映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『ヒア アフター』


※以下は、2011年に書いた感想です。


クリント・イーストウッド監督、マット・デイモン主演『ヒア アフター』。2010年作品。日本公開2011年。

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自ら「死」を体験したり大切な者を失った人々の彷徨。


前作『インビクタス』が個人的に「…う~む、悪くはないんだが」という感じだったので(力作であるのはたしかだけど)、初めてこの映画について知った時は、「イーストウッドが霊能力者の話を撮る?どんだけチャレンジングな人なんだ」とおおいに興味をそそられたのだった。

それもスピルバーグと組んで。

どんな映画になるのか想像もつかなかった。

で、実際観てみると…。

以下、ネタバレを含みますので未見のかたはご注意ください。


ヒア アフター」とは「来世」のこと。

といってもこの映画はイーストウッドが描く『大霊界』ではなく、来世=あの世があるかないかを云々するわけでも、その疑問に映画の中でなにがしかの見解が示されるわけでもない。「来世」の有無は本題ではない。

イーストウッド自身「来世があるのかどうかは知らない」といっている。

劇中、何人ものインチキ臭い霊能者たちが出てくるが、このあたりはなんに対してもまず率直に疑ってみるイーストウッドの姿勢がうかがえる。

かといってすべて否定しているのでもないことは、マット・デイモンが演じるキャラクターが持っている特殊能力を「そういうもの」としてサラッと描いていることからもわかる。

この映画では一度だけ超常的な出来事が起きて、その後M・ナイト・シャマランの『シックス・センス』を思わせる場面がある。

不思議な出来事自体は「偶然」ととることもできるように描かれている。

その匙加減がいい。

また、この映画には「死者の声」が登場する。

それはマット・デイモンが演じる霊能者を通して発せられるが、霊媒の憑き物的なスタイルではなくて、死者の言葉をそのまま相手に伝言するシンプルなもの。

死者たちの声が残された者を慰め、ときに命を救う。

死者たちの存在は生きているものたちに影響を与えるが、イーストウッドが興味あるのはいつも生きている人間の方である。

だから「死」に触れたことによる人の心の変容と、そのせいで生まれた奇妙な出会いが描かれている。

主演をマット・デイモンと書いたけど、この映画の主要人物は3人。

津波に遭い臨死体験をしたフランス人ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)と近親者を亡くしたイギリスの少年マーカス、そしてサンフランシスコに住み、自分が持つ霊能力を「呪い」として嫌悪しているジョージ(マット・デイモン)。


中でもマーカス少年は本来ならば出会うはずのなかった者たちを結びつける役割も果たしており、また彼のエピソードはおそらくもっとも観客を感情移入させるはずで、この映画の柱になっている。

このマーカスを演じるジョージ・マクラレン君はオーディションで選ばれてこの映画に出演するまでは演技経験がなかったらしく、ハリウッドの人気子役的な芸達者ぶりではなくて、表情の変化はそれほど激しくない控えめな演技を見せている。

僕はてっきりこの映画に登場する双子の兄弟は合成処理でジョージ君が1人で2役を演じてるんだと思っていたんだけど、彼は実際に双子で、映画のなかでは兄フランキー・マクラレン君とともにマーカスとその兄ジェイソンをそれぞれ半分ずつ交代で演じていたんだそうな。つまりマーカスを演じているのは半分はフランキー君ということ。


イーストウッドは『パーフェクト・ワールド』でも演技の経験がほとんどなかった男の子を起用しているが、このジョージ・マクラレン君もいかにもイーストウッドが気に入りそうな子ではある(『硫黄島からの手紙』に出演した嵐の二宮和也も、おそらくイーストウッドから見れば“子役”だったはずで、かならずしも演技が巧みではなかったからこそ抜擢されたんだろうと思う)。


さて、予告篇でもちょっと出ているブライス・ダラス・ハワード演じるメラニージョージのエピソードにはちょっと驚かされた。

彼らは料理教室で出会い、互いに興味を持ってジョージの家で一緒に料理を作ることになる。


しかしジョージの霊能力によってこのふたりの関係は絶たれる。

通常のシナリオであれば、こうやって一度別れがおとずれた男女は劇中のどこかで再び出会うことになるのがセオリーで、この映画でもジョージとメラニーの関係はそのぐらいの発展があっていいヴォリュームで丁寧に描かれている。

が、メラニーはその後二度と登場しない。

ブライス・ダラス・ハワードは主要キャストのひとりだと思っていたのでこれには面食らった。

たしかに現実では人と人との関係には「映画的な伏線」などなく(伏線と思われるものがあるとすれば、それは現在から遡って見た時である)、しばしば突然断ち切られるものだが。


それにしても、この映画で描かれたジョージの能力は何を意味しているのだろう。

それを背負った彼の苦悩は現実の我々となんの関係があるのか。

劇場で一度観ただけでは正直わからなかった。

最後の唐突なキスも。

ただ、この“出会い”がDVDで観た『(500)日のサマー』(感想はこちら)で主人公が達した結論と同じというのはなかなか興味深い。

これを「偶然」ととるか、「運命」ととるか、それは各人の判断に委ねられている。


「面白かった?」ときかれるとちょっと返答に困る作品でした。

でも一言いえるのは「観てよかった」ということ。

シェイクスピア俳優で映画出演も多い英国人俳優デレク・ジャコビが本人役で出ている。

フィクションの中にいきなり実在の俳優が本人として出てきたのでちょっと不思議な感じがした。

それと、ジャーナリストや作家って自分で朗読会とかするんだ。本を買ってもらうためにいろいろパフォーマンスするんだなぁ。


イーストウッドの監督作品は、実は以前はそれほど好きだったわけではない。

彼が主演したセルジオ・レオーネ監督のマカロニウェスタンが好きだったので、それに比べてイーストウッドが自分で監督した作品にはレオーネ作品のような大作感や娯楽と芸術性の融合の要素が希薄な気がしていたので。

でもこの10年ほど、この監督の作品からは目が離せなくなっている。

一年に1本という割合で映画を撮り、そのどれもが非常に丁寧に仕上げられている。

ふと思ったんだけど、ここ何作かのイーストウッド作品は、作り手の結論を観客に押しつけるのではなく、よりひらかれた解釈が可能な作風になっているなぁ、と。

といっても、「あとは観客の想像にお任せします」といって描写をサボるのではなくて、必要な映像はちゃんと撮っているし、ストーリーも語っている。

老監督がただ想い出に浸ったりかつての作品の再生産を繰り返すのではなくて、イーストウッドが扱う題材はいつも挑戦的だ。

僕が『インビクタス』にはノれなくて、でもこの『ヒア アフター』には感銘を受けたのは、単純に僕にはスポーツに対する興味がほとんどないが、「人の死」への関心はあるから、という理由に過ぎないのかもしれない。


追記
その後、宇多丸さんのラジオ番組でこの映画の批評を聴いてたら、ラスト近くでジョージがマーカスの亡くなった双子の兄の声を伝えるシーンについて、「二度目はジョージの嘘かも」という指摘があって、あぁ、そういうことか!と合点がいきました。

映画を観てるときに僕は気づくことができなかった。

でもそれはこの映画が描こうとしてることを理解するうえで非常に重要な意味をもつ展開だから、普段さまざまな作品に偉そうにあれこれ難癖つけてるくせに、肝心なところを見落としてたのはとても恥ずかしいし情けない。

遅いけど、知ることができてよかったです。


追記2:
3月11日「東日本大震災」発生。この映画の冒頭に津波災害シーンがあるため、被災者のかたがたの心情を考慮して14日に急遽公開が中止された。


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