映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『コクリコ坂から』


※以下は、2011年の劇場公開時に書いた感想に一部加筆したものです。


監督:宮崎吾朗、脚本:宮崎駿、声の出演:長澤まさみ岡田准一ほか、スタジオジブリのアニメーション映画『コクリコ坂から』。

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1963年(昭和38年)、東京オリンピックの前年の横浜。高台にある祖母の家に住む松崎海(うみ)は、今は亡き船乗りの父にむけて毎朝旗を掲げている。彼女が通う学校では、伝統ある建築物である部室棟「カルチェラタン」の取り壊しをめぐって生徒たちがカンカンガクガクの論争を繰り広げている。その中心的人物で学内新聞を発行している風間俊に海は次第に惹かれていく。


観る前からすでにさまざまな感想を見聞きしていました。

とにかくかなり厳しい意見も(「ジブリで作る必要なし」「実写でやれば?」「観客のターゲットが60代以上」「パヤオのオナニー映画」etc.)あった。

なにしろあの“問題作”『ゲド戦記』(感想はこちら)の監督の第2作目ということで、「あの迷作のあとに、なんでまた監督できるんだ?」という疑問も投げかけられたりしてて。

ゲド戦記』(2006) 声の出演:岡田准一 手嶌葵 菅原文太 風吹ジュン
※大人の事情で音声が聴こえません。
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ゲド戦記』の悪口批判は『アリエッティ』の感想で書いたので繰り返しませんが。

その吾朗監督の「ファンタジーアニメは世界中でたくさん作られていて、正直、作り尽くしたという感がある。3月11日に起きた東日本大震災、あれだけの現実を前に生半可なファンタジーは作れない。しばらくは現実に軸をおいた作品を作っていきたい」という発言に心底ガッカリした身としては、かなりの警戒心をもって臨みました。

「最近のジブリの路線て、どうなんですか?」女子高生からのするどいツッコミに、宮崎吾朗監督が本音を語る!


そんなに映画の出来に不安があるなら観なきゃいいんだけど、一応『ラピュタ』(感想はこちら)以降ジブリ作品はずっと映画館に足を運んでいるので(残念ながらその前の『ナウシカ』→感想はこちらは劇場では観ていない)、ここでやめちゃうことにはためらいがあって。

それと、『ゲド』につづいて主題歌を担当する手嶌葵の歌声が決め手となったのでした。

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『ゲド』も主題歌(だけ)はよかったんで、二の舞にならないか心配だったけど。

んで、とりあえず手っ取り早くどうだったかだけ先に報告しますと、まず小っちゃい子向けではまったくないんで、ジブリ大好きお母さんはくれぐれもご注意を。

多分、いっしょに観ても子どもが退屈することになるから。


約20年前、ジブリ高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』(感想はこちら)観に行ったら、となりの席で小学校低学年ぐらいの男の子が椅子をガタガタさせてて、あんまりうるさいんで「ボク、ちょっと静かにしてくれるかな」と優しく注意すると、その子は無言のままつまんなそうに席を立ってどっか行ってしまった。

