映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『羊たちの沈黙』


※以下は、2012年に書いた感想に一部加筆したものです。


ジョナサン・デミ監督、ジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンス出演の『羊たちの沈黙』。

1991年作品。第64回アカデミー賞作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚色賞受賞作品。

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FBI訓練生のクラリススターリング(ジョディ・フォスター)は、ジョン・クロフォード捜査官(スコット・グレン)から州立精神病院に入れられている連続殺人犯にして元精神科医ハンニバル・レクターアンソニー・ホプキンス)に会うよう命じられる。それは“バッファロー・ビル”と呼ばれる連続猟奇殺人事件の犯人について彼からアドヴァイスをうけるためだった。


劇場公開当時に映画館で観ました。

じつは長年の疑問があって、当時は2本立て興行が普通でこの作品もそうだったと記憶しているんだけど、もう1本がなんという映画だったのかどうしても思いだせない。

1991年公開の映画をいくつか調べてみたけど、この年に観た作品はほかにも何本もあるのでそのうちのどれだったのかわからない。

ネットで調べてみると「ケヴィン・コスナー主演の『ロビン・フッド』と2本立てだった」といっている人がけっこういる。

たしかに『ロビン・フッド』は映画館で観たけど、はたして僕の地元でも『羊たちの沈黙』と同時上映だったのかどうか記憶がさだかではない(この2本がおなじ年の公開だったのを今回確認するまで忘れていた)。

その謎はいまだに解けていない。


さて、これまでもヴィデオやDVD、リヴァイヴァル上映などで何度も観ているけど、何年かぶりにひさしぶりに観ようと思ったのは、デヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』(感想はこちら)を観に行って、ふとこの映画のことが思い浮かんだから。

連続猟奇殺人事件を追うヒロイン。

被害者たちはほぼ女性であり(『羊たち~』の方では男性が1人含まれる)、いわゆるサイコ・キラーの犯行であること。

そしてヒロインには“トラウマ”がある。

その手の“サイコ・サスペンス”もしくは“サイコ・スリラー”映画はその後何本も作られたが、なによりもまず『羊たちの沈黙』がこのジャンルにおいてもっとも影響力があったことはうたがう余地がないだろう。


20年前の作品でありながらいまだに多くの人々の記憶に残る、もはや「クラシック」と呼んでもいいような名作である。

なによりもまず驚くべきことは、この映画がアカデミー賞作品賞を受賞したという事実。

しかも主演女優賞と主演男優賞のW受賞(しかしアンソニー・ホプキンスは“主演”なのか?という疑問はあるが、まぁ出番は多いからな)。

いわゆる「ゲテモノ映画」として扱われかねないこのジャンルで同様の栄冠を勝ち取った作品を僕はほかに知らないんだけど、なんかあったっけ。

僕がこの映画を劇場で観たのはオスカー受賞よりも前だったし、ジョディ・フォスターという女優さんもそれまで知らなかったので、それらが目当てで観に行ったわけではない。

じゃ、なんで観に行ったのか、これも思いだせないんだが(『ロビン・フッド』が目当てだったのなら納得がいくが)。

ジョディ・フォスターにはこの作品で興味をもって、彼女の新作が公開されると映画館に馳せ参じたり、ヴィデオで『タクシードライバー』をはじめ過去の出演作品を何本か観たりした。

『羊たちの〜』でのジョディの髪の毛はこげ茶色なので僕はこの人はこういう髪の色の女優さんだと思っていたら、実際の彼女は金髪だったので意外だった。

しかもこの作品の前にこれも彼女がアカデミー賞で主演女優賞を獲った『告発の行方』では、地味で真面目なFBI訓練生とは正反対の金髪でいかにもチャラい感じの女性を実在感バッチリに演じていたので、「うわっ、これが女優か」とたちまち夢中に。

トマス・ハリスの原作ではどういう設定なのか知らないけど、キャラクター的にクラリスを暗めの色の髪にしたのは正解だったと思う。ちなみにジョディ・フォスターに決定するまでは、クラリス役の候補にはミシェル・ファイファーがいたんだそうな。彼女もまた金髪である。

特に90年代にはジョディ・フォスターの出演作をよく観た。

あれから20年以上経ち、つい最近観た『エリジウム』(感想はこちら)では、彼女の顔に刻まれたいくつものシワにいろいろと感慨深いものがあった。


一方で、これも稀代の名キャラクター“ハンニバル・レクター博士”役で一躍有名になった(無論、映画界ではそれ以前からご活躍ではあったが)アンソニー・ホプキンスは、その後2本の作品でおなじレクター役を演じて、いまやダース・ベイダーなどと並ぶ「映画史に残る悪役」の代名詞となっている。

