スター・ウォーズの最新作『エピソード7 フォースの覚醒』公開まですでに一ヵ月を切ってますね。
さて、過去にルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)を主人公にしたエピソード4~6までの感想は書いているのですが、その前日譚(プリクエル)でアナキン・スカイウォーカー(ジェイク・ロイド、ヘイデン・クリステンセン)が主人公のエピソード1~3についてはいまだに書いていませんでした。
なぜなら、僕はエピソード1~3は「ウ~ン…」だったから。
『エピソード1 ファントム・メナス』(1999)
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なので、感想書いたらあの三部作すべてについて批判的な文章になってしまうし、それはシンドいから放置していたのです。
やっぱり好きで面白いと思ってるからこそモチベーションも上がるわけで、ぐだぐだ文句言うのは本意ではないから。
ただ、『エピソード6 ジェダイの帰還』でいったんは完結したと思われていたシリーズのさらに続篇であるエピソード7~9が制作されることになって、やはり時系列的には「すべての始まり」であるEP1~3にまったく触れないわけにはいかないだろうな、と。
『フォースの覚醒』鑑賞後の感想では語る余裕がないと思うので、ここで僕のプリクエル三部作についての物凄く大雑把な印象、ぶっちゃけ何が気に入らないのか、といったようなことを書き留めておきます(ちなみにEP1~3は全部劇場公開時に映画館で観てます)。
これ以降はシリーズのネタバレもありますので、まだご覧になったことがないかたはご注意ください。
それと、ハッキリ言ってエピソード1~3のことは良く書いていないので、それらのファンのかたは読まない方がいいです。
ってゆーか、いちいち罵倒コメントされるのがめんどくさいので*1読まないでください、そういう人は。
1999年、初日だったか先行上映だったか忘れてしまったけれど、とにかく前年に観た予告篇の時からずっと『エピソード1』を楽しみにしていた僕は、鑑賞後無言になってしまった。
…あれ?あまり面白くなかったんだけど…。
ジャー・ジャー・ビンクスのけたたましくて甲高い声は耳障りなだけだったし*2、スタントマン出身のレイ・パーク演じるダース・モールは最高にカッコ良かったけどオビ=ワン(ユアン・マクレガー)にあっけなくまっぷたつにされてしまったし、ナタリー・ポートマンの白塗りはヘンだったし、とにかく旧三部作(EP4~6)の単純明快な「冒険活劇映画」的な楽しさがなかった。
監督のジョージ・ルーカスはEP1~3を「暗い話になる」と語っていたし、ファンやすでにEP4~6を観ている人たちであればツラい結末になることはわかっているから、最後に主人公たちが銀河帝国軍を倒してめでたしめでたし、だった昔の三部作のようなわかりやすい勧善懲悪の物語にはならないことは重々承知していたにもかかわらず、僕は不満で一杯でした。
たとえ暗い話であっても「面白い映画」にしてほしかった。
このプリクエル三部作の何が不満って、とにかくお話が退屈なこと。*3
以前、旧三部作の感想にもちょっと書いたように、プリクエル三部作は野望を抱いた主人公が成り上がりやがて転落していく“ピカレスク物”として十分にワクワクできるものになったはずなんだよね。
仮に結末がアンハッピーに終わるとしても、だからって物語が暗くて退屈である必要はない。
しかし、できあがった映画は「果たして次はどうなるんだろう?」と観る者の興味をかきたてる要素がきわめて薄かったのだ。
『エピソード2 クローンの攻撃』(2002)
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やがてダークサイドに堕ちて邪悪な皇帝のしもべに成り果てる男の少年期から青年期までが描かれるのだが、ならばこの主人公には「悪の貴公子」のような魅力があってしかるべきところを、そういう見どころをこの三部作はことごとくハズす。
母に女手一人で育てられ父親が誰なのか不明なアナキン・スカイウォーカーは、奴隷制度を廃止して虐げられた人々を解放するために故郷をあとにしたはずだが、結局は「ママ、ママ」言ってメソメソしたり姉さん女房に甘えてるだけのただのマザコン男として描かれている。
『エピソード4 新たなる希望』でアナキンの息子のルークは、両親代わりだった伯父伯母夫婦がストームトルーパーに無残に焼き殺されても唇を噛み締めて悲しみに堪えていた。ルークはけっして人前で泣きべそかいたり我を忘れて暴走したりしない。
