映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『耳をすませば』


監督:近藤喜文、声の出演:本名陽子高橋一生室井滋小林桂樹立花隆ほか、スタジオジブリのアニメーション映画『耳をすませば』。1995年作品。

原作は柊あおいの同名漫画。

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月島雫(本名陽子)は読書好きの中学三年生。借りてきた本の貸出カードでよく目にする「天久聖司」という名前の人物に興味を惹かれている。彼女はオリヴィア・ニュートン=ジョンの歌う「Take Me Home, Country Roads」に自分で歌詞をつけてクラスメイトたちに見せていたが、おなじ学校の男子生徒にそれを読まれてしまってからかわれる。ある日雫は、父(立花隆)が勤める図書館にむかう途中の電車のなかでみかけた猫を追って、「地球屋」というアンティークショップにたどりつく。


好きなひとが、できました。

ほかのジブリ作品同様、劇場公開当時に映画館で観ました。

同時上映は、「ジブリ実験劇場」と冠された宮崎駿監督による短篇『On Your Mark』。

CHAGE&ASKAの同名歌をフィーチャーしたプロモーション映像っぽい作品。

ジブリの短篇集『ジブリがいっぱいSPECIALショートショート』に収録。


未来の世界で、チャゲアスをモデルに(&美形化)したふたりが所属する警官隊がカルト教団のアジトを襲撃。そこで背中に羽の生えた少女をみつけるが、研究のために彼女は囚われてしまう。ふたりは意を決して施設から少女を救いだす。

僕はこの『On Your Mark』けっこう好きです。


さて、『耳をすませば』はジブリでも人気作品のようで、続篇的な『猫の恩返し』とともに宮崎駿監督以外のジブリ作品としてはめずらしく定期的にTVで放映されてる。

今回も金曜ロードSHOW!でやってたので観たんですが、じつは前回の放映では途中で飽きてチャンネルを替えてしまったのでした。

脚本と絵コンテで宮崎さんが直接かかわっていて劇場で観たにもかかわらず、これまで感想も書かずTV放映時にちゃんと観かえすこともなかったのは、正直この作品が苦手だから。

そんなわけで、今回は悪意のこもった文章になりそう。

純粋にこの作品が好きなかたはお読みにならない方がいいかもしれません。

好きではないのになんでわざわざ感想なんか書くのかといえば、もう憂さ晴らしのため、としかいいようがない。

「ヤな奴」ですね^_^;


映画館で観たときから、なんとなく違和感はあったのです。

公開当時の90年代の日本を舞台にした中学生の男女の恋物語なのだが、観終わって「俺が観たいのはこういう作品じゃないんだよなー」と思った。

ジブリ(とゆーか宮崎駿作品)に関しては『カリオストロ』(感想はこちら)とか『ラピュタ』(感想はこちら)みたいな冒険活劇が好きなので、中坊が「好き」とか「結婚しよう」とか言い合ってるようなちまちました話は退屈なのだ。

だからやはりおなじような題材の『海がきこえる』もまともに観てない。

そんな思い入れがかけらもない作品を今回観ようと思ったのは、ひとえにこの映画の人気の高さによる。

とにかく「この映画が好き!」「ジブリのなかで一番」って人が意外に多いのだ。

「なんで?」とずっと不思議だったので、ひさびさにトライしてみた。

で、この映画を好きだという人が多い理由は、まぁなんとなくわかりましたよ。

そしてどうやらこの映画を観て「うつになる」って人が多いらしいのも。

以下、ネタバレあり。


雫は、自分が借りてくる本の貸出カードにいつも先に書かれている「天久聖司」という名前が気になっていたが、学校の図書室で借りた寄贈本に「天久文庫」という判が押されているのを見て、なにか関係があるのかと先生にたずねる。

そしてその天久さんの孫が自分とおなじ学校の生徒だということを知る。

一方、そのちょっと前に彼女は友人たちに読ませた「カントリー・ロード」の自己流の歌詞を見知らぬ男子生徒に見られてしまい、「“コンクリート・ロード”はやめた方がいい」とあざ笑われる。

その男子生徒はなぜか雫の名前を知っていたが、わけをたずねると「さぁ、どうしてでしょう」と笑って立ち去る。

ヤな奴ヤな奴ヤな奴!!!」と怒り心頭に発する雫。

このあたりは観てて可笑しかったですけどね。

まぁ、自作の歌詞を同級生に見せていっしょに歌ったりしてるぐらいだからけっこう図太いとこもあるのかもしれないが、彼女にとっては自分が書いた詩を読まれるのが恥ずかしいんじゃなくて、きっと自分自身が納得していない「不出来なままの作品」を見られるのが恥ずかしかったのだ。