まるで『13金』のジェイソンや『エルム街』のフレディ、エイリアンやプレデター並みの“モンスター”扱いだが、ホプキンスがはじめてレクターを演じた『羊たち~』では、まだ彼は人気キャラクター化する前の得体の知れない存在だった。

ひさしぶりに観ても、彼の登場シーンはやっぱりコワいのだ。

まばたきをほとんどしない目。

イギリス出身でもともと舞台俳優であるホプキンスの、“連続殺人鬼”という存在に対する一般的なイメージを裏切る落ち着き払った物腰と台詞廻しが、観る者を戸惑わせる。

その後、似たような「レクターもどき」のサイコ・キラーを描いた作品は数多く作られたが(邦画にもある)、彼を超える演技にお目にかかったことがない(大好きな『セブン』の“ジョン・ドー”の演技もやはりレクターの影響下にある)。

もちろん、それはホプキンスと対峙するジョディ・フォスターの名演技があるからこそさらに際立つのだが。

この作品はクローズアップが異常に多い。

多分、スクリーンで観ると役者の顔の「どアップ」ばかりという印象だっただろう。

それもカメラ目線に近いものが多くみられ、まるで登場人物が直接観客に話しかけているような錯覚におちいる。

特にクラリスとレクターのシーンでは、彼らの顔の大写しの応酬がくりかえされる。

唐突だが、『カイジ 人生逆転ゲーム』での藤原竜也香川照之の「顔相撲」とこの『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターvs.アンソニー・ホプキンスの演技合戦をくらべてみれば、両者の演技力の差は歴然としている。

繊細さと大胆さ。これらを自在に操れるのが本物の役者なのだろう。

大変失礼ながら、『カイジ』の御二方には“おおざっぱさ”しか感じられない。顔面に目いっぱいチカラ入れてるだけに見える(演出の責任も大きいと思うが)。

この映画のジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンスの演技には、ヒリヒリするような緊迫感がある。

以下、ネタバレあり。


クラリスはレクターから連続殺人鬼バッファロー・ビル(テッド・レヴィン)について情報を得ようとするが、レクターは情報と引き換えに彼女の過去について話すよう要求する。

このときのジョディ・フォスターの表情は、これまで必死で男社会のなかで努力しハンデを乗り越えてきた若い女性が、目の前の頭脳明晰ではあるが“異常者”の男となんとか対等に渡り合おうとしている様子を見事に表現している。

戸惑いやイラだち、それらに耐え唇の端を上げて無理して笑ってみせるジョディ・フォスターの顔。

いつ観ても惚れ惚れする。

僕は以降の彼女自身からも、これ以上の演技を見たことがない。

知的で頭の回転は速いが小柄なクラリスは屈強なFBIの訓練生たちのなかではさらに小さく見えるし、運動能力がずば抜けて秀でているふうでもない。

また男性たちのなかで働く女性への周囲のどこか冷めた反応など、この映画の作り手たちが意識的にそういった描写を取り入れているのがわかる。


レクターは、10歳で唯一の肉親だった父親をなくしたクラリスが母親の従兄弟夫婦の牧場に引き取られて、そこで見たある光景に興味をもつ。

ある朝、クラリスは妙な音で目を覚ます。

悲鳴のようなその鳴き声は、牧場主に屠畜されようとしている子羊のものだった。

その声を聞いて恐怖に駆られたクラリスは子羊たちの檻を開けるが、彼らは逃げようとしない。

ただ一匹の子羊を抱いて逃げ出した彼女は、数時間後に保安官に保護される。

腹を立てた牧場主は、彼女を施設に入れた。

ここで、レクターは質問する。

「牧場主に性的暴行をうけたのか?」と。

クラリスは否定する。

「いいえ、彼は正常な男でした」。


この場面について、ある映画評論家が「じつはクラリスは牧場主からレイプされている。殺されそうになって悲鳴を上げている子羊は彼女自身の象徴である」というようなことを書いていた。

つまりこれは幼い頃に性的トラウマを負ったヒロインが、それを克服する物語なのだ、と。

僕もいつのまにかそのように解釈していて、だからこそ似たようなトラウマをもつ『ドラゴン・タトゥーの女』のヒロインからこの映画を連想したのだが、今回観てみてどうもそのうけとり方に疑問がわいてきた。

