映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『ドリームチャイルド』


※以下は、2011年に書いた感想です。


ギャヴィン・ミラー監督、コーラル・ブラウンイアン・ホルムアメリア・シャンクリー出演の1985年の英国映画『ドリームチャイルド』。

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1932年、大不況下のアメリカ。アリス・ハーグリーヴス夫人(コーラル・ブラウン)は「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロル生誕百周年記念のイヴェントに招待されて船上にいた。80歳の彼女は“あのアリス”のモデルとなったアリス・リデルその人だった。


クリーチャーを「セサミストリート」のジム・ヘンソンが担当している。

ティム・バートン監督の『アリス・イン・ワンダーランド』(感想はこちら)の公開時にこの映画の存在を知って「観たいなぁ」と思っていた。

昔ヴィデオになってDVDも発売されてたらしいけど、ネットで調べたらすでに廃盤になっているDVDはおそろしく高額でその辺のレンタル店には置いてないのであきらめてたら、とある先輩のご厚意でVHS版を観ることができました。感謝。


なんとなく「ピーター・パン」の誕生を描いたジョニー・デップ主演の『ネバーランド』のような作品を想像していたんだけど、こちらはさすが英国製というか、もうちょっと(というか考えようによってはかなり)危険な香りのする映画でした。

なにが危険なのかはおいおい説明していきますが…。

ネタバレしますが、まぁなかなか観る機会も少ない作品だと思うので、興味があるかたは読んでみてください。


お話は、年老いたアリスが「“あのアリス”のモデル!」と騒がれて困惑しながら、いつしかその脳裏に少女の頃の自分とルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンの想い出が甦る、というもの。

かつては可憐な少女だったアリスもいまでは偏屈な老女となっていて、付添いの娘ルーシーにしょっちゅうきつく当たっている。

自分に「不思議の国」の“アリス”のイメージをかさねようとする人々に抵抗をおぼえながらも、混濁した意識の中でいつしか「不思議の国」にさまよいこんでいるアリス。

彼女はそこで三月うさぎや帽子屋に会う。

そして母や姉妹たちとともにドジソン先生と川遊びやピクニックをしたあの眠くなるような「金色の午後」の記憶。

「この時が永遠につづけばいい」というアリスにドジソンは「つづくよ」と答える。

ドジソンは彼女に自分が書いた本をプレゼントしてくれた。

しかし母はドジソンがアリスに送った手紙を焼いてしまった。

あの手紙には何が書いてあったのだろう…。


世のなかに「不思議の国のアリス」を原作とした映像作品はいくつも存在するけれど、その原作者であるチャールズ・ドジソンと“アリス”のモデルとなったアリス・リデルを描いたものというのは、僕はこの映画以外知らない。

チャールズ・ドジソン=ルイス・キャロルといえば「元祖ロリコン」というのが定説で、近年専門家の間ではそれは否定されているそうだが、それでも彼に「小さなお友だち」が何人かいたことは事実だし、彼女たちにさまざまな“コスプレ”をほどこして趣味の写真のモデルにしていた。そのなかにはヌードも含まれている。

日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史


ルイス・キャロルロリコン説」が正しいのかどうかはともかく、さまざまな想像を喚起する人物であることには違いない。


この映画のなかのアリス・リデルは、無邪気ななかにときおり見せるコケティッシュな表情で少女の妖しい魅力を放っている。

少女時代のアリスを演じているアメリア・シャンクリーはこの作品のほかにも『小公女』や『赤ずきん』も演じていて(どれも観たことないけど)、どうやら1980年代半ば当時のちょっとしたロリータ・アイコンだったようだ。


現在多くの人は長い金髪で青い目の“アリス”(ディズニーアニメもバートンの実写映画もそれに倣っている)をイメージするけど、それはジョン・テニエルが描いた挿絵のもので、モデルは別の少女。


ただ、生意気で物怖じせず理知的な“アリス”は、アリス・リデル本人の性格が強く反映されているのだろう。

なによりこの本はまず誰よりも最初に彼女に捧げられたのだから。


この映画に登場するアリスはアリス・リデル本人と同様、黒髪のセミボブ。


吃音気味のドジソンがどもるとアリスは笑いをこらえ、母にたしなめられてお詫びにドジソン先生の頬にキスをする。

このときのイアン・ホルムの表情がもう…先生、昇天の瞬間(〃∇〃)


ちなみにドジソンを演じたイアン・ホルムは身長168cmでわりとずんぐり体型だが、実際のチャールズ・ドジソンは180cmですらっとした美男子だったそうな。

また映画のなかではどう見ても中年もしくは初老だが、ドジソンがアリスとその家族と交流をはじめたのは20代の頃、私家版の「アリス」をアリス・リデルに贈ったのは30代前半の頃なので、いくらなんでも老けすぎ。

イアン・ホルムは『エイリアン』のアンドロイドや『ロード・オブ・ザ・リング』の小人のビルボ、『フロム・ヘル』の医者など、つねにどこか怪しい雰囲気をかもし出している俳優さんなので、この『ドリームチャイルド』のドジソンもまた表情があからさまに変態っぽい。

映画では終始無口で、少女たち、とりわけアリスにのみ心をひらき、人づきあいが不得手のような雰囲気が濃厚だが、これも実際のドジソンは社交的で自己顕示欲の強い人物であったといわれる。美術界や出版業界などさまざまな人と交流をもち、ときに家族ぐるみの付き合いがあったことからもそれがうかがえる。