なにかを表現しようとしてる人って、そういうところがある。

そして、この男子生徒がくだんの「天久聖司」だったというわけ。

このようにふたりの最初の出会いは最悪だったのだが、やがてそれが「恋」へと変わっていく。

そこにみんな「キュンキュン」しちゃうんでしょう。

僕はこの映画を劇場ではじめて観たとき、好きだった女の子のことを思い浮かべていた。

その子にも雫同様にお姉さんがいて、また創作活動に興味をもってて(彼女は演劇方面だったが)そちらの世界に進みたいと思ってる人だったので。

だから出だしや中盤あたりまでは、僕にも興味がもててじゅうぶん共感できる題材だったんですよ。

また雫の「物語を書きたい」という欲求もとてもよく理解できた。

将来それで食べていけるかどうかはわからないけど、ともかく「自分の作品を完成させたい」という強い想い。

そして彼女はそれをやり遂げる。

そのためにしばらく学校の勉強がおろそかになって、成績が落ちてしまう。

両親からは「それはいまどうしてもやらなきゃいけないこと?」と言われたり。

なにかに夢中になって集中しているとほかのことが目に入らなくなることはある。

そういえば『魔女の宅急便』(感想はこちら)のキキもそういうところがあったな。

ちなみにキキの声を担当していた高山みなみは、今回、友人たちとともにしょっちゅう保健室に入り浸っている雫が慕う保健の先生を演じている。


『魔女宅』でやはり高山みなみが演じていたウルスラっぽい男前の女性である。

まるでジブリ作品の先輩と後輩が共演してるみたいで(じっさい声優は共演してるんだが)楽しい。

あと、友だちの恋愛事情についてはけっこう興味津々でちょっとからかってみたりもするんだけど、いざ自分のことになるととたんに奥手になっちゃうとこなんかも、「いるよなー、こーゆー子」と。

雫の家族は、母親(室井滋)が大学院に通っているため家事や雫への小言などは姉の汐が担っている。

なんとなくそういう“現代っぽい”設定というのも意識的に取り入れてるのかな、なんて映画館で観たときに思った。

大学生の姉がちょっと大人すぎる気はしたけど。あれだとほとんど従来の母親像と変わんないし。

姉の汐の声をアテている山下容莉枝は、やはり本名陽子が主人公の小学生時代を演じた『おもひでぽろぽろ』(感想はこちら)でも大学生の姉を演じていた。

いつものとおり原作は読んでないけど、原作ファンからの指摘では姉の性格がキツくなってたり彼女がつきあってる男性キャラがまるごと削られてたりと、映画版ではさまざまなところが変更されてるようですが。


この映画の舞台は東京の聖蹟桜ヶ丘がモデルになっていて、いまも現地を詣でるファンがいるそうで、映画のことを紹介している看板もある。

ジブリ作品で日本の実在の場所をモデルにしたのはほかにも『平成狸合戦ぽんぽこ』(感想はこちら)の多摩丘陵や『コクリコ坂から』(感想はこちら)の横浜などがあるけど、人気作品ということもあってか、聖蹟桜ヶ丘=『耳をすませば』の舞台、というイメージはいまやかなり定着している。

僕も以前近くの町に住んでたので一度だけ行ったことがある。

もっともロケ地めぐりが目的ではなくて、失恋してやけくそで自転車飛ばしてたらたどりついたのだが。

おなじ自転車漕いでても天久聖司とは雲泥の差(ノДT)

僕がこの作品が「苦手」なのは、そんなところもあるのかもしれない。

いや、ああいうカワイイ女の子とイケメン男子の恋にあこがれる気持ちはわかるんですが。

でもさぁ、なんかこう、釈然としないんだよね。

この映画をはじめて映画館で観たときすでに僕は中学生ではなかったから、ふたりの恋の進展がなんか他人事でしかなかった、ってのもあるけどそれだけじゃなくて、雫と聖司の接近のしかたが「…早くね?」と。

「ヤな奴!×3」って怒ってたのが、なんかしばらくするともう打ち解けて、しかも下の名前で「聖司くん」とか。

で、聖司の方もいつのまにか呼び方が「月島」から「雫」って。

早くね(2度目の疑問形)?