シリーズの設定としてはアナキンはルークよりもはるかにフォースの力が強くジェダイの騎士としても優れているということになっているが(そうやってアナキンを褒めそやし、一方でルークを貶める自称SWファンもいる)、人間としてはまったくもって弱い。
『シスの復讐』の公開時、映画監督の井筒和幸さんが自腹で映画を観て感想を述べる番組で、この映画のことを「霊感商法に騙された男の話」と言ってて笑ったんだけど、まさしくその通りだ。
アナキンはパルパティーンことダース・シディアス(イアン・マクダーミド)に妻のパドメ・アミダラ(ナタリー・ポートマン)がやがて死んでしまうので助けるためにはダークサイドに転向するしかない、と言われて信用して彼のしもべになる。
おかしいでしょ、この展開^_^;
で、ダース・シディアスの命令通りに仲間たちを虐殺したり、兄弟子であるオビ=ワンに八つ当たり気味にキレて彼と戦ったりする。
アホじゃん。しかもかなりの低脳ときている。
こんな男がダース・ベイダーになったなどとは思いたくもない。
別のところにも書いたけど、ダース・ベイダーはこんな軟弱で愚かではないはずだ。
もっとオス臭くて上昇志向が強く自分が望むものを手に入れるためなら友や母親の命さえも犠牲にすることを厭わないような、「機動戦士ガンダム」のシャアみたいなアンチヒーローだったはずなのだ。
そこんとこでそもそもキャラクター造形を間違ってた気がする。
だって『エピソード3 シスの復讐』でいきなりあの格好でジェームズ・アール・ジョーンズの低音ヴォイスになった時には違和感しか抱けなかったもの。
『エピソード3 シスの復讐』(2005)
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ダース・ベイダーはけっして“キレやすい若者”なんかじゃなくて(エピソード5でヨーダには「短気だった」と言われているが)、たとえばラッセル・クロウの外見にレオナルド・ディカプリオの繊細さを持っているような*4、深みのあるキャラクターであるべきだった。
ルーカスが本来意図していたのは、そういう登場人物ではなかったのか。
しかし悪に染まっていきながらも観客が主人公に惹かれるようなキャラクターでなければならないのに、ルーカスはアナキンを中二病のマザコンにしてしまった。
ちょうど「ガンダム」の続篇でシャアがやはりマザコンのロリコンにされてしまったように。*5
また、ヨーダをはじめジェダイ評議会の面々はいつも丸い輪になって座ったまま難しい顔してるだけでちっとも活躍しない。
彼らが戦いだすのはようやくエピソード2の終盤になってからだ。しかもその次のEP3では量産型のクローントルーパーたちにあっちゃり殺されちゃうし。
ジェダイ騎士って強ぇえんじゃねーの?ちっとも強そうに見えないんだけど。
この三部作を観ていると、伝説のジェダイ騎士団がいかに無能な集団であったかがわかる仕組みになっている。
もしもわざとそのように描いたということならばルーカスはどうかしてるし、そうでないなら明らかにシナリオの組み立て方を誤っている。
観客にはパルパティーンこそがシスの暗黒卿ですべての黒幕であることはわかっているのに、劇中でヨーダもその他のマスターたちも元老院の者たちも誰一人としてそのことに気づかない。
ルーカスとしてはそうやって観客をハラハラさせるためのサスペンスを提供したつもりなのだろうが、ただただ登場人物たちの頭が悪いようにしか見えなかった。
彼らはすべてにおいて後手に回り、そのくせ偉そうに椅子にふんぞり返っている。
これではジェダイも共和国も滅ぶべくして滅んだとしか思えない。
そうじゃなくて、ジェダイたちは観客よりも先にシスの陰謀に気づいて行動すべきだったでしょう。
ジェダイ抹殺計画はもっと前から開始されていなければならなかったと思う。
どーでもいいポッドレースのくだりとか軍隊を作るかどうかで議論、みたいな退屈きわまりない展開はすっとばして(そもそも中世的な世界観なのに軍隊が一切ないなんてありえないでしょ)、アナキンがジェダイとしての分を越えて増長していく様子をシリーズを通してもっとじっくり描くべきだったのではないか。
ジェダイとシスの間で互いに裏をかきあい知恵比べが繰り広げられることがほとんどないまま*6、エピソード3でいきなり在庫整理のように始末されていくその他大勢のジェダイたち。
完全に三部作における時間配分を間違えている。