また、この映画ではドジソンがアリスに「求婚した」ことになっているが、そんな証拠はどこにも存在しないらしい(うしなわれた可能性もあるが)。

とまぁ、史実と照らし合わせればおそらくかなりの創作が含まれているのだろうし、本物のアリス・ハーグリーヴス夫人についても、ルイス・キャロル生誕百周年の記念式典でニューヨークに招かれたのは事実だが、彼女があのような偏屈な性格の持ち主だったのかどうかはわからない。

なので、ここはあくまで映画に描かれたものについて語ります。


この映画のなかで描かれる1860年代のオックスフォードでのアリスやドジソンたちの場面は、有名な“妖精写真”を撮った姉妹を描いた『フェアリーテイル』(1997)をちょっと思わせもする。

ちなみにあの映画にはシャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイルが登場するが、ドイルはアリス・リデルとほぼ同時代の人。

老アリスはどこか世間に対して醒めていて、元新聞記者のジャック(ピーター・ギャラガー)が、彼女の訪米が経済危機で打ちひしがれているアメリカ国民に夢を与える、といっても「現実を直視しなさい」といい捨てる。

彼女にとっては、架空の存在である“あのアリス”と自分を同一視されるのは迷惑以外のなにものでもない。


少女の頃のアリスは姉や妹と遊び、ドジソンのお話を聴くのをただ楽しみにしていた。

そして自分を見つめるドジソンの視線に気づいて彼に水をかけたりする。

まぁ、あんな目でみつめられたら誰だってイラッとするよな。

彼女をモデルにした物語の本をプレゼントされたり写真の現像室でドジソンとふたりきりになったときなど、その振る舞いが妙にリアルなんで思わずドキッとする。

これはもう、完全に変質者と少女の恋物語になっている。

アリスはしかし、ハーグリーヴスという若者と知り合って、やがて彼と結婚することに。

このハーグリーヴス青年にドジソンが妙にカラむところがなんともイタい。

嫉妬しているんである。


それから何十年も経って自分の死が近いことを悟った老アリスは、幼い頃ちゃんと理解できなかったこと…あのドジソン先生の彼女への愛にようやく気づく。

そして彼女もまた…。

その感情をいくらでも美しい言葉で飾り立てることはできるが、やはりこれは普通に見れば「異常な愛」だ。

僕が「危険な香り」といったのは、別に小児性愛者が喜ぶような直接的な映像があるわけではないが、それでもこれが「男として少女を愛する者」をたとえばハリウッド映画にしばしばみられるようなペドフィリアに対する異常なまでの嫌悪感ではなく、まるで美しいものであるかのように描いてみせたところ。

イアン・ホルム演じるドジソンとアメリア・シャンクリー演じる少女アリスの心の中になにかを隠したような表情、そしてそのふたりを不安げにみつめるアリスの母の顔。そこには甘美と不穏の両方が入り混じっている。

不思議の国のアリス」とそれにかかわった人々についての映画ではあるが、これはもちろん子ども向けではないし、かといってルイス・キャロルやアリス・リデルの伝記映画でもない。

もっとヤバいものを扱った作品だ。


老アリスの付添いのルーシー(ニコラ・カウパー)とジャックとの恋模様は初々しくてけっこう好きなんだけど、残念ながらアリスとは直接なんの関係もないので物語のなかでは若干浮いている。

上映時間も90分ぐらいなので、不思議の国のアリスの様子をもうちょっと観ていたかった。

それでもジム・ヘンソンによるクリーチャーたちの出来は素晴らしく、CGによる映像に慣れた目には逆に新鮮に映る。

イモ虫やグリフォン、ニセ海ガメも原作の挿絵のイメージを再現しつつ、実にリアル。

お茶会での三月うさぎたちの造形はどこかヤン・シュヴァンクマイエルのコマ撮りアニメーション(彼も『アリス』を撮っている)を思わせるグロテスクなデザインで、これまたバートンの映画に登場したものよりも魅力的。


ただ、これはいわゆるハリウッド製ファンタジー映画とは違うので、クリーチャーたちはとてもささやかな登場のしかたをしていてバートンの映画のように暴れ回ることはないし、アリスの冒険も描かれない。

とても小さな映画なのだ。


ラストシーン。作り物の波が見える岩場で両手で顔を覆っているドジソン。

映画の冒頭では、ニセ海ガメが同じようにして泣いていた。

それを見た少女アリスがたずねる。

「なぜ泣くの?」

傍らのグリフォンがそれに答える。「そいつの妄想だよ。泣く必要なんてないんだ」。

するとドジソンは笑顔を見せる。

アリスもドジソンと手をとりあって笑う。


僕は原作の「アリス」をちゃんと読みとおしたことがないし、英語のヒアリングができないんでグリフォンの言葉の意味がよく飲み込めなかったんだけど、これはどういうことだろうか。

最初「これはすべてドジソンの妄想なのだ」というシニカルな終わり方なのかとも思ったんだけど(個人的にはそれが一番しっくりくるのだが)、よくわからない。

いずれにしろ、「ドリームチャイルド」とはチャールズ・ドジソンが夢にみた永遠の少女アリス・リデルであった。

切なくも危険なオヤジの少女愛の物語、でした。



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