※以下は2011年に書いた感想です。
山下敦弘監督、妻夫木聡、松山ケンイチ出演の『マイ・バック・ページ』。2011年作品。
原作は川本三郎のノンフィクション。
1960年代終わりから70年代初め。新聞社で雑誌の記者をしている沢田(妻夫木聡)は先輩記者とともに梅山(松山ケンイチ)という男に会う。彼は「武器をそろえて行動を起こす」と語る。宮沢賢治が好きだといいギターを爪弾く梅山に親近感をおぼえた沢田は、先輩記者の忠告を無視して梅山との接触を続ける。
以下、ネタバレあり。
まず僕は60~70年代の学生運動をリアルタイムで知らないし、それらについての知識もほとんどないことをおことわりしておきます。
川本さんの原作も読んでない。
そんな人間の感想、ということで。
だからきっとあの当時や学生運動に対する勝手な思い込み、誤解もあるでしょう。
あとちょっと乱暴な言い方をしたりもするんで、もし「それは違う」というかたがいらっしゃれば、ご指摘いただければ幸いです。
さて。
…これは感想書きづらい映画だなぁ。
つまり、「お話が面白い」とか「感動する」とかいうことで評価できる類いの作品ではないので。
ただ、観ていてずっと違和感、というか、もっといえば嫌悪感みたいなものがつきまとって離れなかった。
まず主人公をはじめ、僕が共感できる登場人物がほとんどいない。
スクープを手にするためにしのぎを削る記者たちにもまったく感情移入することはなく。
後述するけど、わずかに忽那汐里と石橋杏奈が演じる女の子たちに「正常な感覚」をおぼえたぐらい。
最初に書いたとおり、原作は読んでないのでそれについて深くは語れないけど、この原作に対しては否定的な評価もあるようだ。
いわく「書き手である主人公に甘すぎ」「自己弁護」「自己憐憫」。
僕は川本三郎の映画や東京の町歩きについてのエッセイが好きで(あと大正時代の作家たちについて書いた「大正幻影」とか)、ときどき読み返すぐらいなじみ深い作家ではあるのだけれど、この「マイ・バック~」については上のような批判があるのはもっともな気がした。
この映画で一番腹が立つのはなによりも松ケンが演じる梅山と彼の論法。
この男がどういうタイプの人間なのかは、初登場シーンですでに描かれている。
彼は学生運動の組織を率いているようで、大学の教室でほかの学生仲間たちと議論するのだが、これが「議論」になっていない。
相手に言い負かされそうになると、「そうか、君は僕の敵なんだな?」といって一方的に議論を中断する。そして「僕に反対ならやめてくれてけっこうだ」と居直る。
この時点でいざというとき弁も立たなければ信用するにも値しない人物であることがわかる。
ここで梅山の議論の相手がする「けっきょく君は何がしたいんだ?」という質問は、この映画のテーマといえる。梅山はついに最後までその問いに答えることができない。
彼はいったい何がしたかったのか。
あの当時の学生運動について熱く語る年配の人たちの話を耳にするたびに、この映画と同じような感想をもつ。
…なーんか、勝手に懐かしがられてもなぁ、と。
彼らはいう。
「最近の若者にはわからない」と。
えぇ、わかりません(若くないけど)。
たとえば、彼らは戦時中に徴兵されて戦場に行った祖父たちの世代とは違う。
おじいちゃんたちは望もうと望むまいと関係なく戦争に行かされたんだが、学生運動の連中は違う。
自らの意思で行ったのだ。
参加しない、という選択肢もあったにもかかわらず。
もちろん、すべての学生運動が梅山がやっているようなイカサマだったとはいわない。
たしかに、今僕らが気軽にロックを聴けるのも映画でおねぇちゃんのおっぱいを観られるのも、当時の若者たちが声をあげたおかげかもしれない。
ここで僕がいってるのは「運動」の名を騙った暴力や破壊活動のことです。
第二次世界大戦後、日本人はいろいろ考えたり反省したりしたんでしょうに。
なんでまた暴力で世の中を変えられると思う人たちが出てきたのか僕にはわからない。
ことあるごとに正義やら大儀やらをふりかざして「この国のために」とかいう奴を僕は信用しない。
いかなる思想だろうと政治的信条だろうと、「テロ行為」を正当化することはできない。
武器をもって他人を殺し、奪わなければどん底から這い出ることができない国とは事情が違うのだ。
だからこの映画の梅山にも、彼に一瞬でもシンパシーを感じて最後までずるずると付き合った沢田にもなにひとつ共感をおぼえない。
妻夫木聡は村上龍原作の映画『69』でも「バリ封」がどーたらこーたらいってる学生を演じていたが、「革命」だのなんだのといってたあれはきっと彼らの“祭り”だったんだろう。
『69 sixty nine』(2004) 監督:李相日 出演:安藤政信 金井勇太 太田莉菜
www.dailymotion.com
特に梅山がうさんくさい奴だということは観客にはわかりきっているので、「あいつはニセモノだ」という先輩の忠告もきかずに「彼は思想犯だ」とかいって肩入れし続けた主人公が愚かに思えてしかたがない。