クラリスが牧場にいたのはわずか2ヵ月。

なき母の従兄弟という薄いつながりしかない牧場主に義理立てする必要などないにもかかわらず、彼女は「牧場主は正常な男だった」といっている。

すくなくともこの映画のなかでは、クラリスが牧場主から性的暴行をうけた明確な証拠はない。

しかし妙にひっかかる場面ではある。

たしかに、子羊が殺される現場を見てショックをうけた、などという記憶が“トラウマ”とはいえまい。*1


また、レクター博士はどうしてバッファロー・ビルの正体がわかったのかというと、じつはビルは彼の元患者だったから。

クロフォードはそのことに薄々気づいていたからこそ、クラリスをレクターのもとに送ってくわしく聞きだそうとしたのだ。

つまり、レクターは卓越した推理で未知の連続殺人犯の正体をつきとめるのではなく、最初からそれが誰なのか知っていたんである。

しかしなにしろ彼は頭が良くて頑ななので、無理強いされても口を割らない。

だからどうにかして真相をつきとめなければ、という話で。

これはズルい。

頭脳明晰とかいわれてるが、映画をよく観ているとレクターさんがほんとにそんな天才的な人物なのかどうかおおいにうたがわしくなってくる。

だってその証拠となる冴えた推理をみせる具体的な描写はないのだから。

あるのは記憶力だけで見事な絵が描けるとか、そんな「特技」ばかりだ。

脈拍をつねに85に抑えておける、ってそんなの「頭脳」と関係ないだろ。

あと、彼は体中を拘束された状態でどうやってドクター・チルトンのペンを手に入れたのだろうか。


映画では肝腎のその場面が描かれていない。

わざとなのはわかってるけど、でも気になる。

もうひとつ、ストーリー上よくわからないところがあって、それは“ミス・モフェット”という変名でレクターが借りていた倉庫のなかにあった化粧した男の生首。

この男性を殺して首を斬ったのは誰なのか。

クラリスはレクターに食い下がるが、彼はまるでバッファロー・ビルがその犯人のような言い方をする。

なぜレクターの借りた倉庫にバッファロー・ビルが出入りしていたのか。

重要な台詞を聞き逃したのかもしれないが、同性愛者ではあっても女装癖はなかったというこの犠牲者の男性の命を奪い化粧をほどこしたのはバッファロー・ビルことジェイミー・ガムなのはたしかだろうから、ちょっと混乱する。


僕は『ドラゴン・タトゥーの女』の原作小説が全世界でベストセラーになっててみんなが「面白い、面白い」といってるらしいことを知って、最初に作られたスウェーデン版の映画の評判もいいのでおおいに期待して今回のハリウッド版を観たら「…あれれぇ〜??」って感じで困ってしまったんだけど、この『羊たちの沈黙』もまた、かつて世界的な「大ベストセラー」として話題になった作品である。

小説は読んでないけど、でもあの「ダ・ヴィンチ・コード」ではないが、ひさしぶりに映画を観て、世界的なベストセラーといわれてる代物が「じつはたいしたことないんじゃないか?」と思われてきてしかたなくなってきたのだった。

要はちょっと面白そうな題材をみつけられればいいんである。

原作者のトマス・ハリスは、1960年代からアメリカで起こった連続殺人犯たちの犯行の特徴をパッチワークのように縫い合わせて“バッファロー・ビル”という殺人鬼を作り出した。

また彼自身が殺人鬼でありながら、その知能を使って殺人事件の捜査に協力する“安楽椅子探偵”として「ハンニバル・レクター」というキャラクターを創造した。

それだけでオッケーなのだ。あとは映画屋さんたちが料理する。

この映画を観て「いいなぁ」と思うのは、まずその落ち着いた画面。

その後こういうジャンルの映画に頻出する、これみよがしな短いショットの連発や手持ちのユラユラ撮影、無意味なズームなど微塵もなく、非常にオーソドックスな撮り方がされている。

クロフォードやSWATたちとクラリスのそれぞれの場面をクロスカッティングによって同時進行で見せるサスペンスフルな面白さ。

技巧に走るのではなく、あくまでも役者の演技とそれを邪魔しないキャメラワーク、編集で丹念に作り上げられた作品である。

特別編のDVDの映像特典のなかに本篇からカットされたシーンがいくつかあるが、それらはクロフォードとクラリスのやりとりだったり、バッファロー・ビルとうたがわしき人物の記録を入手するために病院の院長と話をするクロフォードなど、ほとんどが地味な交渉場面で、映画のテンポアップのためにはたしかにない方がよいものばかりだった。

ヘタするといまならそれらの場面も入れてしまいそうだが、だから映画が長くなるのだ。

この作品の上映時間は118分。

完成作品を観ると、いわずもがなの場面は極力そぎ落としてあるのがよくわかる。

そんなわけで、そもそもアカデミー賞ねらいでもなんでもない低予算映画だったこの『羊たちの沈黙』は、その後の「サイコ・スリラー」のお手本となった。

それだけでも映画史に残る偉業なのだから、「じつはたいした話じゃない」とか、そんなことはまぁどうでもいいんですが。


ところで、レクター博士クラリスに行なった「心理分析」とやらは、90年代以降2000年代にかけてやたらと流行りTVなどでもとりあげられて、「精神分析医」だとか「心理カウンセラー」などといった人種が占いよろしく人々を分析して知ったよーなことをあれこれ抜かしていた。

