映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『キャリー』(1976年版)


ブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセクパイパー・ローリーナンシー・アレンエイミー・アーヴィングベティ・バックリーウィリアム・カットジョン・トラヴォルタ出演の『キャリー』。1976年作品。日本公開1977年。R15+

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いじめられっ子のキャリー(シシー・スペイセク)は高校で体育の授業のあとのシャワー中に初潮をむかえる。体育教師のコリンズ先生(ベティ・バックリー)はキャリーをからかったクラスメイトたちに罰をあたえる。それを根に持ったクリス(ナンシー・アレン)はキャリーをおとしいれるためにある計画を立てる。


今年クロエ・グレース・モレッツ主演で再映画化された(リメイク版の感想はこちら)、スティーヴン・キングによる同名タイトルの小説の初映画化作品。

僕がこの作品をはじめて観たのはそんなに昔のことじゃないんですが、それは子どもの頃に写真で見た血だらけで叫んでるシシー・スペイセクの顔が怖ろしすぎて*1、有名な作品であるにもかかわらずながらく観られずにいたのでした。


いま日本では「きゃりー」といえば「ぱみゅぱみゅ」ですが、ある時期までは「キャリー」という名前からこの映画をすぐさま連想するほどだった。

とにかく怖い映画なんだと思い込んでたので、実際に観てみたら切ない思春期ホラーだったのがちょっと意外でした。

「思春期ホラー」などと言ってみたけど、ただまぁ70年代の作品ということもあって、ちょうどこの前の74年の『ファントム・オブ・パラダイス』(感想はこちら)がそうだったように、デ・パルマ節全開の撮影とあの時代特有の編集や音楽など、最近のホラー映画とはずいぶんと趣きが異なってはいますが。

あ、原作は読んでいません。

物語自体は非常にシンプルなんだけど、後味は苦い。

以下、ネタバレがあります。


主人公のキャリーは内気で運動神経もよくないのでクラスメイトに苛められているが、彼女にはテレキネシスの能力がある。

それはキャリーが怒りや恐怖で忘我の境地になったとき発揮される。


映画の冒頭でさっそくキャリーは自分の太ももをつたう血にパニックを起こして、まわりの女の子たちから生理用品を投げつけられて笑われる。

この場面のキャリーの顔がまぁ、かなりキている。


貞子が裸足で逃げだすぐらいの恐怖ヅラ。

キャリーを演じるシシー・スペイセクの素顔自体が、なんというかけっこうアレだし^_^;

そばかすだらけの顔で、特殊メイクですか?というぐらいにとんがった鼻先とやはりちょっとどこかおかしな感じのする目。

申し訳ないけど普通にしてても怖いです。

なんか浦沢直樹の漫画にこういうキャラいるよなw*2

17歳で初潮、ということが現実にあるのかどうか、男の僕にはわかりかねますが(劇中でも校長がコリンズ先生に「少し遅くないか」とたずねる)、そもそもアメリカの学校には保健の授業がないのだろうか。

だとすれば、あちらでは学校での性教育というのはなくて、親御さんか友人同士のあいだで知識を共有、伝達しなければならないということか。

しかもシシー・スペイセクの裸はじゅうぶん成熟しているので、そんな彼女が自分の身体の仕組みについて無知であることがなんとも奇妙に感じられる。

性的に未熟なまま成長した女性、というと、ナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』(感想はこちら)を思いだしたりもしますが。

あの映画でも母親が娘を抑えこむ構図があったけど、そのあたりはこの『キャリー』からおおいに影響を受けているのかもしれない。

キャリーは母親の反対を押し切ってシニア・プロム(高校最後のダンスパーティ)に出かける。

ブラック・スワン』でも主人公のニナは母親にバレエの舞台に立つことを止められるが、はじめて反抗する。

キャリーが「生理」の存在を知らなかったのは、母親が性的に成熟した「女」を神を冒涜する汚らわしいものとして遠ざけてきたから。

キャリーの母親(パイパー・ローリー)は狂信的なキリスト教徒で、招かれもしないのにキャリーのクラスメイトのスー(エイミー・アーヴィング)の家にやってきて、スーの母親に聖書の教えを説く。スーの母親はとっとと帰ってほしいので寄付をする。金を受け取って黙って帰るかと思えば、去り際にとり憑かれたように「神のご加護を!」と一言。

