映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『グッバイ・クリストファー・ロビン』 僕たちだけの名前

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サイモン・カーティス監督、ドーナル・グリーソン、ウィル・ティルストン、マーゴット・ロビーケリー・マクドナルド、アレックス・ロウザー、スティーヴン・キャンベル・ムーア出演の『グッバイ・クリストファー・ロビン』。2017年作品。日本未公開。

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作家のA・A・“ブルー”・ミルン(ドーナル・グリーソン)は、第一次大戦の激戦地・西部戦線で心に深い傷を負ってイギリスに帰還しても賑やかなロンドンに馴染めず、新たな作品が書けずにいた。彼とダフネ(マーゴット・ロビー)の夫婦のもとに生まれた子どもはクリストファー・ロビンと名付けられて、両親から“ビリー”(ウィル・ティルストン)と呼ばれる。ミルンは家族を連れてロンドンからサセックスの田舎に引っ越すが、いっこうに筆をとろうとしない彼に業を煮やしたダフネはロンドンに帰ってしまう。ナニー(乳母)のオリーヴ(ケリー・マクドナルド)も母親の容態が悪いために休暇を取り、ミルンは息子と二人きりで過ごすことになる。

 

映画評論家の町山智浩さんがディズニー映画『プーと大人になった僕』と一緒に紹介されていて、ぜひ観たいと思っていました。 あいにく日本では劇場公開されずDVDで視聴。

町山智浩『プーと大人になった僕』『グッバイ・クリストファー・ロビン』を語る

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『プーと~』の方は大人になったクリストファー・ロビンとクマのぬいぐるみのプーの再会の物語だったけれど、こちらはそのような空想的な要素はなくて、実在した作家A・A・ミルンとその息子クリストファー・ロビン・ミルンの伝記映画。

『プーと~』と続けて観ることでフィクションと現実の違いがわかってとても興味深いし、最後は堪らなく切ない余韻を残すことに。

プーと大人になった僕』の感想にも書きましたが、あちらで描かれたことはほぼフィクションで、あの映画の中では作家のA・A・ミルンも彼が書いた児童文学作品「クマのプーさん」も存在しないことになっている。

そしてクリストファー・ロビンは少年時代に父親を亡くして、第二次大戦中に結婚、戦後は旅行カバンの会社に勤めている。

史実では、“ビリー”ことクリストファー・ロビン・ミルンの父アラン・アレクサンダー・ミルンは、息子が大人に成長してからも健在だった。そしてクリストファー・ロビンが結婚したのは戦後で、彼は会社勤めではなく書店を営んでいた。

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クリストファー・ロビン・ミルンと妻のレスリー

 

この『グッバイ・クリストファー・ロビン』では、『プーと大人になった僕』では早々と死んだことにされてしまったミルンと息子の交流が描かれる。『プー~』では登場しなかったナニー(乳母)の存在もクローズアップされている。

これは要するに、芸能人やスポーツ選手などの有名人の親を持った子どもがたどる残酷物語、の元祖みたいなもの。

だから子ども向けではないので、小さな子どもさんのいらっしゃる親御さんはくれぐれもお間違いなきようご注意を。

では、これ以降ストーリーについて書いていきますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

映画を観ながら個人的な記憶が甦ってきて、うっすらと涙ぐんでしまった。

プーと大人になった僕』が疲れた大人をつかの間癒してくれるささやかなファンタジーなら、 こちらは親子というものの難しさと現実の残酷さを淡々と綴った実話。

戦争の後遺症で音や光に過敏になり、また戦場の恐ろしさや戦争の無意味さに対する自覚がなく関心も示さない街の人々に苛立ちを抑えられなくなったミルンは、静養のために田舎に引っ越すが、夫の作家としての復帰を期待する妻は彼の苦しみを理解せず、早く作品を書け、と急かし、挙げ句の果てに痺れを切らして単身ロンドンに戻ってしまう。

息子のビリーは生まれた時から世話をしてくれているナニーのオリーヴに懐いていたが、オリーヴは彼女の病床の母親を看るためにしばらくミルン家を離れることになる。

それまでオリーヴに子どもの世話を任せっきりだったミルンは、たった一人で息子の面倒を見ることに。

最初はぎこちなくてビリーとの適度な距離感を掴めない様子だったミルンも、やがて親子でともに食事を作り、森を散策することで打ち解けていく。

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以前、妻ダフネがビリーのぬいぐるみたちに声をアテて彼らに喋らせたように、ミルンもぬいぐるみを介して息子と語り、彼との物語を紡いでいく。

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そしてそれはミルンの創作意欲を蘇らせて、新たな作品を生み出すことになる。

