原作・脚本・監督:吉浦康裕、音楽:大島ミチル、声の出演:藤井ゆきよ、岡本信彦、大畑伸太郎、土師孝也のアニメーション映画『サカサマのパテマ』。2013年作品。
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重力が反対方向に向かって働いている二つの世界を越えて出会った少年エイジと少女パテマの物語。
人に薦められてDVD借りて観ました。
まずお断わりしておきますが、この作品のファンのかたは読むと怒りで発狂するおそれがあるのでくれぐれもご注意ください。褒めていません。
これは言い訳ですが、僕はいつも映画の作り手の皆さん、クリエイターのかたがたに対して尊敬の念を抱きつつ映画の感想を書いています。
それは今回も同じなのですが、筆が走って限りなく暴言に近く、というか暴言そのものになっている部分があります。
たかだかDVDのレンタル料金払った程度でそこまでエラそうに言われる筋合いはない、と思われるかもしれません。
悩みましたが、自分の率直な感想として残しておくことにします。
誰も幸せにならない文章ですので、お読みになる際は自己責任でお願いいたします。
あと、内容以前の問題でぶつくさと延々文句書いてますから、手っ取り早く作品の内容や一般的な評価を知りたいかたは他のブログか映画紹介サイトなどをご覧になった方がいいと思います。
以下、ネタバレあり。
早速だけど、この作品を一言で表現すると「稚拙」。
たまに行く映画館で昨年ポスターを見て、互いにさかさまのまま抱き合う少年少女の姿にちょっと興味をそそられたんだけど、観なくて正解だった。多分、劇場で正規の金払って観てたら怒りが収まらなかったと思う。
まるでたまたま観ちゃった深夜アニメのようなクオリティ。
監督自身が脚本も書いてるようだけど、ストーリーもダイアローグもすべてがまるで中高生が書いたような代物だった。
主人公エイジの父親の日記の「重力の方向が我々の“真逆”である。」という記述とか…「真逆(まぎゃく)」なんて日本語はねーよ(予告篇にすら入ってる)!*1
この監督さん、1980年生まれだった。やっぱり。
言葉に無頓着な人は頼むからプロの現場でシナリオ書かないでほしい。
白目が多いキャラクターデザイン(最近多いね)も不快。
アニメばかり観て育った人が作った同人アニメといった体の、僕が大嫌いなものが詰まった作品でした。
この映画(映画、と表記するのすらイヤだが)に比べれば、先日観た劇場版「クレヨンしんちゃん」の最新作(感想はこちら)はまぎれもないプロの仕事だった。
まずしょっぱな主人公のパテマが喋りだすと、早くも「うげぇっ」と虫唾が。
この声優さん、「し」を「すぃ」、「ち」を「つぃ」と発音する。
最低限、滑舌がちゃんとしてる人を使ってくれ。
アニヲタ受けする声なのかもしれないけど、彼女のつねに媚びたような声と喋り方は耳障りで仕方なかった。
反対の世界「アイガ」に住むエイジと初めて出会って最初は警戒してたのが次の瞬間にもう甘えていたりして、パテマは最初から最後まで変わることなく2次元ヲタクが喜ぶようなヒロインとしてキャラ付けされている。三流アイドルみたいでもある。
パテマと仲間のポルタやジィの会話も最初から陳腐で、ユパ様みたいなモヒカン(でもチビ)の「〜じゃ」というジジィの喋り方などにも作り手の「記号としてのキャラ」しか知らない未熟さが目につく。
この時点で作品としての薄っぺらさがほぼ確定した。
互いに重力が正反対(まぎゃく、ではない)に働いているためにさかさまで抱き合うというアイディアはユニークだし、パテマとエイジがその姿で四苦八苦しながら移動する様子などは視覚的にも面白いと思う。
また、すべてが規律正しく統制された、逆に自らの意思を主張したり皆とは異なった行動をとることが許されない「アイガ」の町は、現実に僕たちが住む世界のメタファーとして見ることもできる。
だけどそのアイディアを使って描かれているものがラノベとかちょっと前のケータイ小説のような安っぽいラヴストーリーではもったいなさすぎ。
せっかくのファンタスティックな材料が、学校の近辺でゴッコ遊びでもしてるような半径3キロメートル以内の狭い世界のお話になってしまっている。
「カレシ↑」とか「ちげーよ!」とか、異世界ファンタジーのノイズになるような台詞廻しなど、ほんとに安い。
ギャグアニメ風にキャラクターがいきなりデフォルメされておチャラけだしたりしないだけ、まだマシなのかもしれないが。
パテマはさかさまの世界に来てエイジと出会うが、治安警察の「コウモリ人間」たちに捕まってしまう。
エイジはパテマを追ってきたポルタとともに、アイガでは禁じられていた反対の世界に行く。
