※以下は、2008年に書いた感想に一部加筆したものです。
ディズニーアニメ『ターザン』のケヴィン・リマ監督の実写映画『魔法にかけられて』。
2007年作品。日本公開2008年。
おとぎの国のお姫様ジゼル(エイミー・アダムス)は魔女の魔法によって追放されるが、彼女がたどりついたのは現代のニューヨークだった。
軽~く愉しめましたが、鑑賞後いろいろ思いを巡らすと不思議な余韻の残る作品でした。
実写とアニメの登場人物が競演する作品というと、古くは『メリー・ポピンズ』(『魔法~』のナレーションは『メリー・ポピンズ』の主演だったジュリー・アンドリュースが担当している)だったり、あるいは『ロジャー・ラビット』や『ルーニー・テューンズ』なんかが思い浮かぶけど、アニメのキャラクターが魔法で実写になっちゃった、というアイデアはなかなかいいなぁ~、と思って予告篇観た時から気になってました。
いろんなおとぎ話のキャラが活躍する『シュレック2』が好きなので、ご本尊のディズニーが創造主ウォルトおじさんの作り上げた世界をどうイジッてくれるのか、というのに注目していたんですが。
『シュレック』だって、悪意があるというより、おなじみの「おとぎ話の世界」に愛情注ぎつつ茶化してみせたわけだし。
あの映画のピノキオも三匹の子豚もクッキーマンもみんな健気で愛らしかったもんね。笑わせてくれたし。*1
ただ、この『魔法〜』には毒リンゴは出てきてもお話の中身に毒はナシ。ちょっとおとなしめだったかな。
以下、ネタバレあり。
冒頭に意味ありげにキュリー夫人などの“自立した女性”の紹介があるんだけど、主人公ジゼルは『白雪姫』や『シンデレラ』『眠れる森の美女』などを思わせる、文字通り絵に描いたような“おとぎの国の古典的なお姫様”。
そういう前振りがあるから、てっきり昔ながらの「ひたすら王子様を待ち続ける夢見るお姫様」が多様な価値観に触れて次第に現代女性っぽく変身していく、みたいな話なんだと思ってたんだけど、ジュリー・アンドリュースみたいに歌って踊って動物たちとお掃除したりカーテンやカーペットでドレスを作る彼女は基本的に最後まで「お姫様」であることをやめない。
剣を手にしても『ムーラン』みたいに勇ましく闘うんじゃなくて、彼女の特技はあくまで歌とダンスと裁縫。
That's How You Know
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そして自分に魔法のキスをしてくれる王子様を待っている。
『リトル・マーメイド』『美女と野獣』あたりから復活したディズニーアニメも時代に合わせてヒロインも自己主張する能動的なキャラクターとして描かれるようになってきてるけど、そんな最近のディズニーヒロインたちや“美しさ”の基準さえも自分の判断で選択した『シュレック』のフィオナ姫(岸本加世子似)と比べると、天真爛漫の塊みたいなこの映画のヒロインはずいぶんと古風。
その愛玩動物っぽさがちょっと『スプラッシュ』の人魚ダリル・ハンナや『天使とデート』のエマニュエル・ベアールなんかを彷彿とさせたりして。
たしかにミュージカルシーンはディズニーランドのパレードみたいで賑やかだし、リスのピップは劇場の女性客に大人気。
おとなりで観てた女性も上映中ずっと「カワイイ~!!」を連呼してました。
新『スターウォーズ』で人気者に仕立て上げようとしたジャー・ジャー・ビンクスを世紀の“うざキャラ”にしちゃったルーカス御大と違って、さすがディズニーは勘所を押さえてますね。
ノーテンキな王子のキャラも「実はイヤな奴だった」とかいうありがちな展開にはならずに(ティム・バートン映画なら確実に惨殺されてる)、一貫して“おとぎの国のハッピーな王子”であり続けるのは好感持てました。
あの王子って『X-MEN』で目からビーム出してた人だよね?
