名古屋・栄のテレピアホールで6/10(土) ~8/6(日) に開催されている「楳図かずお大美術展―マンガと芸術の大転換点―」に行ってきました。
漫画家・楳図かずおさんの27年ぶりの新作「ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館」が展示されていました。
色を塗った肉筆画と同じ内容の鉛筆で描いたものとがそれぞれ別々に展示してあって、ちょうど漫画のコマの一つ一つを絵画のように額に入れて並べてあり、順番に見ていくと1つの物語になる、というもの。一つ一つの絵はそれなりに大きい。
新作である「ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館」の展示がメインで、それ以前の作品は「漂流教室」や「わたしは真悟」「14歳」の漫画の絵がパネルにしてありました。
「楳図かずお大美術展」という催し自体は去年に東京や大阪で行なわれていて、今年になってようやく名古屋でも開催されることになったようで。
実を言うと、僕は楳図かずおさんの漫画をこれまでそんなにたくさん読んでいるわけではなくて、恥ずかしながら代表作といわれる「漂流教室」も未読だし、やはり有名な「おろち」も読んでいません。*1
小学生の頃に「赤んぼ少女」を本屋で立ち読みしたり、図書館で「ウルトラマン」をみつけて読んだり(その後、自分で全2巻のコミックを買った)、近所の床屋だったか友だちの家だったかで「まことちゃん」を読んだことがあったりした程度。
それから、高校時代に同じ部活で楳図漫画のファンの女の子がいて、彼女から何冊か借りて読んだぐらいです。覚えているのは「神の左手悪魔の右手」「笑い仮面」「闇のアルバム」…あたりだろうか。
ただ、楳図かずおさんの「恐怖マンガ」は子どもの頃から有名だったし、ちゃんと読んだことがなくてもそのヴィジュアル・イメージは脳裏に焼きついていた。女の子が驚いた顔で「あっ!!」と叫んでいるコマとか、「ギャッ!!」という悲鳴など、忘れられないインパクトがあった。よく他の漫画家があの独特の絵柄をパロディにもしてたし。
「ウルトラマン」のバルタン星人の回なんて、ほんとにおっかなかったもの。
ただ、確か「14歳」だったと思うんだけど、雑誌だったか単行本だったかでパラパラっと読んでみて意味がよくわからず、長篇ということもあって途中で読むのやめてしまった。
なんとなく、最近になればなるほど(と言っても、すでに27年前からずっと休筆していたんだけど)僕などには理解が難しい…こう言ってはなんだけどいっそう「電波」入ったような作風になってきている感じがしていて、積極的に読もうという気にならなかったし、そもそも僕はもう漫画自体を読まなくなって久しいので、ずいぶんと長いこと楳図漫画に触れることはなかったんですよね。
でも、高校の時に借りて読んだあの何篇かの作品は面白かったし(内容を全然覚えていませんが)、小学生の頃に目にした楳図作品に震えたあの恐怖の感覚は忘れがたいから、どこかノスタルジーもあって、ファンではないにもかかわらず暑い中を駅からちょっと離れた展示会場へ赴いたのでした。
僕が行ったのは夕方近くだったしそんなに混んでたわけじゃないけれど、それでも何人か足を運ばれてる人たちはいらっしゃったし、やっぱり人気漫画家だけあるなぁ、と思いましたね。
金色やショッキングピンクなど派手めの色が塗られたカラー絵は目に鮮やかで、その明るさの中に狂気も垣間見えて、「アート」な雰囲気が濃厚。
インタヴュー映像の中で「精神異常」という言葉をカジュアルに使われる楳図先生も相変わらずだなぁ、と。
「ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館」を夢中になって見ていたら、色を塗ったヴァージョンの方(この展示会のポスターになっている絵もそのうちの1枚)の写真を撮り忘れてしまった^_^;
こちらは鉛筆画の方。鉛筆で描いたものの方がどこか理性を感じる。
最初から「恐怖マンガ」の人、として見ているからっていうのもあるけど、よくわかってないくせにこういうこと言ってるとファンのかたにブチギレられそうですが、わりとマトモ、というか、思ってたよりもありがちなお話だったな、とも。
いや、いろいろと充分に狂ってはいるし、それは楳図さんの作品から漂う拭いがたい“古さ”(人権感覚的な意味で)とも相まって独特の世界を形作ってはいるのだけれど、たとえば主人公の2体の子ども型ロボットたちを追ってくる超肥満体の女主人はまるでマツコ・デラックスか、あるいは宮崎駿改め“宮﨑駿”の『ハウルの動く城』(感想はこちら)に出てきた荒地の魔女みたいだったり、それ以前にロボットの少年少女の物語にはどうしたって手塚治虫の作品を連想する。
楳図かずおさんは昔から他の作品の影響を受けないように気をつけてきた、とご自身で語られているし、インタヴュー映像の中でも「オリジナリティを大事にしている」というようなことを仰っていたんだけれど、でも今回見た(読んだ)新作「ZOKU-SHINGO」は、僕にはどこかで見た、読んだ物語に思えてならなかった。
