『アメイジング・スパイダーマン』のマーク・ウェブ監督、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ズーイー・デシャネル出演の『(500)日のサマー』。2009年作品。日本公開2010年。
PG12。
恋愛モノとかってたいして興味がないので劇場公開時には作品の存在さえ知らなかったけど、評判がいいのとクロエ・グレース・モレッツが出てるから。
実際観てみたら、クロエの出演シーンは『グレッグのダメ日記』(感想はこちら)とほとんど変わらないほどわずかだったけど。撮影は『キック・アス』(感想はこちら)の前かな。
主演は『インセプション』で居眠りぶっこいてるディカプリオや渡辺謙たちを必死に“空中搬送”していたジョセフ・ゴードン=レヴィット。
ヒロインの“サマー”を演じるズーイー・デシャネルは人気女優だそうだけど、出演作を観るのはこれが初めて。なんとなくアリソン・ローマンを思わせる顔立ちの女優さんだな、と。
ただ、観終わって率直な感想をいうと、少なくとも自分にとっては「どうしても観なきゃいけない映画」ではなかった。
以下、ネタバレあり。
最初に「これはラヴ・ストーリーではない」とナレーションが入る。
じゃ、なんなのか。
アクションやSF、ホラー映画じゃないのはたしかだが。
主人公のトムが職場で知り合ってイイ仲になった女性“サマー”との500日間が、時系列をバラバラにして断片的に描かれる。劇中でトムはず〜っとサマーとのことで浮かれたり悩んだりしてる。それだけ。
僕にはこの映画は恋愛モノ以外の何物にも思えなかったんだけど。
“ラヴ・ストーリー”というのが主人公の「恋愛の成就」を描いたものに限られるのならば、この作品はそうではないということなのかな。
そんな恋する彼を友人2人がいつも見守っててグチやノロケにいちいち付き合ってくれたり励ましてくれたりする。
平和な会社だなぁ。まるで高校の部活みたいだ。
トムの頼りになる妹をクロエ・モレッツが演じていて、ときどき兄に殊勝なアドヴァイスをする。
「キュートな女はヘンな奴が好きなのよ。でもだからって心の友にはなれない」とか。
「あたしも元カレとそうだったのよねー」なんて、ほんとにもう、あいかわらずこまっしゃくれている。
しかし『アドベンチャーランドへようこそ』(感想はこちら)もそうだったけど、なんでこういう作品の主人公って自分が好きになった女性のことを友だちや妹にまでベラベラと喋りまくるんだろう。
その神経がどうしてもわからない。
さて、トムとサマーはほとんど「カップル」といえる関係にあるにもかかわらず、彼女はかたくなにトムの「恋人」になることを拒む。「自分自身でいたいから」と。
美人だしカラオケも巧いけど、サマーは何かに熱中したり強い思い入れをこめて語ったり表情豊かにはしゃいだりするタイプではないらしく、また冷笑的とまではいかないが、笑顔で話している時さえどこか冷めてて人と距離を置いているようにも見える。
嫌なものは嫌とハッキリ言葉と態度で示すし、それでいて茶目っ気もあり、二人で借りてきたAVのプレイを試してみたりもする。恋する男にはそんな彼女がちょっと謎めいて魅力的に見えるのだ。
トムとサマーが初めて言葉を交わすのが好きな音楽のことについてなのも興味深い。ザ・スミスを聴いてたトムに彼女の方から「趣味いいね」と話しかけるのである。
カワイイな、と思ってた子にそんなこといわれりゃ男の方は舞い上がる。
サマーはビートルズのメンバーの中ではそれほど人気がないリンゴ・スターが好きで、部屋の中にも彼の絵が置いてあったりする。
マイナーな音楽や映画が好きな女性に惹かれる、というのはたしかにある。
でもそういう人って「ダメだこの人、合わない」と思ったら、相手のことをけっこう容赦なくスパンッと切り捨てたりもするんだが。
彼女は別に音楽の趣味の違いでトムを切り捨てるわけじゃないけど、なんとなくその辺のジャッジが厳しい人に思えた。
それにしてもいきなり「友だちになりましょう」とかいうんだ。そんなふうにして女性と友だちになったことなんてないからよくわからない。
よく引き合いに出されるウディ・アレン監督・主演の『アニー・ホール』はずいぶん昔に観たきりなのでちょっと内容を忘れてしまったけど、たしかにこの映画とよく似てたような気はする。
ただ、僕はアレンの恋愛映画でもしばしば感じることなんだけど、よーするにこれは主人公の「独り言映画」なんじゃないのか、と。