俺にそういうケッコウな経験がないってだけで、世のなかの中学生たちはみんなあんなふうによろしくやってるのかもしんないけど。

だけど、そうじゃないから多くの人たちがこの映画観ると「うつになる」んでしょ?

僕は「うつ」というよりも怒りで血管破裂しそうになりましたが。

あんなバカップル、ラピュタのいかづちに撃たれてまるでゴミのように散ればいいのに(暴言)。

…これから僕のなかの怨念がさらにヒートアップして非常に偏狭でイジケた文章がつづくと思うんで、キモいおっさんの「ひがみ」や「やっかみ」を延々読まされるのが不快なかたは(愉快な人などいるわけがないが)離脱していただくのがよろしいかと。


中高生の恋、というと最近ではさっきタイトルをあげた『コクリコ坂から』が思い浮かぶけど(自転車で2ケツもあるし)、たぶん人によっては『耳をすませば』と『コクリコ』で好みが分かれるんでしょうね。

『コクリコ』の舞台は昭和30年代。

主人公の海(うみ)は自分一人で家事のすべてをこなす、従来の宮崎駿作品における「なんでもできちゃうお姫さま的ヒロイン」の典型のような少女。

そして海と彼女が惹かれるようになる男子生徒との関係は抑制が効いていてプラトニックであり、またふたりのあいだには誰かが入りこむ余地もないので、恋の鞘当ての面白さはない。

その障害となるのは、「禁断の恋」。

なんていうか、古典的なんですね。

一方で『耳をすませば』の舞台は現代(1990年代半ば)。

最初は「ヤな奴」だと思っていた男子にじょじょに(※僕は“急に”だと感じたが)惹かれていくヒロイン・雫は、親友の夕子やクラスメイトの杉村たちとのあいだでもいろいろあったり、しょっちゅう姉から叱れているようにちょっとだらしないところもあるふつうの中学生。

雫については「なんでもできちゃうお姫さま」ではない等身大のキャラクターが共感をよぶんだろうし、まぁ中学生なんで彼女と聖司の関係だってプラトニックではあるんですが、『コクリコ』にくらべると「好き」という言葉がもうすこし気軽に口にできる世界で、だからこそそんな登場人物たちが「誰が誰を好き」みたいなことで右往左往するさまをキュンキュンしながら観ていられるのだろう。

夕子が好きだった野球部員の杉村が、そうとは知らずに夕子に別の男子のラヴレターの返事を催促して、彼女が顔をぐちゃぐちゃにして泣きはらして雫に相談する場面、そしてじつは杉村は雫のことが好きだったと本人から告白されて雫がうろたえる場面など、観てて「キャ~(>_<)」となるとこはいくつもありました。

そういう部分はリアルだったし、他方で「中坊が色気づきやがって」と感じたりもした。

つまりそれなりに僕も映画を楽しんだのだ。

ところが、雫が以前おとずれた「地球屋」の老店主・西老人(小林桂樹)の孫がじつは聖司だったこと、しかもそのときはじめて彼女はあの「天久聖司」の正体が彼だったことを知るあたりから違和感が。

これを機に、突如、雫は恋愛モードに突入していく。

いや、まだ見ぬ「天久聖司」に対して雫がずっと尊敬やあこがれにも似た気持ちをもっていたことは彼女の独り言でしつこいぐらい語られていたんだけれど、雫の名前を知っていたこの男子生徒が天久聖司であることはもうずっと前から観客には予想できているので、「今ごろ気づいたのか?^_^;」と。

あのタイミングで相手の名前をはじめて知る、というのがどうも不自然に感じられてしまって。

僕はてっきり、ブタ猫ムーンを後ろに乗せて自転車で「さぁ、どうしてでしょう」と去って行くこの男子が天久聖司かもしれない、と雫は予感した、もしくはあのあと彼から名前を聞いたんだとばかり思っていたので。

「天久聖司」の正体をあそこまで長々と引っぱる必要はなかったんじゃないか。

名前も知らない男子の家についてくとか、しかもいきなりヴァイオリンにあわせて歌うとか。

雫が聖司や「地球屋」のおじいさんたちの奏でる楽器といっしょに歌う場面はこの映画のハイライトシーンだし微笑ましくはあるのだけれど、雫(本名陽子)の歌声は音痴ではないもののところどころ音程があやしいところもあって、僕は正直聴いててこっぱずかしかったです。


あれは『塔の上のラプンツェル』(感想はこちら)でいきなりヒロインが歌いだすのとは違ってプロが歌声を披露するミュージカル場面ではないので、学芸会の発表を観てるようなハラハラする感じが僕はちょっと苦手でした。

