったからだ。
この映画の監督、ウォルフガング・ペーターゼンはドイツ出身で、『U・ボート』が国際的な成功をおさめて以降はアメリカで映画を撮っている。
そんな外国出身の監督が「アメリカ」という国について語るこの娯楽映画を撮った、というのはなかなか面白い。
これは単なる「アメリカ万歳映画」ではないし、さっき書いたように、復讐心が社会や国に向かった人間の病理はアメリカにかぎった問題ではない。
おなじドイツ出身のローランド・エメリッヒが『インデペンデンス・デイ』や『パトリオット』など大味な「アメリカ万歳映画」を作りつづけているのにくらべると、この作品は本当に「大人も愉しめる娯楽作品」だと思う。
もっとも、その後ペーターゼンは「エメリッヒが撮った」といわれても誰も疑わないような大味なVFX大作がつづくのだが。
派手なドンパチやVFXで観客を刺激するのではなく、あくまでも巧みなストーリーテリングと俳優の演技で魅せる、この映画のような作品がもっと増えてくれると嬉しい。
※ウォルフガング・ペーターゼン監督のご冥福をお祈りいたします。22.8.12
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