無理もないけど、放置しとくなよ親。

この『コクリコ坂』も、少年と少女の冒険だとか学園恋愛モノだとか、そういったワクワクしたり胸がときめくような物語を期待していくと痛い目をみる。

ジブリって「子どもたちのためにアニメを作る」とかいっておいてぜんぜん違うではないか。

中高生でもキツいかも。

たしかに観る人を選ぶ作品だとは思う。

夏休み映画というよりも、本来なら単館系で小さく公開されるような規模の。


ただ…僕は『アリエッティ』よりも好きだな。

微妙な比較対象ですが。

まぁ、つまりそんな作品です。


もちろん不満な点はいくつもあるし、『アリエッティ』のときと同様「題材はいいのに突き抜けてくれない」もどかしさはある。

それ以前に最近のジブリに対していいたいことは山ほどあるけど、でも今回は頭ごなしの批判は極力ひかえて、なるべくニュートラルに語りたいと思います。

以下、ネタバレあり。


「コクリコ」とは、フランス語で「ひなげし」のことなんだそうな(英語で「ポピー」)。

原作は1980年に連載されてた少女漫画らしいけど、毎度のごとく読んでない。

原作ではカメラマンの母親が映画では大学教授になってたり、下宿人の北斗さんが男性から女性に変更されたりしてるようで。

ジブリ映画が原作をかなり変えてしばしば別物にしてしまうのはお約束なので、もっと根本的な部分ですでに違ってるのかもしれないが。


はじまってしばらくは主人公の海がいっしょに暮らしてる人たちの関係がよくわからなくて、なんかおっきな家だし、「大家族?」と思ったりした。

海は下宿人や同級生たちから「メル」と呼ばれてるんだけど、それはフランス語で「海」を意味する「ラ・メール」からとられている。

あと、彼女が毎朝掲げる信号旗は「御安航を祈る」という意味らしい。

以上、Wikipediaより。

これらは映画の中で一切説明されないので、前もって知っていないとずっと疑問が残る。

こはちょっと不親切だったんではないかと。

それと、あいかわらず挿入歌や音楽の使い方が雑な気がした。

父親の駿さんはもっと巧いと思うんだがなぁ。

今回はヒロインがいきなり歌いださなくてホッとしたけど。


「声優問題」については、今でもジブリ宮崎駿監督のプロの声優に対する冷遇には納得いかないところがあるけれど、この作品では出演者たちの声はそれほど気にならなかった。

千と千尋』(感想はこちら)の主人公や『ポニョ』(感想はこちら)にも出てた柊瑠美が、下宿人のひとりで眼鏡の美大生をアテている。

竹下景子が祖母役というのもスゴいけど、見事にこなしている。

俊役の岡田准一の声も浮いてないし。

海が一度だけあげる「ンフフ」という文字化不可能な独特の笑い声には、おもわず「カルピス♪」とあとに続けそうになったけど。

海の父親の声はもっと威厳のある低音ヴォイスがよかったな、なんて思ったりはした。

キャラクターデザインが『魔女宅』(感想はこちら)などでもおなじみの近藤勝也ということもあってか、絵柄については『ゲド』のときのような「駿のまがい物」っぽい違和感はなく、ひとまず安心して観ていられました。


お話はつまり、気になりはじめた一つ年上の男子生徒が実は…というもので、俊が自分でいう「安っぽいメロドラマ」みたいな展開といえばそのとおりだったりする。

それにノれるか「どーでもええわ」と思うかで、この映画に入り込めるかどうかも決まってくる。

ボクは嫌いじゃないです、こーゆーの。

ただし、最初にことわったように、そういうドキドキする思春期の甘酸っぱさみたいな要素はほんとに抑え目なんで、「つまんね」と思う人もいるだろうし、実際そういってる若い人は多いようだ。

でも色気づいて頭が恋心でいっぱいになってるようなキャラクターではなくて、あくまでも抑制的なこの主人公に僕は好感をもったし、観終わったあとで「この登場人物たちの物語をもっと観ていたい」と感じました。


あいかわらず家政婦さんのようによく働くヒロインはぜんぜん今風ではないし、アニヲタたちが萌えるような隙もないけど、逆に『ゲド』のヒロインのようにあまりにあからさまなメッセージを吐いたりもしない。

「何が描きたいのか曖昧」という批判もあるけど、僕はこの映画が描いているのは“自分に会って、自分の親のことを懐かしく思い出してくれる人がいる”、そのありがたさなんじゃないかと思った。

そしてこれは「父親探し」の物語でもある。

脚本を書いてるのが吾朗監督の父・駿、というのがちょっとビミョーではあるが。

実の父が「父親をさがす話」を息子のために書いてもなぁ。書くんなら息子の方が自分で書かないと。

まぁ、別にいいですけども。


俊と海の淡い恋ももちろん物語の大切な一要素ではあるけれど、それがメインじゃない。

また「昭和30年代を知らないと楽しめない」という意見にも、そんなことねーだろ、と。

そういうこといってる人たちって、たとえば公開当時の90年代が舞台だった『耳をすませば』(感想はこちら)のように「現在」が舞台なら満足だったんだろうか。

でもむりやり「現在」を舞台にすると逆に時代錯誤的な作風になるジブリにおいては、今回のような「近過去」が舞台の作品の方が個人的には好きだ。

「アニメ」で描く意味もギリギリそこにあると思うし。

その時代や場所をリアルタイムで知ってるかどうかは重要じゃない。

カルチェラタン”の吹き抜けの建物は「懐かしい」というよりも今の目で見てもモダンで新鮮だし、そもそも昭和38年の横浜の高校生たちがほんとにあんなに垢抜けてたのかどうかもわからない。


