2010年作品。日本未公開。
中学校デビューをねらう主人公の少年グレッグとその友だちロウリーとの友情と仲違い、そして和解を描いた物語。
クロエ・グレース・モレッツが彼らと同じ学校に通う新聞部の女の子アンジーを演じている。撮影は『キック・アス』(感想はこちら)のあとだろうか。
ところがクロエ目当てでこの作品を観たらビックリするぐらい出番が少なかった。
そんなわけで、この映画の主役は男の子であって、しかも肝心のクロエさんは『キック・アス』とは違って完全な脇役なんだけど、感想はあくまでも彼女中心に書いていきます。
以下、ネタバレあり。
この映画は児童文学が原作なんだそうだけど、この映画自体ははたして誰をターゲットにしているんだろう。
中学生とか高校生が面白がって観るとは思えないんだが。
なんというか…少年版『ソーシャル・ネットワーク』(感想はこちら)みたいな映画だった。
というより『アニマル・ハウス』か、それとも『ナーズの復讐』か。
つまり、社会の縮図である学校内での「持てる者」「イケてる奴」とそうでない者との待遇の違いを残酷なまでに見せつけてくれる作品。
そこから脱落したらまともに学食のテーブルで昼食もとれない、チビやバカや運動神経が鈍いヘナチョコには地獄のような競争世界。
しかもグレッグ少年はジョン・ベルーシやヲタクたちみたいにイジメっ子グループに逆襲したりはしない。
年上の奴らには絶対かなわないし、それに学校では誰もがイジメられっ子や仲間はずれになる可能性がある。
だからみんななんとかして「イケてる奴」になろうとする。
アメリカの学校ってこんなに苛酷なんだなー。
いや、日本だっていろいろあるけどさ。
とはいっても笑いを交えた軽いノリの作品で、けっして深刻ぶった作りではないんだけど。
アメリカでもプロレスは「インチキ・レスリング」といわれてるのか、とか、自分より背が高い同級生の女の子とレスリングで組んずほぐれつ、っていいなぁとか思ったりなんかして。
「遊ぶ (play)」は子どもっぽい言い方だから「つるむ (hang out)」と言わなきゃダメ、とか、日本でもあるよね。どーでもいいことなのに。
しかし、さわるとみんなに逃げられる「チーズえんがちょ」なんて、中学生というよりどう考えても小学生レヴェルでしょ。幼すぎる。
そのチーズのおかげでロウリーは後半、悲惨な目に遭わされるんだが。
中学生という設定なのにどうしても小学生にしか見えないグレッグやロウリーたちと並ぶと、ヒット・ガールの頃に比べてだいぶ大人びてきたクロエは彼らより頭一個分背が高くていっそうお姉さんっぽく見える。
体育の授業をさぼって校庭の「完璧な場所 (perfect spot)」で読書している少女。
群れから遠ざかって、教師や他の生徒たちを引いた目で見ている。
実際のクロエ・モレッツは今や全米はおろか世界中で大人気の若手スターで、おそらくは友だち付き合いも得意な「イケてる子たち組」なんだろうけど、この映画の彼女は出演時間はわずかにもかかわらず、幼稚な同級生たちから距離をおいた、ちょっと屈折した女の子を実に巧みに演じている。
余談だけど(僕の映画の感想は余談だらけですが)、僕はそんな彼女の風情に、やはりかつて夢中で出演作を追ったジョディ・フォスターの子役時代の面影を見たりして(リアルタイムで知ってるわけじゃないけど)、なんともいえない懐かしさを感じたのだった。
なんとなくおっかなそうな現在のジョディ・フォスターからは信じられないかもしれないけれど、かつての彼女も純粋さと屈折を併せ持ち、そのはにかむような笑顔に思わず胸がキュンとなる雰囲気があった。そして10代の前半で急激に大人の女優としての魅力を開花させていったのだった。
高学歴でプライヴェートではちょっと孤高なところは同じく子役出身のナタリー・ポートマンの方がジョディに似てるような気もするけど(ジョディはイェール大、ナタリーはハーバード大卒。また、ふたりともアメリカ人女性としては小柄)、屈折系の演技が似合うところはクロエが近いんじゃないかと。どちらも金髪碧眼だしね。
『タクシードライバー』のジョディ・フォスターとロバート・デ・ニーロ。
