ヘンリー・コスター監督、ディアナ・ダービン、アドルフ・マンジュー、レオポルド・ストコフスキー出演の『オーケストラの少女』。1937年作品。
第10回アカデミー賞作曲賞受賞。
この映画を観ようと思ったきっかけは、MGMの1939年のミュージカル映画『オズの魔法使』(感想はこちら)を観て主演のジュディ・ガーランドについて知りたくてWikipediaをのぞいたところ、1935年の短篇映画『アメリカーナの少女』で共演したディアナ・ダービンがその後ジュディのかわりにMGMを解雇された、というエピソードが書かれていたことから。
またミュージカルのアンソロジー映画『ザッツ・エンタテインメント』(感想はこちら)でもこのことにすこしだけ触れられていた。
『アメリカーナの少女』"Every Sunday" 監督:フェリックス・E・フェイスト
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MGMを辞めさせられた(?)後、ディアナ・ダービンはユニヴァーサル・ピクチャーズと契約。
この『オーケストラの少女』もユニヴァーサル映画。
ディアナのMGM解雇の真相については僕はよくわからないけれど*1、もしあのときディアナ・ダービンではなくてジュディ・ガーランドがMGMをクビになっていたら、『オズの魔法使』の主人公ドロシーはディアナが演じていたかもしれないと思うと、なんだか不思議な気分に。*2
もちろん、いまとなってはドロシー役はジュディ・ガーランド以外考えられないが、ふとディアナ・ダービンが演じるドロシーを想像してみると、さほど違和感もなかったりする。ちなみにふたりの年齢はディアナが一つ年上。
あの当時の流行りだったのか、ジュディもディアナも映画のなかでの髪型がけっこう似ている。
運命というのは奇妙なものですね。
そんなわけで、ジュディ・ガーランドに魅了されながらも、違う映画会社で彼女とは別の道を歩むことになったもうひとりの若手歌手ディアナ・ダービンのことが気にかかっていた。
そんなディアナは今年の4月に亡くなったそうで、Yahoo!ニュースでも取り上げられていた。
で、そのディアナ・ダービンが37年に主演したこの『オーケストラの少女』のDVDををたまたま電化ショップでみかけたので購入。
ディアナ・ダービンという女優・歌手は恥ずかしながらこれまで僕は存じ上げなかったのだけれど、1930年代後半から40年代にかけて活躍した人で、なんでも当時、日本ではジュディ・ガーランドよりも彼女の方が人気があったんだそうな。
たしかにこの『オーケストラの少女』のなかでディアナはソプラノでモーツァルトの「アレルヤ"Alleluia"」を歌ったりしていて、一方でジャズを歌っていたジュディ・ガーランドにくらべて彼女のクラシカルな歌声は1930~40年代の日本の人々にはウケたんだろうな、と思う。
また、「アンネの日記」のアンネ・フランクが部屋に彼女のブロマイドを貼っていたそうで、つまりそれだけ世界じゅうで人気のスターだったのだ。
YouTubeでも彼女の名前で検索すると、大量の動画や音源がヒットする(そのわりには彼女の出演映画の予告篇がみつからないのだが)。
たいへん失礼ながら、個人的な好みでいうとやっぱり僕はジュディ・ガーランドの方がカワイイと思ってしまうんだけど(ディアナの顔はちょっとおばちゃん入ってる気が…いや、愛らしいお顔ですが)。
ピアノを弾いてる方がジュディ・ガーランド。立っているのがディアナ・ダービン。
あと、僕はてっきりこの『オーケストラの少女』は“ミュージカル映画”だとばかり思ってたんだけど、どうやらディアナ・ダービンは歌手ではあるけれど踊らない人のようで、この映画のなかで彼女が歌いながらダンスを披露することはない。
オーケストラの演奏に合わせて歌うだけ。
