ティム・バートン監督、マイケル・キートン、ミシェル・ファイファー、ダニー・デヴィート、クリストファー・ウォーケン出演の『バットマン リターンズ』。
ティム・バートンの「バットマン」シリーズ第2弾。1992年作品。
Siouxsie and the Banshees - Face To Face
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クリスマスシーズンのゴッサム・シティ。下水道にひそむ怪人ペンギン(ダニー・デヴィート)はゴッサムの実力者マックス・シュレック(クリストファー・ウォーケン)の前に姿をあらわす。大富豪ブルース・ウェイン(マイケル・キートン)はペンギンの策略を暴くためにバットマンとなって調査を開始する。
以下、ネタバレあり。
89年の1作目につづいて公開当時に映画館で観ました。
ティム・バートン監督作品のなかでもっとも好きな作品。
元祖アヒル口女優ミシェル・ファイファー(元祖はメグ・ライアンか?(^◇^)が演じるキャットウーマンに魅せられて、普段は買わないグッズ(ポスターカード)も購入したぐらいに。
ティム・バートンの『バットマン』はアメリカでは大当たりしたんだけど、日本ではそれほどでもなかったようだ。
「暗いから」というのがその理由らしい(それでも日本では第1作目が歴代バットマン映画のなかでは一番興行収入が高い)。
ちなみに世界中で大ヒットしていまも熱心な支持者のいるクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(感想はこちら)も、日本では同時期公開の『崖の上のポニョ』(感想はこちら)に惨敗している。
バットマン映画のなかではこの『リターンズ』につづくジョエル・シュマッカー監督(※ご冥福をお祈りいたします。20.6.21)の『バットマン フォーエヴァー』を「明るいからこっちの方が好き」といってる人がいたりして、公開当時「なんでだよ(-_-メ」とかなり腹が立ったものだけど、興行収入は『リターンズ』の方が上。
おなじシュマッカー監督のその次の『バットマン&ロビン』は、シュワちゃんが敵役で出演していたにもかかわらずアメリカでは前作ほど当たらず、“史上最悪のスーパーヒーロー映画のひとつ”として9部門でラジー賞候補にもなった。
僕も劇場で観たけど、乳首の付いたバットスーツとか有名俳優のコスプレ馬鹿騒ぎにもさすがにいいかげん付き合いきれなくなってきていた。
そんなわけで、けっきょく「バットマン」シリーズはしばらくのあいだ休眠することに。
しかし日本では『バットマン&ロビン』は前作以上にヒットしてるのだから、日本の観客はよっぽどシャレがわかるのか、そうでなければ○○なんだろう(自分だって観に行っといてなんだが)。
さて、僕はというとジャック・ニコルソンが宿敵ジョーカーを演じた第1作目も好きでこれでバットマンをはじめて知ったんだけど(TVドラマ版はもっとあとになってから観た)、「これは、日本でいえばスーパーマンをウルトラマンとすると、バットマンはウルトラセブンだな」と思ったのだった。
『バットマン』(1989) 出演:ロバート・ウール マイケル・ガフ パット・ヒングル
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明るい未来の世界を肯定的に描いた「ウルトラマン」に対して、「ウルトラセブン」には暗く哀しい話がわりとある。
主人公が戦う相手が単純な「悪」とはいえない存在であることがしばしばあった。
どちらも僕は好きです。
なので、単純明快で陽性のスーパーマンとは違う魅力をもつこの黒衣のヒーローに夢中になって、プリンスが歌う「バットダンス」(映画には使用されていないが)のPVを観たり、「とんねるずのみなさんのおかげです」でのパロディを楽しんだりした。
Prince - Batdance
「農協牛乳~!(空耳)」プリンスのキッチュでキャンプな曲はむしろシュマッカー版の方が合ってる気もするが。というか、あきらかにTV版をイメージして作られてるよな。
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TV版バットマン(1966) 出演:アダム・ウェスト*1 バート・ウォード
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バットマンの魅力というのは、まずなによりも一見悪役のようにも思えるあの不気味なコスチュームだろう。
マントをひるがえして闇のなかに消えていく姿はまさに魔物のようでもある。
あの姿でたたずんでいるだけでゾクゾクするし、じっさいあのコスチュームはラバーフェチの人たちにも人気があったりするそうで。
