※以下は、2011年に書いた感想に一部加筆したものです。
一尾直樹監督、尾野真千子、郭智博、菊里ひかり(現・桜井ひかり)出演の『心中天使』。2011年公開作品。
ネタバレありだけど、だからって困ることはないと思うんで、よかったら読んでみてね。
ちなみにタイトルの『心中天使』は“しんちゅうてんし”と読むんだそうな。
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TVのCMでこの映画の存在を初めて知りました。
それまでは監督が名古屋在住で映画のロケが名古屋で行なわれたことも知らなかった。
そして主演が尾野真千子ということで俄然興味を持ったのでした。
昨年(2010年)、尾野さんが出演してた深夜ドラマ「MM9」をずっと観ていたので。
「MM9」 総監督:樋口真嗣 出演:尾野真千子 石橋杏奈 高橋一生 皆川猿時 中村靖日
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尾野真千子さんは、90年代の終わり頃に河瀬直美監督の『萌の朱雀』に出演していた当時中学生だった彼女の、それまで演技経験のない素朴な奈良弁の少女のどこか落ち着かなそうたたずまいが印象的でした。
『萌の朱雀』(1997) 監督:河瀬直美 出演:尾野真千子 國村隼
http://www.youtube.com/watch?v=e4i-xkQH0h4www.youtube.com
BS2で放映された河瀬監督によるドキュメンタリー映像に三船美佳さんと一緒に出ていたのも観ました。
でもそれ以来10年ぐらい尾野さんの出演作品を観る機会がなかったので、僕の中では10代の少女から突然大人の女性に一気に成長してしまったような印象がある。
大変失礼ながら、“あの女の子”が現在のように数々の映画やTVドラマに出演する人気女優さんになるとは思ってもいなかったので、ちょっと意外だった。
で、ステキな女優さんだからこれから注目していきたいな、と思ったのです。
しかし困ったことにこの主演映画、あまり評判は良くない様子。
「意味がわからない」「つまらない」…。
というよりこの作品のレヴュー自体がそんなに多くない。
切通理作さんがパーソナリティを務めるラジオ番組での一尾監督のインタヴューも聴いてみた。
監督さんの、けっして「オレがオレが」な感じのクリエイター的押しつけがましさのない控えめな人柄をその声に感じたからこそ、観客のその反応は実に残念でした。
そこで、僕の地元名古屋で映画を撮り続けている、というだけで無条件に応援したい気持ちに駆られて映画館に行ったのです。
「…先生、一人多いです」。
学校でバスケをしてる女子高生たちの中に、ひとりだけ「誰でもない少女」が混じっている。
現代版“座敷童子”のような都市伝説めいた、ちょっとコワい出だし。
とても面白そうな映画が始まると思うでしょ?
でもそれは“ホラー映画”にも“ファンタジー映画”にも結実しない。
まるで80年代か90年代に撮られた8ミリ自主映画みたいな映画だった。
つまり観続けるのに骨が折れる作品ということ。
ストーリーらしきものはほとんどなく、登場人物が眠ったり食事する場面がやたら多い。
心の中に何か鬱積したものを抱えてる人間が一番やりがちな表現である(身に覚えあり)。
“地上の大半には幽霊が住んでいる”
なんのことやら。
まるで尾野真千子が演奏するピアノ演奏会で、観客が両親役の萬田久子と國村隼と音大教師のたった3人しかいない客席のような感じ。
■尾野真千子が父親に話す彼女の悩みは抽象的過ぎて、それに応える國村の「俺も若い時にはそういう考えを持ったもんだ」みたいな返答も、精神的に不安定な娘の意味不明な言動に戸惑いながら話を合わせるしかない親の姿がそこにある(ちなみにこのお二人は『萌の朱雀』以来、10何年かぶりの親子役*1)。
「どうした」「別に」みたいなやりとりの繰り返し。
そんな彼女の“ケガ”によって、バラバラだった家族は一緒に食事する。
かけがえのない光景だな、と思った。
◆下唇がちょっと出てていつもビックリ眼の女子高生(菊里ひかり)。
彼女の母親(麻生祐未)は“青年実業家(風間トオル)”とイイ仲で、再婚する気でいる。
この女子高生は映画の冒頭で「ひとり多いです」といわれた少女である。
彼女と母親をつなぐ、まるで“ヘソの緒”のような人々の行列はちょっと面白かった。
▲常に眠そうな目をしてあくびをしている会社員(演じるのはかつて『花とアリス』でもボンヤリとしてて鈴木杏に惚れられる男子高生を演じていた郭智博)。観てるこちらもあくびが出てくる。
彼は離婚した元妻と幼い我が子と公園で会って語らう。
そして今のカノジョに対してウザそうに素っ気ない態度をとる。
彼が部屋中を真っ青に塗りたくる行為はDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)を意味してるんだと解釈した。
…全然意味がわかんないでしょ?