あの絶妙なヘタさかげんはもちろん意図的なものなんでしょうが。

その前に女の子たちがやはり「カントリー・ロード」の前ヴァージョンの「コンクリート・ロード」をみんなで口ずさむ場面があるけど、やっぱり僕は観てて背筋がぞわぞわ~っとした。

ああいうふうに小中学生の女の子たちが友だち同士で楽しそうに歌ってることってあるし、きっと「地球屋」でのあのセッション場面が好きだという人は大勢いらっしゃるでしょうが。


ところで「天久聖司=ストーカー説」というのがあって、たしかによくよく考えるといつも都合のいいときに雫の前にあらわれる聖司の言動には不可解なところがいくつもある。

このへんにツッコんでる人たちはけっこういらっしゃるみたいで、たとえばこのかたのブログの記事を読むと、笑いながらもちょっと頬が引きつってきたりもする。

しかもコイツはヴァイオリン職人の夢を追って日々がんばっていることがわかってからは雫を恋の虜にしてしまうのだが、雫との最初の出会いでみせた意地の悪い物言いでわかるように妙にサディスティックな面も持ち合わせている。

だって、初対面の女の子に(じつは初対面ではなかったことがのちに本人の口から証言されるのだが、これがまたキモいのだ)「おまえさぁ、“コンクリート・ロード”はやめた方がいいぜ(ニヤッ」などと言い捨てて、その後いけしゃあしゃあと「そんなこと言ったっけ?」とかトボケてるって(ほんとに忘れてる可能性もあるが、だったらよけいダメだろ)、僕はおなじ男としてコイツの本性を見た気がするんだが。

聖司が図書館の本を借りまくってたのは、物語を読むのが好きだったからじゃなくて雫の気を引くためだったんだし。

どんだけ用意周到なんだよ。

そんなわけで、僕はこの「天久聖司=ストーカー説」を全面的に支持したい。

そういえば、今回はじめて聖司の声を担当してたのが高橋一生だったことを知った。


今回のTV放映中にニコニコ動画で生中継があって、雫役の本名陽子さんが出演されてました。

映画鑑賞しながらときどきそちらもチェックしてたんだけど、「雫と聖司はその後どうなると思いますか?」という質問に、本名さんは「すぐ別れると思います」と衝撃的な発言。

そしてヴァイオリン製作の修行でイタリアに行った聖司については「チャラくなってたりして」とも。

最高だな(^o^)

どうもこの発言が気に障った人たちが大勢いるらしく、「夢を壊すな」とか「声優として失格」などと吠えてるみたいだけど、冗談も通じない人たちってキモチワルイなぁ。

彼らにとっては、演じた声優よりもアニメのキャラの方が大切なんだろう。だから自分たちの想い出に水を差されたと思って怒るのだ。

でも、僕はかえってそういう、演じた当人による役柄とは違う視点からのツッコミって面白いけどな。

本名さんは映画の公開当時高校生(『おもひで』のときは中学生)で演じてたキャラクターと年が近かったわけだけど、あれから年齢をかさねて勝間和代似のレディに成長したリアル女子としての言葉なんだからさ。

彼女は高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』で子役で声優デビューして(僕はこの作品けっこう好きです♪)、それにつづいてジブリ作品で主人公を演じた『耳すま』に対しては愛着があるだろうことはもちろんだが、一方で「冷静に観られない」とも語っていた。

かつての自分自身の声の演技について、キャリアを積んだいまとなってはいろいろと思うところもあるんでしょう。

だからもちろんさっきの発言は単なる放言や悪態じゃないのだ。

僕は雫を演じた声優さんが本音で語ってくれたこの言葉で、ちょっと溜飲が下がった思いがしたんだよね。

なにがムカついたって、僕はこの映画のラストに心底腹が立ったので。

いくら僕がイジケまくった性格であっても、「物語を書きたい」と努力することもヴァイオリン職人を目指すことも、そんなふたりがたがいに惹かれあうことにも別に抵抗はないし、途中までは楽しんで観ていたんだけど。

でも、純粋に物語を書き上げることを目標にしてたはずの雫は、いつのまにか「聖司に追いつく」ことが目的になっていったように感じられたんです。

そのことをクライマックスで彼女自身が聖司に告白するし。

それが悪いとは言わないけど、なんか聖司と同様に不純なものを感じてしまって。

これはちょうど、おなじ高校に進学するためにがんばって受験勉強する、というようなものだと思えば、納得できなくもないのだが。


んで、朝焼けをながめながら聖司は「俺と結婚してくれないか」とか言いだすのだ。

それに対して雫は「私もそう思ってた」と返す。

…う~ん。

何度もしつこいけど、早くね?