この映画を観ていると、ミルンが書いた「クマのプーさん」という作品はオリーヴも含めたミルン家の全員が一緒になって創り出したものだということがわかる。

それが純粋に息子のためだけに書かれたものならば、家族の間だけのかけがえのない宝物として残っただろうけれど、作家であるミルンはその作品を出版する。

瞬く間に「クマのプーさん」は売れてミルンとその家族は宣伝のために各地を回ることになり、ニューヨークにも招かれるが、いつしかビリーは人々の前で本の中の「クリストファー・ロビン」を演じさせられるようになる。それは家族水入らずの時間、親子のふれあいを犠牲にするものだった。 

このあたりは観ていてつらい気分になりましたね。

両親は良かれと思ってやっている。でもそこでは明らかにビリーはほったらかしにされていて、ミルンとダフネは成功と名声に浮かれている。

ミルンは戸惑う息子に協力するよう命じたり、作者である自分よりも本の中のキャラクターである「クリストファー・ロビン」と同一視されて持て囃されている息子に嫉妬さえする始末。 

本当に恐ろしい光景だと思った。

父も母も、本当の僕ではなくて本の中の「クリストファー・ロビン」を求めている──そのことに気づいた時、幼い心に両親への深い不信感が芽生えたのではないか。そしてそれは残念ながら生涯消えることはなかったようだ。

親が自分を人形のように扱い、大勢の知りもしない人たちの前でまるで動物園のクロクマのウィニーのように見世物にする。

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一番愛してほしい、一番守ってほしい親からされた仕打ち。

ビリーのオリーヴに対する独占欲は、両親からの愛に飢えている彼の叫びだったのだろう。

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有名になり過ぎたために世間の目から隔離する目的で入れられた寄宿学校で、あの「クリストファー・ロビン」として苛めを受けるたびに、ビリーの中で父への恨みが募っていった。

幼い頃にはハッキリと認識できなかったことが、やがて成長するにつれて確信に変わっていく。自分はあの時、父に裏切られたのだ、と。そして、自分がこんな目に遭うのは父が自分を売り渡したから、守ってくれなかったからだ、と。

そんな父からあえて離れようとするかのように、徴兵検査に落ちて兵役を免れたにもかかわらずビリーは自ら志願して父のコネで軍隊に入る。

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映画の最後に、かつてのミルンがそうだったように軍隊から生きて戻ってきたビリーは(史実では直接戦地には行っていないそうですが)、親子で懐かしいあの森を訪れてようやく父と和解するが、最後の字幕ではナニーだったオリーヴとの生涯を通じての親交については述べられるものの、両親とのその後については語られていない。ただ、ビリーは生涯、父“ブルー”ことA・A・ミルンの「クマのプーさん」の印税を頑なに受け取ろうとしなかった、とだけ告げられる。

もしもそれを受け取ってしまえば、自分は本の中の存在になってしまう。 それはあの森での想い出を大切にしたいビリーには堪え難いことだった。

僕はビリー・ムーン《小さな月のビリー》だ。お父さんとお母さん、そしてオリーヴにそう呼ばれていた。それは他の誰のものでもない、僕たちだけの名前。

親子の間にだけ、家族の間でだけ通用する名前、大切な場所がある。

100エーカーの森も「クリストファー・ロビン」とぬいぐるみのクマたちの物語も、もはやビリー以外の世界中の人々のものになっている。

けれども、あの名前、“ビリー・ムーン”は彼だけの名前。 家族だけがそれを使う。そして父A・A・ミルンの愛称“ブルー”もまた、家族だけの呼び名だった。

映画のタイトルの「グッバイ・クリストファー・ロビン」とは、ビリー・ムーンが本の中の「クリストファー・ロビン」とお別れする、ということを意味していたんですね。

史実では本の中の登場人物「クリストファー・ロビン」という名前に苦しみ、父の遺産である「クマのプーさん」の権利を受け継ごうとしなかったクリストファー・ロビン・ミルン=ビリー・ムーンが、ディズニー映画『プーと大人になった僕』では完全に“フィクション”の登場人物として描かれている(妻と娘の名前も家族の境遇も史実とは異なる)ことはなんとも皮肉だ。

 

この映画を観ながら、僕はボンヤリと自分の子ども時代を思い出していました。しばらく想い出語りをします。

といっても、残念ながら細かいことはあまりよく覚えていなくて、特に父との想い出、一緒に遊んでもらった記憶はほとんどないんですけどね。

ただ、この映画のミルンの自分の息子に対する父親としてどこか距離のある接し方、けっして積極的に子どもとかかわろうとはしない性格など、ちょっと自分の父親を思い出しました。

学校で苛められた時に親や教師が助けてくれなかったことは、今でも僕の中で傷として残っている。そんなところも少しだけビリーに自分を重ねて観ていた。

そういえば、一度だけ父と二人で映画を観たことがあった。『ネバーエンディング・ストーリー』(感想はこちら)という作品で、主人公の少年は母を病気で亡くして父親と二人暮らししている。

