原作・脚本・監督:山田洋次、出演:渥美清、倍賞千恵子、前田吟、三崎千恵子、森川信、太宰久雄、光本幸子、秋野太作、佐藤蛾次郎、志村喬、笠智衆ほかの『男はつらいよ』。1969年作品。
20年ぶりに故郷・葛飾柴又のおいちゃん(森川信)おばちゃん(三崎千恵子)が切り盛りする草団子屋「とらや」に帰ってきた車寅次郎(渥美清)は、早速妹のさくら(倍賞千恵子)の見合いをぶち壊す*1。その後も奈良でたまたま再会した昔なじみの御前様(笠智衆)の娘・冬子(光本幸子)に惚れてドタバタを繰り広げたり、タコ社長(太宰久雄)の工場で働く博(前田吟)とさくらの仲を結果的に取り持ったり。博とさくらはめでたく結婚することになるが、寅次郎の冬子への恋は見事に散るのだった。
山田洋次監督の2016年の最新作『家族はつらいよ』の公開に合わせて。
僕は寅さんのシリーズをリアルタイムで映画館では観ていないし、それどころか1本の作品をちゃんと最初から最後まで観たことってほとんどなくて、子どもの頃に家族旅行の観光バスの中で観たり、TVでやってたのをなんとなく眺めていたぐらい。
どの作品がどういう内容だったのかもよく覚えていない。
浅丘ルリ子演じるリリーがマドンナだったエピソードは観たなぁ。あとは栗原小巻や吉永小百合、松坂慶子が出演したのもおぼろげながら記憶にある。その程度。
で、たまたま以前友人からもらった1作目のDVDが手元にあったので、このシリーズの原点(TVドラマ版除く)でもある本作品をあらためて鑑賞してみました。
寅さん映画を観慣れているかたからすれば言わずもがなのことをいちいち述べることになるでしょうが、今回は寅さんの笑いについてちょっと振り返ってみることにします。
冒頭、おなじみのあの自己紹介とともに20年ぶりにどこからともなく舞い戻った寅さんが土手に座って口に草をくわえたり渡し舟に乗ったりするのだが、渥美清の顔に塗られた肌色のドーランが白いワイシャツの襟にベッタリと染みついている(柴又に帰ってからも同様)。あれ、どうにかならなかったのかな(;^_^A
ゴルフをしている中年男性の打ったボールを勝手に拾って投げて返す寅。初登場シーンからはた迷惑な男である^_^;
僕はこの映画を観返すまでは、漠然と「寅さん映画」というのは日本の風物詩を映し出したノスタルジックな映画だと思っていたんだけど(もちろんそういう要素も多分にあるが)、1969年の第一作目の時点ですでに寅さん自身は時代遅れの存在であったことがよくわかる。
今から45年前の作品だからあたりにまだのどかな風景も残ってはいるが、1960年代最後の年といえばすでに高度成長期も終わりを迎えつつあって*2実際にはビルも多く立ち並び人々の服装もライフスタイルも現在ときわめて近くなっていたので、映画の中では周到にそういう近代的な風景を排除している。
キャメラをちょっと横に振るとビルや広告看板など「リアル」な現実が映ってしまうのをなるべくフレームに入れないようにして、昔ながらの風景を繋ぎ合わせることによって映画の中だけに存在する「寅さん」の世界を作り上げている。
寅さんは柴又の帝釈天の祭りに飛び入りで参加したり、懐かしい「とらや」の面々との再会を果たすわけだが、映画を観ているとキャメラに映っていないところもすべてが昔のままのように感じられてくる。
郷愁を誘うような風物や風景はすべて映画のために準備されたり、必要なものだけが切り取られているのだ。
この映画では帝釈天や奈良の風景などがそれ。
山田洋次はかつて、昔ながらの風景が減ってきていてどこにキャメラを向けても現代的なものが映りこんでしまう苦労を語っていた。
また著書の中で、映画の中の土手に咲く花について「何気ない自然な風景」みたいなことを言われて、「あれは撮影のためにスタッフがみんなで1本1本植えたもので、映画に“何気ないもの”などない」と言い放っている。