そういう映画でした。
隣の席で観ていたカップルの彼氏の方が何度も足を組みかえ、ソワソワしながらやがて鞄からポットを取り出してコポコポと音を立てながらカップにお茶かなんかを注ぎ、飲みはじめた。
辛ぇよな、これは。俺も辛いっす。帰りたい。
この映画の脚本も書いていて、自身の離婚経験が大きなモチーフとなっているらしい一尾監督が郭智博の演じる会社員に自分を投影しているのはあきらかで、だからこそこの甘え切ったような描写の数々に僕はいいようのない苛立ちをおぼえたのだった。
「いろいろ考えている」と口にしながら離婚した元妻や今の恋人に対してもどこか他人事のように接してあさっての方向を向いている男。
ここには共感やコミュニケーションを拒絶した魂しかない。
アートのためのアート、みたいな映画が苦手です。
つまり結果として「アート」とみなされるのではなくて、最初から「これはアート・フィルムです。わかる人だけわかってください」といった体裁で作られた映画が好きではない、ということ。
そういうタイプの映画を意識的に観まくった時期もあったけど。
ありがちな物語とか、ハリウッド大作とかをバカにして「映画は芸術なんだ」と本気で信じたこともあった。
本気で自分も映画監督を目指したことがあったからこそ、この映画に懐かしさと同時に、言い様のない嫌悪感も抱いた。
この映画がいいたいことは、よーするに「ここではない場所」「あっちの世界」に行きたい。
…死にたい、ってことでしょ?
この映画に「死」の描写は一切ないけど、自分を愛してくれている者たちを置き去りにして空へ帰っていく天使たちの姿には、すべてを放棄して「あんたら勝手にやっててくれ、私はやめる」という独りよがりな意志を強烈に感じた。
逝きたいなら勝手にイってくれ、と思う。
自殺願望や蒸発願望に付き合わされる方はいい迷惑だ。
これみんな、かつて僕が友人からいわれた言葉ですが。
小さなスクリーンに映し出される街角や部屋の中の日差しの映像には時々いいようのない懐かしさをおぼえた。
ストーリーだの派手なアクションだのに追われるのでない、なんでもない風景をゆったりとみつめる、そんな映画があったっていい。
まったくかかわりがなかった登場人物のふたりが「やっと逢えた」と手をかさねた時、そして一人の女子高生が自分の今の“居場所”を得た瞬間、退屈だったこの映画にほんのひとときだけ魔法がかかった。
だからこそ、僕はこの映画にもったいなさを感じる。
自主映画監督の自慰行為にしては豪華過ぎるキャスト。
心に沁みるエンディング曲。
僕にはそれらが無駄遣いされてるように思えた。
作り手がもうちょっと観る側に歩み寄ってくれていたら、この映画はもっと共感を呼ぶ作品になっただろうから。
以上は2011年に書いた感想です。
同年、主演の尾野真千子さんはNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」でその顔が全国区になってさらなる躍進を遂げ、2014年5月現在、民放のドラマ「極悪がんぼ」に主演、また「カーネーション」も再放送中でCMにもひっぱりだことブレイクの真っ最中。
個人的には、ぜひ主演映画の方でもヒットを出してほしいなぁ、と思っています。
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