職場に、頻繁に舌打ちをする人がいる。
この「舌打ち」というのは、よく漫画などでふきだしの中に表現されるような実際に言葉に出して言う「チッ」ではなくて(…伝わってますか?)、ほんとに舌で音として鳴らす“チッ”。
不思議なことに、たとえば飼育員とかカウボーイなどが馬に指示する際に鳴らす“チッチッチッ”という合図(正確には先ほどの“チッ”とは音の鳴らし方が異なるのだが)は聴いてても別に不快にならないのに、この“チッ”というわずかな一音だけで非常に耳障りに感じる。
多分、この“チッ”という舌打ちは直接人体から発せられる音の中ではその不快度はかなり上位にくるのではないか。
これを僕は毎日聴いているんである。
それを発しているのは普段真面目で責任感もある人で、物腰も丁寧だしその人自身はけっして不快な人物ではないのだが、とにかく一日に何度もこの“チッ”をまわりに聴こえる大きさでやるのだ。
それはだいたい自分が何か失敗した時で(物を落としたとか忘れ物をしたとか、そういうたわいないものからもっと深刻なミスまで)、要するに全部本人のせいで、こちらに落ち度があって舌打ちされているわけではない。
おそらくわざとではなく彼の舌打ちは単なる癖なんだと思うが、彼のように他人に聴こえるように舌打ちをしたり、すぐに物を落としたり、大きな音をさせてまわりを驚かせてもそのことに無自覚な人、あるいはまわりに人がいるのにふいに独り言を呟く人というのは時々いて、その他人への無配慮さにしばしば「この人にはこれまで誰も注意してこなかったのだろうか」とイラッとする。いや、僕も注意しませんが。
そして舌打ちの多い人間は例外なく短気。
大人だからいつもはそれをなるべく見せないようにしているが、それがこの“チッ”一発で露呈する。
僕は彼のこのけっして少なくない数の“チッ”にストレスを感じている。
思いっきり「舌打ちうるさいッスよ!」と言ってやりたいのだが、場の空気が悪くなるのを怖れて言えずにいる。
せめて「○○さんって、なにげに舌打ち多いッスね(^o^)」と冗談っぽく言えたらいいのだが、そういう軽口を叩ける間柄でもないので、ただ堪えている。
この“チッ”の他者に及ぼすストレスというのは、結構バカにならない。
しかも厄介なことに伝染性がある。
最近、自分でも何か気に入らないことがあるたびに“チッ”と舌打ちしているのに気づいて、マズいな、と思った。
なんとかしないと、俺は他人の発する“チッ”という音によってストレスで胃に穴が空くかもしれない。
でも頭にきて「うるっせぇよ、いちいち舌打ちすんじゃねぇハゲ!」とは言えないので、相手に舌打ちをやめさせずにしかも自分がストレスを感じなくする、という離れ業をやってのけなければならない。
どうする。
で、ある日、試してみた。
その日も相変わらずこちらの迷惑も顧みず、くだんの彼は物を落として“チッ”と舌打ちした。
その直後に僕は口をすぼめて「…チキチー」と呟いてみた。誰にも聴こえないように。
もう一回。
“チッ” 「…チキチー」
チッ…チキチー…。チッチキチー。
そう、彼は舌打ちをしているのではない。
僕と一緒に大木こだま師匠のギャグの真似をしているのだ。
…ををっ、これだとストレスを感じない!むしろ愉快だ。
これは思いの他効果があることが判明した。
それ以来、彼が舌打ちするたびに「…チキチー」と呟いている。
こうして僕の身のまわりから不要なストレスが一つ取り除かれたのだった。
それなら「チッチョリーナ」でもよさそうだが、「チッチキチー」というのは僕が担当する「チキチー」がすべてイ行なので口の形をほとんど変えずに言えるため、呟きが誤魔化せてまわりの人たちにバレにくいという利点がある。
どうでしょうか、同じようにストレスを抱えているかたは試してみては。
上司に舌打ちされても小さく「…チキチー」と呟けばあなたも今日からストレスいらず。
…嘘やがな〜。