ダース・ベイダーと同様、派手なアクションよりもそのたたずまいによって強さや恐ろしさを漂わせるキャラクターである(マスクからのぞくマイケル・キートンのあの口元もイイ)。
ティム・バートンという監督はけっしてアクションが得意な人ではなくて、またおそらくご本人もそういう描写にはさほど興味がないらしく、『バットマン』にもじつはそれほど派手な格闘シーンはない。
盛り上がりそうなところであえてやめてしまったりする。
鳴り物入りで登場した新兵器バットウィングもあっというまに撃ち墜とされてたし。
“バットモービル”は歴代のどのヴァージョンよりもカッコイイけど。
スーパーマンやスパイダーマンなどのような“超人”ではなくて、バットマンがあくまでも生身の人間だということを強調しているようでもある。
僕はそんなところも好きなのだけど、日本での人気がイマイチというのはそのへんが理由だったりするのかもしれない。
同様に『リターンズ』でもバットマンとペンギン、キャットウーマンたちが派手なVFXを駆使した肉弾バトルを延々繰り広げることはなくて、彼らの戦いはもっと小粒。
そして悪人たちもまた肉体的にはもろい人間である。
なにしろダニー・デヴィート演じるペンギンことオズワルド・コブルポットは、最後にちょっと高いとこから下水に落っこちてあっけなく死んでしまうんである。
これは悪役の方に同情、感情移入してしまうという大変めずらしいヒーロー映画だ。
ダニー・エルフマンによるテーマ曲が高まる冒頭から見事にもっていかれる。
それにしてもオズワルドが“怪人”とみなされるようになる理由が凄い。
手の指に障害があったために両親に橋の上から捨てられ、ペンギンたちに救われてサーカスに拾われる。
しかしやがてそこを逃げ出して両親を殺害、下水道に棲みながら仲間を増やして自分を捨てた世のなかに復讐するためについに地上に帰ってくる。
この映画は「ペンギン リターンズ」でもあるわけである。
これはいかがなものか、と思わせられるような話だ。
ちなみに、このペンギンの生い立ちはティム・バートン版のオリジナル設定。
原作のペンギンは慇懃無礼なイギリス紳士といった感じのキャラクターで、手にも障害はない。
「手」というのはほかの人に触れるために必要なものだが、そこに障害をもっている、というのは他者とうまくかかわれないということの比喩である。
これはバートンの90年の作品『シザーハンズ』でも主人公が負っているハンデとしておなじような表現がされていた。
一方、留守電に「病院の先生が、ちゃんと自立するようにって」とメッセージを入れられたりもするキャットウーマンことセリーナ・カイル(ミシェル・ファイファー)は、精神的に不安定な女性として描かれている。
そして雇い主マックス・シュレック(クリストファー・ウォーケン)にビルから突き落とされた彼女は息を吹き返し、キャットウーマンに生まれ変わる。
復讐に駆られてゴッサム・シティの第一子を皆殺しにしようと企むペンギン、マックス・シュレックを殺して彼に牛耳られたゴッサムを破壊しようとするキャットウーマン、そしてかつて両親を殺されたのをきっかけに悪を退治するために夜な夜なコウモリのコスチュームで町へ繰り出すバットマン。
みんな病んでいる。
公開当時、この映画について「お話がない」などと書いている批評家がいたけれど、なにを見ているんだろう、と思った。
お話がないどころか、これはヒーロー映画としては画期的な作品ではないか。
僕がこの映画に強く惹かれるのは、ティム・バートンが「コミックヒーローというのは心を病んだ人のことである」ということを語っているからだ。
バートンはインタヴューで「もしブルース・ウェインがシュワルツェネッガーのような肉体の持ち主ならコスチュームを着る必要などない」といっている。
彼はシュワちゃんみたいにムキムキではないからこそ、鋼の鎧で自分を守るのだ。
前作『バットマン』で、バートンはヒーローであるはずのバットマンを「コスプレした変人」として身もフタもなく描いた。
ヒロインのヴィッキー・ヴェイル(キム・ベイシンガー)はバットマンに「あなた、自分がまともだと思う?」と訊ねる。
そしてバートンは、この『リターンズ』で「病んでいるように見える者こそが正常なんじゃないか」ということを語ろうとしている。
前作でのジャック・ニコルソンのジョーカーは純粋に狂気の男だったが、『リターンズ』で人々に危害を加えゴッサムを恐怖におとしいれるペンギンやキャットウーマンをティム・バートンは共感を込めて描く。
彼らは世のなかから疎外された者たちである。
これは社会に溶けこめない者たちの逆襲だ。
ペンギンはゴッサムに言い放つ。
“Burn, Baby, Burn!!! (みんな燃えろ!)”