一見してまともではないことがわかるが、たぶんアメリカにはああいう女性がほんとにいるんだろう。

この母親はかつて男に逃げられて、それからというものセックスや男、娘を授かったことすべてを嫌悪しつづけてきたのだった。

そのせいでキャリーは年頃の娘らしいおしゃれもボーイフレンドを作ることも許されず、生理のことすら知らずにいた。

強迫観念にとらわれた母親が娘に病的なまでの禁欲と「罪」の意識を強いて、「信仰」という名の枷をはめようとする。

罰に17歳の娘を物置に閉じ込める、というのも異様。

娘にとっては迷惑このうえないが、ここまでくるとじつは宗教はあまり関係ないことがわかってくる。

母親は娘に依存している。

娘を幼い少女のように無力なまま支配下に置こうとする。

極端に描かれてはいるけれど、これはどんな家庭にも起こり得ることだ。

これは母親と娘の話だが、父親と息子の話にすると最近公開された『クロニクル』(感想はこちら)になる。

あれも超能力を持った主人公が暴走する話だった。

家庭で親から抑圧され、学校ではいじめられっ子の主人公が幸せの絶頂から一転、屈辱をあじわい、やがて惨劇が起きる。

そこにはかならず「性」がからんでいる。

思春期の性についてのあれやこれやというのは年をとるとしばしば笑い話にもなるけれど、でもあの当時のことをリアルに思いだすと、ちょっと笑ってもいられないぐらいイヤァ~な気分になったりもする。

この『キャリー』を観ていて、なんとなくそういう不快な記憶がよみがえってきました。

この映画の後味が悪いのは、キャリーに意地悪したキャラクターが退治されるだけでなく、彼女を心配して応援してくれた者たちまでもがその力によって命を奪われてしまうから。

怒りに我を忘れた者は、しばしば大切な存在も傷つけ、ときに殺してしまう。

これは現実の社会でいくらでもあることだ。

クリスとトラヴォルタ演じるビリーによってプロムのステージで頭から豚の血を浴びせられたキャリーには、そこにいる人々すべてが自分をあざ笑っているようにおもえた。

そして彼女の怒りはプロムを地獄に変える。

なお、キャリーの理解者だったがプロムで無残に殺されてしまうコリンズ先生を演じたベティ・バックリーは、ミュージカル版『キャリー』ではキャリーの母親を演じている。

コリンズ先生はいわば「良い母親」、キャリーの母親はもちろん「悪い母親」で、原作がおなじ作品で一人の女優がまるっきり逆のキャラクターを演じるというのが面白い。


娘がみなの笑い者になったことを知った母親は、キャリーを抱きしめながら包丁でその背中を刺す。

痛みと悲しみ、驚きと怒りでキャリーの念力が発動、台所の刃物を飛ばして母親を物置に置いてあった聖セバスチャンの像とおなじ格好で殺す。


原作ではキャリーは母親の心臓を止めるが、それでは映像的に地味だということでデ・パルマが出したアイディア。

非現実的だが、作品のテーマに合っている。

やがて家が燃えだして、死んだ母と物置のなかで抱き合うキャリーもろとも崩壊する(倒壊する家は1/2スケールのミニチュア)。

スーはプロムの惨劇以来家で寝込んでいて、母親が看病している。

しかし売地になったキャリーの家のあとに花を供えにやってきたスーの腕を、地面から伸びたキャリーの手がつかむ。

それは悪夢だったのだが、ベッドで錯乱するスーからキャメラはクレーンアップして映画は終わる。

ホラー映画のどんでん返しとしてはいまやおなじみといえるが(というか、この映画が元ネタ)、キャリーに対してスーが純粋に好意としてしたことが結果的にはあの惨劇を招いたわけで、なんともやりきれない。