ヒロインが「悪漢」に捕まって、それを助けに行く少年。
この作品は公開時から『天空の城ラピュタ』(感想はこちら)との類似を指摘されているが、たしかに空中で手をとりあって浮かぶ主人公たちの姿は『ラピュタ』のパズーとシータを思わせなくはないし、空を目指したエイジの父親とか囚われの身のパテマと回想など、やってることはほぼ『ラピュタ』の劣化コピーといっていい。
正直、ラピュタを引き合いに出されることすら迷惑なんですが。
パクリだろうと面白ければ別にいいけど…とにかくこの映画は台詞がドイヒーなのだ。ストーリーも。
でもこのヒドさはきっとこの作品に限らないんだろうな。やっぱり最近の日本アニメ、ダメだわ。
僕がDVDを何度も止めてしばらく別のことをしていないと堪えられなかったのは、映画が半分まできても主人公であるはずのパテマはさかさまの世界で捕まってるだけで、そのあとにもうだうだと無意味な会話(「パテマは気丈に振舞っていた」「お前はパテマのことがわかってない」とか、何を喋ってんだろこいつら)が続いたり、お話がいっこうに進展しなかったから。
そのわりには登場人物たちは会ったばかりでいきなり意気投合してしまったりと、その描写は粗雑極まりない。
この手の作品の特徴として、登場人物たちは憎まれ口を叩いてイガミあってたと思ったらその直後にはもう仲良くなって馴れ馴れしく語り合ったりしているという、ツンとデレの極端な関係しかないことだ。
パテマとエイジとか、エイジとポルタとか、ポルタとジャクとか。
ともに戦ううちに徐々に打ち解けていく、といったような丁寧なドラマは描かれない。作り手にそういう技量がないから。
しばらく観ていて、やっと「あ、パテマは主人公じゃねーんだ」と気づいた。
僕はてっきり彼女がさかさまの世界で冒険する話だと思っていたので。
彼女は「囚われのお姫様」役だったのだ。
つまんねぇ~!!
何度も休憩を挟み、それでも40分ぐらい観た時点で「まだあと50分以上もあるのか」と気が重くなった。
このまま観続けるかやめるか悩んだ。
一応頑張って観続けましたよ。ひたすら早く終わってくれることを祈りながら。
エイジはポルタと別れて一人でパテマを助けに行くが、再会するといきなりさかさまのまま彼女を抱きしめる。「ゴメン、独りにして…」と言って。
…これ、なんかおかしくないですか?
例に挙げたくないけれど、これは『ラピュタ』でパズーが「悪漢」たちからシータを守ろうと奮戦したり、囚われた彼女を救うのとは似てるようでまったく非なるものだ。
パズーとシータが抱きしめあってもそこには性的なものは感じられない(ように周到に描かれている)。
でも主人公たちの年齢が『ラピュタ』よりも上ということもあるが、パテマはあきらかに思春期の少年の恋愛対象として描かれているし、というよりも彼女は一人じゃ何もできない、主人公が守ってやらなくてはいけない“愛玩動物”扱いされている。
『ラピュタ』のシータもまた「囚われの美少女」のヴァリエーションの一つではあるが、彼女が料理から何からすべてこなすしっかり者で、しばしば身を挺してパズーを助けてもいたことを思いだしてみよう。
パテマがどんな女の子なのか、それが描かれる前に彼女は敵に捕まる。
会ってからたいして一緒にいなかったしどんな子なのかもよくわからないのに、エイジはもう彼女の恋人気取りだ。
そしてひたすらパテマはエイジを頼りにし続ける。
せめてそういうペット的な立場から彼女が脱却して一人前の人間として自立していくような展開があるならまだ救いはあるが、この作品の作り手はおそらくヒロインの描写の問題点などまったく認識していないだろうから、望みは薄い。
抱きしめあってずっと泣いてるパテマを見ていて、溜息が出てしまった。なげぇよ。そうやってもたもたしてるから追っ手に捕まるんだろ。
一度捕まってるのに、こいつらはどんだけ頭が悪いんだろうか。
この、アニメに限らず邦画における「大事な時なのに、それを忘れたかのように男女が二人の世界に浸っている病気」って、いつ頃から始まったんだろうな。
ほんとにダメだと思います、これは。
パテマは「好奇心旺盛な女の子」という設定らしいから、だったらなぜ普通に女の子が冒険する話にしないのだろう。
もっとスピーディに女の子が重力を利用して飛び回る映画にすりゃよかったのに。
この映画、派手なアクションもほとんどなくて、主人公とヒロインがさかさまになったままずっと抱き合ってるだけなんだよね。
物凄〜く間延びしていて、観てる俺が天に召されてしまいそうなほど退屈だった。
敵のおっさんももったいつけてるわりにはエイジたちにすぐに逃げられたりしてて、見かけ倒しもいいとこだし。
「あのガキは」とかバカの一つ覚えみたいに連呼してさぁ…だからもっとまともな台詞を書けって!
