映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』


ロバート・ゼメキス監督、マイケル・J・フォックスクリストファー・ロイドクリスピン・グローヴァーリー・トンプソントーマス・F・ウィルソンクラウディア・ウェルズジェームズ・トールカン出演の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。1985年作品。

脚本はロバート・ゼメキスボブ・ゲイル。音楽はアラン・シルヴェストリ

第58回アカデミー賞音響効果編集賞受賞。

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1985年。高校生のマーティ・マクフライマイケル・J・フォックス)は、知人の“ドク”エメット・ブラウン博士(クリストファー・ロイド)の作ったデロリアン型タイムマシンで1955年にタイムスリップする。ところが偶然青年時代の父ジョージ(クリスピン・グローヴァー)と母ロレイン(リー・トンプソン)の出会いを邪魔して歴史が変わってしまい、マーティや兄姉たちは生まれないことになってしまう。


1980年代を代表するSFアドヴェンチャー映画。製作総指揮はスティーヴン・スピルバーグ

劇場公開当時観にいきました。続くPART2と3も同様に映画館で鑑賞。

以来、TVの地上波やBS、DVDなどで何度も観ています。

今回、TOHOシネマズの「午前十時の映画祭7」で三部作が順番に公開されるということで、一作目を31年ぶりにスクリーンで観たんですが、ほんとにワクワクしましたね。子どもの頃のあの興奮を思い出しました。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの主題歌を聴くと気分はもう80's!

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それにしても、もうあれから30年経ってるんだなぁ、といろいろ感慨深いものが。

1.21ジゴワット*1という謎の単位も時代を感じさせますねw

ドクやマーティの高校で「マクフライ家は代々落ちこぼれだ」と嫌味を言うストリックランド先生(ジェームズ・トールカン)が30年間ほとんど年をとっていないのが可笑しい。


トールカンはトム・クルーズ主演の『トップガン』でも同じような感じの上官を演じてました。

ドク役のクリストファー・ロイドは、映画の中では総白髪なので当時はおじいちゃんだとばかり思っていたけど、一作目の撮影時にはまだ40代後半(!)。

マーティ役のマイケル・J・フォックスは23歳だった。

マーティの彼女、ジェニファー役のクラウディア・ウェルズがほんとに綺麗。


クラウディア・ウェルズは残念ながらこの一作目のみの出演で、続篇2本ではエリザベス・シューがジェニファーを演じた(ジョージ役のクリスピン・グローヴァーも出演は一作目だけ。二作目以降は一作目の映像の流用と別の俳優による代役)。

事情があってのことだったそうだけど、彼女による三部作も観たかったなぁ。


TOHOシネマズには僕と同世代ぐらいのお父さんが、夏休みだから小学生の子どもたちを連れて観にきてました。

お父さんがこの映画好きなんだろうなぁ。

映画館でも観ているけど、僕が馴染み深いのはテレビ朝日の「日曜洋画劇場」で放映された吹き替えヴァージョン。

主役のマーティを三ツ矢雄二、ドクを穂積隆信、ジョージを古川登志夫、ジョージと高校の時から因縁のあるガキ大将ビフ(トーマス・F・ウィルソン)を玄田哲章がアテていた。


僕はこのヴァージョンが吹替版では一番出来がいいと思ってまして、たとえばソフト版でのドクは故・青野武さんの名調子がピッタリだしマーティ役の“山ちゃん”こと山寺宏一も安定感があるんだけど、「日曜洋画劇場」版の三ツ矢雄二さんのマーティはマイケル・J・フォックスの時折裏返る甲高い声にソックリだし、何よりオリジナル版のユーモアをもっとも引き出している。マーティはノリが軽いんだよね。全然“ヘヴィー”じゃないw

ドク役の穂積隆信さんの声はクリストファー・ロイドには似ていないけれど、早口でまくし立てるところとか「マーティ!」と呼びかける声なんかが実にイイんです。

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これまでは「機動戦士ガンダム」のカイ・シデンや「うる星やつら」の諸星あたる、「Dr.スランプ アラレちゃん」の空豆タロウなどいつも軽いノリで調子のいい奴の声のイメージが強かった古川登志夫がヘタレなジョージ役で意外とイイ味出してたり、玄田哲章はいかにもなアメリカのジョックス野郎ビフが誰よりもハマってるし。