ウイルスや宗教など、楳図かずおが描くものは多分今読むと逆にリアリティを感じさせられもするんだろうけれど、それは読む側が如何様にでも解釈できるような内容だからだと思うんですよね。読者の解釈に委ねられているところがある。
また、ちょっと話が逸れますが、先ほど名前を出した宮﨑駿監督の最新作を観た時にふと楳図かずおさんの漫画が思い浮かんだんですよ。
楳図かずおって、長い漫画家生活の中で絵柄が結構変わっているんですが、ざっくりと初期、中期、後期に分けると、たとえば1966~67年の「ウルトラマン」と69~70年の「おろち」や「イアラ」とでも絵柄は変わってきている。
「サザエさん」などの長谷川町子も「ドラえもん」などの藤子・F・不二雄も、やはり初期、中期、後期と大雑把に絵柄が分けられると思うんだけど、僕はどの漫画家先生の絵柄も「中期」あたりが好きなんですよね。
素朴な絵柄だった初期から線の強弱や適度に丸みが残ったキャラクターなど、皆さん「中期」にこそその絵が完成している。
そして、後期になると完成していた絵がより簡略化されたり、あるいは崩れていく。
楳図かずおの絵も、昭和40年あたりに完成して、50年代以降は線に震えが見られるようになったり、デッサンが以前のものと比べると崩れているように感じられる*2。
僕が借りて読んで面白かった「神の左手悪魔の右手」も、だんだん絵が崩れていく途中のように思えたのでした。
で、宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』(感想はこちら)や前作『風立ちぬ』(感想はこちら)にも、僕は絵柄だけじゃなくて作風そのものがどんどん壊れていってるのを感じたんですね(宮﨑駿のアニメの絵柄が、初期、中期、後期に分けられるかどうかはわからないが、『ナウシカ』や『ラピュタ』の頃と今とでは明らかに違う)。
壊れている、と言っても宮﨑監督の場合は実際に「絵」そのものがわかりやすく作画崩壊しているというのではないんですが(アニメーションは一人で描いているわけじゃないから、漫画とはまた違うだろうし)、なんて言ったらいいんだろう、作品そのものが崩壊しているような。
そして、観る側の解釈によって「何が描かれているのか」、観る人の数だけその内容が変容していく、ということでは楳図かずおの漫画と似ていると思うのです。
楳図かずおは1936年生まれで今年87歳。宮﨑駿は1941年生まれで今年82歳。
楳図さんの方が5歳年上ですが世代的には近く、二人とも子どもの頃に手塚治虫の漫画に触れて漫画家を志し、楳図さんは18歳でプロの漫画家としてデビュー、宮﨑さんは漫画家を諦めてアニメーターになった。
作風はそれぞれまったく異なるし、互いに意識したり影響を受けるようなことはなかったかもしれませんが、漫画家として、またアニメーター→アニメーション監督としてキャリアを重ねるうちに作品がよりアーティスティックになっていった、もっとわかりやすく言えばエンタメ路線から徐々に外れていった、という共通点がある。
正しいかどうかはわかりません。僕がそう感じただけのことだから。
80代の巨匠たちが、自分が真にやりたいこと、作りたいものに邁進している姿は凄味がある。いや、クリエイターと呼ばれる人たちには、そうでない者に畏怖の念を感じさせるものがありますが、偉大なる漫画家、偉大なるアニメーターにしてアニメ監督たちの創作に懸ける姿に、僕などは静かに頭(こうべ)を垂れるばかりです。
…なんだか楳図かずおさんの作品についての感想なのか、宮﨑駿さんの作品についての感想なのかわかんなくなってきちゃいましたが、ごめんなさい、最初に申し上げたように僕は楳図さんの作品をそんなに数多く読んでいなくて彼の漫画について詳しく具体的に述べることはできないので、今回の催しを通してふと考えたことを書いてみました。
Wikipedia情報ですみませんが、楳図かずおさんって95年の「14歳」の連載中に新人の担当編集者に「手」の描き方をレクチャーされたそうで、無知というのはほんとに恐ろしいものですね。
今回の「大美術展」で楳図さんが1950年代に10代だった頃に描いた絵物語が展示してあったんですが、めちゃくちゃ上手でしたよ。絵柄は絵本風の牧歌的なものなんだけど、さまざまなアングルで描かれていて、色使いも滲ませた絵の具が本当に美しかった。
なんとなく「昔の漫画」って素朴な絵柄や構図、コマ割りなどを想像してしまうけど、終戦からまだ5年とかぐらいの時にもうこんな現代的な絵を描いていたんだ、と驚かされました。
楳図かずおはもともと絵が物凄く巧いかたなんですよ、今さら言うのもなんですが。宮﨑駿がめちゃくちゃ絵が巧いのと同じく。
その「絵が巧い人」が、絵を描き続けていくうちにいわゆる「上手な絵」から脱してどんどん独自の画風を確立していった。ピカソがそうだったように。
そして、クリエイター個人の「歴史」もまた、作品の一部、またはその「歴史」自体が作品なのだということ。
僕自身は絵は一切描けませんが、きっとそういうことなんだろうと解釈しました。
楳図先生、素晴らしくて怖い漫画を描いてくださってありがとうございます。どうぞこれからも、ご無理をなさらずにまたそのうち新作を読ませてください。