3月31日(金) に連続テレビ小説「舞いあがれ!」が最終回を迎えました。
このブログでは1月に一つだけ記事にしましたが、その後もずっと観続けていました。
ただ、前もってお断わりしておくと、例えば同じBK(NHK大阪放送局)作品である「スカーレット」や「おちょやん」のように物語にズッポリと入り込んで、というよりも、ちょっと距離を取りながら、Twitterでの他の熱心なファンのかたがたの呟きを読んでいろいろと補完させてもらいながら観ていました。
それは「おちょやん」が1本の長大な舞台劇のような作りの「物語」であったのに対して、「舞いあがれ!」がより今の現実の世界に近い現代劇だったから、というのもあるし、それゆえに途中でちょっと息切れに近いものを感じてしまって(あくまで僕の感想ですから「別に息切れなどしていない」と感じられたかたもいらっしゃるかと思いますが)、のめり込むまでには至らなかった。
それはきっと、僕が登場人物たち一人ひとりに強い感情移入をして観るというよりは「物語」の推進力によって関心を持続させる人間だからだと思います。
朝ドラファンのかたがたの中には、登場人物たちを好きになって彼らのすべてを愛でる、台詞一つや表情、しぐさ、小道具などからさまざまな事象を読み取って「物語」に積極的に参加していく姿勢をとられている人たちが結構いるようなんだけど、僕はそうではないから。
ただ、このブログで常々申し上げていましたが、僕は朝ドラの「現代劇」が苦手で、これまでにほぼ現代劇と言っていい「まれ」も「半分、青い。」も「おかえりモネ」も途中離脱していますし、今なお大人気で4月からBSで再放送される「あまちゃん」(いずれもAK=東京・放送センター制作ですが)でさえも内容についてほぼ記憶にない、という始末だったのが、この「舞いあがれ!」でついにそれを克服できたことは大きな一歩でした(^o^)
それは、このドラマがある一定のリアリズムを保ち続けていて、極端にデフォルメされた展開や演出がなかった(途中でかなり危うい時もありましたが、踏みとどまった)おかげで、作品によっては自分でも現代劇を最後まで観通すことができるんだ、と思わせてくれたことはありがたいですし(なんとなくボンヤリとした感想で申し訳ありませんが)、この半年間、楽しかったです。
ついこの前「ちむどんどん」の最終回を観たばかりだと思っていたのが、もうあれから半年経ったんだ、とちょっと驚きなんですよね。以前よりも明らかに時間の進み方が速く感じられてる。
半年間のドラマをここで要約するのはたやすいことではないし、ですから強く印象に残った箇所についてのみの感想になりますが、まず何よりも意表を突かれたのが、「主人公は旅客機のパイロットになる」という結末を想像していたら、そうではなかったこと。
「スカーレット」でも確か途中で「いつになったら陶器を焼き始めるのか」とツッコミを入れられていましたが、でもあのドラマは実在の人物をモデルにしていたから最後には彼女が陶芸家になることはわかっている。「おちょやん」も同様。
でも、この「舞いあがれ!」はそうじゃなくて脚本家の完全オリジナルストーリーだから、主人公が最後にどこに向かうかはわからない。
それでも第1話だったかほとんど始まって間もなく旅客機を操縦する主人公・舞(福原遥)の姿が描かれていたから、ラストはそういうことなんだと思うじゃないですか。
そのあたりはお見事だったなぁ、と思いますね。
最初の方での旅客機のあの描写の細かい部分はもうよく覚えていないし、だからもしかしたらあれは最終回での舞の“空飛ぶクルマ”の操縦を映したものだったのかもしれませんが、最後にはちゃんと彼女はパイロットになるし、空に舞い上がる。
航空学校を無事卒業して就職の内定をもらうも、父・浩太(高橋克典)の突然の死によって母・めぐみ(永作博美)がそのあとを継いで「IWAKURA」の社長に就任して会社を継続していくことになり、舞は母を支えるためにパイロットの道を諦める。また、遠距離恋愛だった柏木(目黒蓮)とも別れる。
この展開に、あれ?ってなったんですよね。えっ、パイロットにならないの?と。
で、舞は実家の会社でネジ作りに邁進する。また、東大阪の町工場同士の連携を考えるようになって、やがて新しく会社を立ち上げる。
お父さんが願っていたことに近づいていく一方で、パイロットの話じゃなくなったことに大いに残念さも覚えたし、そのあたりでだんだんお話自体には関心が薄れていった。
いや、さっき述べたように急に劇的であざとい展開を無理やりぶっこんで視聴者の関心を惹こうとすることはなくて、一見地味なやりとりの中で舞の人生を紡いでいく作劇には好感を持ったし、だからこそ最後まで観続けられたんですが。
お金のことが常に心配事としてあって、それは同じく金銭関係でトラブル続きだったはずなのにいつの間にかそれがなかったことにされたり、解決の過程がちゃんと描かれなくて不興を買った前作「ちむどんどん」に対するBK朝ドラの挑戦というか対抗意識というか、挑発のようにも感じられて面白かった(とはいえ、舞と山口紗弥加演じる御園が作った会社「こんねくと」の経営については視聴者からツッコミを入れられまくってたが)。