残念ながら以前買ったDVD-BOXにはこの吹替版は入ってなかったので僕は持っていませんが、その後「思い出の復刻版DVD」シリーズやブルーレイ版には収録されたようで。

またこの吹き替えで観たいなぁ。


さて、何しろ80年代の映画だし、これまでに多くの人たちによって語り尽くされてもきているから正直「今さら感」はなきにしもあらずなんだけど、初公開から30年経つとこの映画を観ていない人も結構いたりするようだし、TOHOシネマズで同じ日に続けて観た新作映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』と時代的に意外な繋がりもあったので、あらためてこの名作について語ってみようと思います。

といっても、確かに滅法「面白い」んだけど、映画のストーリーそのものにはとりたてて特筆すべきところはないんだよね。

スピルバーグ繋がりで言うと、以前「インディ・ジョーンズ」シリーズ第一弾『レイダース/失われたアーク』の感想で書いたんですが、あの映画では意外と派手な特撮(SFX)は多くは使われてなくてそのほとんどはフィジカルなアクションシーンで構成されていた。この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』一作目はそれよりもさらに特撮は控えめで、よく観ていたらわかるけど目立つ視覚効果は時計台に落ちる稲妻と最後に飛び立つデロリアンぐらい。

あとはほぼ全篇、主人公のマーティがあちこち走り回ってはピンチに陥って、ドクの知恵を借りたりしてなんとか打開するという、あくまでも“人間”が主役のティーン・コメディなんですよね。

前年公開の『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』(感想はこちら)や『ゴーストバスターズ』『グレムリン』などと比べたら、映像的にはいかに地味かよくわかると思う。かなり低予算だったという話だし。

それなのにこれだけ面白いのは、ひとえに脚本の見事さ、そしてマイケル・J・フォックスクリストファー・ロイドたち出演者の好演による。そのどちらかが欠けていても、BTTFはこれほどの名作にはなっていなかったでしょう。*2

特に物語の伏線とその回収は娯楽映画のお手本みたいなもの。

映画の冒頭で恋人のジェニファーとイチャつくマーティに、おばさんがこの町ヒル・ヴァレーの時計台を保存するための募金を呼びかけるけど、早速それがのちのちマーティが1950年代から85年に帰ってくる伏線になっている。

高校時代からイジメっ子のビフと縁が切れずにうだつの上がらないままの父親ジョージ、そのジョージとの出会いのエピソードを100万回ぐらい繰り返し子どもたちに話すお堅い母親のロレイン、兄も姉もなんだかいいかげんな感じの人たちだ。

そんなどこか冴えない一家が、ミュージシャンを目指す17歳の末っ子マーティの30年の時を越えた冒険によって最後には一変する。

「成せばなる」というシンプルなメッセージ。

溜飲が下がり、すべてが丸く収まってカタルシス満点のラスト。

この映画ほど「語る」ことに空しさを覚える映画もなかなかないかもしれない。

だって言葉で説明するよりも、何よりまず「観てみて」としか言いようがないから。

もちろん世の中にはいろんな感性の人がいるから、この映画が肌に合わない、面白いと思わない、という人だっているだろうし、それが悪いというわけじゃないけど、好き嫌いは別にして基本的には実によく出来た映画だと思うわけです。

特撮(この映画が作られた当時はまだCGは一般的じゃなかったこともあって、日本ではVFXという言葉は普及していなかった)で観客の目を惹くんじゃなくてあくまでも脚本の巧みさで魅せるということでは、この映画に匹敵する作品ってちょっとすぐに思い浮かばない。

対象年齢も幅広くて、小学生ぐらいから大人まで楽しめる。

それはこの映画に溢れるユーモアのおかげもあるでしょう。

誰だってイジメっ子に逆襲してやりたいし、恋人ともうまくいって家族もみんな幸せになれたらそんなに気持ちのいいことはない。

そういう、無邪気なまでの楽天性、ハッピーエンドを信じる心、そういうものに満ちていて、「80年代」を幸福なものに思わせてくれる。

この映画を観て、あの当時を懐かしがったり、まだ生まれていなかった人たちは憧れを感じることもあるかもしれない。

ともかく上映時間116分間、笑ってドキドキして最後に拍手したくなる、そういう体験を映画館でできるのってほんとに嬉しい。

子どもの頃に戻ってそういう気分を再び味わいました。


だから大好きなシリーズだし、それはこれから先も変わりませんが、一方で一作目から30年以上経ち80年代や50年代という時代を俯瞰する視点も持つと、もはや子どもの頃のように無邪気に「面白かった」「最高!」と褒めちぎってばかりもいられなくなる。