ルーカスは三部作が完成するよりもかなり前にストーリーはできていたようなことをしばしば語っているけど、もしも本当に彼が前もってこの三部作の物語をしっかり構築していたのならば、あんな行き当たりばったりみたいな話にはならなかったはずだ。
エピソード1で突然出てきた「ミディ=クロリアン」なる謎の生命体(?)には当時ファンは客席で卒倒したものだが、あれだってちゃんと深い考えがあっての設定であればエピソード2以降でも活用されたはず。それがあまりに評判が悪かったために「なかったこと」にされてしまった。
だけど『エピソード2 クローンの攻撃』のクローン技術やアナキンの出生の秘密などをミディ=クロリアンと絡めることは十分できたのだ。
クリストファー・リー(ご冥福をお祈りいたします。15.6.7)演じるドゥークー伯爵だって、エピソード1の段階でその存在を匂わせたり、元ジェダイである彼の企みについてなんらかの伏線を張っておくことはできたでしょうに。
でもルーカスはそんなことまで考えてシナリオを書いていないので、それらの各要素はちっとも有機的に結びつかず物語の中で活かされないまま、単なる思いつきの羅列のように単発的な描写と台詞で言及されるだけで終わってしまった。
ダース・モールの件もそうだけど、せっかくの悪役をちっとも効果的に使えていない、というのもある。*7
先ほどのドゥークー伯爵はエピソード2の終盤ではあんなにも圧倒的な力でオビ=ワンとアナキンを危機に陥れたのに、続くエピソード3の冒頭であっさりアナキンによって首チョンパされ殺されてしまう。
それはわずか数年の間にアナキンの戦闘能力が格段に上がったことを意味しているのだろうが、その後の皇帝と同じく指先から稲妻を飛ばしてヨーダと互角に戦えたドゥークーがアナキンにあんなに簡単に殺されるのはいくらなんでも説得力がなさ過ぎる。
ドゥークーはダース・シディアスからも一目置かれる一番弟子なわけだから、あの瞬殺ぶりはどう考えてもおかしい。
ダース・シディアスはダース・モール亡きあとドゥークーを弟子にして、目をかけていたアナキンがジェダイとしての能力を発揮しだすと今度は彼をドゥークーにぶつけて勝者を自分の右腕にしようとする。
その後、ベイダーの代わりに息子のルークをダークサイドに誘惑したのとまったく同じやり方だ。
皇帝は「悪い父」であり、ジェダイ・マスターのヨーダは「良い父」である。
“力こそ正義”の「間違った父」に従ったアナキン=ベイダーは、人々の調和を求める「正しい父=ヨーダ、オビ=ワン」を見習ったルークによって倒され、浄化される。
シリーズを貫く柱ともいえるこの要素を、ルーカスはEP1~3でことごとく無駄にしてしまっていた。
特にエピソード3の後半なんて、ただのダイジェストだったし。
この人が死んでこうなってああなって、最後はこうなりましたよ。ハイ、お話がエピソード4に繋がったでしょ?みたいな、ただの「答え合わせ」でしかない。
以前、ラップの人でラジオ番組の某パーソナリティが『エピソード6 ジェダイの帰還』にケチつけて、まだ『エピソード3 シスの復讐』の方がマシ、みたいなことを語ってて、それ聴いてからはこのハゲのスター・ウォーズ評は今後一切信用しないことにした。
わかってないよこの人。ゲームでもやってろ、と。
パドメは『ファントム・メナス』ではナブーの仲間たちと、また『クローンの攻撃』ではアナキンとともに勇ましく戦っていたのに、『シスの復讐』では力なく泣くばかりで挙げ句の果てには自ら生きる意欲を失って死んでしまう。
ルークとレイアを産んで、即行で名前付けたらあとは邪魔者を消すようにオダブツ、って…そんなバカな。
『ジェダイの帰還』でレイアがルークに語った「いつも悲しそうな顔をしていた」という母の思い出とも辻褄が合わないし。*8
このへんの主要キャラの使い捨てみたいな投げやり気味の作劇にもイライラした。*9
パドメは娘であるレイアを超えるぐらいに魅力的で“理想のヒロイン”であるべきだっただろう。しかしそうはならなかった。
だってさぁ、プリクエル三部作のヒロインでこれまでアナキンとともに活躍してきた彼女が死んでしまうというのは、物凄くショッキングな出来事なわけじゃないですか。
それをあんなにあっさりと死なせちゃうなんて、ルーカスにはあのキャラクターになんの思い入れもないのが丸わかりで。
パドメは勝手に自分で死んじゃうんだけど、そんな偶然ではなくてそこは彼女を殺したのはハッキリとダース・シディアスでなければおかしい。
じゃあ、ベイダーはずっと騙されていたことに気づかないままだったの?変でしょ、それは。
そうじゃなくて(ここからしばらく「俺が考えたスター・ウォーズ」が続きます)、三部作の後半でシディアスに命じられてドゥークーがパドメを拷問の末に殺害するのだ。
