J・J・エイブラムス監督、デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、アダム・ドライヴァー、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック、キャリー・フィッシャー、マーク・ハミル、ハリソン・フォード出演の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。
基本的に劇場新作映画の感想はもう一つのブログに書いてまして、この作品については特別に肯定的な感想は【ライトサイド篇】、批判的な感想は【ダークサイド篇】(←注意:『フォースの覚醒』が面白かった人はけっして読まないこと)に分けているんですが、これまでにスター・ウォーズについてはこちらでさんざん騒いできたので、備忘録も兼ねてこれまでに取りこぼしたことについて記しておきます。
なお、以降は『フォースの覚醒』および『クリード チャンプを継ぐ男』のネタバレを含みますので、くれぐれもご注意ください。
以前からこの映画に『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴが出演すると報じられていたのでどこに出てるんだろうと目を凝らして見ていたんだけど、彼女はモーションキャプチャーによる出演だったんですね。
惑星タコダナ*1で千年間もラスタなバーを経営しているミカン頭のおばちゃん役でした。
また、モーションキャプチャーといえばこの人、みたいなアンディ・サーキスはフォースの使い手カイロ・レンを操る「最高指導者スノーク」なる頭の割れた悪の親玉役。
『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムにキング・コング、そして『猿の惑星』のシーザーにGODZILLA、さらにスター・ウォーズって…この人はもうSFファンタジー映画のレジェンドですなw
本人の言及で出演が知れ渡ったが、かなりギリギリまでどういうキャラクターを演じているのか謎だったサイモン・ペッグは、惑星ジャクーでレイから廃品を買い、BB-8のパーツを狙って彼女を手下に襲わせるアンカー・プラット役でした。
ペッグさんは撮影現場で実際に着ぐるみに入っていた模様。
そして、現在も『007 スペクター』が公開中のダニエル・クレイグが、捕らえられたレイのフォースに操られて彼女を逃がすストームトルーパー“JB-007”(まんまwww)役で、しかもノンクレジット。
素顔は映らないし、映画を観てても彼が出ていたという証拠は何一つない(声聴いてもわかりませんでした)。これぞ真のカメオ出演。
まぁ、この映画については先ほどの別のブログの感想でほとんど言いたいことは言ってしまったので、もうあまり何も残ってないんですが^_^; 当初はこの『フォースの覚醒』を観て一年を締めくくろうと思っていたんだけど、正直、僕はちょっと満足できなくて、結局そのあと『クリード チャンプを継ぐ男』(感想はこちら)を観たのでした。
『クリード』はシルヴェスター・スタローン主演の「ロッキー」シリーズの最新作だけど、主人公はロッキーではなく彼のライヴァルで親友だったアポロ・クリードの息子。
アポロは『ロッキー4/炎の友情』でロシアのボクサー、イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)に試合中に殴り殺されている。
その今は亡き親友の遺児に請われてトレーナーとして彼を鍛え、ともにチャンプを目指す、という話。
『クリード』の感想でも書いたけど、この、古き英雄が若いヒーロー候補生と疑似的な親子関係を結び彼を指導して、やがて道を譲る、という展開が『フォースの覚醒』と似てるんですよね。
しかし、『クリード』と『フォースの覚醒』ではその“古き英雄”の扱いがまったく違う。
それが、両者の「泣けるか否か」の評価の違いに繋がる。
僕は『クリード』には目頭が熱くなったけど、『フォースの覚醒』では別の理由で涙が出そうになった。
その理由は各感想を読んでいただくとして、それでも両作品で共通している点は、昔のヒーローたち(ルーク、ハン・ソロ、ロッキー)に比べると、現代のヒーローたちは妙にチート気味ということ。
レイはいきなりフォースに目覚め、ジェダイではないはずのフィンもライトセイバーでカイロ・レンといい勝負をする。ポー・ダメロンたちも、『新たなる希望』のデス・スターよりもはるかに巨大なスターキラー基地の破壊に効率よく成功する。
『クリード』の主人公アドニスもまた、ほとんど挫折を味わうことなくチャンプの一歩手前まで行く。
まるで地道にコツコツとやっていくのはかったるいから、みたいな感じで主人公たちはわりと軽々と(そう見える)成長し、勝利を手にする。
僕が『クリード』に涙したのは、アドニスの頑張りに対してじゃなくて、老いて身体を病みながら力をふりしぼって若者のために“闘う”ロッキーに対してだ。
ロッキーは無理を押してアドニスに教えるが、彼の自分自身の命を縮める行為にはちゃんと意味があった。
僕が『フォースの覚醒』を許せないのは、ハン・ソロの死が完全な「無駄死に」だからである。
カイロ・レンは最後に「ありがとう」と礼を言って父を刺すが、実の息子に黙って刺されて死ぬことは誰を救うことにもならない。
何が「ありがとう」なのかさっぱりわからない。
ここでは父親は心を病んだバカ息子の勝手な“自分ルール”に付き合わされて、出立の儀式の犠牲にされている。そりゃハリソン・フォードだって戸惑った表情をするだろう。
ハン・ソロの死に意味はない。
僕は『フォースの覚醒』でこのあまりに虚しいヒーローの死を見せつけられていたので、『クリード』でロッキーが病魔に襲われるのを見て、ロッキーまでも死んでしまうんじゃないかと本気で不安になったのだった。
最近の映画の作り手は、油断してると平気でそういうことをやりかねない。
幸い、ロッキーは生還した。
若きヒーローとともに自らの闘いを闘い抜いて生きて教え子と抱きあうロッキーを見て胸を熱くしながら、スター・ウォーズのさらなる続篇ではお願いだからルークにハン・ソロと同じ運命をたどらせないでくれ、と念じずにはいられなかった。*2
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