このドラマでは脚本家が週ごとに目まぐるしく交替して、そのたびにTwitterでの視聴者の反応がコロコロ変わる、ということを繰り返していましたが、なんか「この脚本家さんのシナリオは褒めるけど、この人のは貶す」みたいなのが常態化してるのが見ていて疑問で、他の視聴者の皆さんの意見や評価にも納得いかないところがあったから、途中からはあまり影響され過ぎないようにしていました。まぁ、どう感じるかは結局は自分次第ですからね。
「あざとい展開がなく」と書いたけれど、途中で貴司(赤楚衛二)の前に現われた史子(八木莉可子)との放送のほぼ1週間分を使ったエピソードには僕は不満があって、あのあたりでは「#舞いあがれ反省会」に思ったことを書き込んだりもした。
もっと史子をうまく使えたのではないか、と。舞や貴司の前で独り相撲を取らされ、一方的に貴司に惚れて勝手に振られて去っていった彼女のことが不憫でならなかった。
史子は歌人の貴司のファンで、誰よりも彼の短歌を理解していると自負しており、そのことを舞にも告げたりもする。
もう見るからに主人公の前に立ちはだかる恋敵、みたいな“キャラ”で、でもその「こんな奴おれへんやろ」って感じの彼女の人物造形はこのドラマには相応しくないように思えたし、「恋敵」と言ったって貴司が彼女に気がないことは最初からわかりきっているので実際には単なるお邪魔虫でしかなく、また最後には舞の背中を押して貴司とくっつけさせるために登場させられ便利に使われた役だった。
その後、彼女も歌人として活躍している、とフォローが入るけど、以降は貴司の物語に彼女がかかわってくることはなかった。
そうじゃなくて、僕は史子は歌だけのために生きているような孤高の人として登場させるべきだったんじゃないかと思うんですよね。
そして、貴司の方こそがそんな彼女に憧れを持って、それがいつしか恋なのではないかと思い始める、というような。
舞は航空学校で柏木とくっついて、その後別れるんだけど、つまり彼女には彼女の恋愛があったわけじゃないですか。たとえそれがごくささやかなものであったとしても。
だったら、貴司の方にもそういうことがあってもよかったんじゃないか。
だけど、自分と似たものを持っているからこそ好意を抱いた史子とは違って、舞は自分とは異なるものを持っているからこそ好きになって自分が歌を作り続ける原動力になってくれていた人なんだとあらためて気づいて、彼は舞に自分の気持ちを伝える、というふうな。
舞もまた、史子の方が自分などよりもよっぽど貴司の才能を理解していて互いにわかり合える存在なのではないかと悩み、それでも振られるかもしれないことを覚悟しながら彼に「好き」だと言う、このふたりの葛藤と決意が描かれてこそ、史子の存在は活きたんではないかと思うんですよ。
史子さんはその後、ファミマで頑張ってるようです。
そういえば、貴司が八木(又吉直樹)から受け継いだ古本屋「デラシネ」に通っていた子どもたち、陽菜(徳網まゆ)と大樹(中州翔真)はあれからどうなったんだっけ。五島で舞や貴司と打ち解けた少年・朝陽は成長して再登場してましたが。
貴司が作る短歌の中身が、もっと舞が「空を飛ぶこと」と密接に絡んでくれたらより感動が深まったと思うんだけど(ところどころでかかわってはいましたが)、文字である「短歌」を映像の中でどうやって描くのか、という難しさはあったかもしれないですね。
パイロットの道を諦めた、と思っていた舞が、今では“空飛ぶクルマ”の開発をしている浪速大学時代の先輩・刈谷(高杉真宙)と玉本(細川岳)との再会で最終回での飛行に繋がっていく展開は見ていて嬉しかったものの、空飛ぶクルマの完成には時間がかかるために終盤ではどんどん時間の進み方が加速していって、あっという間に7年も経ってしまうのは(最終的な時代は今から4年後の未来である2027年)やはりちょっとどうかとは思った。
その間、老いもあって一人での生活が難しくなって、めぐみが親孝行のために東大阪に呼び寄せた祥子ばんば(高畑淳子)は、早く五島に帰りたいのを何年もひたすら我慢していたのだろうか。
最終回の時点で舞と貴司の娘でまだ10歳の歩(あゆみ)を演じる子役の女の子たちがめちゃくちゃ大勢いるのが可笑しかったですが(総勢6名。赤ちゃんを入れればもっと。最終的には舞の幼少時を演じた浅田芭路ちゃんに成長)。
あとですね、細かいことだと思われるかもしれませんが、大阪万博とか空飛ぶクルマとか、現実にはいろんな意見が出ていることをこのドラマでは「希望」のようなものとして肯定的に描いているんですが、中小企業の大変さを描いたこのドラマで、彼らがかかわることについて深く掘り下げて述べられることがないのは、なんとなくモヤッとしてしまうんですよね。
工場の人たちはモノを作ってればいいのか?と。自分たちが作るものが本当に世の中の役に立つのか、あるいは企業としてそれにかかわることが人々の本当に求めていることなのか、そのあたりは充分に吟味して然るべきでしょう。
現代劇で、それも朝ドラでそのあたりに触れるのは難しいことかもしれませんが、万博や空飛ぶクルマは架空の存在ではないのだから、ドラマの作り手は「これを描いたら、現実にはどのような影響があるのか」を考えたうえで物語の中に組み込んでほしいと思います。
オープニングの主題歌が流れる中でストップモーション・アニメで鳥みたいな可愛い足の生えた紙飛行機がいろんな形に変形していくけれど、最後の形は“空飛ぶクルマ”のそれなんですよね。
あの結末は最初から決まっていたのか、それともOPアニメのあのデザインにお話の方を寄せたんですかね?