以前ほどではないにしろ、いまでもそういった輩は見かける。

いつの世も人々は、確信をもって「あなたは〜です」といいきってくれる人を求めているようだ。

レクター博士はなかなか魅力的なキャラではあるが、現在の僕の眼から見ると彼がいってることは思わせぶりなだけで、じつはたいして中身がないのではないかとすら思えてくる。

「高価なバッグをもっているのに靴は安物=地方出身者」などというのは、心理分析でもなんでもない、ただの人間観察によるものだ。

クラリスの言葉に“訛り”がある、というのもそう。

そこからレクターは、クラリスが田舎の貧しい階層の出でそこがイヤで飛び出してFBIに入った、と「分析」する。

だが、これははたして「分析」などといえるものだろうか。

クラリスから手渡されたアンケート用紙を見て「こんなものでわたしを分析できると思っているのか?」というレクター。

それはそっくりそのまま彼に返したい言葉でもある。

もちろん、レクターは現実の精神科医とは関係がない一種の超人、アンチヒーローなのだから、その人智を超えた怪物ぶりを楽しめばよいのだが。


この映画の大成功のあと、原作者のトマス・ハリスクラリス役に『羊たち〜』で彼女を演じたジョディ・フォスター本人を念頭において、その続篇『ハンニバル』を執筆した。

ハンニバル』もまた映画化されることになったが、この作品の主人公はクラリスではなく、レクター博士の方である。

いつしかハンニバル・レクターに自分を投影していたトマス・ハリスは、この作品でレクターとクラリス、つまり自分とジョディ・フォスターとの恋愛を描いた。

当然、今回もクラリス役はジョディ・フォスターにオファーされたが、スクリプトを読んだ彼女は当たり役だったクラリス役を固辞する。

ジョディ・フォスターはティーンエイジャーの頃、彼女の熱狂的なファンであるジョン・ヒンクリーが彼女が出演した『タクシードライバー』に感化されて大統領のロナルド・レーガンを狙撃する事件に巻き込まれるという、まさに彼女自身が“トラウマ”を背負った女優である。

そんな彼女が演じるクラリスというキャラクターには役柄を超えたリアリティがあり、またジョディ自身この役を勝ち取ることに固執していたという。

そこまでこだわったキャラクターを捨てたというのは、彼女が主張するように「シナリオのクオリティが納得のいくものではなかったから」だけなのだろうか。

文字どおり現実とフィクションを混同してしまったトマス・ハリスの妄想に薄気味悪さを感じたんではないかと邪推してしまうが。

けっきょく、クラリスジュリアン・ムーアが演じることになって映画は完成した。

ハンニバル』(2001) 出演:ゲイリー・オールドマン ジャンカルロ・ジャンニーニ
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リドリー・スコットが監督した『ハンニバル』は、僕は「笑えるグロ映画」として嫌いではないのだけれど、でも当然ながらそれは『羊たちの沈黙』とは別種の映画だった。

2002年、ブレット・ラトナー監督による『レッド・ドラゴン』が制作されて(日本公開は翌年)、アンソニー・ホプキンス、そして『羊たち~』の最後でおそらくレクターの“夕食”になったドクター・チルトンを演じたアンソニー・ヒールドクラリスに親切な黒人看守のバーニーを演じたフランキー・R・フェイソンらがおなじ役で出演していた。

レッド・ドラゴン』(2002) 出演:エドワード・ノートン レイフ・ファインズ フィリップ・シーモア・ホフマン
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時系列的には『羊たちの沈黙』以前の話だが、映画館で1回観たきりだからということもあるけれど、ストーリーは見事なまでにすっかり忘れている。

ちなみに『レッド・ドラゴン』は『羊たちの沈黙』以前の1986年にマイケル・マンによってすでに映画化されていて、劇場公開時のタイトルは『刑事グラハム/凍りついた欲望』。ヴィデオ化の際に『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』というマヌケな副題がつけられていた。

刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986) 主演:ウィリアム・ピーターセン
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こちらではレクター役にブライアン・コックス

僕はヴィデオで観て、内容はラトナー版とほとんどおなじだったと記憶しているけど、やはりいまいち印象に残っていない。

いずれも『羊たちの沈黙』ほどの完成度には達していなかったし、同等の評価をうけることもなかった。

羊たちの沈黙』はいまでもその輝きをうしなっていない。

映画の最後に、自由を手にしたレクター博士は悠然と去ってゆく。

その後、ネコも杓子も「心の傷」がどうのとつぶやきだす“トラウマ症候群”の時代を引き連れて。


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羊たちの沈黙〈上〉 (新潮文庫)

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羊たちの沈黙〈下〉 (新潮文庫)

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*1:警官だったクラリスの父は犯罪者に射殺されており、そのことと子羊の死が彼女の中で重なった、と見ることもできるが。