クロエとキアヌ・リーヴスによる再現。
『ヒューゴの不思議な発明』(感想はこちら)でマーティン・スコセッシ監督と組んだクロエがファッション誌の企画でキアヌと『タクドラ』を再現。このリメイク、ちょっと観てみたいかも。
さて話は映画に戻って、アンジー=クロエから新聞部に誘われたのに「変人」と友だちなんかになったら他の奴らからつまはじきにされる、とあっさり辞退するグレッグ。
あ~バカバカお前バカ(>_<)
この、必死で学校の人気者になろうと努力をかさねる(しかし完全に方法を間違ってる)グレッグは、演じてる子役のザカリー・ゴードン君の好演で憎めない奴として描かれてるはいるけれど、小学生の時からの友人ロウリー(ロバート・キャプロン)を自分よりも劣ってると見下してて「友だちでいてやってる」気になっているとことか、なんともこう、子どもの嫌らしさが滲み出ていて、あぁほんとに「ダメな奴」だなぁ、とあきれてしまう。
でもこういうことってありそうだもの。
やがて、ロウリーがひょんなきっかけからクラスの女の子たちやイケてる奴らと「つるむ」ようになって、おもいっきりおいてけぼりを食うグレッグ。
おまけに学内新聞の新しいマンガ担当にロウリーが選ばれて彼の人気はうなぎ上り。
そんな時、自分のミスをロウリーのせいにして知らんぷりを決めこんでたことをグレッグが冗談めかして告白すると、さすがに温厚なロウリーもプチッとキレて絶交宣言。友情にひびが入る。
弁解しても手遅れ。
アンジーはロウリーと楽しげに会話しながら、そんなグレッグを冷ややかに一瞥する。
男子が女子に一番されたくない、“ザ・シカト”。
学内での自己評価ランキングがどんどん下降していくグレッグ。
もはや味方は誰もいない。
絶体絶命。
「子ども向け」という形をとってるけど、これはけっこうシビアな世界を描いてるなぁ、と思いましたよ。
子どもたちには子どもたちで彼らの戦いがある。
みんな頑張ってるんだなぁ…。
中学での価値観に凝り固まったツインテールの女子生徒に「今、重要に思えることも卒業したら無意味になる」と語るアンジー。
「何、それ」とあしらわれるが、アンジーにはわかっているのだ。
学校の外にはまた別のルールが存在することを。
腐ったチーズにさわったら「菌がうつる」なんていうのはくだらないガキのお遊戯でしかない。
正直、アンジーがもっと主人公たちとからんでくれてもよかったんじゃないかと思った。
それと、ロウリーが遭わされた数々の災難はすべてグレッグのせいだったわけで、そのことを一切謝罪もせずに彼が最後においしいとこをもっていってうやむやなまま肩を組み合って仲直り、というのはちょっと納得いかなかったんだけど。
まぁ小中学校の友人関係ってそういうもんかもしれないが。
誰にでもオススメ、というわけではないけれど、僕みたいに“クロエ熱(C.G.M症候群)”にうなされているかたは借りてみてはいかがでしょうか。
出番は多くはないものの、ちょっと大人っぽくなったクロエさんの自然体の演技が見られますよ。
興味深かったのが、クロエ・モレッツは普段インタヴューなどで「Oh, my God」のことを「Oh, my Gosh」と言ってるんだけど、この映画の他の子たちも台詞で同じような言い廻しをしていたこと。
『キック・アス』ではクロエの父親役のニコラス・ケイジが使っていたし、イーストウッドの『ヒア アフター』(感想はこちら)ではブライス・ダラス・ハワードがそう言ってたので、珍しい言い換えではないんでしょう。
宗教上の理由なのかどうかよく知らないけど、みだりに「God (神)」と口にしてはいけない、ということのようで。
他にも「hell(地獄)」のことは「heck」と言い換えたりするらしい。
『キック・アス』ではあんだけ「お○○○野郎」を連発してたのに、実生活では「オー、マイ・ゴッド」とか「ゴー・トゥ・ヘル」と言っちゃいけないって面白いな。
さて、おそらく今後も何かとクロエ・グレース・モレッツについて言及することになると思います。「しつこい」「キモい」と思われるでしょうが、ご勘弁を。
何しろ熱で頭をヤラレてますので。