見方によっては余計なことをしたスーに罰が下ったと受け取れなくもないが。

たしかに、映画の冒頭ではクリスたちといっしょにキャリーにタンポンをぶつけていたスーが、コリンズ先生にカミナリを落とされてから急にキャリーに同情的になるのがちょっと唐突な気はした。

しかも彼女は自分のカレシであるトミーに、キャリーをプロムに誘うように頼む。

よかれと思ってやったことなんだろうけど、まことにもって余計なお世話というしかない。

特に親しいわけでもないクラスメイトに自分のカレシを「貸しだす」神経って、どうなんだろう。

実際、コリンズ先生も「トミーとキャリーでは、つり合わないんじゃない?」と疑問を呈してるし。

人のカレシにお情けでパーティに誘ってもらって、相手が喜ぶとでも思ってるんだろうか(結果的にキャリーはこれまで経験したことがない幸せなひとときを過ごすのだが)。

このあたりの偽善的な空気は、当時はモテね男の劣等感の塊のような作風だったデ・パルマは当然意識して描いたんだろう。

キャリーも最初は「からかっている」と相手にしなかったが、トミーが何度もしつこく彼女を誘うのでついに承諾する。

ウィリアム・カットが演じるトミーは運動部の絵に描いたようなイケメンだが、キャリーが授業中におもわず褒めた彼の詩はじつは別の人が書いたもので、つまり彼とキャリーには何一つ接点はない。

彼はただスーに頼まれたからキャリーを誘っただけだ。

ウィリアム・カットは『スターウォーズ』(感想はこちら)と『キャリー』の合同オーディションでルーク・スカイウォーカー役を志望したが、結果的に『キャリー』の出演者に選ばれる。

僕はウィリアム・カットを落としてルーク役にマーク・ハミルを抜擢したルーカスの目はたしかだったと思う。

ふたりとも同い年でイケメンだけど(交通事故で顔が潰れる前のハミルはイケメンだった)、ウィリアム・カットはカッコよすぎるのだ。背も高いし。

彼の笑顔からは、辺境の惑星で宇宙を夢見る純朴な少年にしてはどこか邪気を感じる。


スーもトミーもクリスのたくらみは知らず、純粋にキャリーのために学校生活最後の晴れ舞台を提供したに過ぎない。

ボタンの掛け違え。偶然や一部の者の悪意、誤解、それらによって生みだされた憎悪のために人の善意がもろくも崩れていく理不尽さ。

まさに日常にありふれている光景だ。

この映画の後味が悪いのは単にバッドエンドだからというだけではなく、人はどんなに幸せを願い、そのために努力しても報われないこともある、むしろ悪い方向に向かっていってしまうことさえあるという残酷な事実を描いているからだ。


キャリー役のシシー・スペイセクは映画の公開当時27歳(!)で、すでに結婚していた。

夫はこの映画の美術監督でもあるジャック・フィスク


ジャック・フィスクとシシー・スペイセク夫妻。

シシー・スペイセクはどうやらキャリーとは正反対の性格で、社交的で自分の意見をしっかりと相手に伝える多弁な人のようだ。

そういう女優さんが内気で性的に未熟な少女を説得力抜群に演じてみせる面白さ。

物置に閉じ込められて「お願い、出して!」と泣き叫ぶところなんて、ほんとの少女にしか見えない。

これまた実際にはそれなりにいい年した大人の女性で多才な女優であるジェーン・ホロックスが内向的な若い女性を演じた『リトル・ヴォイス』を思いだした。


この『キャリー』でシシー・スペイセクアカデミー賞の主演女優賞、母親役のパイパー・ローリー助演女優賞にノミネートされている(スペイセクは80年の『歌え!ロレッタ愛のために』でアカデミー賞主演女優賞を受賞)。


至近距離で炎が立ち上る危険な撮影。

撮影の合間にニッコリ。

だいたい27歳の既婚女性に17歳の女子高生を演じさせようというのがスゴいが、スペイセクはキャリーをどうしても演じたくてかなり積極的に動いたようで、候補に挙がっていたエイミー・アーヴィングを押しのけてオーディションで見事にキャリー役をゲットした。