そんな彼がある日手に入れた不思議な本を読んでいるうちに、やがてその本の中に入っていくという物語で、原作では最後に家に戻って父親と再び新しい生活を始める、というところで終わる。

映画の感想を父と語り合うことはなかったけれど、一緒に映画を観た、という記憶は今となってはとても貴重な想い出になっている。

もっと幼い頃に、引っ越したばかりの集合住宅の近所を父と一緒に歩いたことがありました。父は自分から何か提案して家族と行動することを一切しない人だったので、その時も僕の母にうながされて出かけたのかもしれない。

そのあたりは宅地造成地でまだあまり建物もなく、何もない土地がず~っと続いていた。幼児だった僕にその光景はまるで違う星にでも降り立ったように見えたのでした。

多分、あの荒涼とした何もない世界は僕の原風景になっている。

そして、僕にはそのまるで他に誰もいないような広々とした静寂の世界を父と手を繋いで歩いている自分の後ろ姿が見えるのです。実際には見たことなどあるはずのない、自分たち親子の後ろ姿が遠ざかっていく様子が。

『グッバイ・クリストファー・ロビン』の終盤に、岩の上に腰掛けた“ブルー”と“ビリー”の後ろ姿を見て、それを思い出しました。 

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これはずっと昔のイギリスを舞台にした作家の父親とその息子のお話だけど、いつの時代、どんな場所にもある普遍的な父と子の関係を描いたものだと思います。

ナニーのオリーヴが雇い主であるブルーに浴びせる「父親としての役割から逃げないでください」という言葉は、世の中のすべての父親に向けられた言葉でもある。

ダフネは恋人ができたオリーヴに「自分の幸せよりも子どもの幸せを優先させるべき」などと、「お前がゆーな!!」と全力でツッコみたい言葉を吐くが、これも現在でもそのまままかり通る言い分でもある。

ダフネを演じるマーゴット・ロビーは損な役回りだし、実在したダフネさんが本当にあのような人だったのかどうかは僕にはわかりませんが、でも彼女をただの悪役にしてしまうのではないところがほどがいいな、と。

人間の言葉を喋るぬいぐるみの“クマのプーさん”を最初に生み出したのは彼女なのだから。

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母ダフネと
 

ちなみに、マーゴット・ロビーは『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』(感想はこちら)でも主演のドーナル・グリーソンと共演してました。 

少年時代のビリーを演じているウィル・ティルストンが女の子みたいでほんとに可愛かったですね。ちょっと顔がジーナ・デイヴィスに似てたなw

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ティルストンが演じるビリーは時々父親よりも大人に見える瞬間がある。空想も得意だけど、妙に現実的なところもある。妻の真似をしてぬいぐるみの声を演じるブルーにビリーは「ママの方が上手だね」と身も蓋もないことを言う。ちょっとションボリする父w 子どもって空想的なものにあえて乗っかってくる時もあれば、そういう空気を読まない残酷なところもあるものですよね。

“ブルー”=ミルンはいつも陰鬱な表情をしている。ミルンの息子に対するあのちょっと突き放したような態度が生まれつきの性格によるものなのか、それとも戦争によって受けた傷が原因なのか、あるいはあの時代のイギリス人男性に共通するものなのか映画を観ただけではわからないけれど、明らかに苦しんでいたミルンはあの時幼い息子に助けられたのだ。

ハチの羽音が戦場のハエの音に聴こえ、風船の破裂する音にすら反応して怯えていたミルンは、息子とともにたくさんの赤い風船を力いっぱい割りまくることでその恐怖を克服していく。

そして、作品が書けずに妻とも離ればなれになっていた彼に、息子のビリーは素晴らしいものを贈ってくれた。そこから生まれた作品がミルンを作家として復活させる。

その代わり、ビリーは自分の明るく楽しい学校生活を失った。

後世に残る偉大な「何か」の裏には、しばしばそのために多大な犠牲を払う者がいる。

誰も悪意を持ってやったのではないのに(「クリストファー・ロビン」を持て囃す多くの人々でさえも)、傷を負う者が生まれる。この理不尽さ。

幸福だった「あの頃」は二度とは戻らず傷も癒えないまま後悔だけが残る人生はつらいが、“ビリー”ことクリストファー・ロビン・ミルンは自伝も書いているそうだから、そこで父や母への想いを目一杯語ることができたのだろうか。

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クリストファー・ロビン・ミルン=ビリー・ムーン、1996年死去。

幼い頃の彼の遊び友だちだったクマのぬいぐるみには“父”が宿っていた。そこから生まれた物語は世界中の人々から愛され、“クマのプーさん”は今も多くの子どもたちの大切な友だちになっている。 

 

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