パテマが彼ではなくエイジと抱き合って空の彼方に飛んでいったのを「なぜ私を選ばん!」って激高したりしてて、いやお前、パテマと仲良く一緒に飛びたかったのかよ、と。
空に昇りたいならとっとと機械でも使ってエイジの親父みたいに昇ればいいじゃねーか。
こいつはどうやら「アイガ」の独裁者らしいのだが、だったらさっさとパテマがやってきた「地下」へ軍隊でも何でも送りこめばいいのに、ぶつくさ負け惜しみ言ってるだけで自分からは何もしない。やっぱりバカなのか。
お前はムスカ大佐の爪の垢でも煎じて飲んどけ。
部下のジャクなんかも、もう途中から「あぁ、こいつ裏切るんだろうな」って思ってたらその通りになる。
ああいうのは伏線とは呼ばない。
主人公であるはずのエイジはエイジで、せっかくパテマと二人で逃げてきたのに、またしてもうずくまって「怖かった…」とかぶつぶつ呟いてる。
いいかげんにしろよ!!!
主人公のくせして、この期に及んでまだ動こうとしない。
これはなんなの?エヴァンなんちゃらのマネかなんかか!?
みんなおびえたり悩んでるだけ。
何が楽しくてアニメを観ててろくにアクションもなくドラマらしいドラマもないまま辛気臭い主人公の戯言を延々聴かされなければならないのか。
終盤になって、パテマが幼い頃に彼女の元から去った冒険家の青年ラゴス(加藤将之)がエイジの父親と親交があったことが判明する。
互いに重力が逆方向の二人は友情で結ばれたことが止め絵と音楽で説明されて、悪役のおっさんとの戦いがあって、なんやかんやで慌ただしく大団円になってましたけど、僕にはこの100分近くはとてつもない苦行でした。
他の人たちがこの作品をどのように評価してるのかは知らない。別に知りたいとも思わない。
しかし僕にとっては、アニメ、実写を問わずここ最近観た映画の中では最悪の部類です。
あえて言おう、カスであると。
音楽だけはマシだったけどね(何語だかわかんないあの主題歌は好きです)。
こういうのはこの手の作品が好きな人だけが観てればいいんで、最近の日本アニメに馴染みも思い入れもない僕のような人間には「ルドヴィコ療法」並みの拷問で、ひたすら新作のレンタル代と貴重な時間を無駄にした後悔だけが残った。
何度もしつこく繰り返しますが、僕だってピクサーやディズニー、ジブリのアニメ映画には抵抗感はないので(最近はジブリも怪しいが)、日本アニメ特有のヲタク向けコンテンツがとことんダメなのだとしかいいようがない。
宮崎駿が現在の日本のアニメに嫌悪感を隠さない理由がよくわかった気がする。
アニメーション制作における何か根本的な技術なりセンスなりが廃れてしまってるように思えてならない。
僕が最近の日本アニメにうんざりするのは、ジブリのようにあえてヲタ色を退けたり、ピクサーやディズニーのように全世界の普通の人々をターゲットにするのではなく、必ずアニヲタを意識して作品が作られてるから。
作り手やアニヲタたちの「理想の美少女像」がことごとくズレてて気持ち悪いんだよ。
結局、奴らはいつでも好きに眺められて操れる、自分に都合のいいフィギュアみたいな女の子が好きなんだろう。
ジェンダー論の視点からいっても、アニヲタの女性蔑視はまるで現在の日本人男性の精神的な未熟さを代弁しているかのようだ。
僕はアニヲタが日本のアニメをダメにした元凶だと思っているので必要以上に罵りますが、80年代以降、アニヲタとアイドルヲタクがくっついてこれまでの主な視聴者層だった子どもたち(の親)以上に金を落とすようになると、そういう人間たちを念頭において作品が作られるようになった。
作り手にもその延長線上みたいな者たちが台頭してきて、日本のアニメ業界はいつのまにか「普通の、王道のアニメーション映画」が作れなくなった。
“美しい国”よりも、アニメをキモヲタどもから取り戻そう!と私は訴えたい。*2
それと、今後はアニメ好きに薦められたアニメは観ないことにします。