『レ・ミゼラブル』(感想はこちら)のように映画の登場人物たちが台詞のかわりに歌う、というのでもなくて、劇中でヒロインが歌うシーンがある、ってだけのこと。
そのあたりでも、僕はちょっと興味が薄らいでしまう。
いや、ディアナがオペラ歌手のような美声の持ち主であることは、音楽に関して無知でド素人の僕にもわかりましたが。
物語自体もとても小粒で、これが世界的に大ヒットした作品、といわれても、「…へぇ、そうなんですか」という感想しかわいてこない。
なんか、しょっぱなからいきなり悪口みたいになっちゃいましたが、僕は音楽方面はからっきしなので、どんなに歌唱力があったとしても登場人物がミュージカルのように踊ることもなく直立不動で歌う姿をずーっとながめてるのは、正直けっこう退屈だったりもするのだ。
それと、このDVDは1枚定価1480円、3枚まとめて買うと1枚990円の廉価版で、画質がすこぶる悪い。
モノクロ映画なのに画面のところどころにレインボーノイズのようなちらつきが見える。
まるで500円DVDのような画質だった。
とゆーか、3倍録画した昔のヴィデオテープみたい。
ここ最近僕が観た昔の映画が、手間ひまかけて修復したデジタル・リマスター版だったり、いかに画質の良いものだったのかあらためて思い知らされた。
以下、ネタバレあり。
映画の内容にも慣れるまでにけっこう時間がかかった。
というのも、この映画の登場人物たちは誰もがやたらと早合点しがちで、相手の話をちゃんと最後まで聴かずにそれぞれが独断で行動する。
結果として勘違いが頻発し、主人公がそれに気づいた頃にはすでにのっぴきならない状況に追いこまれていて、それをいかに誤魔化し事態を収拾するか、ということに時間が費やされる。
こういう映画って前にも観たことあるよなぁ、なんだったっけ、と考えていたら、ふと思い浮かんだのが三谷幸喜の作品だった。
三谷さんは往年のアメリカのスクリューボール・コメディやシチュエーション・コメディが好きだということなので、この時代の作品群におおいに影響をうけているんだろう。
この『オーケストラの少女』はいわゆる「人情喜劇」の一種だが、物語の語り口は三谷幸喜の作品に通じるものがある。
まず、とにかく登場人物たちの行動がどれも浅はかすぎるのだ^_^;
そこを笑って愉しむ、ということなんだろうけど、ふだん映画にあれこれと難癖つけてるような僕なんかには、愉しむ以前に映画のキャラクターたちにイラつかされてしまう。
映画の冒頭で、名指揮者ストコフスキーに雇ってもらおうと彼の楽屋をたずねた主人公の失業中の父親(アドルフ・マンジュー)は、必死の懇願にもかかわらず門前払いをくってしまう。
ところがお金の入った財布を拾って、それを滞っていた大家への家賃の支払いにあてたことからまわりの人々に就職が決まったと勘違いされて、否定できなくなってしまう。
娘のパッツィ(ディアナ・ダービン)は喜んで、父親がストコフスキーのオーケストラで演奏するのだとみんなにいいふらす。
事実をいいだせなくなってしまった父親は、リハーサルに行くといって音楽仲間たちとポーカーをする。
もうこの時点でイライラしてくる。
彼は一見人がよさそうではあるが、なにかにつけて娘のパッツィに頼りきりで、しかも大切な局面でみずから出向いて裏を取らなかったばかりに、じっさいには存在しない契約のために大勢の仲間たちを巻きこむことになる。
だいたい拾った財布のなかにはちゃんと持ち主の住所があったのに、それを確認もせずに中身の金を使ってしまったのは言い訳のしようがないが、それについては不問にされている。
パッツィはパッツィで、思いついたら父親がはたらく(と彼女が思いこんだ)ストコフスキーの楽団に勝手に押しかけたり、財布の持ち主の金持ち夫人がいった「楽団を作ったらスポンサーになる」という言葉を鵜呑みにして父親たちに吹聴したりと騒動を大きくしていく。