親切な友人たちも初めて会ったばかりの女性も、町のその他大勢の人々も、みんなで彼の惚れたハレたの話に付き合ってくれる。
働いてる会社の社長ですら親身になって心配してくれる。
…ねーよ、そんな会社^_^;
少なくとも僕は知らない。
だから、友人たちや周囲の人たちの言葉はあるいは主人公の「心の声」なんではないかと思うのだ。
実は自分の心の中であーだこーだと葛藤してる様を擬人化しているんじゃないか、と。
恋愛モノって、たいがいそんな感じだけど。
それでも、誰かを好きになってしまったら有頂天になって友だちに喋りまくったり、逆にうまくいかずに落ち込んで、世の中すべてが自分に意地悪してるような気持ちになって八つ当たりしたくなったりするのはわかる。
恋をするといろんなことを期待するけど、彼女はいつもこちらの「理想」どおりにふるまってくれるわけではない。
時には予想外の行動をして「なんで?」と驚かされる。
そして、トムをさいなむ「自分たちの関係は一体なんなのか」という疑問。
そのことでまたしても小学生の妹クロエに相談に行くトム。
なんなんでしょうか、この人は。
「友だちでいいじゃない、私はこれで幸せ」というサマー。
後半、彼女はトムと映画館でマイク・ニコルズ監督の『卒業』を観ながら涙を流す。
スクリーンには結婚式から逃げてきたダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが、バスの中で黙ったまま次第に不安げな表情になっていくラストシーンが映っている。
サマーの涙の理由はよくわからない。
彼女はやりたいようにやる。
「愛なんてない。そんなのおとぎ話」といっていたサマーはしかし、最後にあっさりとその考えを覆す。
逆にトムの方は自分の信念が崩れる。「映画もポップスも嘘ばかり。この世はデタラメだ」「“運命”とか“心の友”とか“真実の愛”とか、全部子どもだましのおとぎ話」と。
「明日、彼女の心が変わらない確信」なんてない。
あれだけ「運命」を否定していたサマーがそれを信じるようになる。
それが二人の別れになるという皮肉な結末。
身につまされた人が多かったようで、この映画は評判がいい。
でも期待が大きすぎたせいか、僕はトムとサマーの関係にググッと胸をえぐられるようなことはなかった。
もっと共感できる話かと思ってたんだけど。
きまぐれにも思えるサマーに翻弄されるトムに対しては、なんでそこまでこの女性に執着するのかだんだんわからなくなっていったし。
彼女の口から発せられる言葉やその行動には、信じられないぐらい無神経なところがあるので。
まぁ僕がその辺の男女関係の機微をまるでわかってないせいもあるが。好きになっちゃうとアバタもエクボに見えてしまうってことスか。
最後に自分ちのパーティにトムを呼ぶところなんか、どういうつもりだったんだろう。
ただの“友だち”だから?
この映画がいいたかったことはつまり、クロエ・グレース・モレッツが語ってた「今は思い出がいっぱいで彼女のことを“運命の人”だと思ってるだろうけど、そうじゃない」ってことですか。
その点は同感だけどね。
DVDの「未公開シーン」を観ると、クロエが出てるシーンがけっこうカットされてる。
「私はニーチェが好き。彼は梅毒で発狂したけど」とかいう台詞もあって。
またトムとサマーのやりとりも、もし使われていたら完成版とはニュアンスが違ってくるような芝居のテイクがあったりする。
サマーがバスの中で増殖してる合成ショットもあるけど、これもカット。
「映画」というものが撮影された膨大な映像素材の取捨選択とその組み合わせによって作られていることがよくわかる。
最初に書いたとおり、残念ながらこの映画に強く心動かされることはありませんでした。
でも、こういう作品が評価されることについては、いいな、と思う。
なんかみなさん大人ですね。
その後『アメイジング・スパイダーマン』を劇場で観たけど(それもIMAX3Dで。感想はこちら)、残念ながら僕は「う~ん」でした。
お得意であるはずの恋愛模様はたいして描かれもせず、美男美女があっというまにくっついていた。
マーク・ウェブ監督の作品は、どうやら僕には合わないようだ。
でも、もしもまたクロエを出してくれたら次回作も観ますけどね。
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