何も考えてないじゃないか、あいつのどこが思想犯なんだ、と。
で、けっきょくこの映画は何を描いていたのか。
僕がこの映画を観て受け取ったのは、「本当のヴィジョンをもっていない人間の下についたらろくなことがない」というメッセージだ。
追いつめられた梅山は沢田の前でつぶやく。「僕はこれからどうしたらいいんだろう」。
彼を慕ってついてきた、あるいは彼の茶番にまんまとだまされて仲間になった者たちに無関係な人を殺させておいて、「僕はどうしたらいいんだ」もないもんだ。
最後まで自分のことしか考えていない。
この映画で松ケンが演じる男に、たとえばカルト集団のリーダーなどを重ねることもできる。
傍から見たら、なんであんな奴についていくんだ?というような人物にだまされて従う人々がいる。
彼らインチキカリスマは一様に自信ありげに一見理屈っぽいことを語る。
「お前だけが頼りだ」という。
その実、最初から自分が何がやりたいのかわかっていない。
というか、やりたいことなどない。
おそらく彼が実現すべき世界も、彼がなすべき使命もそもそもビタ一文ありゃしないのだ。
有名になりたい。金が欲しい。
そう願うのは勝手だが、そのために大義名分を掲げてまわりのすべてを利用してきた、こういう人間こそ本当の「悪人」だと思う。
いや、本当の悪人ですらないな。
「ペテン師」だ。
この映画の松山ケンイチは、本気でこの俳優さんをキライになりそうなぐらい絶妙に「人間としてのモラル」を見失っている男を演じている。
ここ最近観た映画の中ではダントツで不快な登場人物。
自衛隊の駐屯地で、仲間が彼の命令で人を殺めているまさにそのとき、彼自身は安全な場所で漫画読んで笑いながらスパゲティ食ってる。
これは「人でなし」の描写としては出色の場面ではないだろうか。
そして殺人について警察に問われると、「警察の方こそ今まで我々の仲間を殺してきた」と論点をすりかえる。
みずからの行動を三島由紀夫の自殺にかさねて、そんな自分の言葉に酔う。
また、石橋杏奈演じる恋人が「あなたが何と戦ってるのかわからない。私たちはなんのためにこんなことをしているの?」という至極まっとうな疑問を投げかけて泣くと、抱きすくめてふすまを隔てたすぐとなりの部屋に仲間たちがいるにもかかわらず、杏奈と一発キメる(キャア〜)。
どぐされ野郎である。
こんな奴が「革命」とかいってるんだからヘソが茶を沸かす。
事件から何年か経って、学生だった頃の仲間に再会した沢田は(この場面で再登場するヒゲの人物が、僕は最初誰だかわからなかった)あの当時のことを思い出して、後悔の念からか涙する。
妻夫木聡の善人らしい顔つきから流れる涙はもらい泣きを誘うが、悪いがしかし、それはやはり自己憐憫だ。
この主人公はどこまでも甘い。
こんな人が新聞社の記者なのか?と目を疑う。
映画の冒頭に、壁に落書きされている言葉。
「力を尽くさずして挫折することを拒否する」
まるで自分にいわれているようで胸が痛いが、では「力を尽くして」やったならなんだっていいのか。
殺人犯をかくまい、証拠を隠滅までしたことも「力を尽くした」んだから許されるのか?
忽那汐里が演じる雑誌グラビアの少女の「でも死ぬ必要もない人がひとり殺されたんですよね?とても嫌な感じがします」という言葉は、観客の気持ちを代弁している。
“俺たちの青春時代”ってな感じで勝手に感傷に浸られても、「戦時中でもないのに」殺された自衛隊員とその遺族にしてみたらたまったもんじゃない。
しかも主人公は以前、忽那汐里から「私はきちんと泣ける男の人が好き」といわれている。
ボクきちんと泣けました、ってことか?ふざけるな、と。
居酒屋でメソメソしてないで、泣くんなら被害者の墓の前で詫びを入れながら泣けよ。
このラストはないわ、と思った。
この映画の山下敦弘監督は僕とほぼ同世代の人だ。
無論、あの当時を知らない。
でもだからこそ、身勝手な革命幻想を懐古して夢うつつになってるじーさんたちとは違う視点で映画を撮れるはずなわけで。
主人公に甘いのは原作がそうなんだから仕方ないのかもしれないが。
一方で、俳優たちの顔はとてもいい。
昭和顔集めました、みたいな端役の人たちの顔立ちと髪型。
この映画に出てくる若者たちはぜったいに友だちにはなりたくないような奴らばかりだけど、先ほどの忽那汐里や石橋杏奈、そして眼鏡の読書女学生を演じる韓英恵など女の子たちはとても魅力的。
そしてオッサン役の人たちの演技も。
もちろん、演じているのはあの当時はまだ子どもや若者だった人たちだが。
先輩記者役の古舘寛治、沢田や梅山と接触する新左翼活動家役の山内圭哉(この人、『瀬戸内少年野球団』で主人公を演じてたんだなぁ)、刑事役の康すおん(あがた森魚もいたな)とか、中年の男性がちゃんと中年を演じている。
あたりまえなんだけど、最近の邦画でこういうの観ると嬉しくなる。
もう一度観ようという気にはなれないが、俳優たちの演技は見ごたえがありました。
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