さくらは町の大きな会社でBG(ビジネスガール。今でいうOL)として働いていてその業績も高く評価されているが、博との結婚で結局は家庭に入って、その後彼女のOL姿は見られなくなる。*3
さくら役の倍賞千恵子は声は今とそんなに変わらないけど、茶髪で短めのスカートを穿いていてほんとに可愛い。
寅さんと再会した時のさくらは20代の女性らしいモダンで若々しい服装で、それはきっと当時の同世代の女性たちの姿そのものだったのだろうけれど、映画の終わり頃には結婚して子どもも生まれることもあって、下町の草団子屋の店員というポジションに落ち着いた彼女からはやがて華やかで現代的な装いが消えていく。
さくらが勤めていた会社のオフィス*4や見合いが行なわれるホテルなどが、その存在自体が前近代的な寅さんと対比されている。
寅さんや舎弟の登(津坂匡章。現・秋野太作)が口にする「バイ(啖呵売)する」とか「ナシ(話)つける」など、いかにもなテキヤ口調が耳に心地良くもある。
寅さんの口上の中の「お兄(あに)ぃさん、お姐(あね)ぇさん」という言い廻しがなんだか面白い。
だが寅さんは思った以上に高圧的で、特にとらやの隣のタコ社長の工場で働く青年たちに対してはしばしば彼らを見下すような態度をとる(「君たちは貧しいねぇ」の類い)。
ギターを弾いてさくらと一緒に歌を唄っていた青年たちを「大学も出てないようなお前らが付き合えるような相手じゃねぇんだ」と追い払う。
とんでもなく嫌な男として描かれている。
笑顔の時はいかにも人懐っこそうな顔だけど、真顔で相手を睨んでる時の渥美清の目は怖い。
ところで、さくらの結婚式の披露宴でも披露される工場の青年たちが唄うあの「イーアイイーアイオー」みたいなメロディの「スイカの名産地~♪」という歌がなにげにイラッとさせられるのだが、あの歌はなんなんだろう^_^;
山田洋次監督は2010年の『おとうと』(感想はこちら)で笑福亭鶴瓶に寅さんと同じような粗野で迷惑な男を演じさせているが、あの映画での鶴瓶の役がユーモラスというよりはただただ苛立つ人物だったように、現在の目で寅さんを見ると素直に彼のことを笑えなかったりもする。
工場の青年たちが憤慨していたように1969年当時だって寅さんのキャラはけっして単なる「善人」ではなくて、その歯に衣着せぬ物言いや時に職業差別的ですらあるメンタリティは、彼がテキヤという「周縁」の存在で映画の中の彼は一種の「道化」だからこそ許されていたとはいえるだろう。
観客である多くの堅気の人々は、普通に会社で働いたり商売をしたりしている。そんな人々が普段は口にできないような本音を寅さんは代弁してくれる。そこに彼が愛される理由もあるんだろう。
『男はつらいよ』という作品はそもそも仁侠映画のパロディでもあるので、映画の中の着流しのヤクザ者が観客の日頃の鬱憤を晴らしてくれる存在だったように、寅さんの奔放な言動もそれに似ている。
男気があるが権威には弱かったりもする。そういう等身大の男。
理不尽なことで怒りだしてまわりの人々に迷惑をかけたかと思えば、時々含蓄のあることも言う。
おいちゃんが「バカだねぇ。ほんとバカだねぇ」と言うように、寅さんは一見上からモノを言っているようで観客たちからも見下され笑われる存在でもあるからこそ、時に傍若無人でさえあるそのキャラクターは受け入れられてきた。
笑うことで水に流したり受け入れていく、という文化がかつてはあった。
寅さんを単純に笑えないとすれば、それは時代のせいもあるのだと思う。「何を笑うか」という感覚も時代とともに変化してきているのだろうし。
さくらの結婚式で、彼女の兄である寅さんを参列客の前でわざわざ貶めるようなことを言う笠智衆演じる御前様も嫌なジジイだし*5、寅さんがしばしば舎弟の登や佐藤蛾次郎演じる寺男に対してする偉そうな態度もちっとも可笑しくない。
今ではテキヤのおっさんを道化役にして彼らや世間を笑う余裕が皆にないのだ。
おばちゃんも言ってたけど、冬子さんだってヒドいもんなぁ。