またあらためて『トランボ』の感想で触れるかもしれませんが、この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『トランボ』はどちらも主要な舞台となる時代が1950年代であるという共通点がある。

『トランボ』は第二次世界大戦が終わった1940年代後半からおもに50年代にかけて全米で吹き荒れたマッカーシー旋風、共産主義者を見つけ出して聴聞会に召喚したり刑務所にぶち込んだりした通称「赤狩り」によってハリウッドから追放された脚本家ダルトン・トランボB級映画の脚本を匿名や別人の名義で書き、思想弾圧や自由の抑圧に抵抗した実話を基に描いた作品。

その中にロナルド・レーガンという人物がニュース映像で登場する。

ロナルド・レーガンは元西部劇の俳優で、のちに共和党から大統領になった人。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではちょうど任期中で、1955年にタイムスリップしたマーティがドクに「では85年の大統領の名前は?」と尋ねられて、レーガンの名前を答えると鼻で笑われる場面がある。

B級西部劇の役者が大統領?というわけだ。

『トランボ』の実際のニュース映像の中で、ロナルド・レーガン赤狩りに協力的な発言をしている。*3

バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、そういう人物が大統領だった1985年に作られたのだった。

そして、レーガンのような人々が理想としたのが1950年代、マーティがタイムスリップして彼の両親がティーンエイジャーだった時代なのだ。

オールディーズが流れ、郊外に住む白人たちが明るく笑っている世界。

85年のドクもまた、マーティの前で「いい時代だった」と当時を懐かしむ。

だがそれは本当にすべての人々にとって幸福な時代だったのだろうか。

山崎貴監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」三部作は僕はわりと好きなんですが、あのシリーズも本当の昭和30年代を知る人たちからは辛らつな批判もされている。

あれはファンタジーだ、と。

実際のあの時代は誰もが貧しくて凶悪な犯罪だって多かったし、あの映画に描かれていたような善良で明るい人々ばかりではなく、人権だって今よりもはるかに軽んじられてもいた。いいことだってあったが暗く陰惨なことだっていっぱいあったのだ。

だからそんな時代を「あの頃はよかった」とまるで理想郷のように無批判に描くのはおかしい、という指摘。

「BTTF」シリーズで描かれる1950年代や、あるいは西部開拓時代のアメリカも同じようなことが言えるのかもしれない。

たとえば、『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』(感想はこちら)や『42 ~世界を変えた男~』(感想はこちら)、『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』(感想はこちら)などを観れば、1950年代当時にアメリカの黒人たちがどのような生活を強いられていたのかわかるだろう。

ドラゴン/ブルース・リー物語』(感想はこちら)では、60年代に香港からアメリカに渡ったブルース・リーが人種差別的な扱いを受けて屈辱的な思いをする場面がある。

1950年代はけっしてすべてのアメリカ人が幸せな時代などではなかった。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではそういう背景が完全に無視されている。

55年のコーヒーショップでは黒人の青年が働いていて、彼はビフに頭が上がらないジョージに憤慨し、「俺を見てな、いつかここから抜け出してやる」と言う。

この黒人青年ゴールディは愛想のいい人物として描かれているが、彼はのちにヒル・ヴァレーの市長になって町のシンボルだった時計台を壊そうとする。映画の冒頭でマーティが寄付を求められたあの時計台だ。黒人市長は“アメリカ的なるもの”を破壊しようとしているのだ。

また、二作目ではマーティは日系企業に勤めていたが日本人の上司にクビを言い渡される。*4ビフの孫グリフの三人の手下の中には東洋系のキャラクターがいて、それを先ほど挙げた『ドラゴン/ブルース・リー物語』に主演する前のジェイソン・スコット・リーが演じている。