「ヤな奴」から「好きなひと」、そして「結婚しよう」までの展開が音速を超えてる。

それと、雫にフラれた杉村と雫の親友の夕子がちゃんとフォローされないまま、なんとなくほっとかれてたのが腑に落ちなくて。

主人公の恋が実ればそれでオッケーなのか?と。

夕子は杉村のことが好きだったのをぜんぜん気づいてももらえずに泣いてたのが結果的には杉村とイイ感じになったのかもしれないけど、それならそれで「いいのかそれで?」と思うし。


まぁ、野球部の奴なんてフラれたことなんかすぐ忘れてほかの女の子とくっつくもんなのかもしれないが(おそるべき偏見)。

でも杉村もそうだが、夕子の方もそれで納得できるんだろうか。杉村が雫を好きだったことは彼のふだんの振る舞いから夕子はきっと気づいていたんだろうし。

雫が意図的にやったわけではないが、なんかフッた男を親友にあてがうみたいで感じ悪くて、僕は激おこぷんぷん丸なのだ(非常に残念な文章)。

たしかに「くそぉ、うらやましいなぁ」というひがみもあるけど、それだけじゃなくてやっぱり恋物語としてこの浮かれまくったような終わり方はどうなんだろう、って。

たとえば、聖司の「結婚しよう」(原作にはこの台詞はないそうです)はいくらなんでも飛びすぎだから、せめて「むかえにくる」にするとかね。

で、それを聞いた雫が「(以前の聖司の口調を真似して)おまえ、よくそんな恥ずかしいことが言えるよなぁ~」って言って笑いあう、みたいに。

雫はふだんからけっこうこそばゆい言葉を平気で口にする女の子で、それに対して聖司はあきれたようにツッコミを入れてたんだけど、最後にその立場が逆転するのが「キュン」ポイントなんじゃないかなぁ。

ベタだけど、そしたらウマいことまとまるじゃないですか。

そんで、カントリ~ロ~~ド、このみ~ち~♪って。

おなじようにふたりが結ばれるハッピーエンドでも、描きようによって後味はぜんぜん違ってくるんだよね。

そんなわけだから、映画のラストでは完全に恋に舞い上がってる雫を演じた本名陽子さんご本人がその恋人「天久聖司」に対して「すぐに別れると思います」「イタリア行ってチャラくなってたりして」と身もフタもなく斬って捨ててるのを観て、僕は本名さんをおもいっきりリスペクトしたくなったのだ。

あんなふうに瞬間沸騰していきなりつきあったり「結婚しよう」とかいってる中三バカップルが長続きなんかするわけがない!!

これは、いつまでも夢を見たがってる奴らへの本名ねえさんからのアドヴァイスだったんじゃないか(^_^)

でもまぁ、いいよなぁ…。

僕は高校生になってから中学のときにクラスで好きだった女の子に杉村みたいにコクってフラれたんだけど(さっきとは別の女の子です…いったい俺は何度失恋したら気が済むんだろうか(ノДT))、その子は中学時代におなじクラスのほかの奴とつきあってて、でも別れちゃった話をしてくれたのだった。

よーするに、彼女にとって僕はそのときもそれ以前も「お呼びでなかった」ってことだけど(ノ_-。)

それだけに、僕は映画のなかで恋が成就した雫と聖司よりも、教室でほかのクラスの聖司に雫が呼びだされてクラスメイトたちからはやし立てられてるときの杉村の寂しそうな表情の方に目がいってしまって、なんともたまらんかったのですよ。

残酷な場面だなぁ、って。

夕子だって、あれじゃただの雫の引き立て役じゃないか。

彼女には彼女の物語があるはずなのに。*1


ともかくそんな感じで、あのラストでいっきに主人公カップルのことが嫌いになってしまった。

劇場公開以来ちゃんと観かえしてなかったからよくはおぼえてないけど、僕がこの映画をあまり好きじゃなかったのはそういう理由もあったのかもしれない。


さて、「物語に不満」みたいなこと言ってきたけど、僕はこの映画のなかでわずかに描かれる、雫と猫の人形のバロン(露口茂)がいっしょに空を飛ぶ、ああいうファンタスティックな世界を舞台にした映画をほんとは観たかったんだよね。


