※以下は、2010年の劇場公開時に書いた感想です。
米林宏昌監督、スタジオジブリのアニメーション映画『借りぐらしのアリエッティ』。宮崎駿が脚本を担当。
人間の家に住みついて「借りぐらし」をしている小人の一家の娘アリエッティは、その家の少年・翔に姿を見られてしまう。小人たちには「人間に見られてはならない」という掟があった。
以下、若干ネタバレあり。
小人の少女が主人公ということで、観る前はかつて押井守も演出したNHKのアニメ「ニルスのふしぎな旅」を連想したりしてました。
セシル・コルベルによる主題歌も、時代の流行とはあまり関係ない普遍的な美しさを感じました。
だからこれは今後残っていく作品になるかもしれない、という予感がした。
そして実際何の先入観もなく過度な期待もせずにふと観たら、ある夏のステキな思い出としてそっと心の中にしまっておきたい小品になったかもしれない。
でも、すでにブランドになってる「スタジオジブリ作品」とわかってて観に行ってる以上そんなのは無理なわけで、小人の少女が繰り広げる壮大な冒険物語を期待してしまうと、残念ながらおもいきり肩透かしを食わされる。
なぜならこれはあまりにささやかな物語だから。
観終わったあとに思わず「…う~ん、もう一本」という気分にならざるをえない作品でした。
それでも「つまらない」と一言で斬って捨てるには惜しい作品なのはたしかなんだが。
背景は丁寧に描かれていて美しいし、キャラクターたちも『ゲド戦記』(感想はこちら)の時に感じたような「似てるけど違う」“駿モドキ”の絵柄に気持ち悪くなることもない。
だから観てる途中で映画館を出ようかと思った『猫の恩返し』(感想はこちら)や、なまじ期待してただけに壮絶なガッカリ感と怒りがこみ上げてきた『ゲド戦記』と一緒にはしたくない。
なんか『ゲド戦記』の悪口大会みたいになっちゃってるけど、手嶌葵が歌ってた主題歌「テルーの唄」は好きで今でもたまに聴いてます。公開当時、有線でイヤってほど繰り返し流れてたけど、あの歌には80年代的な匂いをがしたものだから、とても懐かしくて。
何を以って「80年代的」というのかうまく表現できませんが。
あの映画の中のさまざまなデザインが『ナウシカ』を思わせるものだったから必要以上に期待してしまった、というのもある。
ともかく話を『アリエッティ』に戻すと、冒頭からしばらくは糸巻きやネジ、身近な日用品が小人たちの大切な道具となって活用されている様子が丹念に描写されてワクワクしてくる。
もはやジブリの常連といえる神木隆之介は病弱な少年・翔を『サマーウォーズ』での「お願いしまぁ~す!!」の気弱な主人公とはまた違った繊細な演技で好演。翔君が「病床の美少女」ならぬ病床の美少年としてアリエッティと出会うあたりでは何やらグッと胸にくるものが。
そして主人公アリエッティ役で声優初挑戦の志田未来が思いのほか巧くて、台詞廻しの自然さは歴代のジブリ・ヒロインの中に堂々と名を連ねられる名演技。
彼らに限らず出演者はみな手堅く声の演技をこなしているのだけれど、ただ正直なところ父親役の三浦友和も母親役の大竹しのぶも、そしてお手伝いのハルさん役の樹木希林もご本人たちの顔が浮かんでしまってアニメーションの中のキャラクターたちに没入できなかった。
これから時間が経って、演じている俳優たちの顔が思い浮かばなくなった頃に本当の評価ができるんだろうと思う。
こうして、派手さはないけど、もしかしたらこれは意外な名作になるのでは?という予感はしかし、主人公アリエッティと心を通わせるはずの翔の予想外の無神経な行動(その後のアリエッティ一家の受難は元をただせば全部コイツのせい)と、どう見ても樹木希林にしか見えないハルさんの暴走から崩れ始める。
メアリー・ノートンの原作「床下の小人たち」は読んだことがないのでどういうお話なのか知らないけれど、映画の方は次第に何やらイビツでねじれたような不気味な展開になってゆく。
「人間たちのせいで滅びようとしている」とされながら、その実、人間に依存しなければ生きていけない小人たちの存在(あまりに無防備で脆弱過ぎるアリエッティの母親など)の矛盾への突っ込みの甘さ。
祖母の口から思い入れたっぷりに語られるわりには4代続く翔の家の人々と小人たちとの結びつきがイマイチ判然としないところ(アリエッティ一家にとっては家の物を拝借し易いかどうかが問題であって、住んでる人間には何の関心もない)。
…等々、描かれ方が不十分な部分は多い。
