※以下は、2010年に書いた感想です。
トーマス・アルフレッドソン監督のスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』。2008年作品。日本公開2010年。PG12。
予告篇に【ネタバレ】があるので注意。
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作曲:ヨハン・セーデルクヴィスト
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スウェーデンの雪につつまれたある町に越してきた不思議な少女エリといじめられっ子の少年オスカーの出会いとふれあい。そして彼らが背負うことになる残酷な運命。
以下、ネタバレあり。
かねてよりその評判を耳にしており、すでにどのような話なのか、予備知識をけっこう蓄えての鑑賞ではあったけれど、かなり楽しみにしていた作品。
毎日学校で苛めに遭っている少年オスカーの隣の家に、ひとりの少女が引っ越してくる。
のちにクリストファー・ノーランによってリメイクされたノルウェー映画『不眠症インソムニア』でもそうだったが、雪に覆われた小さな町でのどこか閉塞的な人間関係。
主人公をはじめ金髪の少年少女たちはみな美しいが、どこか陰鬱な表情だ。
そんな印象を受けるのは、この映画では子どもたち以外には冴えない容貌の中年の男女しか出てこないからでもある。
唯一、主人公の両親は若くて健康的に見えるが、ほとんど出番がない。
この映画は、ハッキリと描かれないが暗示に満ちた場面が多く、正直すべてに気がつけたとはいえないし、その意味ありげな要素が何の“メタファー”なのかわからなかったものもいくつかある。
主人公オスカーの両親は別居していて、母親とともに住む彼はときどき父親の家に遊びに行く。
父親はオスカーと遊んでくれるが、この父親は男友達と仲が良さそうだ。
なんでもないようなシーンだけど、妙に気になるのは、まるで女の子のように髪を伸ばして可愛い顔立ちをしたオスカー(劇中、やたらと彼の身体を強調した撮り方がされている)や、やけにイケメン過ぎる父親。母親も美人。
大人の男女はこの両親以外はカフェだかバーだかにたむろする疲れた顔したオッサンとオバハンしか登場しないので、彼らの美しさが余計際立つ。
どうもこの映画には倒錯的な匂いがプンプンするんである。
しかし先ほども書いたように、わかりやすくハッキリと描かれないので本当にそのような意図があるのかどうかは判然としない。
そしてオスカーの隣の家に引っ越してきた“女の子”エリ。
彼女は雪が積もる中、外を平然と薄着で出歩き、昼間は学校にも行かない。
エリの父親(らしき人物)は彼女のために人の血を集めている。
どうやら人間の血を飲まなければ生きていけないらしいこの少女は、血液を持ち帰りそこねた父親を激しく罵ったりもする。
吸血鬼、といえば、パク・チャヌク監督の『渇き』(感想はこちら)もそうだけど、つねに「病い」を連想させる。
それは身体的なものだったり精神的なものだったりするが、何しろ噛まれれば感染するので、ともかく不健康で病的な「やっかい者」というイメージがつきまとう。
いじめられっ子のオスカーにエリは言う、「わたしも同じ」と。
そして「やられたらやり返しなさい」と命じる。
「生き残るためには人も殺す、それが“生きる”こと」。
それは悪への誘惑のささやきだろうか。
いじめっ子への仕返しと、それに対するさらなる逆襲。
弟のケンカにしゃしゃり出てくるいじめっ子の兄貴など、あぁ、こういう連中ってどこの国でも同じなんだ、と思わされる。
クライマックスの惨殺シーンには感動をおぼえた。
ホラー映画が特別好きなわけではないんだけれど、こういう感情を揺さぶられる一瞬のショック描写にはおおいに魅せられる。
ヴァンパイアであるエリという存在によって何が表現されているのか、彼女の“痛み”は何を意味するのか。
どのようにも受け取れるし、思春期直前の少年少女の持つある種の薄気味悪さ(それは大人が勝手に受け取る感覚かもしれないが)がリアルに描き出されている。
オスカーがエリの正体に気づいて殺人事件を彼女の仕業だと見破ってしまう唐突な展開、友人や付き合っていた女性を殺された男性がエリの居場所をいきなりみつけてしまう場面など、性急でかなり不自然ではある。
それでもこの映画はまるで1980年代前半か70年代以前の映画を観ているような、まだ人間ドラマやホラーがジャンル別にハッキリと区分けされず、デジタルエフェクツの氾濫によってフィルムの中の空気感が失われる前の、どこか混沌としたかつての「映画」の雰囲気が感じられる。
劇中ではっきりとは明示されないけれど、この映画の舞台になっているのは1980年代らしい。
なるほど、登場人物たちの服装やバックに流れてるポップスなどがたしかにそんな感じ。
抒情的で格調高い音楽の力も大きい。
聴いているだけで涙が出てきそうな美しい旋律。
描かれる世界はけっして壮大なものではないが、この哀しみにあふれた曲の力と出演者たちのデフォルメされていないこまやかな演技によって「名画」の風格がある。
「ここを去って生きるか、残って死ぬか」
寒さで垂れた鼻水を拭いもせずにオスカーが見つめる白い陽光の向こうには何があるのだろうか。
そして永遠に老いない少女とともに旅する彼は、今どこの町にいるのだろう。
エリの“父親”の末路を思い出したとき、オスカーがこれから巡るであろう運命にあらたな恐怖を感じずにはいられない。
哀しくも恐ろしい物語でした。
後半にほんの一瞬エリの裸の下半身が映る場面があって、酷いことに彼女の股間にボカシ(というよりフィルムを引っ掻いたような傷)がつけられている。無論、映倫による“検閲”だ。
あれを見ると何か映ってはいけないものが映っていた、と思ってしまいそうだが、あのショットはエリの股間が“縫いつけられていた”というもので、もちろん特殊メイクが施してある。
それによって彼女がもしかしたら男の子だったのかもしれない、と示唆するシーンだったんである。
それを隠そうとした映倫の人たちは一体あのショットから何を想像したんだろう。彼らこそモノホンの“変態さん”なんじゃないでしょうかね?
以上は、2010年の劇場公開時に書いた感想です。
この映画は2010年にアメリカでクロエ・グレース・モレッツ主演で『モールス』(原作の邦題)というタイトルで再映画化され、日本では2011年に公開された。
これら2本の映画を観くらべてみるとなかなか面白いです。
観た順序によってそれぞれの評価も違ってくるようで、どちらのヴァージョンにもファンがいる。
僕が観たのはこの『ぼくのエリ』が先だったから、やはり作品としてはこちらの方が印象深いのだけど、『モールス』もハリウッドによるリメイクとしては良作だったと思います(『モールス』の感想はこちら)。
『ぼくのエリ』の監督トーマス・アルフレッドソンは、その後、2011年にイギリスで『裏切りのサーカス』(感想はこちら)を撮り、これも高い評価をうけた。
残念ながら、僕はあまりピンとこなかったけど。
それでもこの監督の静謐なタッチには惹かれるものがある。
次回作も楽しみにしています。
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