キャリーが老け顔少女なのはそういう理由もあったのだ。

といっても、スペイセク以外の高校生役の俳優たちもほとんどが20代半ばだったんだが。

最近では高校生役を同世代のティーンエイジャーが演じることも多いけど、作品によってはアラサー俳優が平然と10代を演じることもいまだにある(『アメイジング・スパイダーマン2』で10代後半の主人公を演じるアンドリュー・ガーフィールドは現在30歳)。*3

結局、監督が推していたというエイミー・アーヴィングはスー役に決定。


ちなみに、エイミー・アーヴィングはスピルバーグの最初の奥さん。

スピルバーグは当時、ルーカスやスコセッシデ・パルマたちとつるんでいたので、その関係で知り合ったのかな。

彼女もなかなかいい演技をしていたと思うけど(スーの母親役はアーヴィングのほんとうの母親)、普通に綺麗なアーヴィングがもしも監督の希望どおりキャリーを演じていたら、いまほど世のなかに知られた作品にはなっていなかったかもしれない。

キャリーに豚の血を浴びせるクリス役のナンシー・アレンは、79年にデ・パルマと結婚(のちに離婚)。

デ・パルマの『殺しのドレス』と『ミッドナイトクロス』にも出演。


僕は『ロボコップ』の主人公マーフィの相棒アン・ルイス役が記憶に残ってますが。

ポスターやヴィデオ、DVDなどではトラヴォルタの名前がデカデカと載ってるけど、あの笑顔は健在ながらも翌年の『サタデー・ナイト・フィーバー』でブレイクする前の彼はチョイ役の出演で、最後はキャリーの力で車ごと横転、ナンシー・アレンとともに爆死していた。


バレーボールの場面のあとのシャワーシーンでは、出演者の女優たちがあられもない姿でスローモーションで映し出される。

おっぱいやおケケまるだしの子もいたりして。

あちらの女優さんたちってのは脱ぎっぷりがいいなぁ、と思ったけど、インタヴュー映像を観ると、撮影前にはみんな緊張して、なかには裸になるのを拒否する子もいたんだとか。

ポール・ヴァーホーヴェン監督の『スターシップ・トゥルーパーズ』で男女がいっしょにシャワーを浴びてるシーンがあって、それを観たときもおなじように「正々堂々としてんなぁ」と思ったんだけど、やはりあの撮影でも出演者たちが躊躇するのでヴァーホーヴェンみずからフルチンになって「こうすんだよ!」と演技指導したんだそうな。

だから、みなさん別に裸が平気なんではなくて、プロ根性でやってるんですね。


僕はシシー・スペイセクの主演映画はこの『キャリー』しか観ていなくて、あとはケヴィン・コスナー演じる主人公ジム・ギャリソンの妻を演じた『JFK』や、ちょっと頭のネジの緩んだユーモラスな年配の女性役の『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』(感想はこちら)ぐらい。

それでもそうやってたまに映画で顔を見られるとちょっと嬉しい。

『キャリー』で特に惹かれるのは、テーマ曲。

青春映画のような美しい調べが転調して、おどろおどろしい音楽がヒッチコック作品のバーナード・ハーマンの曲のように鳴り響く瞬間、70年代の香りが濃厚にしてくる。

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こういう映画の作り方は現在ではおそらくできないから(大真面目にやったらギャグになってしまうし)、ほんとにあの時代特有のものだと思う。

原作者のキングが自作の映像化作品として満足している数少ない映画の1本でもある。

またあの頃のデ・パルマの作品が観たくなってきたなぁ。


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キャリー (新潮文庫)

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*1:昔のポスターや雑誌の写真って、不鮮明な印刷のせいもあってやたらと怖かった。

*2:佐々木蔵之介に似ている、という指摘もあるw

*3:まぁ、日本でも映画やドラマなんかで珍しくはないが。