シリーズ3作通してまったく報われなかったX-MENのリーダー、サイクロップス役の恨みを晴らすかのようなハジケ方。
ああいう、イヤミなく“何も考えてない笑顔”ができる役者さんってステキだ。
単純明快なキャラクターって観てて愉しい。
完全に別世界の住人であるこのエドワード王子の、NYにおける場違いな大騒ぎぶりをもっと観たかったぐらい。
ヘドリアン女王みたいなスーザン・サランドンの悪い女王様もなかなか似合ってたけど、竜に変身したあとのバトルはもうちょい粘って欲しかったかな。
竜なんだから飛びなさいよ、と。
『101』でグレン・クローズはリアル・ドロンジョ様みたいなクルエラ・デ・ヴィルを嬉しそうに演じてたし、かつて『レディ・ホーク』で闘うお姫様だったミシェル・ファイファーも最近CGで凄い顔になる魔女やってましたが(『スターダスト』の感想はこちら)、“悪女の高笑い”が様になる女優さんってカッコイイです。
女王のあの手下はアニメの顔を観た時点で「もしや」と思ったら、やはりティモシー・スポールだった。この人『スウィーニー・トッド』ではアラン・リックマンが演じる悪徳判事の手下をやってたり(『ハリポタ』にも出てたし)、この短い期間でまったくといっていいほど同じような役。
今回は脳ミソぶちまかれずに済んでたけど。
今“腰巾着”ならこの人、みたいなポジションなんだろうか。見事な“ファンタジー面(づら)”だし。どうでもいいけど、ちょっとバナナマン日村に似てるよな。
ジゼルを演じたエイミー・アダムスは現在33歳(※劇場公開当時)で、劇中でのあのキュートさも含めてなんだかいかにも「舞台でキャリア積んできました」的な、妙にこなれた感じの貫禄を醸し出してました。
あえてこういう女優さんを起用して「おとぎの国のプリンセス」を現実世界に迷い込ませた意図はなんなのだろうか?
疲れ切った現代人に癒しを与えるため?
世の中には“良い継母(義母)”もいます、ってことを訴えたいのか。
妻に去られて、もはや結婚に夢を持てずにいる子連れの弁護士(パトリック・デンプシー)と彼女が出会った瞬間「あぁ、この二人はくっつくのね」というのはわかるから別段ハラハラもドキドキもしないんだけど、生身の身体を持ったことで複雑な感情が芽生え始めたのかほんの少しナーヴァスになる描写もあったりして、この頭ん中お花畑なヒロインがどういうふうに変化していくのだろうと興味をそそられたのでした。
でも、たとえ王子と結婚するのをやめて現実世界にとどまることにしたとしても、ジゼルの価値観は全篇を通して揺るがない。
結局相手を変えただけ。
「恋愛や結婚は絵空事ではない」といった台詞にもあるような、ほろ苦い結末もちょっと想像してみたのだけれど。
まぁ、ディズニー映画ですから。
あまりビターなテイスト期待したってムリなのはわかってるけど。
個人的には、どこからともなく現れたお姫様に恋人かっさらわれてしまう、アゴが丈夫そうなナンシー(イディナ・メンゼル)の方に同情や共感を覚えてしまいました。
彼女の側から描いたらまた全然別の物語になるだろうな。
誰も不幸にはしない(魔女以外は)というストーリーの都合上、彼女はジゼルのフィアンセだったおとぎの国のハッピー王子と意気投合して結ばれるわけだけど、このとってつけたようなハッピーエンドについてはとりあえず措いとくとしても(みなさん賛否両論ですね)、どちらかといえば現在のディズニーアニメのヒロインに相応しいのは、王子の唇を自ら奪っちゃうナンシーみたいなキャラクターなのではないかと。
いや、それとも受動的に見えてジゼルのやり口の方がよっぽど「したたか」だったりするのかしら。
意外と皮肉なオチだったのか?あれは。
う〜む、よくわかんないけど、そんなことつらつら考えてみたらジゼルの満面の笑みがちょっとおっかなく見えてきた。
思わず最後を飾る“THE END”の文字が、ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』の底意地悪いエンディングに重なってしまったりして。
おそるべしディズニー。
まぁ、そんなつまらん言いがかりつけてるとディズニーファンから蹴飛ばされそうだけど。
おとぎの国で王女になった鬼嫁ナンシーが活躍する『魔法にかけられて2』(続篇はDVDスルーでほんとにやりそうだけど)を観てみたい、などと思ったのでした。*2
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