その気もないのに「クサクサしちゃって」とか言って寅さんを誘いだすんだけど、あんなふうに思わせぶりな態度されたらそりゃ単純な男は舞い上がるでしょう。
そんで、そのあと間髪入れずに別の男と結婚って、そりゃないよ(>_<)
寅さんもたいがいではあるけれど、でも山田洋次の描く女性ってわりと無神経で残酷だ。
しばしば「懐かしい」「人情味溢れる」といった表現をされる寅さんの世界だが、確かにそういう人々の緩い絆の心地良さみたいなものも感じなくはないものの、僕はこの映画を観ていて何かといえば誰が誰に惚れてるとか言ってみんなが噂話や大騒ぎする様子には少々辟易もした。
まぁ、若者たちの恋と寅さんの失恋はこのシリーズのお約束なんだからそこにツッコんでてもしょうがないんだけど、ありえない世界に感じられたんですよね。おいちゃんやおばちゃん、さくらたちの寅さんへ気の遣い方はちょっと尋常ではない。
あんなふうにまわりから常に監視されているような(見方を変えれば“見守られている”ともいえるが)環境は、多分自分だったら堪えられないと思う。
寅さんからさくらのことは脈がないから諦めろ、と言われた博は、とらやのみんなの前でさくら本人に自分の想いを告げる。
純情で一途な博*6のキャラを肯定的に捉えた場面だが、冷静に観てると結構気持ちが悪い(;^_^A
だっておいちゃんやおばちゃんもいるところであんな唐突に「いつも向かいの窓の君を見ていた。それが3年間の僕の喜びのすべてだった」みたいなことを言われたら、ヒくでしょ、今だったらw
寅さんが博に伝授する「女をその気にさせるテクニック」も、ほんとに真似したら相手に気味悪がられるだけだろうし。
草団子屋の二階に住む年頃の娘と工場の青年の恋路をみんなが応援してくれるような、生温かい世界。
おそらくは、寅さんのまったく参考にならない女の口説き方それ自体にはなんの価値もない。
恋に悩む青年にああやっていちいちおせっかいを焼いてくれるおっさんの存在そのものがファンタジー、失われた人と人とのぬくもりの象徴なのだ。
そういえば、会社が社員の結婚の面倒を見る、という風習も今では珍しいかもしれない。
良いことなのか迷惑なことなのかわからないが、でもああやってまわりがおせっかいを焼くことで人の縁というものが生まれた事実はあるだろう。
今日本では婚姻率や出生率の低下が叫ばれているけど、この映画を観ていると、まわりがおせっかいを焼いて多少強引にでも「縁」を作ってくれなくなったのもその大きな原因の一つなんじゃないだろうかと思えてくる。
それに、子どもが生まれたって周囲の協力も得られず安心して育てられる環境がなければ、そりゃ最初から子どもを作る気になどなれない。
博の父親を志村喬が演じていて、出番はわずかにもかかわらず志村さんの醸しだす長らく息子と疎遠だったために後悔を隠せない生真面目な老父の風情には、寅さんじゃなくても思わずもらい泣きしてしまいそうになる。
そんなわけで、楽しめなかったわけではないのだけれど、小難しいことは何一つ言わない“下町人情喜劇”であるこの映画を観ていて現実のいろんなことが頭に浮かんだのでした。
あるいはそれは、1969年当時の人々もまた感じたことなのかもしれませんが。
下町情緒や人情話といったものって僕は映画の中でぐらいしか知らないのでほんとにそんなに結構なものなのかどうかわかりませんが、たとえ寅さんの世界が現実にはない幻想であっても、あんなふうにいい年コイたおっさんが女に惚れた腫れたで周囲を巻き込んでジタバタする下世話な話が多くの人々の心の琴線に触れて支持され続けているというのは紛れもない事実で。
さて、寅さんという不世出の道化がいなくなった現在の日本で作られた山田洋次の最新の「喜劇」である『家族はつらいよ』は、果たしてどのような形の笑いを僕たちに提供してくれるのでしょうか。
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