バートンはそんな彼らにみずからを投影していた。
むしろ、自分たちはまともだ、正しいのだ、と思い込んでいる者たちこそ狂っているのではないか?という問いかけ。
このアプローチにはかなり影響をうけたし、いまでも僕がものを判断するときの基準のひとつにもなっている。
悪役が正義の味方に「お前はほんとうに正しいのか?」と問いかける映画はほかにもたくさんある。
『ダークナイト』はまさにそういう映画だったが、『リターンズ』はそれを台詞や説教ではなく、登場人物の描写でおこなっている。
いつのまにか観客はペンギンやキャットウーマンの身になって、彼らの側で映画を観ているのだ。
これはとても高等なテクニックだと思う。
それがこの映画ほどうまくいっているヒーロー映画を僕はほかに知らない。
それとしばしば混同されがちだが、クリストファー・ノーランのバットマンが「正義とはなにか」ということを生真面目に悩むのに対して、バートンが描くバットマンは別になにも悩んではいない。
1作目でヴィッキーに「どうしてあなたがこんなことをする必要が?」と問いかけられても、「ほかに誰もやらないからだ」と答える。
彼の行動はつねに明快で、“探偵バットマン”が謎を解いて悪人たちのもくろみを暴くのだ。
ティム・バートンとクリストファー・ノーラン、どちらのバットマンが優れているか、という議論はさまざまなところでさんざんされてきたし、けっきょくは好みの違いでしかないので(もちろん個人的にはバートン版の方が好き)これ以上述べません(『ダークナイト ライジング』の感想はこちら)。
バートン版とノーラン版の比較
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ティム・バートンは、『バットマン』と『リターンズ』で一貫して異端者たちの姿を描きつづけた。
ブルースはセリーナにいう。「僕たちは似ているんだ」と。
バットマンがセリーナに正体を明かしたとき、あぁ、このシリーズはこれで終わるのだ、と思った。*2
事実、ティム・バートンはこの作品を最後に「バットマン」シリーズから離れる(『フォーエヴァー』では製作だが、内容にはノータッチ)。
セリーナは、なぜブルースとともに生きる道を選ばなかったのか。
それは彼女がもはや普通の人間ではないからだ。
一度うしなった命が野良猫たちによって甦り、9回生まれ変わるという猫の化身となった彼女はもうおとなしく平穏な生活を送ることは出来ない。
それはまるで「悪役」の宿命のようでもある。
オズワルドが一度はマックス・シュレックの助力によって人々からの尊敬も勝ち得て、市長候補にまでのし上がりながらあえなく転落するように。
バートンが描いた悪役たちは哀しい。
執事のアルフレッドに「メリークリスマス」と告げてブルースは雪のなかを車で静かに去っていく。「すべてのMEN、そしてWOMENに幸あれ」。
虚空に浮かぶ、あらたな敵の襲来を告げるバットシグナルを見上げる“彼女”の後ろ姿を映し出して、このダークファンタジーは幕を閉じる。
僕はこれほどまでに哀しく美しいヒーロー映画をほかに知らない。
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