ドゥークーの放った電撃によって命を絶たれたパドメの姿を幻視したアナキンは、怒りに任せてついにドゥークーを倒す。
それを見たシディアス(=皇帝)が「“怒り”によってそなたの力が増したのだ」と、エピソード6でルークに向けて言ったのと同じ言葉で誘惑し、さらにエピソード5でベイダーがルークに語ったように「私を憎め、そうすれば勝てる」とアナキンを挑発する。
アナキンはシディアスに“復讐”しようとするが果たせず、ダークサイドに与してダース・ベイダーとなり皇帝に仕えることになったものの、必ずや「我が師」を亡き者にしようと企んでいる。
やがてルークの存在を知った彼は、皇帝に成り代わって銀河を支配する野望の実現に動きだす。
一方、皇帝もまたベイダーが彼の座を狙っていることは承知のうえで右腕として使い、ルークをその後釜に据えようとしている。
それぞれの思惑の中には亡きパドメ・アミダラの存在がある。
そういうことでしょう、ほんとは。
さらに、ダース・ベイダーが“シス”でありながら皇帝やドゥークーのように指先から稲妻を出さないのは、かつてそれによって妻を失ったトラウマがあるからだ。
そして、皇帝の電撃で瀕死のルークの姿を見た時に、あの光景がアナキンの脳裏に蘇る。
我に返ったベイダー=アナキンは皇帝を奈落に落として復讐を遂げ、悪の手から妻が残した息子を救う。
どう?“俺が考えたスター・ウォーズ”w
これでいろいろと繋がるじゃないですか。
要するにですね、創造主であるルーカスが作ったエピソード1~3は、世界中の「スター・ウォーズ」ファンが各自心に抱いていた「俺が考えたスター・ウォーズ」の物語を超えていなかったんですよ、ビタ一文。
ルーカスは「すべてのファンを納得させることは不可能」と言ってたけど、悪いがそれは言い訳でしかない。
すべてではなくても、多くのファンを納得させたり歓喜させることは可能だったはずだ。
なぜなら、かつて彼はそれをやってのけたのだから。
しかし、僕のような「アンチ・プリクエル三部作」の人々は少なくない。
そうでなければ『ピープルvsジョージ・ルーカス』なんて映画が作られるはずがない。
それと、確かにシナリオの巧拙もあるけれど、旧三部作とプリクエル三部作の最大の違いはユーモアの有無だろう。
旧三部作には主要登場人物たちの会話にユーモアが散りばめられていた。
C-3POとR2-D2の掛け合いはもちろん、ハン・ソロとレイアのロマンスの中にも適度に笑いの要素があって、それらがメインであるルークの物語を脇から支えていた。
旧三部作も回を重ねるごとに重い内容になっていくのだが、それでもエピソード6では小熊みたいなイウォークたちが出てきたりして、けっして「笑い」を忘れていない。
プリクエルの3作にはそういう配慮がない。深刻なことを深刻ぶって描いてるだけだ。
エピソード1ではジャー・ジャーに寒いドタバタギャグをやらせて観客のウケを狙ってものの見事に失敗、エピソード2ではC-3POの身体が大変なことになってたけど、特に人間の主要登場人物の台詞や行動にはクスリと笑える程度のユーモアもなかった。*10
ルーカスはどうも何か勘違いしているようだが、“ユーモア”というのは大声でわめいてこっけいな仕草をしたり暴れ回ることじゃなくて、登場人物たちのちょっとした会話からでも生じる「余裕」のようなもののことをいうんだと思う。
ファルコン号の中でチューバッカとチェスゲームに興じるC-3POにハン・ソロが言う「ウーキー族を怒らせるな。ドロイドは腕をもぎ取ったりしないが、こいつはするぞ」。
オビ=ワンがルークにフォースを教えているのを見てハンが言う「俺は銀河中のいろんな珍しいものを見てきたが、万物を支配する“フォース”なんていう代物にはお目にかかったことがねぇ。俺が見てないものはニセモノってことだ。まだタネも仕掛けもある手品の方がマシだ」。
デス・スターのゴミ処理場で両側の壁が迫ってきた時にハンが言う台詞。「このままじゃ俺たちスリムになり過ぎるぜ」。
ファルコン号が故障を繰り返すので痺れを切らしたレイア姫がハンに言う「(宇宙船を後ろから)押しましょうか?」。それに対するハンの「そうしてくれ」。
ハンは自分の命が奪われそうな時でも、別れ際に「愛してる(I love you.)」と言うレイアに「知ってたよ(I know.)」と答える。
こういうのをユーモアというのだ。ハンの一言で別れの切なさがいや増すでしょう。
もしもエピソード1~3の中にもこういう気の利いたやりとりがいくつもあれば政治陰謀劇の中でのちょうどいい息抜きになっただろうし、登場人物たちの人間味も増して最後の悲劇がよりいっそう際立っただろう。