いい人なんだけど妙に老けてるアリエッティの母親の、ユーモラスを飛び越してややウザさが目立つ鈍臭さも、コメディリリーフを無理やり割り振られたようで痛々しい。
そして問題のこの人、ハルさんの人物造形には疑問符がつきまくりだ。あそこまで極端にヤバい人にする必要があったんだろうか。
昔小人を見たらしいが、だからといってなぜあそこまで執拗に彼らを捕まえようとするのかまったくわからないので、ただのキ○ガイにしか見えない。彼女が「今度こそ捕まえてやるぅ!!」と身悶えしながら大見得を切った直後に映画は終わってしまうし。
あそこはきっと笑わせたかったんだろうけど、怖いですハッキリ言って。残念ながらこの監督さんには宮崎駿が持っていたギャグセンスはビタ一文受け継がれていないようで。
翔の祖母=上品な老婦人、ハルさん=がさつな家政婦、という描き分けはひどく単純で、おばちゃん一人をむりくり悪者に仕立て上げようとする作劇は、ちょっとジブリ作品とは思えない下品さでした(しかし脚本を担当した宮崎さんには昔からそーいうとこあるな)。
あと「未来少年コナン」のジムシィを思わせるスピラーの声を藤原竜也が演じてるけど、ほとんど喋らないからわかんないって。
ジブリは最近、専業の声優を締め出してTVタレントや名前が売れてる俳優ばかり使ってる、という批判もあるんだから「やっぱりな」と思われるようなキャスティングはやめた方がよくないですか?
スピラーはなかなか魅力的なキャラなんだからもっと活躍させてやればよかったのに、これから面白くなりそうなところで終わっちゃうんだもの。
続篇は作らないことがわかってるジブリ作品の終わり方があれでは「消化不良」といわれてもしかたないんじゃないか。
「俺、泣いちゃった」って、一体どこで泣いたんだ宮さん!!
情けなくて涙が出たのか?
自分で脚本書いといてヌケヌケとよくおっしゃる。
画がガタガタだった『ゲド』と違って(またダメ押ししてしまった)作画はいいのにストーリーが残念、ってあまりに惜しい、惜し過ぎる。
まぁでも、もしも慣例に逆らって『アリエッティ2』を作ってくれたら観に行くけどね。
ここ10年ほどのジブリ作品を観てきてずーっと感じてたんだけど、本作品を観てあらためて思ったのは、残念ながら現在のジブリにはちゃんとした脚本を書ける人がいないんだな、ということ。
宮崎さんはいつも自分の監督作品では脚本を書かずにいきなり絵コンテからはじめるんだけど、それでも『紅の豚』(感想はこちら)ぐらいまではまだ物語の枠組みの中でちゃんと「起承転結」をつけていた。
それが彼が普通の“物語”に興味を失ってからのここ最近の作品は、どんどん「アーティスト」としての欲求に忠実な作りになってきてて、結果として観客にはわかりづらくなっている。
映像はスゴいんだけど、ぶっちゃけお話が面白くない。
ちょっと後期の黒澤明みたい。
ただ、御大がお年を召されてそうなったからって、ほかの若手監督たちもその真似してればいい、ってことにはならないんで(真似できてないし)。
やっぱりちゃんと娯楽作品としてストーリーを組み立てないと、これからも次々と中途半端な作品が作りつづけられていくことになる。
期待に胸ふくらませて観に来た小さな子どもたちや中高生たちが「……?」という表情で映画館から出てくる状態をこれ以上つづければ、いいかげんそのうち愛想尽かされますよ?
宮崎さんも含めてジブリの人たちは、いままでの財産(作品)を自分たちで食いつぶしていることをもっと自覚した方がいいんじゃないか。
すくなくとも、宮崎さんが書いた脚本を若手に監督させるのはやめた方がいい。
それとさっきもちょっと触れたけど、特にジブリの若手の監督さんには「笑い」の素養が圧倒的に不足してると思います。
「子どもたちのために作る」というのなら、やはり笑いの要素は必要不可欠でしょう。
ジブリには昔の「漫画映画」のような、観終わったあとに子どもたちがニコニコしながら劇場から出てくる、そんな作品こそが求められているんじゃないだろうか。
生意気なことばかりいって申し訳ないけれど、今ジブリに強く求めたいのは初期の作品にあったストーリーテリングを一刻もはやく取り戻すこと。「勧善懲悪や予定調和は嫌だ」とか言う前に、観客が納得して映画館をあとにできる作品を作ってください。
お願いします!!
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