デヴィッド・フィンチャー監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演の『ソーシャル・ネットワーク』。2010年作品。日本公開2011年。PG12。
世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス)“Facebook”誕生の裏側を描いた伝記ドラマ。
アイゼンバーグはFacebookの創設者である史上最年少の億万長者(2012年現在27歳)、マーク・ザッカーバーグを演じる。
以下、ネタバレあり。
これはよーするに、イケ好かない奴が成り上がる物語だな、と。
そんな浅い理解しかできない自分が恥ずかしくもあるが。
おそらく、競争で勝ち残ることに至上の喜びや達成感をおぼえる向きにはこの映画はリスペクトすべき作品なんだろう。
しかし、僕は観ているうちになんともいえない虚しさや腹立たしさを感じ始めたのだった。
負け犬の遠吠えといわれようと、この映画に描かれる友愛会(エリートたちのサークル)にも登場する人物たちに対しても一切魅力を感じなかったし、彼らセレブやIT長者たちは自分とはなんの関係もない人々なのでうらやましくもなんともない。
これはトニー・スコット監督の『アンストッパブル』(感想はこちら)がそうだったように「事実に基づく」映画だが、エンドロールの最後にご丁寧に「いくつかの創作が含まれる」とことわりが入っている。
どの部分がフィクションなのかは知らないけど、それでも事実とまったく異なることを描くわけにはいかないからか、ストーリー的にはちょっと退屈だった。
主人公のザッカーバーグはトントン拍子に登りつめていくけど、彼自身の身の上には別にどん底に落ちたり命を狙われたり、あるいは心境の変化が起こったりといったような劇的な事柄は何一つないので。
舞台になるのは2003~04年だからつい最近だ。
冒頭で一組の男女が会話している。
男の方はザッカーバーグ。相手の女性の名前はエリカ(『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラ。『ドラゴン・タトゥー~』の感想はこちら)。
どうもこの二人の会話が全然噛み合っていない。
だからてっきり彼らは単なる知人同士ぐらいの関係だと思っていたんだけど、やがてエリカはザッカーバーグのカノジョであることがわかる。
この時点ですでに妙な違和感が。
ジェシー・アイゼンバーグが演じるこのザッカーバーグは喋ってる途中で話がポンポン飛ぶし、エリカに対してどこか上から目線。
自分は他の奴らとは違う、という選民意識のようなものがあり、またエリカの学歴を平然と見下すような発言をして、彼女がそれで傷ついたり腹を立てる理由がよく理解できていない無神経さも持つ。
人とコミュニケーションがうまくとれない典型的なオタク(劇中でもエリカから“Nerd”と呼ばれる)に見える。
対するエリカの方はというと、「ボート部の男の子がステキ」などと口にする美人。
彼女はザッカーバーグと話すとイラつくのでうんざりしている。
この二人にはそもそもどんな接点があって、どうやって付き合うことになったんだろう。
その辺についてはまったく触れられていないのだが。
しかしこのザッカーバーグ、彼女にフラれた腹いせにやることがえげつなさすぎる。
酔っていたとはいえ、彼女のプライヴァシーをネットに晒す彼の行為はちょっと信じがたい。
やっていいことと絶対許されないことの境界線をいとも簡単に踏み越えてしまう彼の人間性におおいに問題を感じる。
また、その後もパートナーのエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)になんの相談もなく、何もかも自分の独断で進めてしまったりする。
つまり主人公としてまったく感情移入できない人物、ということ(ザッカーバーグが“アスペルガー症候群”のように描かれていることが云々されてますが、それについては僕の手に余るんで措いておきます)。
ただし、ザッカーバーグがフェイスブックを創ることになった理由がまるでカノジョにフラれたから、みたいに描かれてるのは事実とだいぶ異なるようである。
また、この映画では唯一共感できる登場人物として描かれているザッカーバーグの友人でフェイスブックの共同創設者エドゥアルド・サヴェリンについては、この映画が彼の証言に基づいた著書を原案としている以上、いくらでも彼に都合の良いように語れるわけで、話半分に聴いておくのがいいかとも思う。
とにかく、すべてにおいてランク付けされる世界とそこに住むイケイケドンドンな人々には心底ウンザリした。
言ってることは一番まともに思えるエリカにさえ、「ようするに女の子ってみんなこんな価値観なのかよ」と卑屈な気分になってくる。
何かひどく否定的な感想を書いてると思われるだろうけど、それでもブラッド・ピットがじーちゃんに変身するVFX“だけ”が見どころだったフィンチャーの前作『ベンジャミン・バトン』よりも映画としては面白かったです。
さまざまな種類の人間のサンプルを見せてもらった感じで。
“パーティはクールに”という言葉どおり映画自体が登場人物たちをちょっと引いた視点で描いていて、そこはデヴィッド・フィンチャーならでは、といえるかもしれない。
もしもオリヴァー・ストーンやロン・ハワードが撮ったら全然違う映画になっただろう。
それにしても、ザッカーバーグはどの時点でフェイスブックのアイデアを思いついたのか。
映画の中では富裕層の子弟であるウィンクルヴォス兄弟(アーミー・ハマー。一人の俳優が合成で双子を演じている)に才能を見込まれて声をかけられるのだが、もしこの兄弟に目をつけられなかったらザッカーバーグはどうやって世に出られたんだろうか?
のちにオリンピックにも出場するこのボート部のイケメンエリート兄弟からの依頼を承諾しておきながら、そちらの方は放置して“フェイスブック”を創って勝手に立ち上げたザッカーバーグにいかなるヴィジョンがあったのか、映画ではいまいちよくわからない。
出演者たちの演技はよかった。とりわけ『ゾンビランド』(感想はこちら)でもイイ味出してた主演のジェシー・アイゼンバーグが素晴らしい。
理数系オタク特有のポーカーフェイスというか、感情が読み取れないその無表情ぶり、かと思えば早口で長々とまくしたてる様子は、おもいっきりぶん殴ってやりたくなるほどリアルだった。
音楽配信サービス“ナップスター”の共同創設者でやたら調子こきまくりなショーン・パーカー(しばしば混同される、同じくナップスターの創設者のひとりショーン・ファニングとは別人。演じるのは現在『人生の特等席』→感想はこちらが公開中のジャスティン・ティンバーレイク)と最初に会ったときの、まるでアイドル・スターを目の前にしたような表情と興奮ぶりが可笑しい。
少年たちの友情を描いた映画『リトル・ランボーズ』(感想はこちら)でも描かれていたように、イケてる奴とツルみだすと親友が離れていく、というのは世の常だが、『リトル・ランボーズ』の少年たちが最後にはめでたく仲直りできたのに対して、この『ソーシャル・ネットワーク』の若きエグゼクティヴたちはどうだっただろうか。
どんなにイイ奴だろうと使えなければ切り捨てる。それがビジネスの世界。
そして、たとえ今後もビジネス・パートナーとしての関係は続いても、壊れた友情はもはや戻ることはないだろう。
あるいは、ザッカーバーグには最初から“友情”などというものは存在しなかったのかもしれないが。
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