僕は、「スター・ウォーズ」というのはあくまでも「娯楽作品」なので、どんなに真面目なテーマを内包していようとも基本的に面白くてなんぼだと思うんです。
僕がプリクエルに不満を持つ理由がおわかりいただけただろうか。
エピソード1~3に対する批判を続けてきましたが(不愉快になった人は自業自得です。だから最初に読むなって断わったでしょ?)、この世に数あるシリーズ物と同様に、その中には好きな作品もあれば不本意、大嫌いなものもあるだろう。
人の思い入れはさまざまなんだから、シリーズが長く続けばそういうことだってある。
だから、今では「シリーズ中ではエピソード1が一番好き。最高傑作だと思う。ジャー・ジャー最高!」という人がいても、それはそれでいいんじゃないの、と思う。まぁ俺はジャー・ジャーは大嫌いですが。
人の好みにケチをつける気はないけど(思いっきりつけてるけど)、でも僕はエピソード4~6原理主義者だからその三部作(改悪された特別篇ではなくオリジナル版)を悪しざまに言う奴はやっぱり腹が立つので近寄らないでいただきたい。
だいたい、人によって作品ごとの好みは分かれるにせよ、すべての始まりである旧三部作(時系列順ではなく制作順)のオリジナル版に敬意を表さないような奴らが「スター・ウォーズ」ファンを自称するのはおかしい。
おおもとがなければ、続篇だって存在できないわけで。
スタートレックのオリジナルシリーズやファーストガンダム、ファーストルパンを否定する奴らはそれらのシリーズのファンなどとは呼べないでしょう。同じことだ。
まぁ、「スター・ウォーズなら全部好き♪」って人が一番害がなくていいかもしれないなw
こんなどーでもいい駄文を書き散らしてきたのも、待ち遠しくて仕方ないからですよ、最新作が。
なんだかんだいって僕はとても楽しみにしているのだ、J・J・エイブラムス監督の『フォースの覚醒』を。
だから辛抱堪らず先走ってこんなの書いちゃったわけで。
まだまだ続きますけどね。
次回は、最新作について(まだ観てないのに)書こうと思います♪
→『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』を観る前に に続く。
※レイア姫役のキャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りいたします。16.12.27
※ダース・ベイダーの声を担当されていたジェームズ・アール・ジョーンズさんのご冥福をお祈りいたします。24.9.9
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*2:日本語吹替版では「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじ役でおなじみの田の中勇さんがジャー・ジャーの声をアテていたので、オリジナル音声よりも幾分ウザさは緩和されていた。
*3:『エピソード2 クローンの攻撃』はわりと面白かったですけどね。プリクエルの中では一番好き。
*4:『クローンの攻撃』の制作前には、ディカプリオが青年期のアナキンを演じるのでは、という噂もあった。
*5:ファーストガンダム終盤のララァとの関係にもそれは窺えはするが。
*6:『クローンの攻撃』の前半には多少謎解きの要素はあるが、後述するようにクローン技術の開発についての伏線がそれ以前にちゃんと張られていないために、この作品でクローン兵団がいきなり誕生したように見える。
*7:ダース・モールもジャンゴ・フェットもドゥークー伯爵もグリーヴァス将軍も、悪役としてのキャラそのものはカッコイイから好きですよ。
*8:結果的にはレイアが語っていたのは義父であるベイル・オーガナの妻の思い出だったということになるが、それではルークとの会話が噛みあっていないことになる。互いにまったく別人のことを話しているのだから。やはりパドメは亡くなる前にある程度レイアとともに過ごす期間があった方がよかったのではないか。そして彼女の最期は自死や病死ではなく、もっと悲劇的なものでなければならなかったはず。
*9:エピソード2におけるアナキンの母親の死についても同様の雑さを感じた。
*10:出演者のユアン・マクレガーはコメディもこなせる人だし、ナタリー・ポートマンだってデビュー作の『レオン』(感想はこちら)ではジャン・レノ相手にキュートでコミカルな演技も見せていたので、役者たちのせいではなく単純にシナリオと演出のマズさが原因だと思う。