だからこれはなんというか、ちまたでいわれてる「あの頃はよかった」的なノスタルジーに浸ってるだけの作品なんかではなくて、僕にとってはむしろ「異世界」にいざなってくれる映画だった。

要は、その「ここではないどこか、今ではないいつか」の雰囲気を味わえるかどうかなんじゃないか。

たしかに「物語」でグイグイひっぱっていく映画じゃないので、「退屈」と思う人もいるだろうけど。


耳をすませば』のヴァイオリン製作者の男子中学生は、ヒロインにいきなり「結婚しよう」とかいってて観てて困ったけど、この『コクリコ坂』のヒロインやその相手はもっともっとひかえめだ。


「好きだー!!」って叫んだり抱き締め合ってブチュッとやんなきゃ伝わらない人には物足りないのかもしれないけど、僕はむしろふたりのあの奥ゆかしさにグッときた。

ずっと想いつづけてきた父は二度と戻ってはこないけれど、そのかわり自分のもとへ大切な人を送ってくれた。

そのことを海が俊に告げるシーンは、これまでのジブリ作品にはなかった切なさがこもっていた。

おなじ「こうあってほしい理想」を描いていても、宮崎駿とその息子ではこれだけ違うということ。

吾朗監督は、父・駿のような動的な“アクション”ではなく、たとえば小津安二郎の映画の登場人物のような“抑制”によってキャラクターの心情を描こうとしているようだ。


映画にはいろんな感想があって当然だと思うけど、「『ゲド戦記』より駄作」という意見にはまったく同意しかねる。

いや、わかるんだ、みなさんの不満は。

で、冒頭で挙げたようにこの映画の問題点はあらかた目にしてしまったので、ここはあえて擁護にまわってみたのです。

ともかく、ジブリ作品=ご家族向け映画の代名詞、みたいな認識はそろそろあらためた方がいいかもしれない。

どうも劇的な物語が苦手らしい宮崎吾朗監督は、今後もこの路線でいくということでしょうか。

ただまぁ、僕はできればかつてのパパ宮崎みたいな「愉しきかな、血湧き肉踊る漫画映画」が観たいんですがね。


以上は2011年の劇場公開時に書いた感想です。

その後ほかの人と感想を述べあったりして、たとえばもしこの映画を宮崎駿が作っていたら部室棟の“カルチェラタン”をもっと魅力的な魔窟のように描いていたんじゃないかとか、キャラクターの顔の表情の変化が乏しくてたまにロボットみたいに見えるときがあるとか、吾朗監督にはアニメーションの魅力である「動き」の面白さに対する思い入れが薄いのでは?といった指摘などがあったりして、結論としては「ゴローちゃんはしばらくはジブリ美術館の短篇作品で修行してはどうか」というところに落ち着いたりしました(^^)*1


そして今年の夏、父・宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』が公開されることに。

詳細についてはまだわからないけど、太平洋戦争下の男女の恋を描くというこの作品は、僕には息子・吾朗氏の『コクリコ坂』に対する返歌のように思える。

ゼロ戦の開発という、メカへの愛着と人殺しの兵器作りに引き裂かれる主人公*2は、宮崎駿監督自身の姿でもあるのだろう(ちなみに宮崎駿の父親は、戦時中に親族が経営する飛行機工場の工場長だった)。

宮崎吾朗の『コクリコ坂』が“父親探し”の物語だったように、その父・宮崎駿の新作もまた父親にまつわる物語なのだろうか。

僕は公開を楽しみに待っています(『風立ちぬ』の感想はこちら)。


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*1:2020年冬に宮崎吾朗監督のフル3DCGアニメ『アーヤと魔女』がNHKで放送予定。

*2:全然引き裂かれませんでした^_^;