そんなわけで、観はじめてしばらくはなかなか映画のなかに入りこめなかったんだけど、やがてじょじょに心地よさも感じはじめたのだった。
とにかく物語は単純明快で、上映時間は1時間半足らず。
そのなかで時折ディアナの歌が入る。
僕はよく知らないけれど、こういう形式の映画は当時は多かったんでしょうね。
パッツィの父親と楽団の人々に「ガレージの使用料を払え」と目を剥いてしつこくいってくる太めのおっさん、どっかで見たことあるな、と思ってたら、チャップリンの『独裁者』でチャップリン演じる独裁者ヒンケルに服を脱がされひっぱたかれる戦争相ヘリング元帥を演じていたビリー・ギルバートだった。
僕は古い映画にくわしいわけではないので、ときどきこうやって思わぬところで知ってる俳優さんの顔を目にすると、ちょっと嬉しくなる。
パッツィは父親とその仲間たちで楽団を作るが、「スポンサーになる」と約束してくれたはずの金持ち夫人は欧州旅行に出かけてしまって不在。
夫人の夫の富豪にとっては寝耳に水で、どんなに実力があったって無名の楽団に金は出せない、といってくる。
昔からこういうもんだったんですな。
意気消沈した面々だったが、パッツィは「スポンサーになってほしけりゃ有名な指揮者を呼んでこい」という富豪の言葉に一計を案じる。
映画のオープニングタイトルで、コンサートホールでのオーケストラの演奏が延々と映ってて「ちょっと長いな」と思ったんだけど、どうやら指揮してる人はホンモノの指揮者だということを映画を観終わってから知った。
つまり、実在の名指揮者ストコフスキー本人が自分の役を演じていたのだった。
どうりで、なんとなく俳優っぽくないなぁ、と思ったわけだ。神経質っぽいところがよく出ていて、なかなか演技が達者ですが。あの髪型について劇中でイジられてたりもする。
だからあの冒頭は、彼がフィラデルフィア管弦楽団を指揮するところをじっくりと見せるのが目的だったんですな(それでも曲が大胆にカットされてるらしいが)。
当時はそれも話題になったんだとか。
雇ってほしい、というパッツィの父親の頼みをことわり、パッツィのすばらしい歌声に興味を示すものの彼らの楽団の指揮も「仕事がつまってるから無理」と固辞するストコフスキーだったが、パッツィと100人の男たち(映画の原題は“100 MEN and a Girl”)が屋敷に忍びこんできて(どんだけ不用心な家なんだ)彼の前で演奏すると、ついに快諾する。
カーネギーホールでの演奏会は大成功をおさめ、映画の最後にあいさつがわりにパッツィが歌ってめでたしめでたし。
かようにささやかな物語ではあるけれど、世界じゅうの人々がこの映画のヒロイン、ディアナ・ダービンに魅了されたのはよくわかる。
みんながちょっとした幸福をもとめている。
ディアナ・ダービンの笑顔(と最後の両目ウインク)には、人々をほんのすこし明るい気持ちにさせてくれるステキな魔法があったのだ。
左からアドルフ・マンジュー ディアナ・ダービン レオポルド・ストコフスキー ミシャ・オウア
ディアナ・ダービンは1950年に3度目の結婚とともに引退。
その後も歌手や女優としての出演の依頼がいくつもあったがすべてことわり、ショービジネスの世界に復帰することはなかった。
そして今年4月に91歳で永眠。
少女時代に『アメリカーナの少女』でともに歌ったジュディ・ガーランドとは、最後まで対照的な生き方だった。
ご冥福をお祈りいたします。
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『巴里の女性』
*1:社長のルイス・B・メイヤーが「太った方(ジュディのこと)をクビしろ」といって、反対にディアナが契約を解除された、という伝説があるが、真偽のほどはさだかではないという。
*2:もともとドロシー役は20世紀フォックスのシャーリー・テンプルが考えられていたようだが。