あそこは宮崎駿さんが演出したんだそうですが。

この映画はほぼ全篇写実的な描写がされていて、マンガチックなデフォルメされた造形や動きは極力排されている。

雫と聖司が自転車で二人乗りするシーンでも、『魔女宅』のような漫画映画的な動きはいっさいない。


だからこそあの飛翔場面が際立ったのはたしかでそれは計算尽くなんだろうし、近藤監督は高畑勲監督とも何度もいっしょに仕事をしてきただけに、雫が「地球屋」の西老人にごちそうになる鍋焼きうどんなどこまかい生活描写にこだわったんだそうで、それはそれで素晴らしいんだけど、それでも飛翔シーンも魔法もほとんど出てこないジブリ作品は僕にはやはり物足りなくて。

個人的には同時上映の『On Your Mark』の方が記憶に残ったし、短篇ということもあってあれから何度も観ました。

あの作品のなかで宮崎監督は時間軸をいじったり上空でグルッと回転するキャメラの動きなどこれまで自作でやらなかった手法をあえて使っていて、最後に大空に飛び立っていく天使の表情は泣きたくなるほど可憐だった。


さんざん悪態ついてきましたが、僕が今回あーだこーだとイチャモンつけてるのはあくまでも映画の内容についてであって、作画など技術的なことに対してではありません。

絵コンテを宮崎駿が担当して登場人物のデザインはいつもの宮崎アニメのそれだから安心感があるし、物語についてはたまたま僕の好みではなかったというだけで。

美術もとても丁寧で、ラストの朝もやにつつまれた街の風景が美しかった。この映画では「あの街」が主人公だった、ともいえる。

だから、宮崎ジュニアの『ゲド戦記』のように、物語の出来以前の問題で文句垂れてた作品とは違う(いま『耳をすませば』を観ると、雫=宮崎吾朗、西老人=宮崎駿に見えてしまうのだが)。

どうやらこの『耳をすませば』では宮崎駿氏の発言力がかなり強くて監督である近藤喜文氏は自分の意見をずいぶんと抑えなくてはならなかったようだけど、なんの本に書かれてたのか忘れちゃったけど、雫が「地球屋」の前で座りこむ場面で、宮崎監督ならおそらくスカートからパンツが見えそうになるのもかまわずにペタンと座らせるだろうところを、近藤監督は誰も見ていないことがわかっていても女子中学生らしく雫にちゃんと両手でスカートを押さえさせていた、という指摘、あるいは宮崎監督がこれまでに自分の作品ではけっして見せなかった夕子のやつれたような泣き顔など、近藤監督独自の描写というのもあってなかなか新鮮ではある。

今回ひさしぶりに観て、まぁなんだかんだと文句は垂れましたが、それもふくめて楽しみました。


近藤喜文監督は、ジブリ以外でも「世界名作劇場」「名探偵ホームズ」などで僕も幼い頃から彼がキャラクターデザインを担当したアニメを観てきたし、『トトロ』と『火垂るの墓』で宮崎駿監督と高畑勲監督がスタッフとして彼を取り合いっこしてたほどの才能あるアニメーターだったことも知っている。

近藤監督が98年に急逝してから、ジブリでは彼に代わる後継者をいまだにみつけられずにいる。

僕も近藤喜文監督の新作をもっと観たかったです。


その後、監督もキャラクターデザインも異なる続篇的作品『猫の恩返し』でまさしく僕が観たかったバロンが登場する「ファンタスティックな世界を舞台にした映画」は実現するんだけど、困ったことに、あの映画はいまのところ僕がこれまで観たジブリ映画のなかでもっとも苦戦した作品なんである。

なんで望みどおりのファンタジー映画なのにそんなにしんどかったのか、そのへんについては来週の金曜ロードSHOW!の放映で映画を最後まで観とおすことができたら書くつもりの感想のなかで語ろうと思います(『猫の恩返し』の感想はこちら)。


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*1:夕子は大きな家に住む金持ちの娘という設定なんだけど、彼女のふだんの三つ編みの髪型やつねに雫のそばでフォローにまわる性格とかちょっと恋愛依存気味なところなど、どちらかといえば貧しくはなくともかならずしも経済的にゆとりがあるわけではない家庭で堅実に育てられた子のように思えたんだが(集合住宅住まいの雫の方がよほど精神的に余裕があって、のほほんとした性格だし)、どうだろう。金持ちなら娘を私立の中学に通わせる気もするし。