観終わったあとに思い返せば、back numberが唄うこの主題歌は、貴司が舞に向けて書いた歌だったんですね。
「僕の中の君、君の中の僕、きっと同じじゃないけど」「君に会いたくなる」と。
…まぁ、またなんかゴチャゴチャ言っちゃってますが^_^; でも、たとえば高畑淳子さんが演じた祥子さんの時代の流れに沿った丁寧な老け具合とか、この作品では朝ドラでありがちな「演者と役柄の無理のあり過ぎる年齢差」をほとんど感じさせられることがなくて、出演者の皆さんが自然に劇中での役柄に見えたんですよね。
30年以上の時代の流れを描いたドラマでしたが、違和感を覚えることがなかった(若い頃のめぐみさんと浩太さんの髪型には笑ってしまったがw)。
それから、僕が大の苦手な「時間の入れ替え」をやってなくて、時々ちょっと回想シーンが挟まれる程度のオーソドックスな構成だったのもよかった。
「伏線がどうちゃら~」みたいなことも、そうやって褒めてる人たちが今回もいるけど、ここ最近朝ドラでやたらと使われている「伏線回収」という言葉が僕は大嫌いで、だって伏線でもなんでもないものを無理やり「伏線」と称しているから。
そういうこれ見よがしな作劇がこの作品の中にはほとんどなかった。
最初から最後まで、祖母(祥子)、母(めぐみ)、娘(舞)の物語であり続けましたね。そこはブレてなかった。そして彼女たちの想いは、さらにその次の代(歩)へと受け継がれていく、と。
できれば、奇をてらわずこういう人と人とのドラマをコツコツと積み上げていくような路線を今後も続けていっていただきたいなぁ。あ、もちろん、「おちょやん」みたいにギミックに溢れた(といっても、あのドラマだって別に「伏線回収」がどうのというような内容ではなかった)作品もそれはそれで楽しいですが。要は、策に溺れないでほしい、ということ。
僕がこのドラマに好感を持てたのは、全篇を通して舞や彼女以外の人たちに対して貴司にけっしてキレさせたり暴言を吐かせたりしなかったこと。
貴司のように自分の気持ちを内に溜め込むタイプの登場人物は、それを劇中で爆発させることでドラマを盛り上げようとしがちなんだけど、この作品ではそれをしていない。作り手(脚本家)がそこにこだわりがあったのかな。
主演の福原遥さんについては途中で舞のキャラが激変することがあったためにいろいろ言われたけど(僕も言ってましたが)、それでも舞の人物像が崩壊しなかったのは、福原さんの誠実な演技のおかげだったと思います。
お二人以外でも、このドラマで知名度を上げた出演者のかたがたの今後のさらなるご活躍を楽しみにしています。
関係者の皆さん、本当におつかれさまでした!
「ビズリーチねえさん」こと由良冬子役の吉谷彩子さんが、インスタグラムに「なにわバードマン」メンバーの写真を投稿されてましたね。
さて、4月3日(月) からさっそく神木隆之介さん主演の「らんまん」が始まります。
現代劇だった(最後は未来まで描いちゃった)「舞いあがれ!」から一転、おなじみの実在の人物をモデルにした近過去が舞台の物語で、出演者がやたらと豪華なのも気になりますが、「舞いあがれ!」での丁寧な作劇から次はどのような方法論でドラマを作っていってくれるんでしょうか。
「とと姉ちゃん」や「なつぞら」、「エール」のような前例があるので(お好きな人はごめんなさい)、不安もあるんですが、でも久しぶりにまた「物語」を堪能できることを期待しています。
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