PART2でビフ*5によって改変された1985年ではマーティの家には黒人一家が住んでいて、未来から戻って知らずに家に入ったマーティを泥棒と勘違いしたイカつい黒人の親父がバットで撃退する。彼らが住むヒル・ヴァレーは治安が最悪、という設定なのだ。

三作目で今度はマーティは馬に乗ったアメリカ先住民たちに追いかけられる。

主人公を危機に陥れたり、「古きよきアメリカ」を汚す者として描かれる有色人種たち。

この映画は、三部作を通して“有色人種”から白人のアメリカを取り戻そう、と言っている。

これは「映画『グレムリン』のモンスターは実は日本人のことだった!」みたいなトンデモ陰謀論ではなくて、映画を最初から通してちゃんと観ていれば、このシリーズがかなり偏った価値観によって貫かれていることがわかるはずだ。

そして、それをさらに決定づけるのが、ゼメキス監督が94年に撮った『フォレスト・ガンプ』。

フォレスト・ガンプ』の問題点については、映画評論家の町山智浩さんが語られています。

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こういうことを言うと「単なるエンタメ映画なのに、そうやってすぐに政治的なことを持ち込む無粋な奴ウザい。作り手はそんなこと考えてないよ」というふうに非難されるけど、それはあまりにお人好しすぎる考えだと思います。

見たくないものは見ない、という姿勢は人を精神的な盲目にする。

こはちゃんと見据えようよ。問題があるならそれを指摘しよう。

そのうえで、娯楽作品としての面白さを評価すればいい。


映画のラスト近く、ドクは1985年から30年後の「未来」を目指してタイムマシンで旅立つ。

「未来」だったはずの2015年は、僕たちにはもう「過去」になってしまった。

85年当時、1950年代はずいぶんと昔に感じられたけど、すでにそれと同じ年月が経ってしまったのだ。

タイムマシンも空飛ぶ自動車もいまだに発明されていない。味気ない時代にも思えるが、でも僕たちはこの現実の世界をもうちょっと明確に見つめることができるようになったのではないか。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中で描かれた素朴で懐かしい“美しきオールド・アメリカ”を楽しみながらも、僕たちはそれを超えて真の幸福を求めていける。

女性や有色人種が劣る存在として見下され権利を奪われていた時代から、世界は進歩しているはずなのだ。

多くの困難、問題のある時代だけど、でも僕は今のこの世の中が自分が少年期を過ごした1980年代よりも劣っている、退化してしまったなどとはまったく思わない。

“あの頃”よりも今の方がいい。

バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じく、現実にはなかった過去と実現しなかった未来を描いた映画だ。

そこに何かノスタルジーや愛着も感じるけれど、それでも僕たちは差別に溢れていた50年代や冷戦下でロナルド・レーガンが大統領だったような時代に二度と戻るわけにはいかない。


え?…何こいつ急にdisりだして…と思われたかもしれませんが、繰り返すけど僕はこの映画が好きだしこれからも何度も観続けるでしょう。

ハッキリ言って、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はこの一作目だけで映画としてしっかりと完結しているので、無理に続きを作る必要はなかったと思う。

でもこの一作目が大好きでマーティやドクたちにまた会いたい!という人が二作目、そして完結篇の三作目を観ればいいのだ。

ロバート・ゼメキスは「BTTFの四作目が作られることはありえない」と言っている。

彼の言葉の中にどんな意味が込められているかは知らないが、僕もBTTFの続篇が作られることはけっしてないと思うし、そう願います。

この映画には、映画館で幸福だったあの瞬間が封じ込められているのだから。


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*1:ギガワットの誤り。

*2:実は当初マーティ役はエリック・ストルツに決定しており、撮影も途中まで進んでいたことは有名。しかし今となってはマーティを演じられるのはマイケル・J・フォックス以外考えられない。

*3:ドクは続けて「副大統領はジェリー・ルイスか?」と言うが、『トランボ』ではアカデミー賞授賞式の司会でジェリー・ルイスも映る。

*4:言うまでもなく、当時バブル景気で調子に乗ってアメリカの企業を買収しまくっていた日本人に対する揶揄。

*5:PART2での85年時のビフのキャラクターのモデルはドナルド・トランプ